第二十話 水と血と、竜と竜殺し
一気に空気が張り詰める。この場にいる人型の全員が、恐怖と緊張で高鳴る鼓動を耳元で聞いている。
シャロームは冷や汗を拭い、剣を握り直す。
────勝機は、普通に考えて無い。
「正面でこの気迫。僕に相当憤慨しているようで……残念ながら、その怒りと怨みの原因となったものを、自分の中に見いだせないのですが」
────正面でこれだ。たとえ不意打ちでも、この竜に攻撃が通るか。未知数な戦いだ。今まで、一度も竜と戦ったことなど無かったから。
────それでも、これがどれだけ詰んでいるバトルだとしても。
『そうか、だがそれでも構わぬ。貴様は身体で誤魔化しているようだが、どうやらそれは憑依という形で不細工にも達成しているのだな……忌まわしきことよ』
「……つまり、僕であって僕でない存在が僕の中に居ると? パターン的には有り得ない話ではありませんが、正直実感もなにもない」
意外にも、話はしてくれるらしい。こちらに向けられる殺気と異常なほどの圧はひとまず置いておいて。
剣先を向ける。深呼吸して、目の前だけに集中する。
──ここに居る誰もが、純粋な力だけで見れば自身の身を守れる。いや、アルブスにはオムニシェンティアになって貰ったほうが良いかもしれない。
しかし、判断し決断したことを実行しようとする前に、猛攻の光が眼前に迫っていた。
「──早ッ!?」
剣では捌けない。しまった、腕も足も、頭なんて尚更削がれてはならない。
──いや、落ち着け。
「……“奇跡は一様に巻かれた不完全で不確証な現象”」
こぼす。瞬間、胴が削がれるような激痛が走るが、それはすぐに小さくなる。攻撃をそらして胴に受けたが、奇跡でどれだけその裂傷がマシになったかなど、確認する暇も惜しい。
一瞬、アルブスと目が合う。見えたのは金色の光、まだアルブスのままだ。どうにか、伝えられないか──いや、違う。
イデーは自分でケリをつけろと言った。なら、その期待に応えなければ、自分の矜持がそれを許さない。
剣を両手で握りしめ、グルグルと回って飛ぶ。
竜は──全身を、水面から出して後ろにやってきた。背中で、すぐ後ろで、マナが凝縮される気配を感じる。
間に合わない。ならば──
「そこっ!」
剣を手放し、腰を捻らせて向かい合う。下へ落ちる剣に、いや、自ら得物を手放した自分に、嘲笑する竜の顔に苛立った。
だから、
『な』
「その呆けた声、覚えておきますね」
盾、にしては大きく、そして表面には花の形をしたものが付いている。盾と同じ金属でできたそれはすぐさま開き、無数の牙を向いて竜の鼻っ面を噛み砕いた。
鱗が剥がれ、血が出る。
手から盾を離し、すぐさま槍に持ち替えて着地する。弧を描くように足を滑らせ、這うようにして着地を成功させた後、槍を竜の腹目掛けて投げる。しかしこれは、届く前に身をうねらせ避けられる。
しかし、それでいい。
トン、と踵で地面を小突く。瞬間、竜の真下からトルネード状の風魔法が炸裂。竜の体中に裂傷が走っていき、呻きながら竜が倒れ込みそうになった。
『おのれ…………!』
喉仏を見る。あそこにはまだ、イデーの得物が深々と突き刺さっていた。
ニヤリとする。竜は気色の悪いものを見る顔で溜息をつき、また光を放つ。
「今度は追尾式、ね」
身を翻しても、放たれた光は光の残像のようにこちらへ付いてきて、それに指先が掠った。
ジュッ、と焼け焦げる音がして、刹那遅れて痛みが走る。
「──これでも食らえ!」
と、突然イデーが叫ぶ。投げられたのは────もう一つの得物、輪っかの刃。変形したものでなく、輪を維持したものだ。
それを目で追う余裕も無く、後ろに飛び退いた先が水面と知る頃には、輪の反射した光の先が、確かに竜の首へ向かっているのが見えた。
「なーんて、嘘だよ!」
