第十三話 黒く鈍ったその顔に
「…………スピカ」
「はい?」
星書庫、その中央で机に肘を付き細めた赤黒い瞳を優美に光らせる司書は、眼前で拳を握り締めている少年──エリオットを見上げる。
「何故、僕に干渉を許してくださらなかったんです……っ!」
いつも紳士的な風を装い、周囲に振りまく親身な態度が印象的な彼も、何か深く苛立っている様子だ。
しかしスピカはその要因を知っているのに、無知なフリをしてただ見つめている。それだけで、彼の腸をジュクジュクと煮えたぎらせているのは確かだ。エリオットは眼鏡を上げ、深呼吸をして見つめ直す。
「貴方が言いたいのは、ミーが代筆者達に虚実の世へ干渉するのを阻止したことかしら? でも、先程貴方は行っていたでしょう。そして、無事に力を明け渡すことだってできた」
「……今やっても、遅いんですよ。何度も言った筈だ! なのに貴方は、曲げれるかもしれない運命を持つ世界を、手の施しようがなくなってからしか触れないように隠した。……何がしたいんです? スピカ、貴方も嫌っていたはずでしょう、これは不公平ですよ」
「…………虚実の世は、ミーにとって赤子から見た棚上の飴缶に等しい。台所に置かれた包丁に等しい。親は子に触られては困るものを手の届かない場所に置くでしょう?」
エリオットの表情が陰る。
「虚実の世は、魔女の始祖──ソヴリンの作り出した、先入観と嘘で塗り固められた、可哀想な世界なのよ。ミーにも、貴方にも、どうしようもない。運命力はいつも、アセリアが握っている」
「あの子が望んだようにしかならないなら、僕は──」
「連なる世界にでも頼むって? それじゃあ根本的解決にならないわね」
机をダン、と強く叩く。エリオットは静かに目を伏せ、かと思えば後ろから書庫に入ってきたシアを一瞥して踵を返した。
「……スピカ、どうしたんです? 絵斗、大分お怒りに見えましたけれど」
「大したことじゃないですよ」
言いながら、スピカは光を映さない瞳を彼の背に注いでいた。
※ ※ ※ ※ ※
帰ってきたアセリアは、玄関で暫くぼーっとする。その間に、シャロームがゆっくりと彼女の近くに歩み寄り、微笑みかけた。
「おかえり、姉さん」
「……ただいま。アルブスは?」
シャロームは静かに、リビングの方を指差す。
「アルブスなら、ご飯作ってくれてるよ」
アセリアがシャロームと一緒にリビングへ入ると、とたんにいい匂いが鼻腔をくすぐり、アルブスが満面の笑みで出迎えた。その手には、皿に乗っかった暖かなパンケーキがあり、シロップは煌めいていた。
机にそれを並べ、皆で囲み食べ始める。
「そういえば、街に行って、魔女に襲われたりしなかったの?」
アルブスが、パンケーキを飲み込み、フォークをクルクルしながら聞く。アセリアは首を横に振った。
「大抵は、私のことを二代目だと思っている。恐らくは気付いてる子も居るでしょうけど、エリザのように殺しに来るような人はいないと思うわ。実際、街の行き帰りで何にも遭遇しなかったから」
「でも、油断大敵だよ。エリザの動向を僕達は殆ど予測できない。他の魔女ならなおさらだ」
「…………そう、ね」
シャロームはうなずき返し、パンケーキの欠片を口に運ぶ。
「アルブス、皿まで洗ってもらって……ありがとう」
「良いんだ、僕がしたいことだから。……それよりも、アセリアのことを気に掛けてあげて」
金色の瞳が、真っ直ぐにシャロームを見つめる。彼は分かりやすく口を噤んだ。
「ボクは……ボクなんかが出来ることは、あるんだろうか」
「あるよ、絶対。僕が手伝えることがあったら全力で応えるけど、シャロームがやってあげた方が良いことは多いと思うんだ。アセリアは……きっと、エリザのことで心がすり減ってる。家族の支えが必要だよ」
「僕みたいなぽっと出の動物よりもね」とこぼし、屈託もなく微笑むアルブスに、シャロームは苦笑して頷く。
「……駄目だな、ボクは。聖獣様に助けを乞うばかりじゃいけないね。よし」
頬を軽く叩き、シャロームはアルブスを見つめ返す。その眼差しは先程までの弱々しい細まったものではなく、姉を守る意志を固め直した、真剣なものだった。
誰でも心折れることはあろうが、それを乗り越え立ち直ることは容易ではない。……殆どの場合は。家族や親しい者達の支えが、どれだけ自身に力を与えてくれていたのか、与えてくれるのかを教えてくれたアルブスへの感情は、確実に同等な関係を築けている証拠だろう。
「アルブス、早速頼みたいことがあるんだ」
「なんでもどうぞ」
「明日、街へ行こう。目的は魔女との接触だ。ボクにも知り得なかったことがあった。今は……情報が欲しい。加えて、姉さんの好きな花を買っていこう……どうかな」
アルブスは迷い無く了承する。
「勿論。じゃあ、街について部屋で教えてもらおうかな」
※ ※ ※ ※ ※
「ポックはカットを諦めないよ。お客さんが来るだろうし、準備もしなきゃいけない」
人形のようなドレスに見を包み、死人のような白い肌には亀裂が入っている。膝上に乗っかった瓜ふたつな顔の首を抱えて、愛おしそうにそれを見つめていた。少女は短い赤髪を揺らし、ペリドットのような瞳を細めて、薄く笑みを浮かべる。その顔は強がりにも、自身への嘲弄にも見えた。
少女は自室の床に所狭しと並べられた“人形”、“歴史”、“魔法”といった本を見つめながら、立ち上がった。
「今度こそ、ポック達は間違えない。真実を追い求め、より良い結末へ行けるよう努力するべきなんだ」




