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黒の矜持  作者: 川端マレ
第二部 エルデンシュトラ編
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第三十八話 あの日見た異質

 北の倉庫の立ち合い開錠を終え、その倉庫に残る資料は一日をかけてもまだ精査されきれず、中の資料を単独で持ち出さないように、ブロイアー大佐の隊とジークフリートの隊の兵士が警備をする形で一旦終了した。


 夜、ジークフリートは執務室で今日みた資料の分析をしていた。


 エルデンシュトラの硝石の労働所は、皇帝陛下に粛清された貴族が、三十年前にこの地へ派遣されてすぐに建てられていた。

 その建築費用の大半は、不明な補助金によって賄われており、出資元は分からない。


 だが、その後見つかった『三つの細い百合が縦に並んだ紋』の付いた資料から、かつてグローテハーフェンの北部を任されていたテレーゼ伯爵家は『冬の門作戦』で当主を失い、そこの三姉妹は帝国軍の捕虜にされているのがわかった。

 そして、古くからあるこの屋敷に、外交手段のひとつとして三姉妹は幽閉され、その後、このエルデンシュトラの統治を任された伯爵貴族により『人道回帰の為、三姉妹をグローテハーフェンへ返還』と記されていた。


 三姉妹の返還と同時期にグローテハーフェンの港を、このエルデンシュトラの統治を任された伯爵貴族が、中央に無断で利用し始めていた。

 帝国外取引の権限を持たぬ身でありながら、利用するようになっている。これはグローテハーフェンの権力者の協力があってできることだろう。

 また、エルデンシュトラに補助金が入り出した時期とも完全に一致していた。


(帝国軍扱いの捕虜は、自分の自由に扱えない。自由にならない三姉妹は、エルデンシュトラの伯爵にとって厄介者でしかなかったのだろう)

(人道目的で返還すると中枢に打診し、裏でグローテハーフェンと取引した線が濃いな……)


 ジークフリートの母、クラウディア・フォン・テレーゼの美しさは時に、最も重い鎖となり『呪いの美』を宿す。

 三姉妹は金銀財宝と同じように扱われ、彼女らの涙は銀となり、大地に落ちて呪われし宝石となった──


 深夜を回ったこの時間は見回りの兵士くらいしか、動いている者はいなかった。


 ジークフリートは執務机の上の紙を、無駄のない手つきで整理し片付けると、執務室とつづきになっている個室へと向かう。


 この個室には、持ち出し禁止の資料を保存できる本棚が複数あり、立派な金庫の中にはここをかつて統治していた貴族がため込んだ、金銀財宝が収められている。

 その中身は屋敷に到着後すぐに検分したが、以前にも増してその財宝には吐き気を感じる。


 執務室つづきのこの個室は、休息用のベッドも用意されていたが、普段使わないであろうベッドさえも、不必要に豪奢な寝具で揃えられていた。


 そのベッドの端に腰を下ろす。革靴の底についた土をカーペットにこすりつけると、ベッドへ横になり今日みた『三つの細い百合が縦に並んだ紋』を初めて見たあの日を思い出していた──


 ジークフリートが十歳の時。


 日中は専属教師のマティアスから教育を受け、夕刻になると学習も終わり、大広間へ降りるのに二階の奥にある自室から移動していた。


 廊下の角を曲がって、その先に見えた視線の奥……普段は施錠されている部屋の扉が、少し開いているのが視界に入る。


 ──ただの興味本位だった。その部屋に近づくと、そっと中をのぞいてみる。


 もう少し中を見てみようと、ドアノブに手をかけ、重みのある扉をゆっくり手前に引く。鉄の蝶番が軋んでキィ……と音をたてた。


 その部屋に一歩足を踏み入れてみると、普段は人が使っていないのだろうか、そこだけ空気が止まっているかのように感じる。

 部屋は定期的に掃除はされているのだろう。埃っぽさはない。

 左の壁際には、繊細な装飾の施された調度品とドレッサー。

 そして、壁には見慣れない『三つの細い百合が縦に並んだ紋』の付いたタペストリーが飾られている。

 奥には天蓋の付いたベッドがあり、中央のテーブルの上には花瓶が置かれていたが、花はいけられていない。


(誰の部屋だろう……)


 部屋の中に足を踏み入れると、額縁に納められた女性の肖像画を見つける。

 グレイシルバーの瞳。絹のような白金の髪。

 こちらを見て微笑むその女性は──見たこともない他人のようだった。

 

(誰……?)

