第18話 千年前の罪
第18話 千年前の罪
――ドクン。
また、鼓動が響いた。
遺跡の最深部。
暗闇の奥で何かが目を覚まそうとしている。
アルトは息を殺しながら、目の前の巨大な石碑を見つめていた。
石碑には、無数のルーンが刻まれている。
その中央には、これまで見たことのない文字があった。
「……このルーン」
アルトが手を伸ばす。
すると――。
ᛃ(ヤラ)――『周期・収穫・時の巡り』を意味するルーン。
その文字が淡い光を放った。
「ヤラ……」
その瞬間。
視界が白く染まった。
「――っ!」
アルトの意識が、千年前へ引き込まれていく。
そこには、一つの街があった。
今のエルディアとは違う。
巨大な神殿。
空を覆うほどの魔法陣。
そして、街の中央に立つ――一人の少年。
「……僕?」
アルトは呟いた。
少年の顔は、今の自分と同じだった。
その手には、黒い光がまとわりついている。
黒きᚦ(スリサズ)。
――『終焉・断絶・消滅』を意味する禁断のルーン。
少年は苦しそうに、その文字を見つめていた。
『もう……止められない』
少年が呟く。
その前には、大勢の魔術師たちがいた。
『アルト! その力を捨てろ!』
『できない!』
少年が叫ぶ。
『これを止めなければ、みんな死ぬ!』
アルトは息を呑んだ。
「……何が起きてるんだ?」
その時だった。
空が裂けた。
巨大な黒い亀裂が広がっていく。
そこから溢れ出していたのは――。
魔物。
無数の魔物だった。
街へと降り注ぎ、人々を襲っている。
少年は震える手を上げた。
『……なら、僕が止める』
黒きᚦが輝く。
――ズァァァァァッ!
黒い線が空を走った。
魔物たちが消える。
建物が消える。
魔法陣が消える。
そして――。
魔物と繋がっていた空間そのものが断たれた。
「……すごい」
だが。
アルトはすぐに気づいた。
「……違う」
少年の顔に、恐怖が浮かんでいる。
手が震えている。
『僕の記憶が……』
少年が頭を押さえる。
『何かが……消えた』
その瞬間。
白い衣の少女が駆け寄ってきた。
「……あの子」
アルトの胸が締め付けられる。
少女は少年の手を握った。
『アルト、大丈夫?』
『……僕は』
少年が少女を見る。
『君の名前を……』
少女の表情が凍る。
『……え?』
『思い出せない』
アルトは息を呑んだ。
これだった。
今まで自分が感じていた恐怖。
ルーンを使うたびに、大切な何かが消えていく。
それは千年前から始まっていた。
少年は自分の胸を押さえる。
『このままじゃ……僕は、僕じゃなくなる』
『だから封印する』
少女が言った。
『この力を、あなたの中に封じる』
『そんなことをしたら、僕は……』
『大丈夫』
少女は泣きながら笑った。
『あなた自身との繋がりだけは、私が守る』
ᛗ(マンナズ)――『人間・自己』を意味するルーンが光る。
白い光が少年を包み込んだ。
『そして、あなたの魂を未来へ送る』
『未来……?』
『千年後』
少女は少年の手を強く握る。
『そこなら、きっと……』
少女の声が震える。
『あなたはもう一度、自分自身を見つけられる』
少年は黙っていた。
そして――。
『分かった』
静かに頷いた。
『でも……君は?』
少女は答えない。
『君も一緒に来ればいい』
『……ごめんなさい』
少女は首を横に振った。
『私は、ここに残らなければならない』
『どうして?』
『封印を維持するために』
少女は涙を流した。
『だから――』
少年の手を離す。
『今度こそ……私を忘れないで』
――光が弾けた。
「待って!」
アルトは叫んだ。
「君の名前を教えて!」
少女は振り返った。
だが――。
その瞬間。
映像が黒く染まった。
「……!」
何も見えなくなる。
ただ、一つの声だけが残った。
『あなたの名前も――』
『私の名前も――』
『黒きᚦに奪わせないで』
――現実。
アルトは膝をついていた。
「……はぁ……はぁ……」
レグナスがすぐそばにいる。
「戻ったか」
「……今、見た」
「何を」
「千年前の僕を」
レグナスは黙った。
「僕は……黒きᚦを使ってた」
「ああ」
「でも、世界を壊そうとしたんじゃない」
「ああ」
「誰かを……守ろうとしてた」
レグナスは静かに頷いた。
「そうだ」
アルトは顔を上げる。
「知ってたんだね」
「……ああ」
「全部?」
「全部ではない」
レグナスは少し目を伏せる。
「だが、お前が千年前に何をしようとしていたのかは知っている」
「教えて」
「まだだ」
「どうして?」
「お前自身が思い出すべきだからだ」
アルトは唇を噛む。
「……僕は、千年前に世界を救おうとした」
「ああ」
「なのに、どうして『罪』なんて……」
その瞬間。
暗闇の奥から声が響いた。
『救った?』
黒きᚦの意思だった。
『違う』
赤い瞳が浮かび上がる。
『お前は――世界を救うために、一つの国を消した』
「……え?」
アルトの顔から血の気が引く。
『黒きᚦで、その国そのものを断った』
「嘘だ……」
『人も』
『建物も』
『名前も』
『歴史も』
『すべてを』
アルトは震えた。
「僕が……?」
『そうだ』
黒きᚦの意思が笑う。
『だから、お前は自分の記憶から、その罪を切り離した』
「違う……!」
『そして、あの女はお前を未来へ逃がした』
「違う!」
アルトが叫ぶ。
「彼女は……僕を守ろうとした!」
『そうだ』
意外にも、影は否定しなかった。
『だからこそ愚かなのだ』
「……何?」
『お前を守るために、彼女は自分自身を犠牲にした』
アルトの胸が痛む。
少女の姿が浮かぶ。
泣きながら笑っていた少女。
最後まで名前を教えてくれなかった少女。
「……彼女は今、どこにいる?」
黒い影は答えない。
ただ――。
遺跡の最深部を指差した。
『会いたければ進め』
「……」
『お前がすべてを思い出した時――』
赤い瞳が細くなる。
『お前は、彼女の名前を思い出す』
「……名前」
『そして』
影が笑った。
『彼女がなぜ、千年間ここで待ち続けているのかもな』
――ドクン。
遺跡が揺れる。
最深部のさらに奥。
巨大な扉が、ゆっくりと開き始めた。
その扉には――。
アルトが見たことのない巨大なルーンが刻まれている。
「……あれは?」
レグナスが息を呑む。
「……封印の中心だ」
「封印の中心?」
「ああ」
レグナスはアルトを見る。
「そして、その先にいるのは――」
一瞬だけ、レグナスの声が震えた。
「おそらく、お前が千年前に守ろうとした者だ」
「……え?」
アルトは扉を見つめた。
そして――。
扉の向こうから、かすかな声が聞こえた。
『……アルト』
あの少女の声だった。
『やっと……ここまで来てくれたね』
アルトは目を見開いた。
「……君なのか?」
返事はない。
ただ、扉の向こうで――。
一人の少女が、静かに目を開いた。




