5.彼女は嘘を覚えた
一か月以上が過ぎたころ、莉奈は何度か場所を移りながら、海坂の近くにある海斗の実家へ戻った。
ドアが開いた瞬間、二人は強く抱き合った。長く続いた恐怖と逃亡と不安が、その抱擁で少しだけ出口を見つけたように見えた。
しかし数秒後、莉奈は海斗を突き放した。
彼女は海斗を見つめ、低い声で言った。
「殺したんでしょう」
海斗の表情が固まった。
否定はできなかった。
莉奈の目には、怒りと恐怖があった。
「私のことを考えた? 私たちがどうなるか、考えた?」
海斗は彼女の手を取ろうとした。
莉奈は触れさせなかった。
「お金を取るだけって言ったよね。大丈夫だって言ったよね」
海斗はうつむいた。
「あいつが悪いんだ」
莉奈は聞こうとしなかった。
彼女は港南の警察署で取調べを受けていた。同じことを何度も聞かれた。もし警察が証拠を見つければ、自分も逃げられないことはわかっていた。
それでも海斗は、彼女が解放された以上、もう大丈夫だと言い続けた。
彼は莉奈の前にしゃがみ込み、すがるような声を出した。
「このことを知っているのは俺たちだけだ。お前はもう解放された。証拠がないってことだ。信じてくれ。俺たちは大丈夫だ」
莉奈は頭を抱えた。
声は、夢の中のつぶやきのように低かった。
「私たち、人を殺したんだよ」
海斗は彼女を胸に引き寄せた。
莉奈は拳で彼を叩いた。胸の中にある恐怖を、すべて吐き出そうとしているようだった。
けれど最後まで、彼女は警察へ行かなかった。
彼女が本当の意味で共犯になったのは、このときだった。
最初に宇田川をアパートへ誘い込んだ瞬間ではない。
真実を知ったあとも、海斗のそばに残ることを選んだ瞬間だった。
最初の逃亡は、二人に最も恐ろしいことを教えた。
人を殺しても、生き延びられることがある。
二〇一七年七月、海斗と莉奈は再び海坂市へ戻ってきた。
二人は、本当にやり直したわけではなかった。
借金、酒、不安は、ずっと二人につきまとっていた。海斗の体には刺青が増えていた。左腕には「KAITO WA IKINOKORU」とあり、別の場所には「RINA」と刻まれていた。
その文字は、自分にかけた呪いのようにも見えた。
だが、生き残りたいという願いは、少しずつ別のものへ変わっていった。
生きるために、次の標的を探す。
今回、二人が目をつけたのは桃井文香だった。
文香は海坂港区でバーを営んでおり、海斗とは以前からの知り合いだった。莉奈も彼女の店によく顔を出し、文香さんと呼んで慕っていた。
文香は面倒見がよく、若い女の子に警戒心を持ちにくい人だった。
だからこそ、近づきやすかった。
七月二十一日、莉奈は文香へ電話をかけた。
「文香さん、今から時間ありますか。服を見に行きたいんですけど、文香さんって見る目があるじゃないですか。付き合ってくれませんか。私たち、しばらく会ってなかったし」
電話を受けた文香は、少し驚いたようだった。
「莉奈ちゃん?海斗くんと戻ってきてたの? 言ってくれればよかったのに」
「会って話したかったんです。今から行きますね」
電話を切った莉奈は、隣に座る海斗を見た。
海斗は何も言わなかった。
ただ、灰皿の中で煙草を押しつぶした。
計画は何度も話し合っていた。
莉奈が文香を連れ出す。
海斗がアパートで待つ。
その先について、二人はもう細かく言葉にしなかった。
沈黙そのものが、同意になっていた。
莉奈はまず、文香を海坂湾岸ショッピングモールへ連れて行った。
二人で店を少し回ったあと、莉奈は急に気が変わったように、今日は服をやめて飲みに行きたいと言い出した。さらにスーパーで食材を買ってくるふりをして、海斗が借りている部屋の住所を文香へ送った。
「先に行っててください。海斗が部屋で待ってます。私、買い物してからすぐ戻ります」
文香は疑わなかった。
彼女にとって、海斗も古い知り合いだった。何年かぶりに会えるなら、少し話してもいいと思った。
長年の友人が、扉の向こうに罠を用意しているとは考えもしなかった。
文香と別れたあと、莉奈はアパートへは戻らなかった。
友人のもとへ行った。
それが、彼女のためのアリバイだった。
最初の取調べで覚えたやり方を、三年後、彼女は完全に使った。
文香がインターホンを押したとき、海斗はすでに部屋で待っていた。
「海斗、戻ってきたなら連絡くらいしなさいよ。私のこと、友達だと思ってないの?」
ドアが開いた。
海斗は笑顔を浮かべていた。
「文香さん、やっと来てくれましたね。ずっと待ってました」
文香が部屋に入った瞬間、背後でドアが閉まった。
海斗は用意していたロープを取り出した。あまりにも動きが早く、文香には反応する時間がなかった。彼女はすぐに抵抗できなくなり、次に意識を取り戻したときには、全身を固く縛られていた。
その後、海斗はキャッシュカードの暗証番号を聞き出そうとした。
文香は最初、拒んだ。
しかし海斗は、三年前に初めて人を殺したあと震えていた男ではなくなっていた。金のためなら、知人の懇願さえ耳の外へ追いやれるようになっていた。
最終的に、文香は暗証番号を言った。
さらに、夫の隆司にも知らせていなかった秘密の部屋があることを明かした。
そこには、数百万円分の金地金が隠されていた。
海斗はATMで現金を引き出し、その秘密の部屋から貴金属も持ち出した。
金を手に入れたあと、文香は彼にとって生かしておく理由のない存在になった。
海斗は文香を殺害した。
その後、遺体を損壊し、袋に分け、小型トラックを借りて水無瀬ダム裏の林道近くへ運び、埋めた。
そのとき、海斗も莉奈もまだ侥幸を抱いていた。
三年前、逃げ切れた。
今回も、逃げ切れるかもしれない。




