第十話 困惑と葬送
「え?」
呆れる程変な声が、アセリアの喉の奥からぽろりとこぼれる。彼女は何故今、そんなことを願ったのだろう? そんな流れではなかったはずだ。そも、彼女が最初に抱いていたはずのあの怨念が、たった今事実を理解したことで消えるはずはなかった、ということなのだろうか?
いやはや、魔女の心境の変化、その速度とは実に恐ろしいものだ。
エリザは薄笑いを浮かべたまま、次にこう話す。
「アタシさ、死ぬにも死ねず、アンタを殺そうとしても殺せないことわかってたから行動に移せなくってさー」
「……待って、何を言っているの」
「だから、アタシあんたに殺してってお願いしてるんだけど」
できないの、と首をかしげる。
「いや、……急に、なんで」
「アタシ、結構気が早いの。事実もわかったし、もういいかなって」
急かしているのか、彼女はアセリアの袖から彼女の杖を取り出し、手にしっかりと握らせる。
「…………ふふっ、なーんてねっ」
と、彼女はふわりと後退して────彼女が用意したであろう机と椅子のセットを燃やして消した。彼女が何をしたいのか、掴みきれずに皆困惑を浮かべている。アセリアは、冷や汗まで浮かべて、何がなんだか飲み込めていない様子だ。
シャロームが真っ先に、彼女に剣先を向ける。アセリアが止めるより早く、エリザは彼の横腹を蹴り飛ばして笑う。
「アハハッ! 冗談冗談、あ、あんたのこと許せないのはホントだよ?」
腹を抱えて、彼女は悪魔的にしたり顔を見せびらかす。アセリアはその表情に冷静さを取り戻し、代わりといっては何だが荒れた風の魔法をお見舞いした。
しかし、それはいとも容易く彼女の拳に霧散させられる。もとより、彼女は殺生をするためにこれを放ったわけではないが。
「アルブス!」
「えっ、う、うん」
シャロームは瓦礫の山にかくれて見えなくなったが、彼のことだ、死にはしない。
アセリアはエリザを睨みつけ、アルブスは未だ状況を飲み込めずに走り出す。瓦礫から彼を引っ張り出して担ぎ、二人はテリトリーの縁まで急いで駆け出す。
走りつつ首だけで後ろを振り返るが、彼女は追ってこようともせず、こちらを見つめているだけだった。
ただ、彼女が最後に残した言葉だけが、彼女らの耳にこびりつくことになる。
「またね」
※ ※ ※ ※ ※
「良いの? けじめつけなくて……」
走りながら、アルブスがこぼす。
「……彼女は二代目の中で最も力を持つ魔女よ。私達全員でかかっても、太刀打ちできるかは分からない。……そもそも、手合わせなんて百年くらいしてないから……」
心配そうに、唇を噛む。アセリアは頭を振り、ハッとして踵を返した。走っていたために、ズサッと地面と靴裏とを擦り合わせながら止まる。そのまま杖を前へ伸ばすと、防御結界を展開した。
すぐさま火球がそれに向かってぶつかり、砂煙を上げる。
「…………真意がどうであれ、私を殺す気なのは本当みたいね」
眉間にシワを寄せて、ため息を吐くと、彼女は静かに唾を飲む。
※ ※ ※ ※ ※
家に戻ってくると、すぐにアセリアはシャロームの手当に取り掛かる。僕はその様子を黙って見つめていたが、やがて見ているだけでは我慢ならなくなって、彼と自分が寝ている部屋に入った。それから、棚の中を荒っぽく探って、魔導書を取り出す。
「…………僕に、魔力があれば。いや、聖獣の力だけでもありがたかったけど……」
視界が揺れる。
「僕じゃ……駄目、なのかな」
「お困りのようですね」
突然聞こえてきた声に、僕は顔を上げる。その勢いで棚の板に思いきり頭をぶつけよろけるが、何かが僕の身体を支えた。
それは、まるで空気に擬態しているように気配が感じられない人型であった。
「……誰? …………でも、取り敢えずありがとう」
「あぁ、えーと……どういたしまして?」
振り返って人型の顔を見ようとするが、ローブを着ていて顔がすっぽりと闇に包まれており見えない。目の前の人型は咳払いをすると、手を差し出した。黒い革の手袋を嵌めていて、どうやら手を重ねてほしいらしい。
僕は促されるままそうする。
「僕はエリオット。ゴーストライターの仮面の人形です」
「さて」と彼は息を吐きながらそう言って、つま先を軽く床に当てる。すると、そこに魔法陣が小さいながら浮き出て光り始めた。
「力がお望みですか?」
「…………えっ、と。僕の生前……聖獣の頃の魔力すべてを、扱えるようになりたいんだ」
「なんの為に?」
「みんなを、守る為に。……強欲、かな」
生き返っただけでなく、払った代償すら返せと言う僕は、子供じみているだろうか。理にただでさえ反してしまったのに。
それでも……恩師を、友人を、守りたいと願うのは、誰でも同じことだろう。
僕が返答すると、彼はくすくす、と微笑した。
「成程。代償の変換ですか。…………良いですよ」
「……出来るの?」
「えぇ。しかし代わりに、その力を使うとき、聖獣──貴方であり貴方でない意識が芽生えるでしょう」
それが改めて課せられる代償だ、と彼は言い、僕の瞳を真っ直ぐに見た。覚悟を問う、強い視線。僕は力強く頷いて、瞑目する。魔法陣の光が強くなり、僕を包む。
※ ※ ※ ※ ※
「……ここは」
気付けば、真っ白な空間の中で横たわっている。僕の視界の先には雪のような狼が、アルブス──先代の北の魔女と共に、木の下で額をくっつけあっているのが見えた。
手を伸ばしてみるが、届かない。
「アルブス。私の力はいずれ、世を埋め尽くす恐怖の根となろう。……そうなったとき、止められるのは貴女しか居ない」
「えぇ、分かっているわ。このアルブス・グラキエスは、雪山の花──手折れぬ白の名に誓って、人類を守る……そう、皆と約束したもの」
狼は金色の目を細める。
「……すまない。貴女はとても、強い子だな」
「強くなんてないわ、私。いつもいつも、アセリアやシリウス達に、助けられてばかりだもの。貴方の方が、ずっとずーっと、格好良いわ」
と、木が風に揺られて、上に積もっていた雪が落ちる────が、狼はその身体を彼女に覆いかぶさるようにして立ち、雪を代わりに被った。
「……ありがとう」
狼は一声鳴くと、僕の方を見た。そして、ゆっくりと近づいてくる。
「……お前は」
「僕は……アルブス」
「やはり、そうか。名の恩恵……彼女と同じ臭いがする。そして、私とも」
狼は鼻を鳴らし、僕の背中を押して立ち上がらせた。そして、ゆっくりと人の姿へと変化し────そこに立っていたのは、長い髪を靡かせ、その髪を水色のグラデーションで彩った、美しい男性だ。獣の耳をピンと伸ばし、力強い金色の瞳を瞬かせる──
「では、行こう。これからは私が君の為、力を貸そうではないか」
僕の、新たな姿だ。
一章終了。
お疲れ様でした。暫くこの物語は進行をストップ致します。




