【小さな狂人日記】十七歳の少女は、なぜ眠っていた男を殺したのか 1.1.午前五時の宴会個室
2019年7月26日、午前五時。
海坂市港南町は、まだ完全には目を覚ましていなかった。
商店街の裏路地にある焼肉居酒屋から、朝の静けさを切り裂くような悲鳴が上がった。声は店の一番奥にある宴会用の個室から聞こえてきた。短く、鋭く、暗闇の中で喉をつかまれたような悲鳴だった。
夜勤の従業員が先に駆けつけた。
個室の扉が開いた瞬間、そこにいた全員が凍りついた。
十七歳の望月澪が、部屋の中央に立っていた。
小柄な体に、店のエプロンをつけたまま。手には血のついた工具を握っていた。目は大きく見開かれ、入口に立つ人たちをまっすぐ見ている。その視線は、目が覚めたばかりのものではなかった。
彼女だけに見えている悪夢の中に、まだ閉じ込められているようだった。
ソファには、若い男性従業員が倒れていた。
井上拓真。
二十三歳。
彼はもう息をしていなかった。
十数分後、サイレンの音が港南町の朝を裂いた。警察は焼肉店の前に規制線を張り、澪を店の外へ連れ出した。澪は抵抗しなかった。ただうつむき、唇だけをかすかに動かしていた。
まるで、誰もいない空気に向かって、まだ何かを説明しているようだった。
後日、前田沙也香は少年刑務所で澪と会った。
澪は写真で見るよりもずっと痩せていた。丸く明るい目には、まだ未成年らしい幼さが残っている。机の上に事件記録が置かれていなければ、沙也香は目の前の静かな少女と、あの個室で起きた事件を結びつけることができなかったかもしれない。
女性刑務官によると、澪は施設内の読書発表会で一位を取ったばかりだった。
沙也香は録音機を机に置いた。
「最近、賞を取ったそうですね」
澪は少し照れたようにうつむいた。
「賞というほどのものじゃありません。読書発表会です」
「どんな本を紹介したんですか」
「魯迅の『狂人日記』です」
沙也香は少し意外に思った。
日本の生徒が発表に選ぶ作品として、決して一番よくある題名ではない。それでも澪がその名前を口にしたとき、目は妙に静かだった。
彼女は軽く唇を結び、背筋を伸ばした。
「少し、聞かせてもらえますか」
澪はうなずいた。
先ほどまでの気恥ずかしさは、すぐに顔から消えた。まるで発表台に立っているように、声がはっきりしていく。
「私が紹介したのは、魯迅の『狂人日記』です。あの作品の中の狂人は、ただ論理がない人ではありません。むしろ、自分が見たもの、考えたこと、口にしたことを、自分の世界の中できちんとつなげています。ただ、その論理は最初から間違った方向へ傾いているんです」
澪は少しだけ間を置いた。
「心理面接の先生に、前に言われたことがあります。あなたが見たもの、考えたもの、言葉にしたもの、行動に移したものには、あなたなりの論理がある。でも、その論理には強い偏りがある。やり直したいなら、まず自分の世界から出てこなければいけない、って」
沙也香は口を挟まなかった。
澪は目を伏せた。
「そのときは、よくわかりませんでした。でも今は、少しだけわかる気がします」
事件から、すでに半年以上が過ぎていた。
それでも澪は、あの夜を忘れられなかった。
あの夜は深い井戸に落ちたようだった、と彼女は言った。
周りは全部暗く、頭上に光は見えない。もがけばもがくほど、自分が沈んでいく。
その暗闇を、澪は八歳のときにも見ていた。




