祐介の過去
「―――ちっくしょう! また駄目かよ!」
後頭部をガリガリと掻きながら、俺は部室にある自分専用のノートPCを起動させた。
11回目の挑戦――失敗。
『眠れる聖剣カリバーン物語』の世界に入ったあの日から、今日でもう三日目だ。ニコを連れ戻そうと突入しては魔王ニコに追い返されるのを繰り返している。
あれから色々と調べて分かったのだが、あの世界へは『俺』が部室の扉を開けた時にだけ繋がるらしい。試しに蛍や早苗に扉を開けてもらうと、いつも通りの埃っぽい部室の風景が広がっているだけだった。
何を基準にしているのかは分からないが、扉を開ける人物によって繋がる先が変わるなんて相変わらずの非常識さだ。
「やっぱりニコちゃんは岩岡先輩に来て欲しいんですよ!」と何故か興奮気味に言うのは早苗だが、そんなに簡単な理屈なのだろうか。実際には毎回追い返されてしまっているのだから、根拠に乏しいとしか思えないのだが。
「……部長どうするんすか? このまま闇雲に突撃してても埒が明かないっすよ?」
隣で机に突っ伏している蛍は、どこかふてくされ気味だ。さらにその隣では早苗も疲れた表情を浮かべ、まるで脱力するかのように机に大きな胸を乗せている。
「ですねえ……身を隠しながら進んでも魔王さんにはすぐ見つかっちゃうし」
「そもそも空を飛んでくる相手から逃げようなんてのが無茶なんすよ。こっちが地上の障害物を避けながら必死に走ってるのに、相手は空中から悠々と近づいてくるんすから……無理ゲーじゃないっすかね、コレ」
これだけトライしても肝心のニコに会えてすらいない――と二人共が不平を口にする。
「それに、もし会えても話を聞いてくれるんでしょうか?」
「そうなんすよねえ。そもそもニコちゃんが誰にも会いたくないってんなら、私らがやってることって単なるお節介でしかないんじゃ……」
「だからって、諦めるわけにもいかねえだろ?」
キーボードを叩きながら放った言葉に、蛍も早苗も押し黙った。
言われなくても分かっているのだろう。アイツが自分から帰ってくる保証が無い以上、俺達に諦めるなんて選択肢はもとより無い。
ただ、上手くいかない現状に、ちょっとだけ愚痴をこぼしたくなっただけだ。
「……それに、無策ってわけでもねえさ」
小さく零した呟きは聞き取れなかったらしく、二人は怪訝そうに眉を寄せた。
「……ところで、部長は何をやってるんすか?」
「小説を書いている」
「こんな時にですか?」
「こんな時だからこそ、だ」
『?』
そのまま区切りの良いところまで一気に書き上げ、ようやく画面から瞳を離す。背伸びしながら時計を見ると、時刻はもう夕方の4時を過ぎていた。
「そういえば、由香子の奴、今日は遅いな」
「ああ、なんか用事があって少し遅れるかもって言ってたっすよ。なんか妙に難しい表情をしてたっすけど……あの日っすかね?」
「いや俺に聞くなよ」
自販機のお茶を一口飲み、由香子が来たらもう一度あの世界にチャレンジしてみようか……などと考えていると、不意にガタっという音が耳に届いた。
……ん? 気のせいか? いま一瞬入り口の扉が動いたような。
「どうかしましたか?」
「いや……今、扉の外に誰かいなかったか?」
三人で揃って入り口を見やるが、木製の扉は静寂を保ったままピクリとも動かない。
念のため蛍が扉を開けて確認してみるが、怪訝そうに首を捻るだけ。
「誰もいないっすよ?」
「……んん? 気のせいか? ……悪い、少し気が立ってるのかもしれないな」
いえいえ、と両手を振って応える早苗は、蛍が隣に戻って来るとすぐに興味を失ったかのように、ニコを連れ戻す方法についての議論を始める。
俺はそれをBGM代わりに聴き流しながら、なんとなく腑に落ちないような心地で、動かない扉をただぼんやりと眺めていた。
■ ■ ■
紅に染まる空の下、私は一人、草原の道を歩いている。
鮮やか過ぎる空の色は、柔らかな夕焼けの赤とは全く違っていて、見ているだけで不安な気持ちになってくる。
こんな場所で一人ぼっちなんて心細くてたまらない―――けれど。
どうしても、一人で来たい理由があった。
一本道を歩いていると、どこからともなく漆黒のシルエットが舞い降りてくる。
もはや見慣れた、いや見飽きてしまった光景。
音も無く地に降り立つ相手を見据え、怯みそうになる心を必死に押し殺しながら、腕を組んで皮肉交じりに言ってやる。
「こんにちは。良いお天気ね」
相変わらずの無表情。魔王ニコは、私の挨拶なんて聞こえていなかったかのように、感情の読めない視線を投げかけてきた。
「……柊由香子といったか。今日はお前一人か? あの岩岡とかいう男は来ないのか?」
わざわざ祐介の名前を出してくる辺り、本当に腹が立つ。
