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第八話 vehicle (1)

 

 ルナってあんがい泥臭いものが好きだよなあなんて思いながら走る。

 早朝のランニングは、ぼくの日課だった。家からコンビニまでの距離を、その日の体調に合わせたペースで、でもできるだけ前日のペースを追い抜かせるように努力して走行する。

 やっぱりぼくには長距離の方が合っているのかもしれない、なんて思う。昨夜、ぼくは結局ルナに短距離走用の筋トレというものを教えてもらった。そのときのルナの説明によると、筋肉には「遅筋」と「速筋」という二種類があるらしい。持久走に向いた筋肉が「遅筋」で、短距離走に向いた筋肉が「速筋」だ。

「カイは、どっちかというと遅筋がしっかりしてるの」

 人間の身体が土台とその補強で作られているとすると、カイは土台がしっかりしてる。だから身体が疲れを感じても、倒れることなく長い間走り続けることができる。

 ルナに言われた通りだ。今朝もぼくの走りは好調だった。そういえばなぜぼくが短距離走を選んだのかとルナに訊かれてみると、あまりその理由ははっきりしていないことに気が付いた。ぼくは一瞬で体力を消費できる短距離走の方がどちらかというと好きで、じわじわと体力を消費していく長距離はあまり好きじゃない。そんな感じで短距離走にしたんだと思う。

 ルナの専門は、どうやら中距離らしかった。

 先輩から聞いた話なんだけど、中距離走は「全力で走るにはあまりに長すぎる距離」をそこそこの力を込めて走らなければならないので、体感的には一番きついらしい。そんな中距離走を、身体の弱いルナが走るのはどうなのかと思って、

「なんで中距離にしたんだ?」

 と何気なくルナに訊ねてみると、ルナは少し考えてからこう答えた。

「……一番きついから」

 そんな感じで、ルナは見た目の印象とかけ離れて泥臭い――というより、よく分からないけど、ハードなものを好む。ぼくとルナの音楽の趣味は一致しているけど、それだって歪みの効いたサウンドづくりの上手いバンドとか、きれいな声でとんでもない歌詞を歌ったりするバンドとか、だったりする。

 なんとなく思ったけど、きれいに取り繕おうとするのは、そこに隠したいものがあるからかもしれない。美村香奈が言っていたトリカブトって花も、たぶんきれいな色の花なんだろう。女の子ってそういうのがバツグンに上手くて、そんなことも知らずぼくらはそれにふらふら近づいていくのだ。

 果たして、ぼくは毒ごと愛すことはできるのだろうか。親父が言っていた「隠し事」。愛すといったら変だけど、それを目の前にしたとき、ぼくはそれを受け入れることができるのだろうか。

 ――だけどそれは、実際目の前にしてみないと分からないことなのだろう。ぼくの場合、予想ってやつは大概外れてしまうからだ。この世はたくさんの予想外で作られている。ならそんな毒への覚悟をしておくことが、ぼくの目指す強さの指針だと思った。

 コンビニに着いてみると、ぼくは腕時計を見る。いつもより一段速いペースで走れた今日は、なんといっても日曜日だった。高い山々の向こうから太陽が半分顔を出して、だけど町は眠ったまんま。何も走らない道路の真ん中を信号が意味もなく色を変えて、蝉だけが朝っぱらからじいじいやかましく鳴いている。近所で飼われている鶏はくたばっていた。

 それにしても、夏ってやつは蒸し暑い。コンビニにやってきたらアイスか何か買って行こうと思って、一応財布を持ってきていた。これは想定内である。ぼくの判断は非常にナイスであったといえる。

 だけど店内に入って、

「……あっ、お兄様じゃないですか」

 いらっしゃいませの代わりに先輩が声をかけてくるというのは予想外だった。

 先輩はいつも通りの眠たそうな目で、だけどこれまた予想外なことに「スポーツをするぞ」という宣言のような、赤い、燃えるようなジャージを身に付けていらっしゃった。

「げ、幻覚かなあ……」

 目をこすっても風景は何も変わらない上、信じがたいことにおしるこではない。先輩が購入しているのは二リットルペットのスポーツドリンクだ。

 しかもその首には、金色の襟足に覆いかぶさるようにしなびたタオルがひっかかっていた。そう――今、ぼくがしているのと同じように。

「いや、まっ……、まさか、そんな」

 やがてぼくが一つの答えにたどりつくと、

「美村ちゃんの真似」

 先輩はこのようなセリフを力なく言って、美村香奈の真似をした。このあと起こったことはご想像の中にお任せしたい。ちなみに先輩の持っていたペットボトルは二リットルペットで、しかも中身がたっぷり詰まっている。

