第二十一話 小さな王子
茨の花園、と聞いて、イデーは表情を曇らせた。その理由は至極当然で、イデーと姉の仲が極端に変化した原因となった、故郷であるからだった。
そこに姉が居るとなれば、イデーとしては気は進まないだろう。事前に情報を得ていたシャロームは胸中でそう考えていた。故に、イデーの治療も兼ねてホーリーとイデーとは別れ、自分たちが代わりに探しに行こうとまで計画していた。しかし彼女は、
「君たちに任せっきりで、すでに失った腕を労れと? ハッ、ごめんだね」
少し不機嫌な態度を装い、強気についてきた。というより、先頭に立って歩いている。
「茨の木にはあまり触れないほうが良いよ。特に先端部分は、偶に毒があるからさ」
「まぁ、触ったと思うたらすぐ言うてな。解毒の魔法は覚えとるよ。放っとくのだけは堪忍な」
ホーリーは杖を握ったまま、茨の木が立ち並ぶ森の入り口で振り返る。シャローム達は揃って頷き、皆で入っていく。
森、というよりも地域の名称から花畑と呼ぶのが正解かもしれないが、木に見えるそれが囲っているのだから森だ。
話の腰を折ったが、イデーの警告を受け、皆それぞれ袖や得物で茨を避けながら進んでいる。途中で低い崖を幾度か登り、坂を歩いていくと────茨の木が途切れた。
そこに広がったのは、予想外の景色だった。
「……は」
「人って命知らずやね……」
城と城下町。イデーの言っていた村など無く、そこには白い壁に赤の屋根で殆どが統一された城と、その下に広がる町がある。
イデーはふざけんじゃねえ、とでも言いたそうに口を歪めるが、その顔には血が通っていないように見える。後退りして、膝から崩れ落ちた。
彼女が抱いている心情が、故郷を踏み潰し新たな土地としたことへの怒りなのか、人間達の“命知らず”の度が過ぎていての唖然なのか、分からない。しかしイデーは口元を抑えて、乾いた嗚咽の声を漏らした。
「イデー、大丈夫?」
「…………う、平気。まさかこんな所に新しく城移すとか、予想外すぎて……。最近城関係の人間が静かすぎると思ったら……こういうことか」
「スペクターちゃんは、これを知って故郷の仇討ちにでも行ったんかいな?」
ホーリーは首をかしげたが、イデーはそれを否定する。
「スペットはそういう感情で動く鬼じゃない。……多分、何かしら重要なモノを見つけたんだ」
「────そう、それでこそ俺の妹だ。完全一致だぜ、一言一句が」
全員が瞠目する。突然空気を揺らした男勝りな口調の声に振り返った。
そこに居た──いや、茨の木々から頭を掻きながら出てきたのは、黒白の横縞シャツで上下を固め、首に金属の輪を、片足に足枷を着けている中性的な人物だった。
イデーと似たような角が生えていることから、そして先程の言葉から眼前の人物が姉のスペクターであることは一目瞭然であるが、その真新しい、斬新な風貌に一同は絶句している。ただ一人、イデーは目を細めて嫌味をこぼした。
「僕たちの故郷でも取り戻すついでに、僕から姉妹の関係値を取り戻そうって? ……百年早いよ、お兄ちゃん」
「お兄ちゃん!? つまり、ちゃんとスペクターちゃんなんやな……?」
ホーリーがさらに目を点にしながら問う。
スペクターはうんうん、と首を縦に振りながら、葡萄染色の寝癖そのままのような、ボサボサな髪を掻き上げる。後ろの高く結ばれた髪も動く首と一緒に跳ねた。
「集会の時はきちんとした外用の服を着てたんだが……まぁ、あれだ。私服というか寝間着も兼ねてるというか、ね。それにしても久しぶりだね、三人とも……アセリアさんも」
「……えぇ。お久しぶり」
スペクターは癖なのか自分の鼻の上に貼っている絆創膏を上から掻く。見れば、彼女はそこかしこに怪我やら痣やらが見受けられた。そのことについて言及するのも現状にそぐわないと判断し、皆彼女に事情を説明するよう促す。
暫く情報の優先度を整理しているのか、スペクターは顎に手を添えて考え込んでいたが、イデーに首から垂れる鎖を引っ張られて目を見開き、咳き込む。
「けほっ、ごほっごほ…………く、ううっん」
咳払いをしてそれを止め、急な痛みに瞑っていた片目を開ける。鋭い琥珀色の瞳が涙で膜を張り、耳が少し赤くなった。
「急に止めてくれよ、イディ」
「……えぇと、二人もポルックスちゃんとカストールちゃんみたいに、愛称で呼ぶようにしとるんよ」
