↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編
53/118

第五十一話 見誤る

 侯爵から「少し風に当たりませんか」とバルコニーを示された時点で、ジークフリートには、その誘いが純粋な気遣いでないことは分かっていた。


(罠……か)


 だが、相手が仕掛ける時には、こちらにも付け入る隙が生まれる。

 ジークフリートはそれを承知の上で、穏やかな笑みを崩さず席を立った。


 バルコニーへ出る直前、オスカー上級曹長と視線を交わす。

 何も言わずとも、オスカーは理解し席を立った。扉のこちら側には近づかない。だが、ガラス越しに様子だけは見ている。その距離感で待機する。


 ガラス戸が閉まり、室内のざわめきが薄い壁越しの音に変わる。


 潮風が、二人の間の空気を撫でていった。


「グローテハーフェンの夜は、帝都とはまた違う趣がありましょう?」


 ユリウス侯爵が、世間話の延長のような口調で口火を切る。

 ジークフリートは欄干越しに夜の港を眺めながら、当たり障りのない返答を返した。


「ええ。潮風が心地よいですね」


 ひゅっと一瞬、強く吹いたあと、風が止まった。

 ガラスの向こう側から僅かにきこえるくぐもった談笑が、この場との温度差を感じさせる。


 ユリウス侯爵は先ほどまでの穏やかさを捨て、声の調子を低くする。


「──陛下に仕えるあなたを見ていると」

「かつてクラウディア嬢を預かっていた身としては、少佐のその献身がどうにも胸に堪える」


 その言葉に、ジークフリートは視線だけをゆっくりと侯爵へ向ける。

 銀灰の瞳は冷たく、眉根を寄せ不快を滲ませる。


(やはり血筋で揺さぶるつもりか)

「母の記憶は、私にはありませんので」


 肩をすくめ表面上は冗談めかした返しをする。だが、眉根がわずかに寄った変化を、ユリウス侯爵は見逃さなかった。


「クラウディア嬢が嫁いだ経緯はご存じで?」


 ユリウス侯爵はわざとジークフリートに答えさせるように疑問形で投げかける。


 ジークフリートはゆっくりと息を吐くと、その会話には乗らないと牽制する。


「侯爵。私的な噂話で帝国の公務を汚すおつもりですか。貴殿のご高齢を慮って、聞かなかったことにしておきましょう」


 穏やかな声音。だがその奥には、冷たい警告が含まれている。


 ユリウス侯爵はその返しで、少佐は母親のことは本当に知らないのだと悟った。

 昨日応接室で、アウグスト元帥に触れた時は背中の強張り、握られた拳、わずかに綻びが見えた。

 だが、母親の件を振っても嫌悪は滲んでも綻びは見せない。皮肉で返す余裕さえみられる。


(母親に対しての愛着はない……だれも少佐には話さなかったのだろうな)


 ふっと息をこぼすと、ユリウス侯爵は続けて話す。


「私は心ある者として真実を伏せておくことが、かえってご無礼にあたると思いまして」

「せめて、少佐が真実を知るきっかけだけでもと──」


 善意に見せかけた言葉を紡ぎつつも、侯爵の眼差しは触れてはいけない禁域へ手を伸ばし、今まで積み上げ守ってきたそれを、無遠慮に崩す狙いが含んでいる。


 ユリウス侯爵は、寄り添うかのように落ち着いて言葉を落としていく。


「その出自は余りにも悲劇で、身近な人ほど教えては差し上げられなかったのでしょう」

「気が付いておられるのでしょう?本当の出自に……」


 ジークフリートはユリウス侯爵の意図を考える。


(あぁ……そういうことか)


 皇帝陛下の落とし子だと。ユリウス侯爵はそれを知っていると……

 母に愛着があれば、それを使おうと思ったのだろう。だが、ジークフリートには母の記憶はない。

 使えぬと判断し、皇帝陛下の血筋を知っているという方向で来たのだろう。


「私に課せられた任務は、この港の安定と補給路の確認です」

「出自の話は、侯爵のご歓談相手にはお似合いかもしれませんが、今は不向きでしょう」


 ジークフリートは平常通りに、これ以上は付き合いきれないと皮肉を混ぜて返す。


 ユリウス侯爵は短く鼻で笑うと、憐れみを含んだ表情で言葉にする。


「それでも、気にはなさる」


 そう言うとユリウス侯爵は、チラっと視線でジークフリート少佐の拳の強張りを示した。

 中央へ忍ばせた密偵から、クラウディア関係は特秘扱いで、資料はなにも残っていないと報告がはいっている。


(少佐はアウグスト元帥とクラウディアは、元から夫婦だと思っているのだろうな)


 クラウディアが皇帝陛下から下賜され、アウグスト元帥のもとへいったとは知らないだろう。と仮定して話す。


「アウグスト元帥はご苦労が絶えぬ。生まれた子を見て分かったはずでしょう」

「愛する妻が、誰の子を身ごもり、産んだのかと──」


 その言葉にジークフリートは表情を変えなかった。だが、ユリウス侯爵は、ジークフリートの革の手袋が、小さく軋んだ音をさせたのを聞き逃さなかった。


(手が更に強張ったな……)

