9.あの子を見てやってください
判決後、前田沙也香は警察を通じて、篠原朱里への取材を申し込んだ。
朱里は最初、それを受け入れた。
だが実際に沙也香と向き合うと、すぐに様子が崩れた。拘置所の面会室で、朱里は椅子に座り、両手で服の裾を握っていた。顔色は紙のように白い。
沙也香が事件の夜について尋ねる前に、朱里の体は震え始めた。
取材は中止になった。
沙也香が録音機をしまい、席を立とうとしたとき、朱里が急に立ち上がった。
慎吾のことは、もう話さなかった。
自分のための言い訳もしなかった。
ただ、沙也香の手をつかんだ。
外へつながる最後の細い糸を握るようだった。
「前田さん、お願いがあります」
沙也香は足を止めた。
朱里の声は小さかった。
それでも一語ずつ、喉の内側を削るように出てきた。
「奈津子さんに伝えてください。私は、本当に申し訳ないことをしました。頼む資格がないのはわかっています。でも、私の子どもには、もう誰もいません」
朱里は顔を伏せた。
肩がゆっくり落ちていく。
「子どもたちには、同じ父親の血が流れています。どうか、そのことだけでも思い出してほしいんです。あの子が飢えたり、誰にも見てもらえずに捨てられたりしないように、一度だけでも見てやってください」
刑務官が近づくと、朱里は手を離した。
それ以上、すがろうとはしなかった。
ただその場に立ち、自分にはもう何かを願う資格さえ残っていないのだと、ようやく理解したようだった。
拘置所を出たあと、沙也香は白倉町へ向かった。
奈津子は、古い公営住宅に住んでいた。廊下は狭く、壁の一部ははがれている。玄関には子どもたちの傘と、洗い古された運動靴が並んでいた。
奈津子は実年齢より疲れて見えた。
髪は無造作に後ろで束ねられ、手には洗い物でできた細かなひびが残っていた。
沙也香は、朱里の言葉を伝えた。
奈津子は長いあいだ、何も言わなかった。
窓の外から、小学生たちが下校する声が聞こえた。階下では誰かの自転車のベルが鳴った。けれど部屋の中だけは、人の呼吸まで消えたように静かだった。
やがて奈津子は、ゆっくり背を向けた。
引き受けるとは言わなかった。
拒むとも言わなかった。
沙也香はその背中を見つめながら、この事件には本当の勝者など一人もいなかったのだと思った。
美麗は死んだ。
慎吾は死刑へ向かう。
朱里は無期懲役を受けた。
奈津子は夫を失い、さらに夫が外に残した子どもの存在まで突きつけられた。
子どもたちは、何もしていない。
それなのに、大人たちの罪の中で生きていかなければならない。
青いキャリーケースが工事現場の砂山から掘り出されたとき、誰もが残酷なバラバラ殺人事件だと思った。
けれど本当に腐っていたのは、隠された遺体だけではなかった。
三人が何年も絡まり合い、出口をなくした欲望そのものだった。
慎吾は、すべての女に自分から離れてほしくなかった。
美麗は、自分のものではない完全な立場を求めた。
朱里は、沈黙すれば愛が手に入ると思った。
誰も止まらなかった。
だから最後には、全員が同じ黒い穴へ落ちていった。




