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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編

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第五十三話 嵐の前の静けさ

 オスカー上級曹長は、ジークフリートからのサインでバルコニーの硝子越しに監視していた。

 二人がどの様な内容のやり取りをしているのかは、こちらからは分からない。落ち着いた雰囲気の歓談(かんだん)をしているように見える。


 取り越し苦労か。とも思えたが、何が起きるか分からない。

 二人の仕草に注視しつつ、忍び寄る者がいないか周囲にも気をまわし監視を続ける。

 もし何か、どちらかに危害が発生すれば……大事(おおごと)になる。


(……おや?)


 観葉植物のプランターの隙間から、黒のスカートの裾が見える。


(黒のスカート……通訳官アンネリーゼ……?)


 帝国の基準色の黒のスカートを着用しているのは、アンネリーゼしかこの夕食会の参加者の中にはいない。


(なぜあんな所に……まずいのでは……)


 だからと言ってオスカー上級曹長が、バルコニーに行って何かを出来るわけではない。

 動けばまだ気付かれていないアンネリーゼの存在に、注目を集めることになる。


(……見つかれば、ただでは済まないぞ)


 二人の様子とアンネリーゼの黒いスカートの裾、さらに他に異常が起きないかを注意深く監視する。

 外見(そとみ)には()の歓談から少し休憩をとっているかの様子を保ちつつ、内面では業務を遂行していく。

 

 バルコニーでは依然として穏やかな会話が続いているように見える。

 気をもんでいるうちに、ジークフリート少佐とユリウス侯爵の会話が終わったようで、ユリウス侯爵は丁寧な礼を少佐へすると、こちら側へ歩いてくる。


何事(なにごと)も起きなくて良かった)


 ホッとするが、硝子越しにユリウス侯爵と目が合う。

 バルコニーのドアノブに手をかけ、室内へと入ってくる。


 オスカー上級曹長は、軍人の顔を貼り付ける。

 このままバルコニーを注視していると、ユリウス侯爵に気取(けど)られかねないと考えた。


 バルコニーから視線を外し、姿勢を正すと敬礼を添えた。

 それは上位の立場のものが、目の前を通過する時にとる軍人としての礼の形だ。


 ユリウス侯爵は、そのままオスカー上級曹長の前を通り過ぎる。

 その間、視線を正面に見据えたまま、オスカーは通り過ぎるのを待った。


 ユリウス侯爵は、視線の端でオスカー上級曹長を確認する。胸の内でその警戒をひとつ深めた。


(万が一のことが起きた時のため、第三者の目を配置しておいたか)

(少佐殿は、抜かりないな)


 ふっと不敵な笑みをこぼし、ゆったりとした歩調で、室内中央のメインテーブルへと向かっていく。


 オスカー上級曹長は、二人の会話が終わったにも関わらず、留まっていれば訝しがられる。と理解していた。

 なるべく自然を装い、その場を後にした。


(……後で、ジークフリート少佐に報告をしておこう)


 ──夕食会が終わり、オスカー上級曹長はジークフリートが滞在する客室へと足を運ぶ。

 ノックをし、返事が返ってくると室内へと入る。


 中央に置かれたテーブルとソファセットで、書類に目を通しているジークフリート少佐の前に立つと、敬礼を挟み、先ほど見た出来事の確認をする。


「少佐。先ほどバルコニーで、観葉植物の陰に通訳官アンネリーゼの姿が見えました」

「……対処は、必要ありますか?」


 ジークフリートは、手に持っていた書類を静かにテーブルへ置くと、落ち着いた様子で返す。


把握(はあく)している。もう話はつけたから心配いらない」

「余計なトラブルに巻き込まれないか注意してみてあげて。それだけでいいよ」


 注視してバルコニーを見ていたとはいえ、オスカーは気が付いた。

 誰か一人でも気が付いたのであれば、他も気が付いていてもおかしくない。とジークフリートは考えていた。


 オスカー上級曹長は、確認しなければならなかった事を聞き終えると、次に、明日の予定を伝えていく。


 明日は午後から、ユリウス侯爵との対談が予定されている。

 視察などから見えた問題のすり合わせや、補填(ほてん)が必要かなどを詰めていく。


 ジークフリートは相槌を打ちながらも、その一部を頭の中で別の思考へとつなげていた。


 ジークフリートの中で心配事がある。それはユリウス侯爵がどこまで追い詰められているかだ。


(ユリウス侯爵が密輸の黒幕だという線が濃い)

(俺をここに来させた時点で、白に塗り替えることが困難だと、ユリウス侯爵自身分かっていたのだろう)

(じゃないとリスクを背負って、俺を謀反(むほん)者へ仕立てるような話題を投げかける理由が無い)


 硝石の密輸は死罪だ。


 この死罪の判定を動かすには、そもそもの土俵を変えるしかない。

 減刑の余地などない重罪だ。であれば、その前提そのものをひっくり返すだけの仕掛けを用意しなければ、ユリウス侯爵自身の崩壊は避けられない。


 ジークフリートを謀反(むほん)者へ誘導するユリウス侯爵の謀りは失敗した。

 騙されたフリをして、乗ることもできただろう。だが、ジークフリートはその話には乗ることは出来なかった。


(このまま何もせず、無事に返してくれるような相手ではないだろうな)

 

 積み重ねてきた『罪の決算日』に、立ち会わされないようにしなければならない。

 もし、立ち会わされるにしても、こちら側の被害が最小限となる盤面にしてからだ。とジークフリートは考える。


(午前中は空き時間があるな、確認だけでもしておこうか……)


 淡々と進められるオスカー上級曹長の報告を、耳で追いながらもジークフリートは思考を組み立てていた。


「──次の報告ですが」

「エルデンシュトラ監査役のブロイアー大佐が、人工硝石工場の稼働停止確認に南区を訪れました」

「先日少佐が、労働員の療養で親書をしたためた件も含めて、立ち寄ったようです」

「こちらに関しては、臨時の処置として、衛生兵三名と軍医一名を南地区へ派遣する対応をとられたようです」


 報告を聞き終えると、ジークフリートは静かに小さく安堵(あんど)のため息をこぼした。


「そう。大佐に打診しておいて正解だったようだね」


 オスカー上級曹長は手元で捲っていた報告書を整える。


「以上です。追加のご指示はありますか?」


「いや、大丈夫だよ。ありがとう」


 その返答を受けると敬礼を添え、足音ひとつ立てずに退室した。


 先ほどまで穏やかだった外では、時折強い風が吹き始め、煌々と浮いていた月は、いつしか黒い雲に(おお)われていた。

 カタカタと窓ガラスを揺らし、ゴォッ……と壁に打ち付ける風の音だけが、静寂(せいじゃく)な室内に沈んでいく──


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