第十一話 金色の眼
「……アルブス?」
半分ほど開いたままの扉、シャル達の部屋の中を覗く。私は目を見開いて、眼前にさしかかった全身を押さえつけられるような感覚に目眩がした。
おかしな事が起こっていた。それは一拍遅れて私の脳が理解する。
「あぁ、久しぶりにその名を聞いたな……彼女はもうこの世には居ないのだろう」
優しく、しかし重みのこもった声が部屋の凝縮された空気を掻き乱す。私はつっかかった喉からおもむろに言葉を紡いでいく。
「貴方、は」
「少しの間だけだ。すぐに彼へ身体を返そう……私は今、貴女と話がしたい」
白髪の髪は先から淡く色付いていて、鋭くなった金色の瞳がこちらを見つめていた。
「……氷雪の王の継承者」
「それもまた、懐かしい名だ。氷雪の王、我が愛しき──」
「あのー……」
アルブスの後ろから、知らない声が聞こえてきた。
部屋の奥へと足を踏み入れて確認すると、漆色の髪を長く後ろで結んでいる、詰め襟制服を来た少年が床に伏しているのが見えた。驚くべきことに、彼は何も外傷を請け負っていないにも関わらず、苦しそうに息を荒げていた。
「すみません……お見苦しいものをお見せしてしまい。あまり気になさらないで下さいね、僕は平気ですから」
「……私からも謝罪申し上げる。彼──アルブスへの助力、そして私の人格を力という媒体を用いて呼び戻してくれたこと、感謝する」
「何があったの?」
聞くと、彼らは正直に事の経緯を語り始める。
「大いなる力には代償が伴う。しかし、僕達ゴーストライターは運命を凌駕する者ですので」
「なら、さっきのは……」
「僕は複数の人物の魂石を所有しています。元々主人格であったフォリウムという少女が、強引にも代償を請け負いました。既に魂石は機能を停止している筈ですが、不思議なことも起きるものですね」
口をつぐむ。彼は言った後で、自身の発言を責めているような顔をした。
アルブスはその様子を見ながら息を小さく吐き、私の方を見る。真っ直ぐに向けられた金色の瞳に、微かに氷雪の王の意思に似た何かを感じた気がした。私は黙って頷き、話を促した。
「私の名はオムニシェンティア……アルブスの人格が形成される前の、聖獣だ。私は溜め続けたマナに自我を侵食され……最早死を待つのみであったが」
「このエリオットさんに、呼び戻されたと?」
「あぁ。私という人格は聖獣に託された能力を扱う際に主導権を握る仕組みになっているようだ。そこで、彼に私の名を、ファミリーネームという形で継承させたい。気持ちの問題ではあるが、お互いにお互いの人格を否定する意志は無いのでな」
つまり、アルブス・オムニシェンティア。それがこれからの彼等の名となるのだ。オムニシェンティアは愛おしそうに自分の胸元に手を添えた。
「もちろん、私は構わないわ。改めて、オムニシェンティア。私は西の魔女アセリア・アタナシアです」
「──アルブス・オムニシェンティアだ。よろしく頼む、アタナシア」
互いに手を握り、握手を交わす。
※ ※ ※ ※ ※
「昔から、愛や度を超えた虚実に囚われた者たちは異様な運命力を持っています。オムニシェンティアさん、これは僕から貴方達に託した、最後の希望であり、彼女にとっての救いになりましょう。どうか、その責任をゆめゆめ忘れないように、お願いします」
エリオットは胸元をきつく握りしめつつ、屋根の上で風を浴びているアルブスにそう言い放つ。
「言われなくとも、君がアルブスに託した想いは十分に理解しているつもりだ。大船にのったつもりでいてくれ……人でない者達との関係性は悪くない、彼女たちとは違う視点から、この件の真相と解決法を見つけられるだろう」
「……どうでしょうか。少なくとも、もう現状から更にいい結末へはたどり着けないように思えます」
「その推測はどこから?」
「貴方は、パラレルワールドを知っていますか?」
アルブスは静かに首を縦に振る。
「僕達は常軌を逸した、言わば化物であり、異常です。あったかもしれない別の結末は、最初から軌道を律するものであった。勿論、“外側”から見た貴方方の物語の、ですが」
空は高く、アルブスは手を伸ばしながら屋根に背をつける。爽やかな波を思わせる髪は暖かな風に揺られ、彼の顔を見え隠れさせた。
エリオットは制服帽をかぶり直し、咳払いをして屋根の縁に立つ。
「行くのか」
「えぇ。一応、帰った後もすぐ駆けつけられるよう、見守ってはおきます」
「ありがたいな……いつかまた会えることを祈って」
アルブスは軽く手を振ったが、エリオットはそれに頷くだけで、そのまま空間から消えてしまった。
※ ※ ※ ※ ※
窓に手をかけ、床に降り立つ感覚に驚いて後退した。しかし上手く壁に背を任せられず、空をきって尻もちをついてしまった。どうやら、少しの間あの大きな狼──本来の自分に体を任せていたようだ。
僕はズボンをはたきながら立ち上がり、階段を下ってシャロームの様子を見に行くことにした。
廊下に足をつけ、歩きながら髪の毛を見るが、ボサボサは白髪は相も変わらず頭の上で結ばれ、大きく揺れながら靡いている。
「アセリア、シャロームは……」
「や、アルブス」
シャロームが微笑んでこちらに手を振る。僕はそれに振り返して、アセリアの向かいに、シャロームを挟むようにしてしゃがみこんだ。
「ありがとう、姉ちゃん」
「……当然のことをしたまでよ。それより」
「うん。ボクが奇跡を使わなかったことについて、聞きたいんでしょ」
眉根を寄せているアセリアの頬を指先でつつきながら、彼は続ける。
「姉ちゃんの前でも使ってることはあったから、“魔女の力を前にして奇跡が無効化された”だなんて嘘はつけないよね。幸運にも、欠損はしていないから……結果的には特に現状の勢力に変化は来していないけど」
「もしかして、エリザに手の内を明かしたくなかったの?」
「ご明察」
さすが、とこぼしながら、シャロームは起き上がった。傷だけを回復させているから、破けたままの服が頼りなくシワを作る。
「お互い、お互いのことを殆どしらないからね。軽々と切り札みたいなものを見せる訳にはいかないのさ。特に、あの魔女は中々目が鋭かった。姉ちゃんの嘘を見抜いていたとこからも……」
「これからどうするべきか、考えないと」
アセリアは強く、拳をつくって下を向く。
「姉ちゃん、考えこみすぎだよ。ボクも、アルブスもついてる。アルブスに関しては、この短い間に顔つきが少し変わった」
「…………そう、かな」
あぁ、とシャロームは頷く。
とにかく、エリザもすぐに追いかけてくることはないだろうし、他の魔女は大体が中立・もしくは友好的だ、とアセリアが言っていたこともある。今は焦燥感に煽られるがまま精神をすり減らす必要はないだろう。
「今は休もう、アセリア。せめてシャロームの怪我が完全に治るまで」
「……そう、ね。シャローム、起き上がれる?」
アセリアがどれだけのことをしたのか、その行為の重さも、真相の詳細も、僕はまだわからない。それでも、彼女の苦痛に歪んだ表情も、震えた声も、必死さも。嘘には見えなかったし、心から先代の魔女を、家族同然の存在を守ろうとしてくれていたのだろう。
僕と親しかった、アルブスのことも。




