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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編
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第四十話 侯爵の憂鬱

 ヴァルディナ帝国の南東に位置する不凍港の街──グローテハーフェン

 百万の市民を抱えるその地の中心部に、均整の取れた石造りの侯爵家の居城がある。


 居城の政務室では、その地の領主であるユリウス・カール・ブランケンハイム侯爵が、白髪交じりの蓄えた髭を触りながら報告書を眺めていた。


 還暦を越えた今なお背筋は伸び、仕立ての良いジュストコールは、無駄のない筋肉が付いた体躯を端正に浮かび上がらせる。

 長年の節度と自制の象徴として彼の佇まいを支えていた。


 ユリウス侯爵が管理するグローテハーフェン。その北にはエルデンシュトラがある。

 地理的にも歴史的にも関りの深いこの二つの地域は、帝国に悟られてはならない秘密の関係を続けていた。

 だが、エルデンシュトラの伯爵は、先日皇帝の粛清により物故。密約の発覚も時間の問題となっている。

 その知らせは、ユリウス侯爵にとって決して意外ではなかったが──早すぎた。


 体制の混乱を鎮めるため、中央から送り込まれたのがジークフリート・フォン・アイゼンブルク少佐。

 この『切れ者』こそ、今の侯爵にとって最大の頭痛の種である。

 少佐はエルデンシュトラで様々な情報を暴きつつあると、ユリウス侯爵に報告が入っている。


 開け放たれた窓辺から入る潮風に、薄いレースのカーテンが揺れる。

 遠くで聞こえる貿易船の汽笛の音がやむと、ドアのノックが響く。


「なんだ」と短く重く返すと、侯爵側近の侍従が入室してきた。


 コツコツと侯爵の机の前まで来ると綺麗なお辞儀をして、小脇に抱えていた書類を読み上げていく。


「エルデンシュトラでの調査内容を報告します」

「伯爵家に保管されていた人工硝石の侯爵の名前や印の入った書類は、駐屯兵の隊長の指示で焼却が完了しています」

「屋敷にいた使用人は逃走者含め、全て処分済みです」

「ジークフリート少佐の隊が拘束した隊長は、黙秘を続けているようです」


 エルデンシュトラ伯爵邸にある、都合の悪い書類の焼却が完了したら、隊長は不慮の事故で亡き者になるはずだった。

 だが、その前に隊長が捕縛されたのは都合が悪い。


(いつ口を割るやもわからん)


 焦りと苛立ちが顔に滲み、組んだ手の上に額をのせると深くため息をついた。

 それでも何かひっくり返す余地はないかと、思考を止めず瞼を閉じる。


 伯爵が粛清されてすぐに、ユリウス侯爵は動いた。

 自分の足がつくものは証拠が残らないよう、片っ端から始末する必要があった。


 主を失ったエルデンシュトラ伯爵邸は、現地の駐屯兵が暫定管理するだろうと目論んで、駐屯兵の隊長に交渉を持ち掛けた。


 隊長には一人娘がいた。彼女はグローテハーフェンの音楽大学に在籍しており、学生寮で暮らしていた。

 侯爵はその娘を人質に取り、隊長にユリウス侯爵の名が分かる書類の焼却と、屋敷に残った使用人の口封じを命じる。

 娘の身を案ずる父親は、自分が死罪になりかねない事すら躊躇なくやってのけた。


 すべて計画通りに進むはずだった。

 だが駐屯所にはブロイアー大佐が隊を置き、さらに中央から到着したジークフリート少佐の隊が伯爵邸を占拠し、そしてすぐに隊長を拘束してしまったのだ。

 

 隊長のひとり娘は人質として、この屋敷に現在も幽閉している。

 この娘が手中にあるうちは、隊長は口を割らないだろう。

 だがそれも、いつ崩れるのか分からない隊長の裁量にゆだねるところがあり、不確定だ。


(どいつもこいつも忌々しい……)


