小話①
シャローム・アタナシア、彼の名の由来は大昔にアタナシア家──いや、“奇跡を力とする者達”と接触した“シャーロック・ホームズ”の神化者を名乗る人物からきたらしい。
姉であるアセリアは、魔女になる過程で奇跡の力を失った。両親も身寄りも居らず、家で店を営んでいくしか生計を建てられないと、そう考えた姉との生活は決して楽なものではなかった。が、奇跡を扱える者が自分一人になっても、彼はその力を世界のために振るうことはない。
彼を構成するものの中心にいつもいたのは、アセリア・アタナシアだからだ。
彼女が居るから、奇跡の力も、その本質も、彼はひた隠しにしている。姉にすら、隠している秘技がある。
それを前に出せば、姉でも魔女を統括する塔の魔女でさえ、力で及ばないと白旗を揚げるだろう。それほどまでに、彼は世界へ貢献できる男だ。しかし、彼は姉を蓋代わりにしている。彼は姉を失わない限り、姉が窮地に晒されぬ限り、本来の全力など微塵も出す気は無い。
しかし、彼にも心境の変化は訪れる。
突然の来訪者、久しぶりに旅へ出てからというもの中々帰ってこなかった姉が連れ帰ってきたのが、見知らぬ少年。
後に聖獣の人型と知るが、その際に彼が覚えた驚愕は今までに感じたことの無い感触だった。
アルブスは、純粋な心を持ち、貫ける自分があり、自分にない独立した何かを持っていることに気付いた。彼は、アルブスに惹かれていく。
アルブスも、彼にとって姉と同じ大切な存在に変わっている。
しかしどこまでも、彼の心を引っ掻く引っ掛かりがある。
アセリアの死を塗り替えたのは事実だ。しかしそれより前、自身が死んだ時────悟った、あの無力さは何だったのか。今まで奇跡を起こし、自身の傷も好きなように操れたはずなのに、“死”だけがそこに留まり続けて、迫ってくる。
ひどい恐怖を感じた。胸の底に、深く突き刺さった。死への敗北感が、胸中を支配した。
だからこそ、今自分が居ることに違和感しか無いのだ。きっと、もうその理由を知ることなんてないだろうに。
※ ※ ※ ※ ※
彼の師匠である男の肩書は、“豪運の手品師”だ。時偶に弟子のシャロームの元へとやって来て、顔を出しては手品を見合う。豪運というのは、今まで一度も傷を負ったことも、病気にかかったことも無いから、らしい。加えて、彼の遭遇してきた状況が、酷く惨たらしい被害を受けるはずのものばかりであったのに、だ。
そして、この世界のことを“虚実の世”と呼び、自身の故郷とは別の世界であると語ったことがある。どうやら、故郷は童話のような可愛らしい風を装った、冷酷で理不尽な世界らしい。
彼はシャロームをシャーロックと愛称として呼んでいる。シャロームからすれば、それはあまり聞き心地の良いものでは無かっただろうが。
愛称といえば、シャロームはアセリアからシャルと呼ばれている。これは、シャロームの気持ちを和らげ落ち着きを取り戻させる、いわばおまじないみたいなものだ。そういう感覚で、シャロームはその愛称を認識している。
だから、彼は決まった人物にそう呼ばれる事を願っている。密かに、アルブスにも気を許している。
服装について語ることと言えば、シャロームの被っている帽子は、彼の“余裕”や“繕い”を表している。本来、シャロームはあまり何かを頭に乗せることが苦手なのだ。
母親が最期に頭を撫でてくれたあの感覚が、戻ってくるようで。
もしかしたら、戒めも込められているのかもしれない。
そして左足の義足は、彼が姉の■■■に■■た怪我が原因である。姉や周りは姉へのプレゼントを渡す最中に負ってしまったと認識しているが、アルブスが聞いた際には答えを濁した。
奇跡は事象の変換、塗り替え、変化。干渉できる事象には範囲が決められている。力を使った際の代償は存在しないが、“死”に対しては一度しか使用できない。変え方を間違えればそれで終わりだ。
※ ※ ※ ※ ※
「シャローム!」
揺らぐ意識の中、シャロームはアルブスの顔が息が当たるほど近い事に気が付く。
「…………ぁ、っるぶす……?」
目をこする、頭を軽く振る。──居る。たしかに、自分の近くに居る。
手を引かれた。目を見張った。シャロームはアルブスから目を話せずに走った。彼に連れて行かれるがまま。
「シャローム、いつか僕にも……シャルって呼ばせてよ」
もう、その権利はあると言うのに。
きっと、彼の暖かさが駄目なのだ。彼の深い甘い優しさを反映した柔い髪が、映すものを揺らさず、真っ直ぐに見つめる金色の瞳が。
シャロームの何かを揺さぶってくる。
「アセリアだけじゃ、なんだか羨ましくなっちゃって」
「…………アルブス」
「うん?」
破壊した。綻んだ。笑いかけた。怖くは、なかった。
長命種である自分から、すぐには分かたれない聖獣のアルブス。それがどれだけ、彼に安心を覚えさせたか。
「いつか、ね」
だから今は、精々揶揄ってやるのだ。
姉が居なくなるまで。いや、自分が自立して姉のもとをされるようになった、その時まで。
どうか、この帽子を脱ぎ捨てる日に、雨が振らないよう、祈って。




