第19話 消された都
第19話 消された都
巨大な扉が、ゆっくりと開いていく。
ギィィィ……。
その向こうから、冷たい風が吹いてきた。
アルトは思わず身震いする。
「……この先に、いるんだね」
「ああ」
レグナスは短く答えた。
二人が扉をくぐる。
そこには――。
巨大な地下都市が広がっていた。
「……街?」
アルトは言葉を失った。
石造りの家。
崩れた橋。
広場。
巨大な神殿。
そして、かつて人々が暮らしていた痕跡。
だが――。
そこには誰もいない。
音もない。
風すら吹いていない。
「ここは……何?」
レグナスはしばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「千年前に消えた都だ」
「……消えた?」
「ああ」
アルトは街を見渡す。
「でも、こんな場所……地上にはなかったよ」
「地上から切り離された」
「誰が?」
レグナスは答えなかった。
代わりに、アルトの胸元を見た。
「お前だ」
「……」
アルトの顔が固まった。
「僕が……?」
「正確には、お前が使った黒きᚦ(スリサズ)だ」
レグナスの声は静かだった。
「ここは、千年前に存在していた都市――エルナ神都」
アルトは息を呑んだ。
「……エルナ神都」
「お前は、この都市を救おうとした」
「……じゃあ、どうして?」
「救えなかった」
レグナスの言葉が、胸に突き刺さる。
「お前は災厄を止めるために、黒きᚦを使った」
レグナスは都市の中央を指差した。
「そして――災厄と、この都市との繋がりを断った」
「……それなら、災厄は止まったんだよね?」
「ああ」
「じゃあ……成功したんじゃないの?」
「違う」
レグナスは首を横に振った。
「断たれたのは、災厄との繋がりだけではなかった」
アルトは黙り込む。
「都市と世界との繋がりも断たれた」
「……」
「住民と世界との繋がりも」
「……」
「名前と、その人間との繋がりも」
アルトの手が震えた。
「つまり……」
「ああ」
レグナスは答えた。
「この都市は、世界から忘れられた」
アルトはゆっくり歩き出した。
道端に、小さな石碑がある。
そこには何か文字が刻まれていた。
だが――。
名前だけが消えている。
「……誰の墓?」
「分からない」
「どうして?」
「名前がないからだ」
アルトは石碑に触れる。
すると――。
胸の奥が痛んだ。
――声。
――笑い声。
――子どもの泣き声。
――誰かが呼ぶ声。
一瞬だけ、街に人々が戻ったように感じた。
「……たくさんいる」
アルトの目に涙が浮かぶ。
「ここには……たくさんの人がいた」
レグナスは黙っている。
「僕が……」
アルトは拳を握った。
「僕が、みんなを消したの?」
「違う」
「でも!」
「お前は、救おうとした」
「結果は同じだよ!」
アルトが叫んだ。
「みんなの存在を奪ったんだ!」
声が地下都市に響く。
返事はない。
ただ、静寂だけが返ってくる。
その時――。
アルトの背後から、少女の声がした。
『違うよ』
「……!」
振り返る。
白い衣の少女が、街の中央に立っていた。
「君……」
少女は悲しそうに微笑んでいる。
『あなた一人の罪じゃない』
「でも、僕が黒きᚦを使った」
『そう』
「僕が、この街を……」
『違う』
少女は首を横に振る。
『あなたは、この街を消したかったんじゃない』
少女の姿が薄くなる。
『守りたかった』
「じゃあ、どうして……」
『力が強すぎたの』
少女は自分の胸に手を当てた。
『黒きᚦは、敵だけを選んで断つことができなかった』
「……」
『だから私は、あなたを止めた』
「……君が?」
『ええ』
少女は頷く。
『あなたの記憶を封じた』
アルトは息を呑む。
『この都のことも』
『あなたが犯したことも』
『私のことも』
少女の目から涙が落ちる。
『全部忘れてもらうしかなかった』
「……どうして?」
『あなたが罪に押し潰されてしまうから』
アルトは言葉を失った。
少女は静かに続ける。
『そして、あなたを未来へ送った』
「……僕を守るため?」
『それだけじゃない』
少女が街を見渡す。
『いつか、この都を取り戻すため』
「……取り戻す?」
『そう』
少女は微笑む。
『黒きᚦによって断たれたものは、二度と戻せないとは限らない』
アルトの目が見開かれる。
「本当に?」
『繋がりを取り戻せばいい』
少女はアルトの手を見る。
『あなたなら、それができる』
「僕に……?」
『あなたは、神の文字を読む者だから』
その瞬間。
アルトの手の甲に刻まれたᛗ(マンナズ)が輝いた。
そしてᛋ(ソウェイル)も続いて光る。
街のあちこちに、小さな光が灯った。
「……!」
消えていた名前。
崩れた家。
古い石碑。
すべてが、ほんの一瞬だけ光を取り戻す。
まるで、この都市が――。
「ここにいた」と訴えているようだった。
「……僕、決めた」
アルトは涙を拭った。
「この街を忘れない」
少女が微笑む。
「ここにいた人たちのことも」
光が強くなる。
「そして――」
アルトは胸に手を当てる。
「君のことも、絶対に忘れない」
少女の表情が、少しだけ嬉しそうになる。
『……ありがとう』
その声を最後に、少女の姿が消えた。
「待って!」
アルトが手を伸ばす。
だが、届かない。
代わりに――。
街の中央にある神殿の扉が開いた。
その奥から、黒い気配が溢れ出す。
レグナスが杖を構えた。
「アルト」
「分かってる」
二人は神殿を見る。
すると、神殿の奥から――。
無数の赤い瞳が浮かび上がった。
『……忘れるな』
黒きᚦの意思が囁く。
『思い出せば思い出すほど、お前は罪を知る』
アルトは震えながらも、前を向いた。
「それでもいい」
拳を握る。
「僕は逃げない」
『ならば来い』
闇の奥で、何かが笑った。
『千年前、お前が消したものを――』
『自分の目で見ろ』
アルトとレグナスは、神殿の中へ進んでいく。
そして二人が足を踏み入れた瞬間――。
背後の扉が、ゆっくりと閉じた。
――ガシャン。
もう、戻れない。
千年前に消された都。
その中心で待っているものこそ――。
アルトが失った、最も大切な記憶だった。




