【二十四歳差の恋】若い恋人を殺した五十歳の女 1.年齢では止められない恋
命は、もちろん大切だ。
けれど恋が押し寄せてきたとき、人は年齢も、収入も、家族も、周囲の目も、たいした問題ではないと思い込んでしまう。
前田沙也香が今回取材することになった女性は、桐谷美和子という。恋人とは二十四歳も離れていた。二人は三年にわたって同居し、結婚まで考えていた。
だがその恋は、取り返しのつかない殺人事件へと変わっていった。
海坂拘置所で美和子を見た瞬間、沙也香は、あの若い男が彼女に惹かれた理由を少しだけ理解した。
美和子は五十歳を過ぎていた。けれど、同年代の人にありがちな疲れた印象は薄かった。許された範囲で服をきちんと整え、髪も丁寧に梳かれている。爪も短く清潔だった。
時間はたしかに彼女から若さを奪っていた。
それでも、自分を見る目までは変えられなかったのだろう。
美和子は沙也香の前に座るなり、目を赤くした。
「自分が許されないことをしたのは、わかっています。ここへ来てから、毎日、急に老け込んでしまったみたいで」
沙也香は彼女の髪に目を向けた。
「そこまで老け込んだようには見えません。普段から、かなり気を遣っていたんですか」
美和子の反応は、思ったよりも強かった。
「濃い化粧はしません。ずっと自然に整えるのが好きでした」
沙也香は、その話題を深追いしなかった。
目の前の女性にとって、「若く見えること」はただの美容ではない。人生の奥に深く食い込んだ針のようなものだ。少し触れただけで、彼女の全身が強ばる。
「新しいものには、昔から抵抗がないほうでしたか」
美和子は目を伏せた。声が少し落ち着いた。
「私の周りには、同年代の友達がほとんどいません。同じ年頃の人とは、話が合わなくて」
「若い人といるほうが楽だったんですね」
「はい。ゲームも好きでした。スマホのゲームなら、いろいろやりました。蓮斗も言っていたんです。私は昭和の終わりごろに生まれたのに、気持ちは二十代みたいだって。逆にあの子のほうが、時々、私くらい落ち着いて見えるって」
佐野蓮斗の名前が出た瞬間、美和子の表情が変わった。
甘さと痛みが同時に浮かんだ。二つの色を同じ水に落としたような顔だった。彼女は拘置所にいるはずなのに、その目だけが三年前へ戻っていく。
沙也香は録音機を少し前へ押した。
「最初は、どうやって知り合ったんですか」
美和子の口元が、かすかに動いた。
「ゲームです」
三年前のことだった。
美和子は海坂市のファミリーレストランで店長代理をしていた。離婚してから長く、娘はすでに結婚し、子どももいた。暮らしに余裕があるわけではないが、不安定というほどでもない。
仕事を終えて家に帰ると、彼女はよくスマホを開いた。
五人でチームを組む対戦ゲームだった。
美和子はサポート役。
蓮斗は攻撃役。
最初は、たまたま同じチームになっただけだった。蓮斗は操作が早く、負けてもあまり苛立たない。美和子は技術が飛び抜けているわけではなかったが、周りを見るのがうまかった。
相性がよかった。
何度か勝ったあと、二人は自然にゲーム内のフレンドになった。
それから毎晩、一緒にランク戦をするようになった。
一か月ほど経ったころ、蓮斗が年齢を聞いた。
美和子は嘘をつかなかった。
「五十歳よ」
ボイスチャットの向こうが、数秒だけ静かになった。
すぐに、若い男の笑い声が聞こえた。
「嘘でしょ。声、めちゃくちゃ若いのに。五十歳なわけないじゃん」
「本当よ」
「信じられない。その年でこのゲームやってる人、なかなかいないですよ」
ただの冗談だとわかっていた。
それでも、美和子はうれしかった。
何年も、そんなふうに扱われたことがなかった。職場の上司でも、誰かの母親でも、中年の女でもない。ゲームの中で、ひとりの若い男が自分の話を聞き、好みを覚え、負けた夜には真面目に慰めてくれる。
やがて二人はLINEを交換した。