と思えば、輪が開き、二つに別れて竜の首を挟む。内側も外側も同じように鋭いはずが、首よりも少し大きくなって、竜の動きを封じている。
何よりも、空中で浮いたまま、その位置を動かないのだ。竜が身動ぎ一つすれば、勢い良く輪の形へ戻る、という仕組みなのか、イデーはピースの手を上げている。その伸ばした二本の指を少しも内側に動かそうとしないことから、そうなのだろうと考える。考えながら────、
「……ぁ」
水中へと沈んだ。
※ ※ ※ ※ ※
シャロームが水中から戻ってくるのに、時間はかからなかった。すぐさま頭を出し、水に濡れて頬にくっつく髪を払いながら目を開く。
「……ほら、ケリつけなよ」
竜がイデーとシャロームとを、ぎろりと睨みつける。幸い元々強面のため、恐怖を煽るのには小さなものだ。
イデーがホーリーの治療を受けながら、強く言うが、シャロームは依然剣を持つ手をとどまらせている。握っている手は確かに力を込めているが、それがただの勝敗を決するためのものには見えない。
シャロームは剣を振り上げるが、それは竜に向かず、そのまま地面に突き刺さった。
『……何をしている?』
「僕の目的は、怒りを鎮め、情報をもらうことです。竜に打ち勝った事実は関係無い」
「そも、因縁の相手って感じな始まり方で、僕達は蚊帳の外過ぎたんだけど」
イデーが竜に説明を求める。
『その通り、こやつの奥底から感じる気配は、儂の仲間を尽く殺しまわる狂人のものだ』
「……竜殺し、と言っていましたね。それは後で考えるとして……今は、スペクターさんの居場所を」
「ええんか? 自分の奥底に居るその竜殺し……狂人が、表に出てくる可能性も否定できんよ。それに……」
ホーリーの心配そうな顔に、シャロームが冷たく言い放つ。その落ち着き払った態度の裏に、アルブスは自身にかけられた疑心に奥歯を噛みしめる様子を幻視した。
「──その狂人が、ポルックスさんとカストールさんを破壊した人物の候補に入る可能性がある、と」
「……」
「そうでなくとも、あまり遭遇したくはない相手なのは明らかだよ。……ただ、シャローム、君が絶対に人を見境なく殺すような人物じゃないことは分かったさ」
黙り込んでしまう、肯定も否定も出来ないホーリーの代わりに、イデーが淡々と返答する。その言葉に短く感謝を述べて、シャロームは竜に向き直った。
『スペクター……鬼の子の片割れ。あやつは今、おそらくは……茨の花園に居るだろう。都市を離れる前、あやつは儂に留守番を任せて去った。どうにも、“友の手伝い”と“恩人への恩返し”という言葉が引っかかったがな』
「……茨の花園、か」
昔は村があったらしいその場所は、魔物に塗れた刺々しい茨森、と聞いたことがある。茨の森は、名の通り茨で出来た木の連なる森だ。
シャロームは逡巡した末、頷いて踵を返す。
「…………シャロームくん」
「今は、イデーさんの方を優先させて下さい。ボクはボクで、情報を整理して記憶と照合したい」
「──分かった。イデー、歩ける?」
ホーリーが聞く前に、イデーは数歩歩み出て頷く。
歪んではいるが、イデーは千切れた腕を肩に付け、その上から治癒魔法をかけて、なんとか繋げたようだ。それでも切断面が抉れたように形を保っていないからか、肩に服の一部を破った布を巻き付けている。そして、それはうまく動きそうにも見えない。ただ幸運にも、千切られたのは左腕だけだ。
「ありがとう」
イデーは、変わらぬ顔色で、しかし柔くなった声で、感謝する。シャロームは特に何かを返すこともなく、足を動かす。
それに続いて都市を離れゆく子らに、竜はこぼす。
『……理解ができないな、人の性は。流されるまま教えたが、シャローム……あやつは恐らく』
黒く濁った瞳が、鱗に挟まれ伏せられた。




