第十八話 結託
パシン、と乾いた音が鳴る。
「……イデーちゃん、馬鹿やないの」
目をそらしたまま、赤くなった頬を擦ることもなく、イデーはそこに立っている。向かい側で怒り心頭なのを隠せていないホーリーは、シャローム達と最初に会ったあの路地先──彼女たち二人、いや“歌の魔女と目の魔女”にとっての秘密基地にてイデーを思い切り叩いた。
それは何よりも、先代という自分達にとって尊敬すべき者への冒涜と、侮辱から来ている怒りだ。それを理解しているからこそ、イデーは何も言えなかった。
「イデーちゃんの過去も、過去故に定着したその悪い癖も、よう分かっとる。けど、ポルックスへのあの言葉は、度がすぎとるよ」
イデーは、自身の首元を無意識に撫ぜる。
「ウチは、ひどいこと言うイデーちゃんより、ウチの歌を心から褒めてくれたイデーちゃんが好きやから、ヨハンから歌の魔女の称号と血と魂石を全て受け継いだんや」
辛そうに、しかし真っ直ぐに、ホーリーはイデーを見上げる。その言葉一つ一つにこもっている感情に、完全な負のものが無いことに、イデーは目を見開いた。────嘘を吐いていないと言うのか。
彼女は目の魔女だ。専門とする“心の魔法”は、潜在的に、無意識に、人の真意を見破ることに長けている。
イデーは心底、人に信じるに値しない生物と冷たい評価を付ける。
しかし、彼女はホーリーの言葉に、妙な暖かさとそれへの不快感を感じていた。
「……それと、さっきの叱責に何の関係があるの? 僕は思ったことを言っただけだ」
「あぁ……あぁ、そうかいな。だったらウチも言いたいこと言わせてもらうわ」
ホーリーが、拳を強く握りしめる。その指の爪が、掌の肉を抉っていくのではないかと思う程に。
「人の歪む顔が好きやなんて、狂っとる。それに留まらず、お姉さんに暴力振るい続けるんも、頭が可笑しいとしか形容できんよ。なのに、お姉さんに会えないから拗ねるんは、もっと理解できん」
「……スペットとの関係も、僕の性格も、この救えない感性も、全部理解してほしいだなんて思ってないさ。でも、僕の行動に意義を申し立てるのは、お門違いだ」
「なんか目的があったって言いたいんか?」
イデーは、拳を震えさせるホーリーの問に顎を引いた。それを見て、暫く逡巡し────、
「──分かった。また不器用な心配やな」
大人を揶揄う子供のように、ホーリーは破顔して腰に手を当てる。
「は」
「ポルックスに本音を言わせたかった。違うか? イデーちゃんは不器用やけど、人の心情をきちんと見てる。加えて、ヨハンが死んだ時も、ウチを励まそうとして周りの誤解を招いとった。そういう事やろ」
やさしげな問に図星をつかれたのか、もしくはホーリーの早口な推測の提示にあっけらかんとしているのか、イデーは口をポカンと開ける。
しかしすぐにハッとして、合わせそうになった琥珀色の瞳をまたそらした。
「……ちが、…………ぁ」
違う、と言おうとした口が静止する。
「…………僕は」
「はぁ。別に、ウチはイデーちゃんのハッキリした答えは要らんよ。歌と目は、先代と同じくらい通じ合いやすい関係値やしな」
「…………」
「兎に角、戻るよ。シャローム達も一度書庫を離れてまた戻ってきたみたいやし……なんなら一人増えとるからな。情報は聞き逃したくないやろ?」
数歩歩いて振り返るホーリーに、おもむろに頷いて、イデーは後ろを付いて歩く。
※ ※ ※ ※ ※
「なんや、ウチら抜きで何の話や思うたら……アセリアやないの」
突然開かれた扉、そして入ってきた見知った顔ぶれに、アセリアはもちろん、シャロームとアルブス、そしてポルックスが瞠目する。ポルックスの腕に抱かれたカストールだけは、安らかな顔を浮かべたままだったが。
「ホーリー、イデー……二人とも、元気そうで何より」
アセリアは深く息を吐いてから、二人に笑いかけた。
「…………うん、久しぶり」
「久しぶりやね、アセリア」
