第三十七話 主従、王家たるは
皆が血清を作成している間、エンチーシスは一人夜風に当たろうと街中に並ぶ屋根の上に寝転がり、夕日に染まる空を眺めていた。
人間が厄災に抱く恐怖心を、それによる自身への仕打ちを、彼は良く覚えている。王として城を統治する父親は、実の息子を地下室の牢へ閉じ込めた。厄災に似た雰囲気と血を持つ少女と一緒の牢だ。
少女は、自身には名が無いと言った。それはエンチーシスも同じだった。彼には執事が一人居て、いつだか魔女に────ペロネーに助けられたとき、ペロネーからは名を、エンチーシスからはその執事を、少女に託した。
不意に過去を思い出せば、必ず寂しさが訪れる。エンチーシスは鼻を鳴らすと、大きく息を吸い、吐いた。
「…………僕は、正しい判断をしたんだ」
独り言を呟く。誰に聞かせるでもなく、自分自身に溶け込んでゆくのを感じるだけ。
「あの子は、僕よりも年上だったのだと……後から気付いた。ペロネーさんが、教えてくれたから…………分かった」
今頃、二十歳かその前後くらいの歳になっているだろう。エンチーシスは少女が女性になり、その────その、“無彩なモノクロの姿”を思い浮かべて、微笑む。
恋に落ちた、という訳ではない。感覚的には、恋の相手よりも単なる幼馴染のようなものに近かった。
「……レグルス」
「────はい、坊っちゃん。長らく見ない間に、随分と大きくなられましたね」
音も無く、花弁の塊がはらりとエンチーシスの目の前を横切り、屋根の上で円を描く。それは人のような輪郭を作ると、柔らかく優しげな男性の声を発した。
「────」
「ご壮健のようで、何よりです。しかし、現在坊っちゃん達を取り囲む問題は、かなりの難題と見える。ぜひ、私にご指示を、坊っちゃん」
「────レグルス?」
「はい」
伸ばされたエンチーシスの指先が花に触れると、波紋が広がるようにして花弁が翻り、一気に色が分かれ、人型に変化する。執事服を着た男性──レグルスは、金色の花の形をした不思議な瞳孔を、主である彼に向け、ひざまずく。
微笑んだその顔の懐かしさに、レグルスの顔を見え隠れさせる青色の髪を眺めて、エンチーシスはほうと息を吐いた。震えた息だった。目頭が熱くなり、彼は耐えきれぬほど涙を浮かべて、唯一隣に居てくれた男に微笑を返す。
「…………フロッサさんが、君に僕の元へ行くよう……命じたんだね」
純粋な質問が、レグルスの瞳孔を細めさせる。
ひざまずいたまま、頭を深く下げた。
その仕草が、主に対して深い罪悪感と反省の意を述べる癖であると、エンチーシスは知っている。
「申し訳ありません。ただ……彼女は最期まで、立派でした」
「レグルス、謝ることはないよ。ミラジェイの強さは異次元だった……十三騎士の力もあるけど…………」
「……その点に関して、解決策を打たなければなりませんね」
「うん。でも、今血清を作っているんだ。聖獣の血清だよ。……有効打になると思う」
レグルスは頭を上げる。エンチーシスが顎に肩に手を添えたからだ。目を合わせ合い、エンチーシスは強く彼を抱きしめる。
「ひとまず────生きて戻ってきてくれて、ありがとう。レグルス」
「────はい!」
※ ※ ※ ※
「──よし、出来た」
「小瓶小瓶……あったわ。これ使って」
血清作成は終わり、丁度瓶に入れている所だった。エンチーシスは後ろで姿勢良く立つレグルスを見つめ、それから客室に道具を渡しているエリザ達に会釈する。
「エンティ、その人誰だ? 見たことないが…………」
「あ、あとで紹介します。皆さんが揃ってからでも良いですよね」
「……おう」
スペクターは頷き、エンチーシスとレグルスを隣に座るよう促す。レグルスは座ろうとはしなかったが、スペクターは彼を勢い良く引っ張った。
驚いたが表情のレグルスを見て、スペクターが笑う。それにつられて、エンチーシスも吹き出し────と、客室の扉が開く。出てきたのはホーリーだ。その後に続いて、シャロームとアルブスも出てくる。
