第28話 千年前の戦友
第28話 千年前の戦友
巨大な黒いᚦが、リーネ村の空を覆っていた。
雲ではない。
空そのものに、巨大な傷が刻まれている。
その中心から、黒い光がゆっくりと地上へ降りてくる。
「……これは……」
アルトは息を呑んだ。
村の中央に立つ黒いローブの男は、そんな空を見上げることもなく、ただアルトを見つめていた。
「ようやく戻ってきたな」
「……僕を知っているんだね」
「ああ」
男は静かに答えた。
「千年前から、お前を知っている」
少女が一歩前へ出る。
「……あなた」
その声には、明らかな警戒があった。
レグナスも男を睨む。
「やはり生きていたか」
「レグナス……お前も変わらんな」
「千年経っている。変わる必要がないだけだ」
「相変わらず口が悪い」
「お互い様だ」
アルトは二人を交互に見た。
「……知り合いなの?」
「知っている」
レグナスが答える。
「ただし、信用はしていない」
「即答!?」
アルトが思わず叫ぶ。
男は小さく笑った。
「そういうところも変わらないな、アルト」
「……僕のことを知っているなら、教えてよ」
アルトは拳を握った。
「千年前の僕は、何者だった?」
男の表情から笑みが消えた。
「それを知れば、お前はもう後戻りできない」
「それでも知りたい」
「なぜだ?」
「僕が……僕自身だから」
アルトの手の甲で、ᛗ(マンナズ)――「人間・自己」を意味するルーンが淡く輝いた。
続いて、最後の神の文字――「繋ぐ」の文字が光を放つ。
男はそれを見て、目を細めた。
「……そこまで辿り着いたか」
「この文字を知っているの?」
「ああ」
男は空を見上げた。
「それは、千年前のお前が最後に刻んだ文字だ」
「……僕が?」
「そうだ」
その瞬間だった。
アルトの頭の中に、映像が流れ込んできた。
――燃える街。
――逃げ惑う人々。
――黒い光。
そして。
自分の隣に立っている、白い服の少女。
『アルト!』
少女が叫んでいる。
『もうやめて! それ以上、黒きᚦを使ったら――!』
『でも、まだ助けられる!』
若いアルトは叫んでいた。
『僕がやらなきゃ、みんな死ぬ!』
黒きᚦが広がる。
建物が消える。
魔法が消える。
人々の悲鳴さえも、途中で途切れていく。
そして――。
『アルト……!』
少女が彼の手を掴んだ。
『あなたは、もう十分戦った!』
『僕は……』
若いアルトの目から、涙が落ちていた。
『僕は、みんなを助けたかっただけなのに……』
そこで映像が途切れた。
「――っ!」
アルトは頭を押さえて、その場に膝をついた。
「アルト!」
少女が駆け寄る。
「大丈夫?」
「……うん」
息を整えながら、アルトは顔を上げた。
「今の……僕?」
「そう」
少女は悲しそうに頷いた。
「千年前の、あなた」
黒いローブの男が口を開く。
「お前は英雄ではなかった」
アルトは黙って聞いた。
「だが、ただの罪人でもない」
「……」
「お前は、誰かを救うために戦った。そして、その力によって多くのものを消した」
男は黒いルーンを指差した。
「それが、お前の罪だ」
アルトは目を閉じた。
胸の奥が痛い。
けれど、逃げたいとは思わなかった。
「……だったら」
ゆっくり立ち上がる。
「僕は、その罪から逃げない」
少女がアルトを見る。
「僕が千年前に何をしたのか、全部知りたい」
「アルト……」
「そして」
アルトは村を見渡した。
誰もいない。
父も。
母も。
村の人たちも。
大切な場所だけが、まるで時間を止めたように残されている。
「今度は、消させない」
その瞬間。
村の中央に刻まれた巨大な黒いᚦが震えた。
ズズズズズ……。
「来る!」
少女が叫ぶ。
黒い文字から、無数の黒い線が伸びた。
家々へ。
道へ。
森へ。
そして――アルトへ。
「ᛉ(アルギズ)!」
アルトの前に巨大な防壁が現れる。
だが。
黒い線が触れた瞬間。
バキンッ!
防壁の一部が、まるで最初から存在しなかったかのように消えた。
「くっ……!」
「アルト!」
レグナスが杖を掲げる。
「下がれ」
炎の奔流が黒い線を焼き払う。
しかし、黒い線は炎との繋がりそのものを断ち切った。
炎が消える。
「……なるほど」
レグナスが呟く。
「やはり狙いは村そのものではない」
「え?」
「お前だ、アルト」
レグナスがアルトを見る。
「この村は、お前との繋がりが強すぎる」
少女が頷く。
「だから黒きᚦは、この村を入口にしている」
「僕との繋がりを……?」
「そう」
少女はアルトの手を握った。
「でも、今のあなたなら――」
最後の神の文字が輝く。
「切るのではなく、繋げられる」
アルトは頷いた。
「……やってみる」
アルトは村の中心へ走った。
「おい!」
レグナスが叫ぶ。
「一人で行くな!」
「大丈夫!」
「お前の『大丈夫』は信用できん!」
「レグナスまで!?」
その瞬間。
空から黒い光が落ちた。
ドォォォンッ!!
村全体が揺れる。
アルトは倒れそうになりながらも、黒いᚦの前に立った。
「僕は……」
手を伸ばす。
「この村と繋がっている」
ᛗが輝く。
「父さんとも」
光が一本伸びる。
「母さんとも」
さらに一本。
「村のみんなとも」
無数の光が広がっていく。
「そして――」
アルトは少女を見る。
「君とも」
少女の目から、一筋の涙が落ちた。
「……うん」
最後の神の文字が、強く輝いた。
黒いᚦから伸びていた無数の黒い線が、次々と止まっていく。
しかし。
「……まだだ」
黒いローブの男が呟いた。
「本当の敵は、まだ姿を見せていない」
「え?」
男の背後。
誰もいないはずの村の広場に、巨大な黒い影が立っていた。
赤い目が、ゆっくりと開く。
『――アルト』
その声を聞いた瞬間。
アルトの心臓が跳ねた。
知っている。
この声を。
千年前にも――聞いた。
『お前は、私を封じた』
黒い影が笑う。
『ならば今度は――お前の故郷から消してやろう』
アルトは拳を握った。
「……させない」
その目に、もう迷いはなかった。
「千年前の僕が何をしたとしても」
ᛗと「繋ぐ」の文字が、強く輝く。
「今の僕は――僕自身の意志で戦う!」
黒い影が吠える。
空の巨大なᚦが、ゆっくりと開いた。
まるで――巨大な目のように。
そして、その奥から。
千年前のアルトが消したはずの『何か』が、姿を現そうとしていた。