 ユリウス侯爵は何としても自分が硝石の受け取り手と知られたくない。

 ただ、このまま手をこまねいていても、時期に白日の下にさらされるだろう。


 三十年前の帝国からの侵略。そこで受けた屈辱はいまだユリウス侯爵の中に残る。

 辛酸をなめるように過ごしながらも、寡黙に淡々と帝国から信頼を勝ち取れるように行動してきた。

 それもひとえに、いつかこの地を帝国の属国統治から解放する悲願の為。それには軍事力が必要だ。


 来たるその日の為に、帝国側ともやり取りする相手が必要だった。

 その相手としてエルデンシュトラの伯爵は都合がよかった。伯爵は狡猾で野心の塊のような男。外面のよさと腹黒さを丁度良く抱えている。

 まずは三姉妹の返還を皮切りに親睦を深め、その姉妹を嫁がせて得た金で資金援助を行い、上手い事言いくるめ人工硝石の工場を建てさせた。

 さらに、不凍港であるこのグローテハーフェンの港を内密に使用できるよう契約し、その見返りに人工硝石を受け取っていたのだ。


 だが、その伯爵は粛清された。

 人工硝石の供給が、伯爵がいなくなっても今なおされているのは、密輸を嗅ぎつけられた時の為に、管轄を複数継ぎ替えをしているからだ。

 途中の人員はそれが何で、どこに運ぶのかを最終ルートまで知らない。

 それゆえ決められた自分のルートだけの仕事をし、次に引き渡している。


 しかし、これも永続的に続くわけではない。

 大元の伯爵がいなくなったことで報酬が滞れば、いずれ止まるだろう。


(あの少佐はどこまで嗅ぎつけておるのだ……)

 

 侍従は考え込む侯爵の傍で立ちすくんでいたが、まだ残っている報告を行うタイミングを見計らっているようだ。


「ユリウス侯爵……ナーヴァル議会が先日行われましたが、そこにジークフリート少佐が参加した模様です」

「盗聴で潜伏させている隠密が入手した情報を、こちらに」


 そう言うと侍従は紙束を侯爵に手渡した。


 侯爵の黄金色の瞳は食い入るように内容を追っていく、険しい表情から次第に口角が上がり、髭を指でひと撫でする。


「帝国のジギスムント・フォン・グラーフェ宰相へ親書をだす。そこに待機しておれ」


 そう言うと侯爵は羽ペンに手を伸ばす。正確な筆跡で羊皮紙にスラスラと文字を綴っていく。


 ユリウス侯爵は、帝国への忠誠を擬態するため、港から入る希少価値の高い特産品を、帝国の宰相であるジギスムント・フォン・グラーフェを通じて取引をしている。

 古くからの仲ゆえ、今も裏で通じている。


***


ヴァルディナ帝国宰相

ジギスムント・フォン・グラーフェ 閣下


 拝啓


 エルデンシュトラ平定の任で、派兵されているジークフリート少佐の件について。

 タラモン族に対して、あまりに度を越した譲歩をしていると、私の耳にも入っております。

 これでは帝国の威信が損なわれましょう。


 その軽率な行動がいかに帝国の威厳を曇らせるか、陛下のご威光を守らんとするジギスムント宰相であれば、痛いほどお分かりでしょう。


 査問会議をお開きになるか、あるいは、然るべき処置を。

 少佐の背後にいる者ごと、帝国の秩序を整えるおつもりがあれば、微力ながらお力添えいたします。


 帝国のゆく先を継ぐ、ジギスムント宰相の安寧なる繁栄を願い、伏せられた繋がりは断つべきと進言させていただきます。


 また、僭越ながら件の粛清の影響で港湾運営の不安定化が続き、帝国への物資供給に深刻な影響が出ている次第です。


 つきましては、速やかな対応の協議のため、エルデンシュトラ平定の任で、当侯邸の近くに派兵されております、ジークフリート・フォン・アイゼンブルク少佐殿を特使として、近日中に御差遣いただけますよう、ジギスムント宰相の御裁量でとり計らっていただければと存じます。


