【腕のRINA】愛を誓った男は、彼女を共犯にした 1.消えたバーのママ
二〇一七年七月二十五日、海坂中央署の刑事課に、一件の失踪届が入った。
届け出たのは、桃井隆司だった。妻の文香と三、四日前から連絡が取れないという。携帯電話はずっと電源が切られており、店の者も彼女がどこへ行ったのか知らなかった。
文香は以前から麻雀が好きで、都合が悪いとわざと電話に出ないこともあった。
けれど、今回は違った。
隆司は相談室の椅子に座り、携帯電話の縁を何度も指でこすっていた。
「電話に出たくないだけなら、店にまで戻らないなんてことはありません」
刑事は、失踪時刻、最後の通話、キャッシュカードの利用状況を一つずつ記録していった。
最初、この事件はよくある失踪に見えた。文香は四十代前半で、海坂市港区に小さなバーを構えていた。付き合いも多く、知り合いの幅も広い。
だが警察は、すぐに一つの手がかりをつかんだ。
最後に文香を見た人物によると、彼女のそばには二十歳前後の若い女がいた。
二人は楽しそうに話しながら、タクシーに乗ったという。
その女は、望月莉奈。
旧名は、望月梨花だった。
刑事たちはすぐに莉奈を見つけ、海坂中央署へ任意同行した。
莉奈が取調室に入ってきたとき、淡い色のトップスを着て、髪は無造作に後ろで束ねられていた。年齢は若く、顔にはまだ学生のような幼ささえ残っている。
だが席に着いた瞬間から、室内にいた刑事たちは奇妙な違和感を覚えた。
若さに似合わないほど、彼女は落ち着いていた。
取調室の照明が顔に当たっても、莉奈は目をそらさなかった。
刑事が文香の写真を机の上へ置いた。
「この人を知っていますか」
莉奈は写真を一度だけ見て、軽く眉を上げた。
「知っていますよ。どうかしたんですか」
刑事は彼女の表情を見ていた。
「いつ、どうやって知り合いましたか」
莉奈は椅子の背にもたれ、軽い口調で答えた。
「何か月か前です。彼氏と喧嘩して、一人でバーに飲みに行ったんです。文香さんはその店のママで、私が一人で飲んでいたら、話しかけてくれました。いい人でしたよ」
「最後に会ったのはいつですか」
莉奈は少し考えるそぶりをした。
「三日前かな。違うかも。四、五日前だったと思います」
「七月二十一日、あなたが彼女と一緒にいたところを見た人がいます」
莉奈は顔を上げた。
「それって、私を疑ってるんですか」
取調室が一瞬、静かになった。
刑事はその挑発には乗らなかった。
「手がかりを知りたいだけです」
莉奈の指先が、机の上を小さく叩いた。
「あの日は、文香さんに服を選んでもらおうと思って、ショッピングモールへ行きました。でも途中で文香さんに用事ができて、そこで別れました。そのあとは知りません」
「別れたあと、あなたがどこにいたか証明できますか」
「友達がいます」
答えが早すぎた。
まるで、その言葉だけは前もって用意していたようだった。
二時間ほどの聴取で、警察は莉奈からそれ以上の情報を得られなかった。彼女は文香を知っていると認めた。七月二十一日に会ったことも認めた。ショッピングモールの近くまで一緒に行ったことも認めた。
だが、その後は別れた。
それきり会っていない。
莉奈は最後まで、そう言い続けた。
若い刑事が調書を閉じるとき、思わず彼女を見た。
あの落ち着きは、初めて警察に事情を聞かれる人間のものではなかった。
莉奈は署内にとどめられ、次の聴取を待つことになった。
事件を切り裂いたのは、一件の出金記録だった。
文香が失踪した翌日の夜十一時ごろ、彼女のキャッシュカードから、コンビニATMで八万円が引き出されていた。
防犯カメラには、キャップとマスクで顔を隠し、襟を高く立てた男が映っていた。顔ははっきり見えない。
しかし、男がコンビニを出るとき、右肩がわずかに下がる癖があった。
その歩き方を切り出した映像を、刑事は隆司に見せた。
隆司は一度見ただけで顔色を変えた。
「この人……佐伯海斗に似ています」
佐伯海斗。
二十代。
かつて海坂市港区で、小さなバーを経営していた男だった。
彼は文香とも面識があり、莉奈の恋人でもあった。
刑事たちは待たなかった。
その夜、海坂中央署は海斗の身柄を押さえた。
取調室に連れてこられた海斗は、最初こそ否認しようとした。しかし、ATMの映像、出金記録、文香が最後に移動した経路、そして莉奈の供述のほころびが、彼の逃げ道を少しずつ塞いでいった。
夜明け前、海斗の心は折れた。
「文香さんは、俺が殺しました」
刑事は何も言わなかった。
海斗はうつむき、ひどくかすれた声で続けた。
「莉奈も知っています。あいつが文香さんを連れ出しました」
その一言で、事件は失踪から殺人へ変わった。
しかも、それは初めてではなかった。




