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第六話 鬼姫(1)

 *

 

 鳥居をくぐれば、そこは夏とは思えないぐらい涼しい場所だった。クーラーのように涼しい風が吹いてくるわけでもなく、だけどその場所の空気はひんやりとしている。自然の涼しさってやつだろうか。ここに来るのは久しぶりなんだけど、休日に避暑地としてここを訪れるのもアリだと思った。

 思えば「おにひめ」のときだって、ぼくたちはこの神社にやってくるのを楽しみにしていた気がする。涼しさだけじゃなく、今までの舞台とは違って、ここは何か不思議な感じのする場所だったから。夏休みといえば金曜ロードショーでよくジブリ映画が放送される。トトロとかもののけ姫のコダマみたいな類が、古びたお堂の陰からぼくたちをひっそりと盗み見ているような気がしてくるのだ。

 そして今はそんな不思議さと合わさって、懐かしさがこの場所のいろんな部分に取りついたり漂ったりしていた。ぼくと美村香奈は、「おにひめ」のときに子どもたちが演技をする、小さな舞台に隣り合って腰かけていた。

 腰かけてしばらくは二人とも黙ったきりで、より近くに聞こえる蝉の声に聴き入っていて、

「なんか……、夏休みって感じ」

 そう最初に口を開いたのは美村香奈だった。美村香奈はいままでずっと呆然としていて、話しかけても応えてくれなかったので、ぼくは気分が落ち着くまで待ってやることにしていた。

「ほんとだな」

 ぼくは気まぐれに振り返って、舞台を眺めまわしてみる。柱にお神酒を注ぐ細長い陶器がくくりつけられていて、そこには緑色の葉をした植物の枝が、花瓶にするみたいに挿してある。

「ルナちゃんとよく遊びに来てたのよ。涼しいし、ここらへんお花とかいっぱい咲いてたから。……特にこのあたりは青紫の花がいっぱいあってね、」

 ルナがこの場所にいた時代。

「子どものときはそれを青い花って言って大事にしてたのね。それで、いっぱいいっぱい摘んで持って帰ってきてたの。きれいだったし。だけどね……それ、トリカブトだったの。ほんと、あの時はめっちゃくちゃに叱られたわ」

 ぼくはトリカブトが何なのか分からず「何トリカブトって」と訊ねてみると、美村香奈は呆れたように「はあ? あんたホントに田舎人?」とこちらを向いて、そのあとトリカブトの詳細を教えてくれた。どうやら猛毒を持つ花のことらしい。根っこに致死性の毒がたっぷり含まれているのだという。

「アコニチンって言うのよ毒の名前。アコニチン」

 得意気に言う美村香奈にぼくはにやつく。

「そのころぼくと七村は小便の飛距離を競い合っていた。アンモニアっていうのよ毒の名前、アンモニア」

「ッ、サイッテー」

 と美村香奈は声を荒げたけどチョップは降ってこなかった。それで気になって顔を見てみようとすると、美村香奈は「なによ」と過敏に反応する。特になんの用事もなかったんだけど、ぼくはそれっぽく言葉を作った。

「いやあ、むかしは女の子っぽいことやってたんだなあ、と」

 美村香奈は小さく息をついて前を見た。

「ふん……私はけっきょく、女の子なのよ」

 言った直後に美村香奈は舞台にごろんと仰向けになる。

「ほんと、なーんかもう、疲れちゃった」

 とぼんやりとした目で天井を見るその姿はなんだかかなりエロチックで、ぼくはどぎまぎしてとっさに目を反らした。大きな胸の形が体操服にくっきりときれいに浮き出ていて、ぼくが七村だったらたぶん歓喜の声をあげていたと思う。

「おぼえてる?」

 そんな言葉でぼくは現実世界に引き戻され、

「……食ろうてしもうた。れんりのえだを食ろうてしもうたんぢゃ」

 美村香奈が続けざまに空虚な声で言った。聞き覚えのある言葉だった。ぼくがその正体を頭の中に浮かべる前に、「『おにひめ』、ここでやったよね」と美村香奈が答えを言う。

「ああ。あったな、そんなセリフ」

「一番最後のセリフがこれなのよね。小学生のときは単に『枝』を食べたんだと思ってたんだけど、最近古典で習ったでしょ、『連理の枝』って。仲のいい夫婦のことなのよねー、あれって」