 敬具


 グローテハーフェン侯爵

 ユリウス・カール・ブランケンハイム


***


 ジギスムント宰相は、次代の皇帝の座を狙っていると中央へ忍ばせている密偵から報告が入る。

 元帥であるアウグスト・フォン・アイゼンブルク公爵はその時障壁になるだろう。

 そして、その息子である曰く付きのジークフリート少佐は、宰相にとって一番厄介だと思っている相手。

 排除できる機会があれば潰したいと画策するはずだ。その時自分は宰相の味方であると意思を伝えておけば、動くきっかけの一つになる。


(私に追い風が吹いてきたぞ)


 書き終えた親書を手早く封をすると、侍従に差し出す。


「これを早急にジギスムント宰相に渡せ」


(外堀ばかり埋めても仕留めきれん。少佐は正面から誘い出すとしよう)

(帝国の忠犬を狂犬へ変えてやろうぞ)


 帝国がエルデンシュトラ伯爵を粛清したことにより、こちらが被害を受けている──その理屈を立て、苦情を装い、正統な理由を掲げて宰相に直訴すればよい。

 この策で、現在エルデンシュトラ暫定管理者のジークフリート少佐をおびき出し、ユリウス侯爵に有利な地で対談をするつもりだ。

 

(断れまい)


 喉元まで上がってきた『クッ』という笑いを飲み込むと、ユリウス侯爵は口を隠すように髭をなでる。その隠れた口元は不気味な笑みを浮かべていた。


 侍従はユリウス侯爵の依頼を受け取ったあと、正確な返答を返す。


「はい。かしこまりました」


 そう言うと侍従は部屋を後にした。


 入れ替わるように、侯爵の一人娘、カタリナ・フォン・ブランケンハイムが勢いよく入室してきた。

 彼女は険しい表情で明らかに怒りを浮かべ、父であるユリウス侯爵へと詰め寄る。


「父上、地下に監禁している女性はなんですか?」


 カタリナのその問いに、ユリウス侯爵は明らかに不機嫌になる。


「地下には行くなと言っているだろう」


 カタリナは愛猫を探しに地下へ降りたのだ。その際、幽閉されている隊長の娘を見た。

 錆びた鉄格子の向こう、煤けた灯の中に、自分と同じ年頃の少女が膝を抱えていた。

「お願い、助けて……」その声があまりにも震えていて、カタリナは思わず足を止めた。

 鉄格子を隔て、隊長の娘は、幽閉されてから初めて見る自分と年齢の近い女性のカタリナに、助けてほしいと声をかけたのだ。

 最初怪訝に思ったカタリナだが、その場に不自然な彼女の様子が気になってしまい、言葉を交わしてしまった。


「彼女は何の罪で幽閉されているの?罪を犯す人間とは思えなかったけど?」


「お前……喋ったのか?罪人に関わるな。金輪際地下へは行くな。わかったな」


 圧の強い口調で強制的に話を終わらすと、ユリウス侯爵は手元の書類をさばき始める。

 娘カタリナには一切目もくれず、頑なに話を終わらせる。


「用事がそれだけなら、下がれ」


 そう言い放つと、苛立ちから強まった筆跡で、紙がクシャっと曲がり、侯爵はチッと舌打ちをする。


 カタリナはそんな父親の態度を、睨みつけると大きく息を吐いて踵を返し出て行った──


 残されたブランケンハイム侯爵は、カタリナが出て行ったのを確認すると、曲がった用紙をくず入れへ投げ込む。

 そして、窓辺へと移り、遠くに見えるかつての王城を目にした。

 それは今や帝国に管理され、誰も住まない廃城だ。


「カール王……私は諦めませぬぞ……」


最後まで読んでくださりありがとうございます。

彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。

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