第三十話 死を恐るること勿れ
お姉ちゃんとしての俺は、何事も不出来な出来損ないだった。可愛い妹を持ち、一人で俺達を育ててくれた母とも仲が良く、家庭環境は村の中でもいい方だったと記憶している。
茨の花園に築かれた俺達の村には、少数の鬼の人型が住んでいた。俺はいつも子供らにいじめられて、よく泣きながら帰ってきては妹に心配されていた。
あんなことが起きるだなんて、思わずに。
「母さ、…………?」
「────本当、あの子達はどうして気付かないのかしら? あんまり似ていないでしょう?」
その日は寝付けずに居て、下に降りたら居間の電気が付いていたから、母が起きているのだと気付いた。誰かと話しているようだったから、ついその会話を盗み着いてしまったんだ。
「イデーも可哀想ね。“本当の”兄弟に気付かず、義姉と一緒に居るなんて。腹違いとはいえ、スペクターも気付いてないんだから」
「…………」
たしかに、俺達は似ていなかった。髪や目の色は同じだったのに、顔のパーツや身体の特徴も似ていない。髪質も違うし、声だって。
その時まで俺は、あまり深く考えたこともなかった。
イデーの本当のお兄さんのことは、俺の知っている人だった。
よく家に来ては、母と楽しそうに話しているのを見ていたのを、覚えている。でも、毎夜毎夜その人が帰ったあとに、決まって母は俺に愚痴を言ってくる。
だから、母の次の言葉には少し納得したような気がする。
「でも、知らないほうが幸せなこともあるわよね」
イデーとは仲良しのその男性が、本当の兄であると知ったら…………俺は、イデーが喜ぶ顔しか想像できなかった。
それで、俺は言ったんだ。アイツが俺達の兄なんだって。
そこから、歯車が狂い始めたんだ。
※ ※ ※ ※ ※
「────模倣?」
地に伏したスペクターの顔を、ミラジェイは見下しながら蹴る。その弾みで彼女の体はボールのように転がりながらミラジェイと距離を空け、擦り傷をそこかしこに作る。
次いでスペクターの落とした槍を掴むと、雑に構えて彼女の腹に突き刺す。
「────がっ!? い゛……っ!」
「痛いか? ……おや、吐きそうなのか?」
────叫んでも仕方がない。これくらい、どうってことはないはずだ。
そう思いながら、スペクターは奥歯を噛みしめる。耐える姿に、ミラジェイはますますそそられたようで、槍を抜いてはまた腹に差し込んでを繰り返した。
幸いにも、ミラジェイはあまり最初に刺した場所から攻撃する箇所を動かさない。
屈辱的で暴力的な、純粋に人を絶望させ痛みに悶させる鬼畜の所業。死を間近に感じさせる、人間とは思えぬ悪意に満ちた音。
痛みだけが、スペクターを完成させる。
────だがそれは、相手がイデーの時だけに限るのだった。
「…………」
「鬼の人型じゃ、これ位では死なんのじゃろ? もっと泣き喚け、己が封じた乙女心を取り戻せ」
「………………」
「もう良い。見飽きたわ、いつまで伏せておるつもりなのじゃ。…………頭をかち割ってやろう」
引き抜かれた槍から垂れるスペクターの血が、地面に落ちる。スペクターは少しも動かず、ただ地を見つめている。
ミラジェイは槍を振り上げ、彼女の頭に向かって勢い良く下ろし────、
────ガラガラガラガラ。
「ふぅ、やっぱ来るよなぁ…………ま、助かったぜ」
と、スペクターの首輪に繋がる鎖が音を立てて揺れ動き、地中から伸びてきた針のようなものに引っ張られて、足が地から離れた。
「ケホッ」
瞬時に針を掴み、軽やかに逆立ちして針に引っかかった鎖を外す。すぐに針を壊し崩させるも、ミラジェイの周囲を沢山の針が囲んだ。
スペクターが振り返ると、そこには息を切らして走って来るエンチーシスが居る。
エンチーシスは剣を構え、王冠を抑えながら飛び、スペクターに手を伸ばす。彼女も彼に伸ばし、お互いに手を取り合うと、静かに目を合わせて────美しい曲線を描き、スペクターがくるりと回る。
そのまま足首をくねらせて押し出すようにエンチーシスとスペクターの繋がれた腕が線上になり、彼女が引き寄せた槍を彼が取る。
「────飛べ!」
掛け声にあわせてエンチーシスが槍を地面に突き刺し、その弾みで浮いた体に水泡を舞わせて空中へ投げる。代わりに彼の落とした剣を見ずに、スペクターは片手を伸ばして落ちていくそれを握ろうとする。
空いた片手が無意識に腹の血が滲むそこへ伸びているのを見て、ミラジェイが駆ける。剣を取るのが先か、ミラジェイのハンマーが腹を殴るが先か。
スペクターは目を瞑り、口を微かに震わせる。
「一、二、三、四──────」
エンチーシスは水泡に上手く靴裏を滑らせ、槍を構えた。
「五、六、七、────ここだ」
ミラジェイの顔がすぐそこまで迫っている。瞬間、スペクターの掌にきれいに、剣の柄がおさまった。
すぐさまそれは握りしめられ、銀色の刃はミラジェイの首元へ伸びるが────、
「────ぅ」
「な」
両者とも、驚愕以外の何も意味せぬ音だけを漏らす。
スペクターの腹部の傷口から、鮮血の飛沫が大量にミラジェイの顔面と体に飛んできたのだ。苛立った様子で、血に足を取られ体制を崩しそうになるミラジェイ。
が、スペクターの表情は「くるっている」そう言われても仕様の無いものだった。
「ふはっ……驚いたか、ミラジェイ?」
剣でミラジェイの片腕を容赦なく、目にも止まらぬ速さで切り落とす。すぐに蹴り飛ばし、今度はミラジェイが地面に転がっていく。
剣を上へ掲げると、エンチーシスがその刃先に槍先を合わせ、ミラジェイの顎下に針が迫る。エンチーシスが着地するのに合わせて得物を取り替え自身の身に馴染むそれにすると、すぐに構える。
スペクターのむき出しになっているギザ歯を見つめ、エンチーシスは少し心配そうな表情を見せたが、彼女はその視線に厳しく「前を見ろ」と言うだけ。
「……針の魔女の元に居た俺達を舐めて貰っちゃ、困るんだよなァ」
と、静かな憎しみを込めた冷たい琥珀色の双眸が、ミラジェイを見下ろす。
「イディが来る前に終わらせてやる」




