5.どちらを愛しているのか
事件前のしばらくのあいだ、蓮斗は二人の女性の間を揺れていた。
家族が用意した相手を受け入れながら、海坂市では美和子との暮らしを続ける。亜紀は結婚を求め、美和子は確かな答えを求めた。蓮斗は、そのどちらも手放そうとしなかった。
亜紀には、白倉町へ戻って結婚手続きをすると言った。
美和子には、それは家族を安心させるためだけだと言った。
美和子は、その言葉がどれほどおかしいか理解していた。それでも蓮斗を失うのが怖くて、何度も自分に言い聞かせた。
三年の関係は嘘ではない。
蓮斗は本当に自分を愛している。
ただ、家族と亜紀のことをどう扱えばいいのかわからないだけだ。
その慰めは、事件当日の夜に壊れた。
その夜、八時から九時のあいだに、亜紀は何度も蓮斗へ電話をかけていた。
美和子と蓮斗はゲームをしていた。着信音は何度も鳴り、画面は明るくなっては消え、消えてはまた明るくなった。美和子は表示された名前を見るたび、細い針で胸を刺されているような気がした。
ゲームが終わったあと、また電話が鳴った。
蓮斗はようやく出た。
美和子はベッドの端に座り、黙っていた。
亜紀は電話の向こうで、彼がどちらを好きなのか問い詰めていた。彼女はこの質問を何度もしていたのだろう。答えを聞くたびに、自分を支える材料を探していたのかもしれない。
蓮斗は最初、苛立っていた。
「そんなことばかり聞いて、意味ある?」
亜紀は引かなかった。
美和子には、電話口の言葉のすべては聞こえない。それでも蓮斗の苛立ちと逃げ腰は伝わってきた。しばらくして、彼はようやく口を開いた。
「もちろん、君のほうが好きだよ」
そう言いながら、蓮斗の指は美和子を指していた。
美和子は動かなかった。
その指を見つめ、突然、自分がひどく滑稽に思えた。
亜紀も後に、その電話をよく覚えていると話している。
蓮斗は電話で、彼女のほうが大切だと言った。亜紀は信じようとした。だが事件の後、美和子から電話があり、あのとき自分もそこにいたのだと告げられた。蓮斗は口では亜紀を選びながら、指では美和子を示していた。
その話を聞いた亜紀は、怒りで震えたという。
けれど美和子にとって、それは勝利ではなかった。
もっと深い屈辱だった。
蓮斗は、どちらかを選んでいたのではない。
二人がどちらも自分を手放せない状態を、どこかで楽しんでいた。
その後、美和子は蓮斗に聞いた。
亜紀のことをどうするつもりなのか。
蓮斗はベッドの背にもたれ、妙に軽い口調だった。
「向こうとは、形だけ結婚する。家族を安心させるために、婚姻届を出すだけだよ」
美和子は彼を見た。
「一緒に暮らす気もないのに、結婚するの?」
「亜紀は海坂には来ない。俺たちは今まで通りでいい」
「じゃあ、あの人は何なの。私は何なの」
蓮斗は視線をそらした。
その質問自体が面倒だと言いたげだった。
「そんなに考えなくてもいいだろ。実家には顔が立つし、こっちは何も変わらない。それでいいじゃん」
美和子は答えなかった。
蓮斗は、さらに笑った。
「新しい相手ができても、美和は離れなかった。みんないる。それでいいだろ」
その言葉が、最後の糸を切った。
美和子は後に何度も考えた。もしあの言葉がなければ、自分はあそこまで行かなかったのではないかと。だが人が本当に崩れるとき、理由は一つではない。
胸の中に積もっていたものが、ある瞬間、同時に崩れ落ちる。
年齢。
佐野家の疑い。
莉央の反対。
亜紀からの電話。
蓮斗の軽い笑い。
それらすべてが、同じ答えに変わった。
美和子は、妻でもなく、過去の女でもない場所に置かれた。
名前のない場所だった。




