第11話 黒きルーン
第11話 黒きルーン
地下へ続く階段。
その壁には、無数のルーンが刻まれていた。
ᛉ(アルギズ)――『守護』。
ᚲ(ケナズ)――『炎・知識・啓示』。
ᚠ(フェフ)――『豊穣・財・生命力』。
ᛏ(ティール)――『戦い・勝利・正義』。
そして――。
そのすべての奥に、一つだけ異質な文字があった。
黒い。
周囲の石まで黒く染めるほどの、濃い闇をまとったルーン。
アルトは足を止めた。
「……これが」
喉が鳴る。
「黒いルーン……」
レグナスは答えなかった。
ただ、その文字を睨んでいる。
いつもの無表情ではない。
明らかに警戒していた。
「レグナス?」
「近づくな」
「……そんなに危険なの?」
「危険だ」
即答だった。
「どれくらい?」
「お前が今まで使ったルーンとは比べものにならぬ」
「……」
アルトは一歩下がった。
「じゃあ、近づかない」
「それでいい」
「僕だって死にたくないからね」
「賢明だ」
「……なんか、子どもを褒めるみたいに言われた」
「実際、子どもだろう」
「十六歳だよ!」
「十分子どもだ」
「異世界って十六歳でも子ども扱いなの!?」
思わず叫んだアルトだったが――。
黒いルーンは、その声に反応した。
ボッ。
黒い炎が、文字の周囲に浮かび上がる。
「……!」
アルトの表情が変わった。
黒い炎は、壁から離れる。
ゆっくりとアルトへ向かって伸びてきた。
「アルト、下がれ!」
レグナスが腕を引く。
だが――。
黒い炎はアルトの手の甲に刻まれたᛗ(マンナズ)へ触れた。
「――っ!!」
激しい痛みが走った。
「うあああっ!」
頭の中に、大量の映像が流れ込んでくる。
燃える街。
崩れ落ちる神殿。
空を覆う黒い雲。
そして――。
たくさんの人々。
その中央に、一人の少女が立っていた。
白い服。
長い髪。
あの少女だ。
「……君……」
アルトは手を伸ばした。
少女の目には涙が浮かんでいる。
『アルト……』
「……!」
『お願い……』
少女が何かを抱えている。
黒い光。
巨大な黒いルーン。
それを見た瞬間、アルトの胸が締めつけられた。
『これだけは……世界に返してはいけない』
少女は黒いルーンへ手をかざす。
すると――。
巨大な鎖が現れた。
黒いルーンを縛っていく。
『あなたの中に封じるしかない』
「……僕の中に?」
アルトの声に、少女が振り返る。
『ごめんね、アルト』
そして――。
『いつか、全部思い出して』
光が弾けた。
「――アルト!」
レグナスの声が聞こえた。
アルトは床に倒れていた。
「はぁ……はぁ……」
身体中が汗で濡れている。
「今の……何?」
レグナスは答えなかった。
「レグナス」
「……」
「今の映像、知ってるんだよね?」
沈黙。
「答えて」
アルトが立ち上がる。
「僕の中に……何かを封じた」
レグナスの目がわずかに揺れた。
「……そうだ」
「何を?」
「黒きルーンだ」
「……」
アルトは息を呑んだ。
「じゃあ、あれは……」
レグナスが黒いルーンを見る。
「黒きᚦ(スリサズ)」
低い声だった。
「『終焉』を司る禁断の文字だ」
「終焉……」
「ただ破壊するだけではない」
レグナスは続けた。
「物を壊すのではなく――存在そのものを断つ」
「存在を……?」
「人間を消すこともできる」
アルトの顔が青ざめる。
「魔法も、契約も、名前も……」
レグナスの声が重くなる。
「記憶さえも」
「……!」
アルトは自分の頭に手を当てた。
母の顔。
思い出せない記憶。
名前さえ思い出せない何か。
あの少女。
全部がつながっていく。
「じゃあ……僕が失った記憶は」
「すべてが黒きᚦのせいではない」
レグナスが言う。
「ルーン魔術を使った代償として失った記憶もある」
「……」
「だが、お前の奥底に眠る記憶には――」
レグナスがアルトを見る。
「黒きᚦによって封じられたものがある」
アルトは拳を握った。
「誰が僕に……こんなものを?」
「……千年前の者たちだ」
「千年前?」
「ああ」
レグナスは目を閉じる。
「かつて、この世界にはルーン魔術を極めた者たちがいた」
「神の文字を?」
「そうだ」
「そして、その中から黒きᚦを使う者が現れた」
レグナスの声が低くなる。
「そいつは、世界そのものを消そうとした」
「世界を……?」
「国を消し、人を消し、歴史を消し、最後には神の文字さえ消そうとした」
アルトは言葉を失った。
「……そんなことをした人が?」
「人だったのかどうかは、今となってはわからぬ」
「じゃあ、どうやって止めたの?」
レグナスは答えるまで、長い時間黙っていた。
「……一人の少女が、自分の命を使って封印した」
アルトの脳裏に、あの少女が浮かぶ。
「白い服の……?」
レグナスは目を見開いた。
「……見たのか」
「やっぱり知ってるんだ」
「……ああ」
レグナスは初めて、少女の名前を口にしようとした。
「彼女は――」
その瞬間。
ドンッ!!
地下全体が激しく揺れた。
「うわっ!」
アルトが壁に手をつく。
黒きルーンが激しく輝く。
そして――。
壁に、新たな文字が浮かび上がった。
『封印を解く者が現れた』
「……!」
レグナスの顔色が変わる。
「まずい」
「何が?」
「封印が――」
黒きルーンから、黒い亀裂が走る。
ピシッ。
ピシ……。
やがて――。
パキンッ!
小さな音が響いた。
黒いルーンを縛っていた鎖の一部が、砕けた。
「……嘘」
アルトが呟く。
レグナスは剣を抜いた。
「アルト」
「うん」
「ここから先は、遊びではない」
アルトも身構える。
「……わかってる」
そのときだった。
暗闇の奥から、声が聞こえた。
『――ようやく見つけた』
アルトの身体が凍りつく。
聞いたことのある声。
あの少女ではない。
もっと低く、冷たい声。
『我が器よ』
「……器?」
アルトが呟く。
黒きルーンが赤く輝いた。
『千年ぶりだな』
そして暗闇の中に――。
二つの赤い目が開いた。
アルトは息を呑む。
レグナスが静かに言った。
「……来るぞ」
黒い影が、ゆっくりと立ち上がった。




