4.あの人が死ぬか、私が死ぬか
数日後、健司の金はまた尽きた。
その日の午後、恵理が子どもを迎えて帰る途中、彼は再び道をふさいだ。健司は例の折りたたみナイフを手の中で弄び、口笛を吹いていた。まるで世間話でもするような態度だった。
「この二、三日、ツキがなくてさ。金がなくなった。少し助けてくれよ」
恵理は道端に立ち、すぐには答えなかった。
少し離れた場所から町の人が歩いてきた。
健司は隠れるどころか、わざと声を大きくした。
「恵理、大輔がまだお前に触るなら俺に言えよ。俺がきっちり思い知らせてやる。お前が好きなのは俺だろ。あいつに何の権利があるんだ」
通りかかった町民は、何も聞こえなかったふりをして足を速めた。
恵理の拳は固く握られていた。
指先が、皮膚に食い込むほどだった。
彼女は顔を上げた。
声は不思議なほど静かだった。
「今はあまり持ってない。夜、家に来て」
健司が眉を上げた。
恵理は続けた。
「子どもたちは父の家に預ける。今夜、うちに来ればいい」
健司は笑った。
自分が勝ったと思ったのだろう。
けれど彼には、恵理の目の奥に残っていた最後の恐怖が消えていくのが見えていなかった。
家に戻ると、恵理はまず父に電話した。
「今夜、悠斗と小春を泊めてほしいの」
理由を聞かれても、用事があるとだけ答えた。
電話を切ると、今度は大輔へ連絡した。
四時間後、大輔はタクシーで帰宅した。
夫婦は、電話で話した内容をすぐには口にしなかった。恵理は簡単に料理を作り、酒を並べた。大輔は卓の前に座り、嵐の前の空のような顔をしていた。
二人は黙って酒を飲んだ。
料理にはほとんど手をつけなかった。
部屋の中には、杯が卓に触れる音だけがあった。
恵理がようやく杯を持ち上げた。
「全部、私が悪かった」
大輔は彼女を見なかった。
恵理は酒を飲み干した。
喉が焼けるようだった。
「私がこの家を壊した。でも、今夜で終わる」
大輔の目が赤くなった。
「今回は、お前だけのせいじゃない」
少し間を置いた。
「子どもたちが、かわいそうだ」
その言葉のあと、二人は黙った。
杯をそっと合わせた。
これが夫婦で交わす最後の酒になるかもしれないと、二人ともわかっていた。
夜が深くなっていった。
大輔は鉄パイプを持ち、居間の横の物置へ身を隠した。恵理は包丁を握り、居間に座っていた。明かりが顔を照らしていたが、その表情は異様に静かだった。
何もかも、すでに決めてしまった人間の顔だった。
恵理は心の中で、健司の名を何度も繰り返した。
祈りではなかった。
別れに近かった。
午後九時過ぎ、外から足音が聞こえた。
健司が来た。
手にはビール瓶を持っていた。
顔には浮かれたような笑みがあった。
「恵理、待たせたか」
扉が開いた瞬間、恵理は何も言わなかった。
健司が家に入った直後、大輔が横から飛び出し、鉄パイプを彼の頭へ振り下ろした。健司はその場に倒れ、手にしていたビール瓶が卓の脚元へ転がった。
空洞のような音がした。
恵理が立ち上がった。
一歩ずつ、健司へ近づいていった。
十年分の羞恥。
冷たい視線。
孤独。
恐怖。
子どもを脅されたときの絶望。
それらすべてが、手にした包丁へ重くのしかかっていた。
後に大輔は、恵理の背中だけを覚えていると言った。
細い背中だった。
けれど、もう誰にも引き戻せない背中だった。
悲鳴はすぐに途切れた。
しかし、刃は止まらなかった。
恵理がようやく手を下ろしたとき、居間には重い呼吸だけが残っていた。
彼女は床の健司を見下ろした。
勝った顔ではなかった。
救われた顔でもなかった。
ただ、空っぽだった。
数分後、恵理は携帯電話を手に取り、一一〇番へかけた。




