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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編
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第八十七話 ごめんなさい

 カタリナは、背の高い草の隙間から、荷車が見えなくなっても道の先を見続けるしかなかった。

 風が吹けばサァッと草が(こす)れて音を立て、それだけがその場に残る。


 乾いた喉の奥に押し込むように唾を飲み、本来そこに在ったはずの鞄を思い出すように、軽く左肩に触れた。

 指先がわなわなと震え、自分の足りなさばかりが胸からせり上ってくる。


 私が隠れようと言ったから──

 私が荷車から離れさせたから──

 だから、鞄も、記録も、金も、全部──


「ごめん……なさ……」


 カタリナは言いながら、中腰の姿勢を保とうと重心を少し動かした。

 その時、頭の芯がキーンと音を立てた。

 ふわっと地面が揺れ、意識の遠のきを感じる。


(いけない……こんなところで)


 手のひらで地面を押さえると、草の臭いが近くなる。

 そんなカタリナの様子を黙って見ていた隊長の娘は、そっと肩を支えた。


「……大丈夫……ですか?」


 カタリナを支えるその手は小刻みに震えている。その支えにすら(すが)りたくなる。

 それでも、私が(すが)ってはいけないと、カタリナはその手を軽く握った後、そっと押しのけた。

 そして振り絞るように声を出した。


「……えぇ……少し、ふらついただけよ」


 深く息を吸い、立て直そうと思っても、地面についた手を離せば倒れ込んでしまいそうだった。

 隊長の娘は、退けられた手を胸元で軽く握り、心配そうにカタリナの横顔を見ている。


「でも……顔色が……」


 そう細く声を出し、少しの間カタリナを見た後、顔を上げて周囲をきょろきょろと見渡し始めた。

 どんなに見渡しても不安そうな表情は晴れず、そのうち視線を地面に落とした。


 下唇を噛み、何か考えた様子を見せた後、小さな声で話し始めた。


「あの……そんなにご自身を責めないでください」

「私、カタリナさんを悪くは思っていません」


 思いやりの言葉なのに、それを素直に受け取れるほどの余裕は、カタリナにはなかった。

 頭の中には『こんな風になったのは、自分の考えが甘いから』がこびりついて離れない。


 カタリナの中で、申し訳なさと無力感が一気に胸へ押し寄せる。

 彼女に気を使わせ、そんな自分がみっともなくて、泣きたくないのに涙が零れ落ちた。


 そのカタリナの様子を黙って見ていた彼女は、どうすることもなく、ただその場に居続けた。

 そうやってしばらく無言でいた後、そっとカタリナの背中をさすり、ぽつりと言葉を出した。


「私を地下牢から出してくれて……ありがとうございます」

「私を、見捨てず……ここまで連れて来てくれて、ありがとうございます」


 カタリナの助けたい気持ち、隊長の娘を心配する気持ち、そのどれもが本当だけれど、心の中にある不純な動機を感じるたび、苦しさを覚えるのだ。


 自分の罪悪感を軽くするための謝罪は、したくはなかった。

 それでも自分のやった事は、無意味ではなかったと、思っていいのだろうか──

 カタリナは嗚咽を(こら)えきれず、(せき)を切ったように言葉があふれ出す。


「ごめんなさ……ごめ……本当に、ごめんなさい」


 しゃくりあげて、言葉が上手くつながらない。

 それでも、隊長の娘はそのカタリナの謝罪を黙って聞いていた。


(投獄されたのは許せない……それでも……)


 娘は、背中をさする手を止めることなく、黙ってカタリナが落ち着くのを見守った。


 カタリナはひとしきり泣いた後、それでも泣いてばかりではいけないと、娘の腕へ手を伸ばし、さすってくれる手を止めさせた。

 

「もう……大丈夫」


 かすれた声でそう言い、ハンカチを取り出そうと、ポケットに手を伸ばす。

 その時、冷たい感触が指先に触れた。


 銀貨だ。


 馬車を手配しようとした時、身分証を求められ「結構です」と気丈に断ったが、動揺して急いでポケットにしまっていたものだ。


 カタリナは周囲を見回し、私兵がもうこの場を離れたことを確認すると、銀貨を握りしめ、もう片方の手で彼女の手を取った。


「先へ……進みましょう」


 そう言い、草の茂みから立ち上がり、歩き出した──


 遠目に見えていた小さな村まで歩くと、そこで一軒の宿屋に入る。

 宿屋の女店主は見慣れない顔と、女性二人の旅姿に怪訝(けげん)そうな表情を浮かべた。


 カタリナはその視線を感じながらも、目を逸らさず普通に振る舞う。


「宿を取りたいの、空いている部屋はあるかしら?」


 女店主はカタリナの顔をちらりと見た後、手元の宿帳をパラパラとめくり始めた。


「あるよ」


 ぶっきらぼうに答えると、宿帳をカタリナに差し出した。


「お代は一泊銅貨三枚だ。食事つきなら五枚。泊まるならそれに名前を書いてちょうだい」


 女店主はそう言いながら、宿帳を顎で示した。

 手ぶらの女二人が、こんな田舎宿を訪ねて来るのは、不審に映るのだろう。

 その警戒心を隠しもせず、女店主はカタリナをねめつけてきた。


「お代はあるんだろうね? ここは前払いだ」


 女店主の圧の強さに、カタリナはポケットの銀貨を探す素振りで目を逸らす。

 冷やりとした硬貨の感触は、自分をここに立たせる覚悟へ変わる。

 カシャとポケットでこすれ合う中から一枚取り出し、カウンターに置いた。


「これで」


 女店主は銀貨を見て声の調子が一段柔らかくなり「二階の部屋をお使いください。どうぞ」と丁寧に鍵を渡してきた。


 その様子にカタリナは、女店主は宿代の踏み倒しを警戒したのであって、自分たちの素性を警戒したのではないと判断した。

 差し出された名簿には、偽名をサラサラと二人分書き込んだ。


 カウンターに置かれた鍵を手に取り、奥の階段へ足を向けた。


 銀貨一枚で数泊できるはずだ。

 そうは言っても、そんなに長く滞在するつもりもない。

 ここで一度休み、その間に地図を買って立て直そう。


 ポケットに残った銀貨は二枚。

 その銀貨をスカートの布越しに握りしめた。


(これで検問所まで二人で行くのよ)


 階段の手前に着くと、カタリナは後ろの隊長の娘を確認した。

 手摺(てすり)に手を添え、階段をゆっくりと二人で登って行く──

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