イデーがスペクターの優しい注意に苛立ち、鎖を乱暴に振り回している間に、ホーリーが申し訳なさそうに手を合わせながら言う。
何となく、スペクターの怪我がイデーのつけたものではないか、という予想が浮かんできたことは置いておいて、アルブスが頷いた。
「うん。……喧嘩するほど仲が良い、ってやつ……だよね?」
「多分そう、かな」
シャロームが詰まりながら肯定する。
「か、ゲホッゲホッ────ゔぇ、っ……危な」
「……大丈夫かいな、スペクターちゃん」
「気にしなくて結構。いつものこ……いや、慣れてるんで!」
「それ、誤魔化せてないよ」
苦笑しながらホーリーはスペクターの背を擦った。イデーは後退し、いつまでも時間を浪費していられない、と鎖から手を離す。
「さて、俺がここに来た理由んっんん! あれまだ唾が喉に引っかかって……」
スペクターはまた頭を掻き、咳払いをいくつか挟む。
「理由ですが。……実はエンチーシスに頼まれたんだ」
「エンティちゃんに?」
彼女は頷く。おそらくエンティはその人物の愛称だろうが、もう皆分かりきっていたので誰も聞かない。
「そう。何なら本人に説明してもらったほうが良いよな」
スペクターは振り返り、先程自分が出てきた森の付近を見つめる。そして、手を大きく振ったかと思うと、息を大きく吸い込んで口笛を高らかに鳴らした。
暫くして、カシャン、カシャンと鎧が震える音が聞こえてくる。
「エンティ!」
「……エンティちゃんも知らない服装で出てくんかいな」
騎士の格好で出てきたのは、意外にも小柄な人物だ。鎧は頭にも纏っているので顔は見えず素性もわからない。そも、本当にエンティ──エンチーシスなのかも。
しかし友好的な、少しトーンの高い声音で、スペクターがその鎧姿の人物の肩を叩く。
「…………ぁ、えと……皆さんお久しぶりでふ……あ、失礼噛みましちゃ。…………はぁ、えぇっと、引かないでくれるとうれ、うで、嬉しいでしゅけど……」
案外中性的な声で、慌てた様子が伺える仕草をしながら、それは喋る。しかし、ニンマリとしていたスペクターの瞳が開かれ、細められる。その顔は何とも形容し難いが、空っぽな圧を感じた。
エンチーシスは溜息を吐き、頭の鎧に手をかける。そのまま被っていたそれを取ると、またもや意外な顔が出てくる。
「……えーと、改めて。僕はエンチーシス、針の魔女の二代目でづっ」
透き通る程に綺麗な金髪。短く切りそろえられたそれは肩に当たるか当たらないかギリギリ。それから、横のスペクターがどこからか取り出した小さな王冠を乗せられると、どことなく王子にも見える。
碧眼は自責を込めた塩気のある雫を落とし、火照った顔、その熱に耐えかねてエンチーシスはきゅっと口を結び、目をつぶった。
「えぇと、スペクターさんにペロネーさんの捜索をお願いしまして。それでイデーさんが来ると感知したスペクターさんから、迎えに行こうと言われましたので、騎士に扮して潜伏していたんですが……まあ、急いで来ました」
小さく、「よし、噛まなかったでしゅ」とこぼすが、スペクターと彼以外の周囲は言葉を失っていた。
「……待って、欲しいんやけど」
「はい?」
当たり前のように出された“ペロネー”という言葉に、ホーリーもイデーも、表情を歪める。嘘だ、冗談だと、信じられない状況下にあると言われた彼女等より、その後ろで自分のスカートを軽く叩いていたアセリアの顔が、一気に青くなった。
ひゅっ、と喉がなり、アセリアは唖然としたまま、おぼつかない足取りでエンチーシスに近寄る。
「冗談、でしょ……ポルックス達だけじゃなくて、ペロネーまで……」
その様子を、瞠目した一同と、何かを感じ取ったエンチーシス、そして辛そうに目を細めるシャロームが見つめていた。
鎧の音、草を分ける音と共に、アセリアは崩れ落ちた。
※ ※ ※ ※ ※
【図鑑】
スペクター・イーリス
鬼の出来損ないと呼ばれていた。イデーとは“姉妹”を装っているが、その真偽は不明。いつか明確になる日が来るかもしれないし、貴方が知るときも来るかもしれない。
怪我だらけなのは、イデーのせいなのか?
エンチーシス
城に君臨していた王家を名乗る血筋と同じ身体的特徴を持つ。地の文で予測できるように、“彼”は男性である。ペロネーを恩人として慕っており、その理由は地下牢に入れられていた所を助けられたから。
スペクター、イデーとはかなり仲が良い方。呂律が回らないときがほとんど。