アルブスは採血をしたであろう腕の辺りを抑えて眉をハの字に垂れ下げており、それをシャロームが横からなだめているようにも見える。
「大体三十分前後かな。どうだい?」
「カストールはどう見える? ウチの知識じゃ、何とも言えんわ」
渡された血清入りの小瓶を眺めて、カストールは唸った。そして微笑む。
「…………これは、良さそうだ」
「試す事もできんから、本番一発、って感じやね。まぁ、本人で試すと抗体作らないか不安やけど…………ホンマに、ウチは血清関連の知識無いんよ。もしものときは……勘弁したってや」
「先代魔女の全員を殺したとも言えるやつの得体なんて、知らないし知りたくもないけれどね! ……でも、プランは二つ三つ、作ったほうが良いわ」
「そこんところから話し合いは始めよう。その前にだ、エンティの元に帰ってきた、使用人さんの説明をさせてはくれないか?」
スペクターが挙手し、堂々とレグルスに自己紹介するように手を向ける。指差ささず、手のひらを上にして、その方向を彼に向ける形だ。
レグルスは立ち上がり、エンチーシスの方を一瞥する。それから、咳払いをして深く頭を下げた。
「私はレグルス、坊っちゃんに仕える執事に御座います。今まではフロッサ・クランツ殿の元、雪山の丘にある教会にて彼女に同行していましたが、彼女から命を授かり、坊っちゃんの元に戻ってきた次第です」
「フロッサさんの事は……」
「私が離れる前には既に、助かる状態ではありませんでした。死期を悟り、私に坊っちゃんの元へ行くよう命じられました……ですから、あまり気負わないで下さい」
問題を、責任を取るべき者を、見間違えてはならない。すべての元凶は、あの小さな身体に黒々とした殺人衝動を入れ、それを隠すことも無いミラジェイだ。それを分かっているからこそ、言葉を紡いだシャロームもレグルスも、周囲の全員が、何を発するでもなく下を向く。
シャロームは、ギリギリと拳を握りしめた。表情こそ穏やかで変わらないが、内心、脳裏に過ぎったあの光景を思い出して、腸が煮えくりかえりそうになっていた。
──姉を殺すだけでなく、雪山に居る関係のない人までをも惨殺する。加えて、自身に手を差し伸べたドローレと魔女達の命を奪っている。そして、今、自分達に刃を向け、また何処かで舌なめずりをして人の血肉を、断末魔を、望んでいるのだと思うと────、
「──シャル」
「…………ぁ。ごめん……ボクは、平気だよ。アルブス」
心配そうにこちらを見るアルブスに、シャロームは柔く微笑んだ。少し、拳の力が弱まる。
血清を作り終えると、オーシェはまたアルブスの内へ人格を隠した。アルブスはある程度記憶を共有できているようで、オーシェによれば、その記憶の量と範囲はオーシェが操れるらしい。一方的に選択権のある状況に、アルブスが文句を垂れることは無い。
シャロームはゆっくりと深呼吸をして、レグルスに向き直った。
「レグルスさん。ミラジェイと相対し、フロッサさんと共に戦った貴方ならば、彼女の強さと、異様さに気付いたでしょう。これからボク達は、ミラジェイとの戦いに備え、計画を立てます」
「……はい」
「化け物と呼ぶに相応しい、ラスボスって訳だな。俺達は魔女……魔女のことは魔女の俺達が解決すべき問題だ。内輪の話で終わっているなら、それは俺達だけで取り組むものだ。…………だが」
「ミラジェイは、魔女だけでなく、罪の無い人間までもに手を出しました。到底、許されるはずは無い」
「僕達では、元々強い力を持つ十三騎士のミラジェイと、全員で戦っても五分五分になるか分からない。ミラジェイの力の具体的なものは、僕達はまだ理解できていないから。…………」
イデーとスペクターが、合間に言葉を投げかける。レグルスは真剣な面持ちでそれを聞き、覚悟を決めたように跪いた。
「私は元より、坊っちゃんの為命をかける想いでここに参りました。どうか────」
顔を下げる──地につくほどに。
「少しでも力添えに、ならせて下さいませ」




