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女性専用刑務所の面会室:一線を越えた【危険な女たち】の犯罪告白  作者: 熾星


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2.クリニックでの指導

 2016年の年末、美羽は専門学校を卒業したものの、なかなか仕事が見つからなかった。


 白川町は大きな町ではなかった。若い人間が地元に残って働くのは簡単ではない。駅前の商店街は夕方になると急に静まり、古びたシャッターを下ろした店も目立った。美羽は東京へ出る勇気もなく、家の近くで仕事を探し続けていた。


 そのころ、従姉の香織が仕事を紹介してくれた。

 勤務先は、須藤内科クリニックだった。


 住宅街の中にある個人クリニックで、近所には高齢者が多く、午前中はいつも混み合っていた。院長の須藤誠一は五十四歳。物腰は柔らかく、話し方も穏やかだった。香織は以前、彼と何度か食事の席で会ったことがあり、悪い印象は持っていなかった。


 美羽はそこで、受付兼看護助手として働くことになった。

 何もしないまま家にいるよりは、ずっといい。


 最初は、美羽もそう思っていた。

 だが働き始めて数日もたたないうちに、彼女は異変に気づいた。

 須藤は、何かと理由をつけて美羽を診察室へ呼んだ。


 新人に男性患者への対応を教えるためだと言うこともあった。資料整理を手伝ってほしいと言うこともあった。最初は仕事の延長に見えた言葉が、次第に正常な範囲を越えていった。


 須藤は必要以上に近づいてきた。

 医師らしい口調のまま、若い女性職員に向けるべきではない話をした。


 美羽は診察室を出るたび、体に何か汚れたものが付着したような気がした。

 その日の午後、美羽は仕事帰りに香織のアパートへ向かった。


 香織は駅裏の古い集合住宅に住んでいた。部屋は広くない。ワンルームに近い間取りで、ベランダは近くの駐車場に面していた。美羽はよくここで食事をし、つらいことがあると香織の部屋に逃げ込んでいた。

 玄関を開けた香織は、美羽の顔を見てすぐに眉を寄せた。


「どうしたの。今にも泣きそうな顔して」


 美羽はソファの端に座り、バッグの持ち手を何度も握り直した。


「香織姉ちゃん、あのクリニック、もう辞めたい」


 香織は目を瞬いた。


「まだ働き始めたばかりでしょう?」


 美羽は唇を噛んだ。


「院長が、変なことをしてくるの」


 香織の顔色が変わった。

 美羽は、ここ数日の出来事を少しずつ話した。診察室へ呼ばれること。仕事の指導を装って気持ち悪い話をされること。人がいないときに肩や髪に触れられること。


 話すうちに、美羽の声はだんだん小さくなった。まるで、被害を受けた自分のほうが恥ずかしいことをしているかのようだった。

 香織はテーブルの灰皿をつかみ、すぐに置き直した。


「行こう。今から私が話をつける」


 美羽は慌てて香織の腕をつかんだ。


「いい。やめて」


「どうして」


「本当に何かされたわけじゃない。騒いでも、仕事の指導だったって言われるだけ。困るのは私だよ」


 香織は立ったまま、何度か息をした。


 美羽の言っていることが、まったく間違いではないこともわかっていた。相手は町で知られたクリニックの院長。美羽は入ったばかりの若い職員にすぎない。録音もなければ、防犯カメラもなく、証人もいなかった。

 香織は、やがてソファへ戻った。


「今すぐ辞めるのは待ちな。できるだけ一人きりにならないようにして。向こう、給料を上げるって言ってたんでしょう?もらえるものは、もらってからでもいい」


 美羽は答えなかった。

 そのころの彼女はまだ若く、知らなかった。

 ある種の我慢は、相手をつけ上がらせるだけなのだと。


 数日後、美羽は点滴室で薬品を片づけていた。

 須藤が入ってきて、後ろ手にドアを閉めた。

 部屋には二人しかいなかった。

 美羽は反射的に後ずさりし、背中が壁に触れるところまで下がった。


「院長、やめてください」


 須藤は近づいた。白衣の袖口が、美羽の手の甲に触れそうだった。


「大丈夫だよ。今は誰もいない」


 心臓が胸の中で暴れた。美羽は無理に視線をドアのほうへ向けた。


「この前、給料のことを考えるっておっしゃいましたよね。今日で三日目です」


 須藤は一瞬止まった。


「そんなことを言ったかな」


「言いました」


 須藤は薄く笑い、彼女の肩に手を置いた。


「給料は上げてあげるよ。これから、もっといろいろ任せてもいい。僕にできることはしてあげる。だから美羽さんも、少しは応えてくれないと」


 美羽は吐き気をこらえ、ふいにドアのほうを見た。


「誰か来ました」


 須藤はすぐに身を離し、白衣を整えた。

 その隙に、美羽は彼の手を払いのけ、点滴室から飛び出した。

 廊下には、書類を持った看護師が立っていた。


「院長、保健所の方がいらしています。会議室でお待ちです」


 須藤の顔がわずかにこわばった。


「わかりました。すぐに行きます」


 美羽はうつむいたまま、その横を通り過ぎた。女子更衣室に入って初めて、自分の手が震え続けていることに気づいた。


 その日以降、美羽は再び香織を訪ねた。

 そのとき、香織の交際相手である春日井剛も部屋にいた。


 剛は香織より少し年上で、近くの工場で派遣社員として働いていた。家庭があるにもかかわらず、月に何日かは香織の部屋で過ごしていた。よくしゃべり、見栄を張り、女の前では何でも解決できる男のように振る舞いたがる人間だった。


 美羽はソファに座り、顔色を失っていた。

 剛はスリッパに履き替えながら、軽い調子で笑った。


「二人して何だよ。誰かにいじめられたみたいな顔して」


 香織は苛立った目を向けた。


「剛には関係ない」


 剛はかえって二人のそばに腰を下ろした。


「関係ないってことはないだろ。話してみろよ」


 美羽は不意に顔を上げた。


「剛さん、私が誰かにひどいことをされたら、どうしますか」


 剛は背筋を伸ばした。


「誰が美羽ちゃんをいじめるんだよ。言ってみろ。俺がどうにかしてやる」


 その言葉は、男がその場の勢いで口にした大きなだけの言葉だった。

 だが、美羽は覚えていた。


 のちに沙也香が、いつから須藤に殺意を抱いたのかと尋ねたとき、美羽は長く黙った。最後に、あのときはまだ殺したいとは思っていなかったと答えた。


 ただ、誰かが自分のために動いてくれると、そう思ってしまった。

 多くの犯罪は、そういう錯覚から始まる。

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