第三十八話 呪われた少女と戦嫌いの少年
駆ける音が響く。雨が降ってきたようだ。燃えずの塔から離れしばらく走り続けているが、髪も服もびしょ濡れになっている絵斗。彼は息を切らすことなく、ピトリと首に付く髪を胡乱げに結び直して団子にした。
茨の木々を抜け、平原を駆け、そして見えてきた街並みにほうと安堵の息を吐く。
「シャロームさん……銀木犀からの信号を見るに、生きてはいますが…………」
かなり精神が疲弊していることに気付く。無理もない、唯一の家族だった姉が眼前で貫かれた衝撃は、かなりのものだったろう。
歯を食いしばり、帽子を深く被って裏路地に入った。
────直後、
「──ッ!」
「────っと、大丈夫か?」
絵斗は体制を崩し、濡れてテカっている路地の硬い地面に転がる。すぐに前側から声が聞こえ、驚いて銃に手が伸びたが、その声の主を見ると────突然酷く息を切らした。
「……おい、どうした」
安心したのか、それともただ限界がきたのかは分からないものの、絵斗は肩で息をし、鼓膜を覆うような心音に目を丸くしている。
加えて、腹の包帯を抑えて咳き込む。
「だっ、い……じょうぶです。ケホッ…………貴方は、魔女の……」
「……あ、あぁ。二代目東の魔女、スペクターだ。雨が降ってきたから、何かの凶兆かと思って外に出てきたんだが…………なぁ、本当に大丈夫か? 取り敢えず、中に入ってくれよ」
「僕は…………日陰、絵斗……ゴーストライターの一人です。貴方達の力になれればと、遅ればせながら」
絵斗は痙攣する身体にむけてカメラを構え、写真を取るとツマミを回した。すると、先程までのぎこちない筋肉の動きが緩まり、彼はすぐさま立ち上がる。
「ゴーストライター…………? 時間を戻せるのか……カストールさんに似た能力だな。ただ、認識し加えて意識したものしかまき戻っていない。絵斗、と言ったか」
「はい」
「かなり長い道のりを、休まずに走ってきたんだろう? 雨も降っていたし、先程の様子を見るに、身体の限界を超えても無視して来たな……?」
図星をつかれた絵斗は、唇を薄く噛んで目をそらす。スペクターは細めた鬼のように鋭い双眸を向け、軽々と彼を抱え上げた。唖然として口を塞げない絵斗をよそに、スペクターはずんずんと時の書庫へと歩いていった。
※ ※ ※
書庫に入ると、作業をしているカストールが目に入る。彼女はこちらに来たスペクターと絵斗の二人に気付くと、近寄ってきてまじまじと絵斗を見つめた。
「あー、カストールさん?」
「ゴーストライター、か。スペクター、彼を風呂に入れて、客室に寝かせてくれ。カットが後で粥を持っていこう」
歩いている内に寝息を立てている絵斗の顔を見て、スペクターは苦笑を浮かべ、カストールに頷く。
一階の奥にある風呂場へ絵斗と共に向かい、扉を閉めるとゆっくり座らせた。それから帽子と眼鏡を取り、洗面所にある棚の上に置く。
内心、起こすことに躊躇する。
「…………絵斗、さん」
恐る恐る、肩をポンポンと叩いて起こそうと試みた。案外簡単に彼の瞳は開き、虚ろなドーンピンクの双眸がスペクターを映す。ひとまず意識ははっきりしていそうな事にほっとし、彼の目を見て優しく言った。
「お風呂で体をきちんと温めてくれ。服は脱いで、洗濯機にいれてくれれば良いから。着替えは……俺が来てたやつを置いとく」
「……ありがとうございます」
「熱があるから、何か辛くなったらすぐ呼べよ」
「はい…………」
返事を聞き、スペクターは立ち上がって洗面所から廊下へと出る。
着替えをたたみ直して廊下に待機し、シャワーの音が聞こえてから戻る。それから手早く洗濯機を回した。スペクターは首を掻いて、息を深く吐き、着替えを重ねて棚上に置く。
踵を返し、客室の様子を見に扉を開いた。先には、ポルックスがベッドメイキングをしているのが見える。そのそばで、イデーが目を細めていた。スペクターを一瞥、特に声を掛ける事なく近くの椅子に座った。
「イディ、調子悪いか?」
「……平気。スペットこそ、傷が塞がりきってないのに動くのは危ないと思う。痛いのを隠すのが上手くても、僕には隠せないからね」
「………………そう、か」
弱々しい返答に、イデーは息をつまらせる。
「心配すんな。俺も平気だ、無理しなきゃならない程、今の状況が悪い訳じゃないだろ? 俺は、最低限の動きをしてる。襲撃だのなんだのされない限り、俺は激痛に堪えかねるからな」
フラグのようにも聞こえるが、周囲に濃いマナの動きを感じられないため、安堵しての言葉だ。イデーもそれはわかっているから、特に言葉を紡ぐことも無くただ頷く。
外を見た。窓から見えるのは、雨の降る街。
スペクターは静かに、口を一文字に結んで────脳裏に過ぎった、ミラジェイの化物じみた姿に身震いする。
あれは、勝てる奴なのだろうか。
恐怖の原因は、自分の死では無い。人間の死でも、世界の崩壊でも無い。ただ極端に、イデーの身を案じていた。
「スペクターさん」
「おっ、上がってたか。熱はどうだ…………」
絵斗の額に手の甲を添え、スペクターが眉間に皺を寄せる。
「あっつ」
「大丈夫ですよ。活動には支障ありません。それよりも、聞いてもらいたいことがあって…………」
目の虚ろさは見えないが、絵斗の熱はまだ残っている。スペクターは無理にでも休んで欲しいと思いながらも、後ろから来るシャロームの気配にそれをとどめた。
「……絵斗さん?」
「シャロームさん、お久しぶりです」
「どうして、絵斗さんがここに」
「えっと、二人は知り合いなのか? ……ライターと先に会ってたなんてな」
胸中に違和感ができ、しこりのようなそれから、スペクターはまた自分の首を掻くことで目をそらそうとする。その様子を見て、イデーが勢い良く彼の首から下がる鎖に手をかけ、引っ張った。
嗚咽とともにスペクターが尻もちをつく。
「おぇっ、ぶ…………あっぶねぇ!」
「ボクは会ったことはありません。死にかけていた間に、アルブスと姉さんは会っていたようですが……」
「話は聞かれていたんですね。なら、早いです」
絵斗は優しく、手をシャロームに差し伸べる。
「アリスさんと信号の出し合いを可能にするよう、彼女と一緒に話し合い決まりましたので…………繋がりをもたせるため、参りました」
「塔の星扉からここまで、走って来たんですか?」
「いえ、燃えずの塔────茨の花園にある城の方から。渚という、友と一緒に」
「……わかりました」
差し伸べられたその手に、シャロームは手を重ねる。すると、二人を光の結晶が包み込み、それはすぐに収まった。
「ありがとう、ございます」
「いえ、僕にはこれ位しか。あぁ、そういえば、ミラジェイは燃えずの塔に居ました……最後の戦闘の場は、そこになるでしょう」
「……? そういや、その渚って人はどこに居るの」
横で聞いていたポルックスが聞く。
絵斗は苦笑して、心底申し訳無さそうに眉をたれ下げる。その表情から、全員が次の句を同じように予想し、血の気が引いた顔をした。
「────ミラジェイを消耗させるため、未だ乱戦を繰り広げています」