 

「……先輩、美村は顔面を狙ってきません、あとペットボトルの底で突いてはきません」

「そこはオリジナリティを追求してみた」

 この人はマイペースすぎると思う。至って悪びれる様子もなく、先輩はぼくがアイスを選んでいる横で、分厚いマンガ雑誌をペラペラとめくっている。

 何を読んでいるんだろうとのぞきこんでみたら、先輩の視線の先ではダークネスなToLoveるが巻き起こっていたのでアイス選びに集中することにした。ちなみにダークネスなToLoveるとはすなわち男の夢である。こういうのを読んで、女の子は一体何を思うのだろう。先輩だって当然女の子だけど、表情を変化させないので全然心境が分からない。外見だけで判断すると、さげすんでいるように見えなくもない。

「おにいちゃん、」

 先輩が読んでたマンガがマンガだったので、ぼくは過敏に反応してしまった。

「とは呼ばれてないよね。三木は」

 先輩はまたページをぺらりとめくった。

「先輩、ぼくと……ルナのこと知ってるんですか?」

「……キョーダイ?」

 その情報すらあいまいで、どうやら家庭上の事情のことまでは知っていない様子だった。

「はい。でも双子なんです。生まれたのが、どちらかというとぼくのが早いらしいから一応兄ってことになってるんですけど……、そういえばむかしから呼び捨てですね」

「なめられているわけではなく?」

「うーん、どうなんでしょうねぇ」

「……しゃぶられているわけでもなく?」

 先輩はなおも雑誌に集中しているのか集中していないのか分からないけど、相変わらず無表情でページをめくり続けている。ぼくはとりあえずカップアイスとスティックアイスを一つずつ購入することに決め、

「ははあ、マンガと一緒にしないでくださいよ」

 ぼくがアイスボックスを閉めるのと同時に先輩はぱたんと雑誌を閉じた。

「おにいちゃん、おごってあげる」

 

「先輩が走ってるとか、かなり珍しいですよね」

「認めざるをえない」

 コンビニから出てくると、先輩は自分用に買っておいたスティックアイスを早速開けてかじり取った。一度も舌を使うことなく、まるでスティックキュウリを食べるかのように容赦なくかじって咀嚼している。歯が冷たくなったりしないんだろうか。

 それにしたって、何を考えてるのかここまで分からないのは初めてだった。天才ってやつはそんなものなのかもしれない。先輩は氷を噛むような冷たい音を飲みこんだあと、

「さて、おにいちゃん、」

「その呼び方やめてください」

「にいたん」

「兄にまつわる全てを取り払ってください」

「おねえちゃん」

 うん、リクエストにはちゃんと応えてくれている。

「……まあ、その呼び方でちょっとの間は許しましょう」

「じゃあおねえちゃん、私の姿勢はもう、分かってもらえたはず」

「ぼくをおちょくるのが楽しくてしようがないって姿勢ですか」

「……否定しない」

 先輩は二口目でアイスを完食してしまって、さらにそれをキンキンに冷えていそうなスポーツドリンクで一気に流し込んでから、

「松木ルナに関する情報を教えてもらいたい」

 この人が言うと、どっか国から送り込まれてきたエージェントのセリフみたいに思えてくる。表情というものをうかがわせない、鏡のような目。まるで、ルナ姫の機密を入手しようとしている女スパイだ。赤ジャージであることを除けば。それに先輩の身長は思ったよりも高く、悲しいことにぼくは先輩の身長に負けている予感がした。ぼくが一七二センチと一七三センチのはざまをうろちょろしているあたりだから、先輩は女子としては相当背が高いといえよう。そう、ぼくが男として背が低いわけではない――きっと。

「ぼくにお答えできることならなんでも」

 気を取り直し、ぼくは情報をリークする国の反抗分子みたいな気分になって言った。さて、ぼくに何が答えられるかは分からないんだけども。まあアイス二つ分、合わせて二四〇円分の情報ならかろうじて答えられるかもしれない、

「まず一つ目に、松木ルナの好きなものはなに」

 かつて亡くした故郷を想うような深刻な顔で、先輩はそんなことを言ったのであった。これまた、なかなか予想外なことに。


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