その後、ビデオ通話をするようになった。
蓮斗が初めて画面越しに美和子を見たとき、しばらく黙った。
「美和さん、本当に五十歳?」
「嘘をついてどうするの」
「三十五くらいにしか見えない」
その言葉は、美和子の胸に長く残った。
本当に三十五歳へ戻れるわけではない。そんなことはわかっていた。それでも、若くてきれいだと言われて喜ばない人がいるだろうか。
まして、それを言ったのは、自分より二十四歳も若い男だった。
二人の関係は、ゲームの中で守ることから始まった。
美和子はサポート役として、いつも蓮斗のそばに立った。けれど敵が彼女に向かってくると、蓮斗は状況を無視して戻ってくる。
その夜も、二人は負けた。
美和子は思わず文句を言った。
「また倒されたの? 相手のアタッカーとどれだけ差がついてると思ってるの」
蓮斗はボイスチャットで笑った。
「大丈夫。どこかで一回取り返せばいいから」
「私、サポートなのよ。本当は私があなたを守る側なのに。毎回あなたが戻ってきて私の代わりに攻撃を受けるから、ずっと負けるんじゃない」
「下がらなきゃいけないのは、わかってる」
そこで、蓮斗の声が少しだけ真面目になった。
「でも、美和がやられるのを見るのは嫌なんだよ。だったら美和が攻撃役を練習してよ。俺がサポートするから」
その言葉を、美和子は長く覚えていた。
守られる感覚など、ずっと忘れていた。離婚してからは、自分で何とかすることに慣れすぎていた。人の世話をして、面倒を見て、つらいことは「大丈夫」で済ませてきた。
蓮斗の何気ない一言は、沈みかけていた彼女の生活に差し込んだ若い光だった。
二人はよく、通話をつないだままゲームをした。
夜更けまで遊び、眠くなっても、どちらも通話を切りたがらなかった。翌朝目を覚ますと、スマホの電源は落ちている。真っ暗な画面だけが、昨夜の優しさを夢のように残していた。
やがて蓮斗は、彼女を「美和」と呼ぶようになった。
最初、美和子は少し笑った。
年下のくせに、と。
けれど、いつからか訂正しなくなった。
その二文字を蓮斗の声で呼ばれるたび、自分がまだ恋をしていい年齢に戻ったような気がした。
初めて現実で会ったのは、海坂駅近くのカフェだった。
蓮斗は黒縁の眼鏡をかけていた。肌が白く、動画で見るより背が高い。思っていた以上に若く、清潔感があった。カフェの入口で彼女を見つけたとき、少し照れたように笑った。
その日、美和子は淡い色の上着を着て、髪を丁寧に整えていた。自然に振る舞おうとしたが、近づくにつれて手のひらが熱くなった。
蓮斗は彼女を見て笑った。
「美和、実物のほうが若く見える」
お世辞かもしれない。
そう思っても、胸を撃ち抜かれた。
どんな女性の心にも、若いころの自分が眠っているのかもしれない。美和子は、その人はもうとっくに消えてしまったと思っていた。けれど蓮斗の一言で、深い場所から呼び戻された。
しばらくして、蓮斗は彼女に交際を申し込んだ。
美和子はすぐには答えなかった。
彼女は彼より二十四歳も年上だった。
結婚歴もあり、蓮斗より年上の娘もいる。無邪気に恋を信じられる年齢は、とうに過ぎていた。それでも目の前にこの若い男がいると、心は揺れた。
二人はカフェの隅に座っていた。
美和子は、ゆっくり口を開いた。
「蓮斗、一度ちゃんと話したいの。私は本当にあなたよりずっと年上よ。今あなたが好きだと思ってくれても、その差は消えない。ここで終わりにしたほうがいいと思う」
蓮斗は彼女を見つめた。
「俺が好きなのは美和だよ。年齢なんて関係ない」
「今はそうでも、これから先はわからないでしょう」
「これから先も同じだよ」
その声は、あまりにも迷いがなかった。
美和子は何度も考えた。
なぜ、あの言葉を信じたのか。
たぶん、本当に年齢など問題ではないと信じたわけではない。
あの瞬間、まだ自分が誰かに愛される価値のある女だと、どうしても信じたかったのだ。




