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『最弱魔術師、神の文字を刻む』 ――最弱魔術師。その正体は、千年前の大罪人。  作者: 雨宮ぐみ


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第17話 本当の名前

第17話 本当の名前


 ――ドクン。


 心臓が、大きく鳴った。


 アルトの視界が白く染まる。


「……っ!」


 足元の感覚が消えた。


 遺跡も。


 怪物も。


 レグナスも。


 何もかもが遠ざかっていく。


 そして――。


 目の前に、一人の少年が立っていた。


 自分だった。


 今より幼い。


 だが、今のアルトとは違う服を着ている。


 少年の隣には――あの少女がいた。


「……誰?」


 アルトが呟く。


 少女は答えない。


 ただ少年の手を握っている。


 その表情は、どこか寂しそうだった。


「待って……」


 アルトが近づく。


 少女が少年に何かを渡した。


 小さな石。


 そこには、一つのルーンが刻まれている。


 ――黒い文字。


 しかし、黒きᚦ(スリサズ)ではない。


 別の文字だった。


「これは……?」


 その瞬間。


 少女の声が聞こえた。


『あなたの名前を、忘れないで』


「名前……?」


 少年が少女を見る。


『違う』


 少女は首を横に振る。


『アルトという名前だけじゃない』


 少女の目から涙が落ちた。


『あなたが、あなたであることを……忘れないで』


 ――ズキン!


「うっ……!」


 アルトの頭に激痛が走った。


 視界が崩れる。


 次に映ったのは――。


 炎に包まれた街。


 逃げ惑う人々。


 空を覆う黒い雲。


 無数のルーンが刻まれた巨大な塔。


 そして、その中心に立つ少女。


『封印します』


 少女の声が震えている。


『この文字を、世界から消します』


 誰かが叫ぶ。


『そんなことをすれば、お前も――!』


『分かっています』


 少女は振り返る。


 そして、アルトを見る。


『だから、あなたを未来へ送る』


「……僕を?」


『千年後なら……きっと』


 少女は泣きながら微笑んだ。


『誰かが、あなたを見つけてくれる』


 アルトは叫ぶ。


「待って!」


 少女が手を伸ばす。


『アルト――』


 その声が遠ざかる。


『今度こそ……』


 ――見つけて。


「――っ!」


 アルトは現実へ戻った。


 膝をついている。


「アルト!」


 レグナスが駆け寄る。


「大丈夫か!」


「……僕は……」


 息が乱れている。


 胸が苦しい。


 だが、それ以上に――。


 頭の中に残った映像が離れない。


「レグナス……」


「何だ」


「僕には……アルト・レインになる前の名前があった」


 レグナスの表情が変わった。


「……やはりか」


「知ってるの?」


 レグナスはしばらく黙っていた。


 そして、ゆっくり口を開く。


「お前が千年前に生きていた時の名は――」


 その瞬間。


 怪物が咆哮した。


『――名を呼ぶな!』


 ドォォォォン!


 巨大な衝撃波が放たれる。


「レグナス!」


 二人は吹き飛ばされた。


 壁に叩きつけられる。


「ぐっ……!」


 アルトは立ち上がろうとする。


 しかし、怪物が迫ってくる。


 四本の腕。


 黒い炎。


 胸の謎のルーン。


 そして――。


『その名を思い出せば、封印が開く』


 怪物が言った。


『お前は再び、あの力を取り戻す』


「……あの力?」


 アルトが聞き返す。


『千年前、お前自身が使った力だ』


 アルトの背筋が凍る。


「僕が……?」


 黒きᚦの意思が笑った。


『そうだ』


 遺跡の奥から黒い影が伸びてくる。


『お前は被害者ではない』


 アルトの顔が強張る。


『お前は――』


 黒い影が、アルトを指差す。


『千年前、この世界を終わらせかけた者だ』


「……嘘だ」


 アルトは首を振る。


「僕がそんなこと……」


「アルト」


 レグナスが低い声で言う。


「聞くな」


「でも……」


「今のお前に必要なのは、全てを思い出すことではない」


 レグナスは立ち上がる。


「自分で確かめることだ」


「……自分で?」


「ああ」


 レグナスはアルトを見る。


「黒きᚦの意思が何を言おうと、お前自身が真実を知るまでは決めつけるな」


 アルトは拳を握る。


 確かに怖い。


 自分が何者だったのか。


 千年前に何をしたのか。


 そして――。


 あの少女が、なぜ自分を未来へ送ったのか。


 何も分からない。


 でも。


「……僕は、知りたい」


 アルトは立ち上がった。


「怖くても……自分の過去から逃げたくない」


 ᛗ(マンナズ)が光る。


 そしてᛋ(ソウェイル)も続いて輝いた。


 怪物が唸る。


『愚かな……』


「愚かでもいい」


 アルトは怪物を睨む。


「僕は僕だから」


 その瞬間。


 怪物の胸に刻まれたルーンが、激しく光った。


 ――ドクン。


 ――ドクン。


 ――ドクン。


 アルトの胸も同時に脈打つ。


「……何?」


 胸の奥から、知らない声が聞こえた。


 低く。


 遠く。


 それでいて、自分自身の声のようだった。


『――我が名を思い出せ』


「……!」


 アルトは胸を押さえる。


 その瞬間、また一つの記憶が浮かんだ。


 千年前。


 少女が泣いている。


 その前に立つ少年――。


 かつてのアルトが、静かに笑っている。


 そして少年は、自分自身の名前を名乗った。


 だが――。


 声だけが聞こえない。


 名前の部分だけが、黒く塗りつぶされている。


「……名前が……聞こえない」


 アルトが呟く。


 レグナスが目を細めた。


「名前そのものが、断たれている……」


「黒きᚦの力?」


「おそらくな」


 レグナスが答える。


「お前の過去だけではない」


 彼は黒いルーンを見る。


「お前の本当の名前そのものが封じられている」


 アルトは息を呑んだ。


 その時。


 暗闇の奥で――。


 少女の声が響いた。


『アルト……』


 優しい声。


 悲しい声。


『まだ、思い出さなくていい』


 アルトは顔を上げた。


「君……!」


『その名前を取り戻すときは――』


 少女の姿が、光の中に浮かぶ。


 そして彼女は、涙を浮かべながら微笑んだ。


『私のところまで来て』


 光が消える。


 アルトは呆然と立ち尽くした。


「……どこにいるんだ」


 答えはない。


 ただ、遺跡の奥へ続く道が、ゆっくりと開いていく。


 レグナスがその先を見る。


「行くしかないな」


「うん」


 アルトは頷いた。


 だが、その足元に――。


 一枚の古びた石板が落ちていることに気づいた。


 拾い上げる。


 そこには、文字が刻まれていた。


 ――『神の文字を読む者、その名を失うべからず』


 アルトは石板を見つめる。


 そして、小さく呟いた。


「……僕の本当の名前」


 まだ思い出せない。


 けれど――。


 確かに、そこへ近づいている。


 その先に待っているのが、真実なのか。


 それとも――。


 千年前に封じられた、恐ろしい何かなのか。


 アルトには、まだ分からなかった。


 ただ一つだけ。


 胸の奥で、誰かが囁いていた。


 ――「思い出せ」


 その声と同時に。


 遺跡の最深部への扉が――ゆっくりと開いた。

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