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黒の矜持  作者: 川端マレ
第二部 エルデンシュトラ編
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幕間 東雲に定む針路

 東の空から昇る陽は、やがて朝露を静かに溶かしてゆく。

 ナーヴァル議会が行われる議場の玄関前では、タラモンの若者が掃除をしていた。


 外の掃除を終え、玄関を開くと、室内に籠っていた香がするりと外へ流れた。

 若者は履物を脱ぎ、それを叩き合わせて汚れを払うと、履き直して屋内へと足を向けた。


 中央に据えられた銀の香炉へ歩み寄り、それを手に取る。

 胸元から古い紙を取り出すと、銀の香炉を傾け、紙の上へ灰をぱさりと落とした。


 腰ひもにぶら下げていた布を引き抜き、銀の香炉を磨きこむ。

 キュッキュ……と音を鳴らし、使い込まれた銀は、艶やかに光を返す。


 灰ふるいの網を香炉にかざし、紙の上で山になっている灰を、さらさらと流し込んだ。

 網に残った香をひとつひとつ拾い上げ、新しい香に混ぜて香炉へ戻し、火を入れる。


 すぅっと細く、白い煙が昇るのを確かめ、清掃の済んだ室内をぐるりと見渡し、タラモンの若者は静かに議場を後にした──


 ぽつりぽつりと各地の(おさ)が議場へ姿を現し、長たちを(まと)めるブレンナが、孫のダランと一緒にやってくる。

 上座にブレンナが着くと、先ほどまで散っていた視線が自然と前へ揃った。


 帝国の一団が来る頃合いだった。


 遠くから、軍靴の足音が規則正しく重なりながら近づいてくる。

 民族の紋様を刻んだ扉が、外から押し開かれた。

 光が室内へ流れ込み、逆光の中に幾つかの人影が浮かぶ。

 先に護衛兵が一歩踏み入れ、その後ろから黒い軍服の男が姿を現した。

 ジークフリート・フォン・アイゼンブルク少佐だった。


 その後ろにハインリヒ大尉、続いて通訳官アンネリーゼの姿があった。


 ダランはアンネリーゼの顔を見る。


(……墓場で会った女だ)


 黒の一団がテーブルにつく。

 中央にジークフリート少佐が立ち、椅子を引くと、その左右へ広がるように一団も規則正しく着席していった。

 椅子を引く音だけが、静かな議場に響く。


 中央に据えられた銀の香炉の煙は、人の動きに揺らぎ、白い筋をふわりと乱した。


 その空気を分けるように、中央に座すジークフリートが穏やかに口を開く。


「本日は時間を設けていただき感謝する」

「前回の会談内容を文面に起こした。まずは確認をしてほしい」


 ダランがその言葉をタラモン語へ訳し、長たちに渡している間、議場にはその声だけが響く。


 声が静まるとハインリヒは、締結書を取り出して隣へ差し出す。

 ジークフリートがそれを受け取り、さっと最終確認をする。

 そうして、文面をタラモン語へ書き起こしたアンネリーゼに渡した。


 アンネリーゼは締結書を受け取ると、呼吸を整えて立ち上がる。

 落ち着いた足取りでタラモンの長たちの席へ運ぶと、手を伸ばしたのはダランだった。


 ダランは受け取る前に、アンネリーゼの目をじっと見た。

 その視線は、目の前の女がただ紙を運んでいるだけなのか、それとも文面の意味まで背負って立っているのかを見極めるようだった。


 アンネリーゼもまた視線を逸らさない。

 締結書を持つ指先にわずかに力がこもる。

 これは自分が訳し、意味を(たが)えずここへ持ってきたものだと、その沈黙のまま差し出した。


 紙の端をつかむダランの指先に重みが移ると、それを確かめてから、アンネリーゼは静かに手を離した。


 ダランは帝国の言葉で記された文面と、その下に並ぶタラモン語の文章へ視線を走らせる。

 内容に不一致がないのを確かめると、それを隣のブレンナへ手渡した。


 ブレンナが読み終わる頃合いを見計らい、ジークフリートは落ち着いた声色で告げる。


「その内容で問題がなければ署名を」


 締結書には、前回の会談で話し合われた内容が記されている。

 

 ブレンナは黙読し終わると、ジークフリートの顔を見据えた。

 瞳の縁には白濁が差していたが、視線の芯はなお鋭かった。


「我が一族が受けた苦しみは、先に続く者達から消えはしない」

「だが、今を生きる者が、過去の憎で行く末を塗りつぶすは、儂は望まぬ」

「責を果たした後は、相成れなくとも互いの矜持を尊重しようぞ」


 アンネリーゼがブレンナの言葉を公用語へ訳していく。

 それをジークフリートは表情を変えず、耳だけをアンネリーゼへ預け、視線はタラモンの長達へ向けている。


 議場がしんと静まると、ブレンナは節が目立つ指先を動かした。

 竹細工や藁細工を重ねた年月が、そこに刻まれている。

 署名の筆致は力強い。末尾のわずかな乱れだけが、(よわい)を重ねた手を物語っていた。


 これひとつでタラモンの行く末が救われたわけではない。

 今日得たのは、運命を他人に決められるだけだった昨日を崩すための、最初の足場にすぎなかった。


 それでも、地獄から少しマシな地獄への足掛かりとなるよう進むしかない。


 こうして──ヴァルディナ帝国とタラモン民族との会談は終わり、協定は締結された。


 帰り道、細く長く続く、固められた土路──

 幾人もがその道を歩き、それぞれの生に踏み固められてきた。


 伯爵邸へ近づくにつれ、木が点在し始め、土が石畳に変わる。

 木が密度を増すと、野鳥のさえずりが聞こえ始めた。


 騎乗で進む中、ジークフリートは軽やかに話し始める。


「やっとひとつ終わったね」

「タラモンとのいざこざを整えたら、帰ろうと思ってたのになぁ」

「まだ帰れなさそうだね。あはは」


 隣でハインリヒは無表情のまま聞いていた。


(少佐が色々見つけちゃうからですよね……)


 はぁっと短くため息をこぼす。


 その様子をジークフリートは、軽い笑みでふふっといなすと、針路を定め隊を進める。

 彼らの歩みは変わらぬまま、それを待ち受けるように、より大きな樹海が黒の一行を呑み込んでいく──


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