第10話 記憶の扉と謎の少女
第10話 記憶の扉と謎の少女
遺跡の奥へ続く通路を、アルトとレグナスは歩いていた。
先ほどまで魔物が暴れていたとは思えないほど、静かだった。
聞こえるのは二人の足音だけ。
コツ……コツ……。
「……ねえ、レグナス」
「なんだ」
「この遺跡ってさ」
「うむ」
「本当に安全?」
「安全ではない」
「即答!?」
アルトは頭を抱えた。
「もう少し安心させてよ……」
「ならば言い直そう」
レグナスは真顔で言った。
「たぶん安全だ」
「悪化してる!!」
そんなやり取りをしながら進んでいると――。
突然、通路の先に光が見えた。
「……あれは?」
二人が近づく。
そこには、大きな扉があった。
扉は白い石でできており、これまでの遺跡とは明らかに雰囲気が違っていた。
黒く朽ちた遺跡の中で、その扉だけがまるで新しく作られたように白い。
そして中央には、一つのルーンが刻まれていた。
アルトは息を呑む。
「また……ルーンだ」
近づいて文字を見る。
頭の中に意味が浮かんだ。
「ᛗ(マンナズ)――『人間』を意味するルーン……」
レグナスが眉をひそめる。
「マンナズ……」
「知ってるの?」
「名だけはな」
「じゃあ、やっぱり僕が読めることがおかしいんだね」
「今さら気づいたか」
「今さらって言わないでよ!」
アルトが扉を見る。
すると、扉の向こうから――。
ドクン。
何かが鼓動した。
「……今、音がしたよね?」
「ああ」
ドクン。
もう一度。
まるで巨大な心臓が、扉の向こうにあるようだった。
アルトは恐る恐る手を伸ばす。
「待て」
レグナスが止める。
「また記憶を奪われるかもしれぬ」
「……わかってる」
アルトは手を見つめた。
何度も迷った。
ルーンを使うたびに、何かが消える。
だったら――。
使わなければいい。
そう思う。
けれど。
あの少女の声が、頭の中に蘇った。
『忘れないで……』
「……僕は、知りたい」
アルトは静かに言った。
「僕が何を忘れたのか」
レグナスは黙っていた。
「母さんの顔も……もう思い出せない」
アルトは拳を握る。
「それに、あの女の子も」
「……」
「どうして僕の名前を知っているのか。どうして『忘れないで』って言うのか」
アルトは扉を見つめる。
「全部、知りたい」
レグナスはしばらくアルトを見ていた。
そして――。
「ならば、自分で選べ」
「え?」
「ルーンを使うかどうかは、お前自身が決めることだ」
レグナスは一歩下がった。
「私は止めない」
「……ありがとう」
アルトは扉へ向き直った。
ゆっくりと手を伸ばす。
指先がルーンに触れた。
その瞬間――。
視界が真っ白になった。
「――っ!」
音が消える。
遺跡も、レグナスも、何もかも消えた。
代わりに見えたのは――。
広い草原だった。
青い空。
暖かな風。
そして。
「アルト!」
少女がいた。
白い服。
長い髪。
見覚えのある姿。
「……君……」
アルトは息を呑む。
少女は笑っていた。
今まで見たことのない、穏やかな笑顔だった。
「やっと来てくれた」
「僕を……知ってるの?」
「うん」
「君は誰?」
少女は少し悲しそうな顔をした。
「それは……まだ言えないの」
「どうして?」
「今のアルトには、思い出せないから」
「……僕が?」
少女は頷いた。
「あなた自身が、自分で思い出さなきゃいけないの」
アルトは少女へ近づこうとする。
しかし――。
足が動かない。
「待って!」
少女が遠ざかっていく。
「君の名前は!?」
少女は振り返った。
そして口を開く。
「私の名前は――」
そこで、世界が大きく揺れた。
「……っ!」
映像が崩れていく。
「待って!」
アルトが手を伸ばす。
「もう一度、会いたい!」
少女は最後に微笑んだ。
「大丈夫」
そして――。
「あなたは、私を知っているから」
視界が弾けた。
「――アルト!」
現実に戻った。
アルトはその場に膝をつく。
「はぁ……はぁ……」
額から汗が流れている。
レグナスがすぐそばにいた。
「何を見た?」
「……女の子」
「やはりか」
「やっぱり知ってるの?」
「そうではない」
レグナスは少し考える。
「だが、お前がルーンに触れるたび、その少女の記憶が鮮明になっている」
「……」
「おそらく、お前の失われた記憶と深く関係している」
アルトは立ち上がった。
そして扉を見る。
しかし――。
「……あれ?」
扉に刻まれていたᛗ(マンナズ)のルーンが、消えている。
「ルーンが……消えた?」
レグナスも確認する。
「いや」
「え?」
「消えたのではない」
レグナスがアルトの手を見る。
「お前の中へ移った」
「……え?」
アルトの手の甲に、淡い光が浮かんでいた。
そして――。
そこには、小さなルーンが刻まれている。
ᛗ(マンナズ)。
「……僕の身体に?」
「そうだ」
「これ、大丈夫なの?」
「知らぬ」
「だからその言葉禁止だって!!」
アルトが頭を抱える。
だが、次の瞬間――。
ズキッ。
「っ……!」
頭に鋭い痛みが走った。
そして、一つの記憶が消えた。
何かが、確かに消えた。
「……また……」
アルトは震える手で頭を押さえる。
「何を失った……?」
思い出そうとする。
けれど、わからない。
何を失ったのかすら、わからない。
その恐怖に、アルトは息を詰まらせた。
レグナスは静かに言った。
「これがルーンの代償だ」
「……」
「忘れたことさえ、忘れていく」
アルトは俯いた。
それでも――。
手の甲に刻まれたᛗ(マンナズ)を見つめる。
「……僕は」
小さく呟く。
「絶対に、取り戻す」
その言葉に応えるように。
遺跡の奥で、巨大な扉がゆっくりと開いた。
ゴゴゴゴゴ――。
その先には、地下へ続く階段。
そして階段の壁には、無数のルーンが刻まれていた。
だが、その中に一つだけ――。
他のルーンとは明らかに違う、黒い文字があった。
レグナスの顔から、初めて余裕が消えた。
「……あれは」
「知ってるの?」
「ああ」
レグナスは低い声で答えた。
「千年前、世界から消されたはずの文字だ」
アルトは息を呑む。
「……何のルーン?」
レグナスは答えなかった。
ただ、黒いルーンを睨みつけていた。
そして――。
その文字が、ゆっくりと赤く光り始めた。
まるで。
アルトが来るのを、ずっと待っていたかのように。