 そんなこと習ったっけ。なんてことを言うとトリカブトのときみたいにバカにされるので、ぼくは知ったかぶることにする。ってか

「それって男を食い殺したってことだろ? 小学生にそんな劇やらせてたのかよ。あれって男が女と、結婚して……、鬼嫁に尻に敷かれる話じゃなかったのか」

 ぼくは少しためらいつつも言い切る。というのも、その男役がぼくで、鬼嫁役が美村香奈だったのが頭の中にあったからだ。そしてほんの一時期だけど、それで周りからからかわれることもあったのだった。でも美村香奈はあんまり気にしてないような様子で、

「うん。それでだいたいあってるけど、要するにルールはきちんと守りましょうってことを言いたいわけよこの話は。演じさせて子どもに身に付けさせようって意図。今は伝統文化を継いでいこうって意向に変わってるけど」

「大人の策略が張り巡らされてるなあ。どんな内容だっけ」

「まず男と女が結婚する。……女が、美人だけど実は鬼で、悪事ばっかり働く。男は美しい女を鬼と知りつつへーこらへーこら言うことを聞く。男は昔からバカで美人は昔からお得なのね。すると村人からもだんだん嫌われるようになって、最終的には身を滅ぼすと。なぜか鬼になった女の方が後悔して劇が終わり」

「妙にブラックだな」

 とテキトーな感想を述べたあとに、

「そんなのよく知ってるなあ。あれって正直さ、意味不明な言葉を暗記してそれっぽーくやってたような気がする。美村は、あんときも意味分かってたの?」

 あんとき、とぼくは思わず曖昧な言葉を使ってしまう。美村香奈も「あんとき……」と形のない言葉を引き継いだ。

「話の意味は、親父に聞かされてたわ。変なことにだけは熱心なんだからあいつ。ま、そんときはほとんど理解できなかったけど」

「ははは、ウチの親なんて『テキトーに太鼓に合わせて踊っとけばいいんだよ』とかふざけたことしか言わなかったなあ」

 なんでむかしの話題を自分から出してしまったのか分からず、笑って別の話題に切り替えようとしていた。でも、美村香奈は見逃さなかった。

「あのとき、」

 美村香奈は、寝転がせた身体をゆっくり起き上がらせて頭を下げた。

「あのときは、ごめん」

「ああ……、別にいいって」

 なんてことを言いながら、本当はその謝罪が欲しかったのだろう。もしかしたら忘れているのかもと思って、でも直接それを訊ねるのもはばかれるから、こんな遠回しな応対になってしまった。

 この話の内容で「あのとき」という言葉を使ってしまうと、頭は勝手にあの日の夜のことを連想してしまう。小学六年生の夏休み、「おにひめ」を練習していた長い期間の中の、本番前の一夜のことを。

「あのとき」、ぼくと美村香奈は二人きりでこの神社にいた。そうしてぼくは、まさに尻に敷かれる男のごとく、「おにひめ」の練習に一晩中付き合わされることになったのだった。

 美村香奈は絶対にぼくを寝させてはくれなかった。劇をやっていなくても役にハマりきった様子で、ぼくにあれこれと命令をしては「ちがうちがう」と頭をはたいたり時には蹴り倒したりした。

 小学生女子に好き勝手されつつ服従していたのは、ぼくが小学生時代からそんな性癖を持つ変態だったからではない。そのときの美村香奈のことを思いだそうとすると、自動的な恐怖がそれをさえぎる。それは一夜限りのことだったけど、その日の美村香奈は本当の鬼に見えた。ぼくは泣きじゃくりながら劇の練習をした。

「食ろうてしもうた。れんりのえだを食ろうてしもうたんぢゃ」

 そのセリフを、ぼくはどれだけ心待ちにしていただろうか。ラストシーンの美村香奈は、まるでぼくにしたことを後悔してくれているようで、それだけがあのときの救いだった。

 ――なんて回想してみれば、ちょっと暗い話のように聞こえるかもしれないけど、

「いやあ、あれ思い返せばキャンプみたいで楽しかったぞ」

「ホントに、ごめん……」

「いやいや、楽しかったんだって」

「うん。でも、長い間ずっと溜め込んでたのよ。ごめん」

「……じゃあ、ごめんついでにさ、」

 ぼくはホントに大丈夫なのだ。お前ら高校生にもなって性的交渉の話をしているのか、ぼくなんか小学校のとき女の子と一夜を共にしたんだぜ、などと架空の優越感に浸ることもできるし。いたたまれない顔をしている美村香奈に、ぼくは笑いかけた。

「なんであんなことになったのか教えてもらえるとありがたい。それ知っとかないと、許すも許さないも判断できないだろ?」

 美村香奈はぼくから目をそらして、

「それじゃあ、しかたないか……じゃあ、話す」

 膝を抱くように体育座りすると、いつも「バカ三!」なんて叫んでいるのが信じられないような寂しい声色で話し始めた。


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