 思わず息をのみヒュっと喉がはりつく。


 目をそらせられない。

 固まった身体からは体温を感じず、ただ胸の奥がざわついて仕方がなかった。

 絵の下に題された名──クラウディア・フォン・テレーゼ


「クラウディア……母上の名前だ……」


(この人が、俺の母上……?)

 

 想像でしか知らない母という存在。知ろうとしても叶わなかったぬくもり。

 絵にぬくもりなど存在する訳がないにも拘らず、無意識に母の幻影を掴むように手を伸ばしかける。

 だが、指先は宙を掴んだまま止まり、一歩後ずさる。


(俺は……この人のこと、知らない)

 

 それまでジークフリートが想像していたクラウディアは、当然のように黒髪の女性だった。

 そうでなければ、父アウグストと母クラウディアの子として、矛盾している。

 

 鏡に映る自分を思い出す。

 真っ黒な髪。グレイシルバーの瞳。


 父アウグストはダークブラウンの髪と深緑の瞳。

 

 絵のクラウディアは白金の儚さを残すような髪……そして、この女性の瞳はジークフリートと同じ。


 絵の中の母親と自分の繋がりを瞳に感じるが、父アウグストとはどこにも繋がりが無い。

 

 ふたりの子として異質な自分の存在に、頭は思考を停止しようとしてくる。

 物心ついたとき、すでに居なかった母親。それでも父アウグストがジークフリートの生活を整え守ってくれていた。

 寡黙な父アウグストを慕い、分かりにくくても、確かにそこにある情を拠り所にしていた。


『父アウグストとは親子じゃないのかもしれない』


 そんな現実は受け入れることが出来ない。


『自分の存在は何者なんだ……?』その思考がぐるぐると離れなかった──


 ふっとため息を吐くと、十歳の頃よりも随分と大きくなった手を目の前にかざす。


 そこに流れる血を見つめる。


 なぜ母クラウディアが、アウグストの所にいて、夫とは別の男の子供を出産したのかは分からない。


 ジークフリートが幼い頃、アウグストに母のことを尋ねたこともある。その時は決まってこう返ってくる。


「聞いても寂しくなるだけだろう?クラウディアのことは、お前が受け止められるようになったら話してやる」


 最初はそのままの意味で受け止め、元からいない、思い出も何もない母親の話をきいたところで『寂しいもあまり分からないんだけどな』とただ思った。

 それが少し成長して、物事の見え方が広がると『きっと”寂しい”を理由にしているけれど、何か言いたくない事情があるのだろう』と察するようになった。

 だが思春期に差し掛かる頃になると、アウグストの反応を日々受け取るうちに、『本当は”ただ”言えないのだ』と、ようやく理解した。


 真実を口にすれば二人の『親子』の関係は断ち切れる。

 互いに言わず、暗黙のうちに言葉にせず、理解しても口にしないことで『親子』であり続けることを選ぶ。

 互いに『親子』でいたいが為の、歪な親子愛。


 父アウグストには後妻との子であるコンラートがいる。

 父としてコンラートの頭を無意識に「頑張ったな」と撫でることもあった。時にはコンラートを厳しく叱る事もある。

 その様子を見る時いつも思うのだ。


 『どちらもジークフリートには経験したことのないもの』だと──


 大切にされているとは感じる。いつも気にかけ、心配されているとも思う。

 だが、それ以上踏み込む事はけして無い。

 どこかアウグストはジークフリートに遠慮しているのだ。

 遠慮というよりも畏敬に近い。

 その畏敬は、正確に言えば、ジークフリートに対してではないのかもしれない。


 貴族社会の頂点であり、軍事役割でも頂点に立つ男。公爵である父アウグスト元帥が畏敬する人物。


 それはこの帝国で一人しかいない──


ここで第二部 エルデンシュトラ編はおしまいとなります。

引き続き第三部 グローテハーフェン編へと続きますので、お付き合いいただければ幸いです

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