【賭け狂いの先生】借金まみれの保育士は、教え子を身代金にした 1.消えた六歳の女の子
2018年3月8日、群馬県白川町の朝は、いつもと何も変わらなかった。
佐伯拓也が六歳の娘、美月を認定こども園の門まで送ったとき、空気にはまだ少し冷たさが残っていた。美月はピンク色の小さなリュックを背負い、門の前で何度も父に手を振った。拓也は、園の中へ小走りで入っていく娘を見送っていた。
あまりにも普通の朝だった。
あとになって何度思い返しても、拓也にはそこに異変を見つけることができなかった。
その一瞬が、父と娘の最後の別れになるとは、思いもしなかった。
夕方、美月を迎えに来たのは母の真帆だった。
降園時間を過ぎ、ほかの子どもたちは次々と家族に連れられて帰っていった。園の門の前は少しずつ静かになっていく。真帆は外でしばらく待ったあと、不安になって園内へ入り、職員に声をかけた。
出席記録を確認した職員たちは、そこで初めて美月がすでに園内にいないことに気づいた。
最初から、誰も最悪の事態を考えたわけではなかった。
こども園の職員たちは、誰か顔見知りが迎えに来たのではないかと考えた。真帆は夫に電話をかけ、拓也は仕事先からすぐに駆けつけた。二人は園の周辺道路、近くのコンビニ、公園、駅のほうまで何度も探した。
どこにも、美月はいなかった。
午後六時十五分、真帆は110番に通報した。
電話がつながったとき、彼女はもう、まともに言葉をつなげられなかった。
六歳の女の子が、通い慣れたこども園から消えた。
警察は通報を受けると、こども園の門、近くのコンビニ、主要道路沿いの防犯カメラ映像を確認した。あわせて、園側に当日の職員の出勤状況、保護者の送迎記録、外部からの来訪者の有無を確認した。
まもなく、一人の名前が浮かび上がった。
松原朱里。
三十一歳。白川町の認定こども園で働く保育士であり、幼児教育の担当者でもあった。短期大学の幼児教育科を卒業し、保育士資格と幼稚園教諭二種免許を取得していた。卒業後は、ずっと地方のこども園で働いていた。
美月の年長クラスを、朱里が担当していた時期もある。
子どもたちは彼女を慕っていた。
保護者たちも、彼女を信頼していた。
だがその日の午前中、防犯カメラには、美月が朱里と一緒にこども園の近くから離れていく姿が映っていた。
通報から約一時間半後、警察は朱里の自宅で彼女を逮捕した。
美月は、すでに亡くなっていた。
事件の公判が開かれた日、テレビ局の記者である前田沙也香は、傍聴席に座っていた。
朱里が法廷へ入ってきたとき、その足取りはひどく不安定だった。拘置所の服を着た彼女の顔は血の気を失い、職員に両脇を支えられていなければ、その場に崩れ落ちそうだった。
美月の両親は、傍聴席の一角に座っていた。
朱里が姿を見せた瞬間、真帆は立ち上がった。拓也が必死に腕をつかんだが、その手も震えていた。
「松原朱里、私は何年もあなたを知っていたのよ。子どもを預けていたのよ。それなのに、どうして……!」
朱里はその場に膝をつき、額を床につけるようにして頭を下げた。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」
その謝罪で、誰かの心が鎮まることはなかった。
真帆の泣き声は、法廷の空気を裂いた。拓也はうつむいたまま、肩を大きく震わせていた。裁判長が何度も静粛を求め、ようやく審理は続けられた。
その日、朱里は法廷で多くのことを語った。
かつて自分は先生だった、と。
賭け事がどれほど人の良心を奪うのか、今になってようやくわかった、と。
けれど沙也香は、傍聴席でその言葉を聞きながら、あまりにも軽いと思った。
亡くなったのは、子どもだった。
彼女を信じ、
「先生」と呼んでいた子どもだった。




