第三十一話 愛しい貴方と踊る
ドサリと倒れ込んだ、紺色の髪に寝顔を隠す少女に、アルブスは髪を払ってやった。それから魔物除けの香水瓶を蓋を開けて近くに置いておく。
前を見据える。アルブスの息は少し荒くなっていた。
それもその筈だ。嘘を吐いたのは今この時が初めてであったのだから。
「……エリザ」
苦しそうなあの声が頭から離れないのだ。
アルブスはエリザの周りに簡単な結界を張ると、武器になり得るものを全て外の草むらに隠す。
彼女が言っていた断片的なヒントから考えられること。
魔女は許容できない程の感情に飲まれれば、魔物────いや、それよりも酷い有様になる。自我は残るだろうか、いや残らないだろう。恐らくは。……強い絆でもあれば、奇跡を起こすのも可能か?
スペクター達の方は上手くやれているのか、それに視点を戻し、アルブスはゆっくりと木々の合間を歩いて開けている戦場へ向かう。
────スペクターが地に伏してミラジェイに槍で腹を抉られている。
全く動く様子の無い彼女の姿に、アルブスは小首を傾げる。スペクターは全身ボロボロなのに至って普通であったから、彼女は予想以上にタフなのだとアルブスは考えていた。いや、腹を貫かれてもピンピンしているのなら、鬼なのかすら怪しく思えてくるというものだろう。
助太刀に入ろうかとも思ったが、足は止まったままだ。アルブスは耳を立て、遠くから走って来る音を聞く。エンチーシスとわかり、彼はそのまま身を低くして、弓を構えた状態で彼女等の戦況の様子を一度見守ることにした。
※ ※ ※ ※ ※
中々でるタイミングを図れないまま、秒針は確実に動き続けている。スペクターが槍に付いた血を払い、腹部から飛び出し地面に染み込んでいこうとする自身の血液を見下ろした。
エンチーシスとアイコンタクトを取りつつ、周囲を確認し、ミラジェイに得物の切っ先を向ける二人。ミラジェイはスペクターに切り落とされた腕をボーッと見つめる。それから二人を見て、自分の頬にある逆三角形のペイントに触れた。
「……そうか、お主らは師とも言える者を失う心持を、二度も感じた訳か」
顎下で頸動脈に触れそうになっている針を、いとも容易く手で握りしめ砕く。ミラジェイは立ち上がり、転がった腕を取って付け、すぐに結合させた。
「………………っ」
「じゃが、舐めてもらっては困るという台詞は、わっちゃの台詞じゃ…………見た目だけでは人を判断できないじゃろう?」
「エンティ」
「はいっ」
短く舌打ちをして、スペクターはミラジェイを睨みつける。これでは意味が無い。
ふらつく足取り。心配そうな表情の園地ーシスが、口を噤んだまま前を向く。スペクターは下を見つめ、それからミラジェイをまた見て、槍を構えようとし────。
「どうも、俺にゃ死の淵がお似合いらしい」
地面に吸われていく血液を一瞥、スペクターが掌を上にして、何かを押し上げるようにそのまま上へと動かす。瞬間、地に染み込んでいた彼女の血液が巻き戻されて、彼女の周りで滝のように上へとのぼっていった。
ミラジェイも得物を構え、不気味に笑う。
が、ミラジェイの体は血液の素早い流れに飲み込まれて、崖として佇む水壁にぶつかる。
「スペクターさん、今のは……」
「東の魔女──イーリスの名を分けられた魔女だ、液体は操れて当然だぜ?」
はぁ、と彼女は息を吐き、突然前に項垂れる。槍を握りしめ、エンチーシスを見上げて微笑を浮かべた。
「死にそうになったら逃げろよ」
「スペクターさ────」
エンチーシスの動きが止まる。いや、アルブスもだ。カキン、という金属音が微かに鼓膜を揺らしたのだ。
アルブスは足に力を入れ、深呼吸を挟んで魔法の爪を構える。そして、一気に力を弾けさせて駆け出し、伸ばした手でエンチーシスとスペクター、二人に真っ直ぐ飛んできた金属の何かを爪で弾いた。
弾いてから、それが鎌についているような刃だけを大きくして取り外したような見た目のものと気づく。
「アルブスさん!?」
「二人とも! 何か変だよ、気を付けて!」
言ったが遅く、スペクターのすぐ後ろに飛んでいった刃が動き、元の場所に戻ろうとして刃先を彼女の首元に向かっていく。
そしてすぱん、と首と胴体が容易く離れ、落ちた。
「…………」
驚いて姿勢を低くしたエンチーシスのすぐ上を通り、向こうで血液の赤い──そこから這い出てくる何かと合体する。金属音が立て続けに聞こえて、それはこちらに近付いて来ているようだった。
そしてそれを肉眼で認識すると共に、背筋が寒くなり、全身に鳥肌が立つ。
生物という区分に入れていいものか、と思う程、暴力的で残忍な容貌になったミラジェイが、そこに居た。
エンチーシスが叫ぶ。そして駆け出す。伸ばしたアルブスの手が彼を捉えることは無く、化物としか形容しようのないミラジェイに向かっていくのを呆然と見つめる。見つめてしまう。
ミラジェイは、金属の刃を幾本も重ね合わせられた、全体的に見れば鬼灯や蜘蛛に似たものをかたどっているようだ。鬼灯の実に当たるであろう部分には剣が刺さっていて、そこにアルブスは彼女の本質を見抜いた。
剣こそが彼女の本体、本来の形。十三剣士、十三騎士と呼ばれる彼女達の。
「────っ、エンティ!」
エンチーシスの投げた剣が、ミラジェイの足にのけられ、そのまま真っ二つになって地面に突き刺さる。
アルブスは走り、慌てて彼の胴を抱えてそのまま後退する。またミラジェイが足の一本をこちらに投げてくるので、アルブスはエンチーシスをスペクターの側に投げ、防御結界を展開した。
刃と結界の激しくぶつかる音と共に、ふっ飛ばされる。
「うっ」
「わっ、────んぐ」
スペクターの首が目の前に転がっているのを直視して、アルブスは死をすぐそこに感じた。エンチーシスの肩を叩きつつ、自分達の周りに結界を張る。
「エンティ!」
「…………スペクターさんが死んじゃったら、僕達どどど、どうしたら良いんですかぁぁぁ!」
「まだ死んでないよ! スペクターはまだ絶望してなかった、諦めて無かったから!」
スペクターの首を抱えさせる。そして、首の切断部が残る胴体を寄せて、エンチーシスに促した。
「時間稼ぎはするから、首と胴体を接させたまま、固定してて」
「でもそうしたら、アルブスさんがっ……」
「大丈夫だよ。聖獣がこんなときにみんなを守れなくて、どうするのさ」
「…………」
アルブスの髪が淡く光る。爪の光が凝縮されて、より強く発光する得物と化した。