イデーの見せた怪訝そうな表情に少しヒヤッとするが、アセリアは笑顔を崩さずに、ポルックスへ視線を戻す。
「それで、本当に伝えたいことは分かったわ。問題は、ポルックスとカストール、二人を破壊した人物の特定ができるか否か」
「……ごめん。ポックもカットも、頭部を集中的に壊されて、記憶の欠如が見られてるんだ。あまりハッキリとしたことは……けど、赤いローブを羽織っていたのは覚えてるよ」
「それに加えて、持っていた得物は恐らくチェーンソー。…………魔女の中には、誰一人それを扱う人物は居ないはずだけれど」
と、アセリアの目にポルックスが頷く。
「なんや、扱ってる武器とウチらの関係性が見えんなら、犯人枠からは除外してええんとちゃうか?」
「確信をもって除外、とはいかないんだよ……多分。得物で判断するんなら、幾らでも逃げようがあるのさ」
気まずそうだが、ホーリーの間違いをイデーが指摘する。
ポルックスも、それに顎を引いて共感の意を示した。シャロームは、静かに顎に手を添えて考え込んでいる。
「ただ、身に慣れ親しんだ武器を選ぶ確率は高いわね」
「……ちなみに、皆武器って何使ってるんだっけ」
イデーの質問に、皆獲物を出現させる。言うより見たほうが、だろう。
イデーは小さな輪っか状の刃を二つ。ホーリーは大きな白い杖。アセリアは短い木の杖を、アルブスは弓を。ポルックスは双剣を出した。
そして、一人、シャロームだけが開いた手を固まらせている。
「…………シャル?」
迷っているような表情で頬を強張らせるシャロームに、優しくアセリアが問うた。
「あの〜……一つ言っても?」
「構わないよ」
「ボク、大体全部使えるので、これといった得物が無いんですがそれは」
「……いつも使ってるのは?」
「あ、……あぁ、すみません」
シャロームはその言葉に目を見開き、それでいいのかと妙に抜けた面を見せる。そして、頬を少し羞恥で赤らめた。
彼が取ったのは細長い剣。これで、確証は持てた。
「チェーンソーは重い、ボタン等で操作するため扱い辛さがある」
「……この中で、それに該当する特徴を持った武器はひとまず無いって事やね」
「まあ、この時点で疑いのかけられそうな場面だし……犯人────便宜上“ローブ”と呼ぶけど、ローブが居れば今仕掛けるだろうし」
それぞれ武器を霧散させながら、口々に安堵をこぼす。そして同時に、スタート地点から殆ど動いていない現状をどうにか動かそうと、他の知り合い全ての戦闘形式を模索してみる。
十分程だろうか、もしくはものの数分だったかも知れない。とにかく長く感じていた沈黙を、ホーリーが破った。
「────ミラジェイちゃん」
その名前に、アルブスを除く全員の表情が引き攣った。
「ミラジェイ?」
「二代目の塔の魔女ミラジェイ、母様……ドローレが塔で、盗み食いを働いていた所を見つけられた女の子。十三剣士の一人」
ポルックスが目を細めて言う。
周囲の空気の変化に、アルブスは小首をかしげながら不吉な予感を抱いていた。胸中に渦巻くもう一人の自分と共に感じ──いや、“アルブス・オムニシェンティア”の感じている予感。
今まで、塔に行ったことはない。無論、水中都市や茨の花園、という所にもだ。アルブスが知っているのは雪山とその村、そしてアセリアと共に住む家のある森。エリザとの苦い想い出のある城の跡地。
「ミラジェイは、ペロネーの遺体に接触した。だから、ペロネーに残っていたチェーカのマナから影響を受けて、狂乱状態で塔の中に籠城してると聞いたわ」
「……あの子の武器は、確か大きなハンマー、やな」
「変な構造をしてた。最後の塔での集会で見た時……まだ狂ってないときに見たことがあるけど」
最後の、というのはアセリアをエリザが目の敵にした時、だろう。
「なら、魔女の中で警戒すべきはミラジェイだ。下手すると、塔にこもっているのも嘘かもしれない……気を付けて行動すべきだろう」




