第一話 異常な日常
第一部 始まり編
ヴァルディナ城、中庭に絶叫がこだまする。
その瞬間、石畳で羽を休めていた数羽の鳩が、パッと驚いたように一斉に飛び立った。
空を切る羽音が、しばし静寂の名残をかき消してゆく。
──皇帝の粛清が始まったのだ。
続けざまに叫び声が響き渡り、処刑場と化したその空間には、むせ返るほどの鉄錆の匂いが生暖かくぬらりと広がっていく。
その中央、赤く染まった石畳には、髪から爪先まで黒に包まれた男が、一人佇み見下ろしている。
威圧感と重厚な気配をまとったその人物こそ、皇帝──マグナー・フォン・ヴァルディナ。
黒の支配のもと執行された果てに、貴族が無残に膝を折り石畳に崩れ、その因果を断ち切る。
周囲の近衛兵たちはただ無表情に、その任務を遂行していた。
張りつめた空間に風はなく、規則正しく動く人間だけがその場の空気を動かしている。
淀んだ中庭の中央に、まだ一人、残される処刑を待つ者。
代償を払う順番はやってくる。
そんな終焉の呻きが響く広場から──少し離れた場所。
爽やかな朝日が射し込む軍部の執務室では、ひとりの青年が事後処理に追われていた。
黒い軍服の正装に身を包み、胸元には数々の勲章が光る。
公爵家の嫡子にして、帝国陸軍少佐──ジークフリート・フォン・アイゼンブルク。
窓の向こうに広がる処刑の光景に、彼は眉ひとつ動かさない。
その口元には、かすかな微笑さえ浮かべている。
艶やかな黒髪をふわりと揺らし、窓の外へと冷たいグレイシルバーの瞳を向けた。
断末魔が、沁み込むように広がり、やがて消えてゆく。
彼はぼんやりと空を見つめながら独りごちる。
「今日も、皇帝陛下は元気なご様子だね」
ふふっと笑う音が室内に響く。
それを機に彼の視線は室内へと戻り、羽ペンが紙の上を走り出す。
皮肉とも、不敬とも、何ともとれないその一言を、傍らの部下ハインリヒは無表情に聞いている。
彼の琥珀色の瞳は揺らぐこともなく、表情ひとつ動かさない。
無言のハインリヒの横で、ジークフリートは軽やかに数字を読み上げる。
「今日は三人、っと」
「そのうち、帝国から貴族は居なくなるかもね」
さらさらと羽根ペンを踊らせると、端正に書面を整えていく。
今日、処刑された貴族たちは、人身売買に関与した罪で裁かれた。
だが、それも後付けの理由だ。
皇帝が『処刑』と判断すれば、それが何であれ命は尽きる。
判断が先にあり、理由は後から湧いて出るものだ。
書面を整え終えたジークフリートは、羽根ペンをしまうと、ハインリヒへ視線を向けた。
「今回の貴族が、治めていた地域へ行くことになるだろうから、出兵の準備を」
「あと、あの地域は少数民族のタラモン語を使う者がいる。通訳も探しておいて」
「タラモン語ですか……」
ハインリヒは己の中で反芻するように口に出すと、眉をひそめ視線を僅かに逸らした。
(厄介だな……)
その思考を表に出さないよう、無表情を維持する。
そんなハインリヒの様子を尻目に、ジークフリートは含んだ笑みをひとつ漏らす。
慣れた手つきで紙束を揃えると、優雅な所作で席を立つ。
「じゃ、そのようによろしく」
それだけ言い残し、軽い足取りで部屋を出た。
廊下の向こう遠くには、ヴァルディナ帝国軍元帥の待つ、重く閉ざされた扉が見えていた──
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら嬉しいです。