(自身の出自は自らへの枷、やはりアウグスト元帥へは執着がある)


「あなたは悪くない。ただ、生れてきただけだ」

「アウグスト元帥もジークフリート少佐、お二方とも、たった一人の判断で人生を狂わされた」

「私もそうでした。この街も、王も、何もかも変わった。それでも、誰もその理不尽を口にできなかった」


 風がヒュっと音を立てると、周りの温度が下がったかのように感じる。

 ジークフリートは銀灰の瞳をユリウス侯爵へと向ける。


「それ以上、アウグスト元帥と皇帝陛下を侮る発言は聞き捨てなりませんよ」


 声には険が混じり、ぎりぎりのところでジークフリートは踏みとどまっていた。

 アウグストが皇帝陛下に恨みの感情を少しでも抱いていたならば、これまでジークフリートに対して取っていた態度にはならないはずだ。

 その全てを否定するような言葉に、心底憤りを抱いたが、この場で感情的になれば自分だけではなく、部下までもを危険に晒す。

 黒髪の前髪で隠れたこめかみは、怒りで青筋がたっている。


(皇帝だけではなくアウグストも侮ったと捉えたか……なるほど。随分触れてほしくないようだな)

(少佐の芯はアウグスト。皇帝への恨みでは動かぬか……)


 ユリウス侯爵は、そこで初めて正面からジークフリートを見据えた。


「人である者が神のように振る舞い、その権力に人が群がる世界」

「立場が下のものは、その横暴を口にする事も出来ずにいる。それを良しとするのですか?」

「私はただ、問いを投げただけです。少佐ほどの方であれば、その意味は分かるはずだ」


 ジークフリートはその問いを、氷の仮面を貼り付けた表情で受け止めている。


(次は帝国の構造を突くか……)


 言い方は癪に障るが、ユリウス侯爵の言葉の一部は、否定しきれない現実だった。

 だが、真の狙いを見誤ってはいけない。


(俺を謀反者へ仕立て上げ、硝石どころではなくしたいのだろうな)


 ユリウス侯爵が触れてはいけない話題をあえて出したこと。この話題は不敬罪と反乱扇動罪で一族死罪になってもおかしくない話題だ。

 だが、それを問えば、公にジークフリートの出自を晒すことになる。

 『この話題で侯爵を裁けない』という計算があってのことだろう。


 ジークフリートの目は、侯爵の奥底をじっと見据えていた。


(ユリウス侯爵は……どこまで追い詰められている?)


 焦りも、動揺も見抜かせない。落ち着き払ったユリウス侯爵のその様子は、自らの処遇はもう分かり切っている覚悟からなのか──


 あまりに追い詰めすぎてもここは敵地。

 手段をいとわない覚悟を、ユリウス侯爵に持たせるのはあまりに危険だ。

 不問にし、流すことで、ここでのことを御破算にするのが適切だろう。


「私には帝国に歯向かう程の牙は、持ち合わせておりません」

「ここで聞いたことは、風に流れてしまったようですね」

 

 ジークフリートは気にする素振りを見せず、ユリウス侯爵に向けていた視線を、遠くにある夜の港へ向けた。


 ユリウス侯爵もまた、笑みを崩さないまま、心中で結論を下す。


(寝返りは、やはりなかったか)

(ならば残された手は、もはや多くはない)


「風に当たりすぎましたな。私はこの辺で戻るとしましょう」

「少佐もあまり風に当たりすぎませぬように」


 ユリウス侯爵は優雅に手を胸に添え礼の姿勢をとると、踵を返し、バルコニーのガラス戸へ向かっていく。


 歩きながら、ユリウス侯爵は考えていた。

 ジギスムント宰相がジークフリート少佐を特使に指名して、この地へよこした。

 アウグスト元帥は皇帝陛下の忠臣。その血を引くジークフリート少佐の特使派遣には、反対意見を出しただろう。

 皇帝陛下がどの様な態度だったかは分からない。だが、少なくともこうしてこの場にいるということは、阻止はしなかったということだ。


 この帝国中枢三者の対立を利用し、硝石どころではなくさせる。

 だが、これにはそれぞれの利害を真っ二つに裂けるだけの『血筋の生贄』が要る。


(責任のありどころを互いに擦り合い、三つ巴となるが良い)

 

 ジークフリート少佐を、このグローテハーフェン内で消せば、あとあとまで疑いの目が向くだろう。

 だが、帰路の途中であれば、特定を誤魔化す手段はある──


(寝返らぬなら消すまで)


 そこに、迷いはなかった。


 見誤ったのはユリウス侯爵なのか、ジークフリート少佐なのか。

 その答え合わせは、血が流れてからでなければ誰にも分からない。


 血肉を吸った硝石は、もはや土に還らない。

 隠しきれぬ澱となって、これから生きる者たちの命を、静かに蝕んでゆく──

最後まで読んでくださりありがとうございます。

彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。