第21話 千年ぶりの再会
第21話 千年ぶりの再会
「……おかえりなさい、アルト」
静かな声が、神都の最深部に響いた。
アルトは動けなかった。
目の前にいる少女。
白い衣をまとい、長い髪を静かに垂らしている。
夢の中で何度も見た。
記憶の奥で、何度も呼びかけてきた。
――忘れないで。
――今度こそ、見つけて。
その声の主が、今、目の前にいる。
「……君……」
アルトの喉が震えた。
「本当に……いるの?」
少女は小さく微笑んだ。
「ええ」
その笑顔を見た瞬間、胸の奥が締めつけられた。
懐かしい。
そう思う。
けれど、その「懐かしい」という感情さえ、どこか遠い。
千年前。
自分は確かに彼女と会っていた。
話していた。
笑っていた。
そして――忘れた。
「僕は……君のことを、忘れていた」
「……ううん」
少女は首を横に振った。
「あなたが忘れたんじゃない」
「え?」
「あなたの記憶が、黒きᚦに切られたの」
その言葉に、アルトの表情が強張る。
背後にいたレグナスが口を開いた。
「やはりそうか」
「レグナス……知ってたの?」
「予想していただけだ」
「予想してたなら先に言ってよ!」
「確証がなかった」
「そういうところだよ!」
こんな状況なのに、いつものやり取りになってしまう。
だが少女は、少しだけ笑った。
「……変わらないね」
その一言に、アルトは息を止めた。
「変わらない……?」
「あなたは昔から、そうだった」
少女はゆっくりと祭壇から立ち上がった。
千年間、眠っていたはずなのに、その動きには不思議なほど力があった。
ただ――
胸元に刻まれた封印が、淡く黒く揺らめいている。
アルトはそれを見つめた。
「その封印……」
「黒きᚦを抑えるためのものよ」
少女は自分の胸に手を当てる。
「そして、あなたを未来へ送るために使ったものでもある」
「……僕を?」
「そう」
少女はアルトの目を見る。
「千年前、あなたは死んだ」
アルトの心臓が、大きく跳ねた。
「……やっぱり」
これまでの記憶。
自分が千年前に生きていたこと。
そして未来へ魂だけが送られたこと。
すべてが一本につながっていく。
「あなたの肉体は、もう残っていない」
少女は静かに続けた。
「だから、今ここにいるあなたは……千年前のあなたの魂」
「……」
「私はあなたの魂を未来へ送った。そして、黒きᚦの一部をあなたの魂に封じた」
レグナスが低く尋ねる。
「なぜ、そこまでしてアルトを未来へ?」
少女は少しだけ目を伏せた。
「……生きてほしかったから」
その言葉は、とても静かだった。
「千年前のあなたは、自分が消した都を背負おうとしていた」
「……エルナ神都」
アルトが呟く。
少女は頷いた。
「あなたは、あの都を救おうとした」
「でも……僕が消した」
「違う」
少女の声が、初めて強くなった。
「あなた一人が消したんじゃない」
「……」
「黒きᚦを使わせたのは、私たち全員よ」
少女は目を閉じる。
「世界を守るために、誰かが犠牲にならなければならないと思っていた」
「だから……僕が」
「ええ」
少女は頷いた。
「あなたは自分を犠牲にした」
アルトの拳が震えた。
「……だったら、どうして僕の記憶を消したの?」
「あなたが自分を許せなくなると分かっていたから」
少女はアルトへ歩み寄る。
「黒きᚦは、記憶を断つだけじゃない」
「……」
「罪悪感や後悔、人とのつながりまで切り離してしまう」
少女の指が、アルトの胸元に触れる。
その瞬間――
頭の中に光が走った。
――燃える街。
――泣き叫ぶ人々。
――黒い炎。
――そして、自分。
「やめて……!」
アルトは頭を押さえた。
「アルト!」
レグナスが身構える。
しかし少女は首を横に振った。
「大丈夫。まだ全部は見せない」
「……まだ?」
「ええ」
少女は悲しそうに笑った。
「あなたの中には、まだ千年前の記憶が眠っている」
「全部思い出したら……黒きᚦが?」
「目覚める」
その瞬間。
ドクン――。
アルトの胸の奥で、何かが脈打った。
黒い紋様が浮かび上がる。
「……っ!」
レグナスの目が赤く光る。
「下がれ、アルト!」
床に黒い亀裂が走った。
ズズズズズ……。
壁に刻まれたルーンが次々と消えていく。
そして――
「見つけた」
あの声。
黒きᚦに残された意思。
黒い影が、アルトの背後に立っていた。
「千年ぶりだな」
アルトは振り返る。
「……」
影は笑った。
「お前が、あの少女と再会するとはな」
少女の表情が変わる。
「……まだ消えていなかったのね」
「当然だ」
影の赤い目が輝く。
「私は、お前の中にいる」
アルトの胸に黒い紋様が広がった。
「そして、お前がすべてを思い出した時――」
影の声が重なる。
「黒きᚦは完全に目覚める」
レグナスが杖を構えた。
「ならば、目覚める前に封じる」
しかし少女は首を横に振った。
「それでは駄目です」
「何?」
「黒きᚦを再び封じるだけでは、千年前と同じことになる」
少女はアルトを見る。
「今度は、あなた自身が選ばなければならない」
「僕が……?」
「ええ」
彼女は静かに手を差し出した。
「戦うのか」
「……」
「逃げるのか」
「……」
「それとも――」
少女は微笑んだ。
「失われたものを、取り戻すのか」
アルトはその手を見つめた。
そして――
ゆっくりと手を伸ばす。
少女の手を握った。
温かかった。
夢ではない。
幻でもない。
本当に、ここにいる。
「僕は……」
アルトは顔を上げる。
「取り戻したい」
「……」
「エルナ神都も」
胸に手を当てる。
「失った記憶も」
そして少女を見る。
「君のことも」
少女の目が、大きく開いた。
一瞬だけ、涙が浮かぶ。
「……ありがとう」
その瞬間。
アルトの手の甲に、新たなルーンが浮かび上がった。
光が走る。
ᛗ。
ᛋ。
ᛃ。
そして――
それらとは異なる、見たことのない文字。
少女が息を呑んだ。
「……それは……」
レグナスも目を見開く。
「まさか……」
アルトは自分の手を見る。
「新しい神の文字……?」
少女は震える声で答えた。
「違う」
そして、千年前から続く真実を知る者として、告げる。
「それは――あなたが千年前に失った、最後の神の文字」
最深部に、巨大な光が満ちた。
同時に。
エルナ神都の地下深くで――
千年間止まっていた鐘が鳴った。
ゴォォォォン――。
一度。
二度。
三度。
その音は、消された都のすべてに響き渡る。
そして闇の中から、無数の声が聞こえた。
――アルト。
――待っていた。
――忘れないで。
アルトは息を呑む。
少女は涙を拭いながら、静かに言った。
「さあ、アルト」
「千年前に失われたものを――」
「一緒に取り戻しましょう」