私では不足とでも言うのか、それとも別の意味でもあるのか。
「来ないわよ」
そう答えた瞬間、魔王ニコの表情が僅かに曇ったような気がしたけれど、気のせいかもしれないし、正直よく分からない。
「思った通り、この場所って私でも来れるのね。どういう基準になっているのかしら。天津さんは私のことも、祐介と同じように特別だと思っているってことなのかしらね?」
「さあな」
相変わらずなんとも面白味の無いお返事だこと。しかし、私が眉間に皺を寄せると、意外にも魔王ニコは「ただ……」と前置きしてから言葉を続けた。
「お前は、姫のことを『敵』と呼んだと聞いている」
「姫って――天津さんのこと? てゆうか、それが原因? つまりは特別に嫌っているってこと?」
「さあ………しかし、『敵』とは対等の相手としかなりえないものだ」
その言葉に、私は息を飲んだ。
――対等の相手。それって私のことを認めてくれているってことでいいのかしら。少なくとも敵としても良いぐらいには。後輩のくせになんか生意気だけど。
不覚にも口元が緩むのが分かる。そして私は―――改めて決心した。
魔王ニコが手にした錫杖を振り上げる。
「さて、いつもと同様、今回もお引き取り頂こうか」
「ちょっと待って!」
私の制止の声に、魔王の動きがピタリと止まった。
「貴方は天津さんじゃないのよね?」
「然り。姫はこことは別の場所で囚われの身となっている」
「じゃあ伝えてちょうだい」
口にした言葉に、相手から伝わってくるのは怪訝そうな雰囲気だけ。
「さっき私のことを聞いているって言ったわよね。それって天津さん本人から聞いたってことでしょう? なら逆に伝えることもできるはずよね?」
相手は答えなかったが、私はそれを肯定なのだと強引に解釈した。
「天津さんには知っていて欲しいのよ。……昔、祐介になにがあったのか……」
魔王ニコが錫杖をゆっくりと下ろすのを見ながら、私は語る。
祐介の過去を。
――あれは私達がまだ小さい頃、具体的には小学4年生の頃の話。
祐介はクラスの中心的人物だった。
明るくて、優しくて、そして正義感が誰よりも強くて。今のひねくれた姿からは想像も出来ないような、男女問わず好かれる人気の男の子だった。当然のように、祐介に好意を向ける女子も多くて、私もそのうちの一人で。
祐介は、優しかった。
もちろん今でも優しいのだけれど、その頃はもっと分かり易くて。
困っている人がいれば手を差し伸べずにはいられず、それが同じクラスの仲間であったりしたら、絶対に見て見ぬフリなんてしない。そんな素敵過ぎる男の子だった。
……その頃、私達のクラスでは、ちょっとした「いじめ」が起きていた。
対象となったとある女の子を、集団でからかったり、グループの輪に入れてあげなかったり。それほど直接的ではなかったけれど……だからこそ陰湿でもあるやり方で。
その状況に気付いた祐介は、当然なんとかしようとした。
当時から聡かった祐介は、いじめる側を注意するだけでは問題が解決しないことをちゃんと理解していた。いじめる側が100パーセント悪いに決まっているけれど、こうなった原因は、いじめられる側にも僅かながらにあるからだ。
その女の子の名前は麗奈。お人形みたいに可愛い子ではあったけど、その派手な名前に似合わず、大人しくて人見知りの激しい子だった。
彼女の場合の原因とは、人との接点を自ら持とうとしないところ。極度の人見知りがそうさせるのか、自分から人との距離を不必要に開けようとする。
時にそれは相手によっては無視するように映ったり、嫌っているようにも映ったはずだ。
もちろんそれだけが原因ではないけれど、結果として、麗奈さんはクラスの女子から疎まれる存在となってしまった。
祐介は麗奈さんと皆の仲を必死に取り持とうとしていた。積極的に麗奈さんに話しかけ、彼女の明るい所を引きだそうとしていた。
麗奈さんが読書好きであることを知って、共通の話題作りのために慣れない読書を始めたり、時には私をダシに使って3人で遊んだり。
そして、ある日のこと。
朝、教室に入ると麗奈さんと祐介が声をあげて談笑していた。
物静かな麗奈さんが大声で笑っている―――クラスの誰もが驚いていた。祐介に理由を聞くと、自分で書いた物語を読ませたのだという。麗奈さんは小説家という職業に興味を持っていたらしく、祐介の行為に強い興味を示した。
それから祐介は次々に小説を書いては、麗奈さんに読ませるようになった。
麗奈さんも段々と明るくなっていき、クラスにも打ち解けていき―――
その時の祐介は本当に楽しそうで。
次はどんな話を書こうか、
どんなキャラクターを登場させようか、
そんな相談を私に何度も持ち掛けてきた。
私は、瞳をキラキラさせながら自らの考えた物語を語る祐介が大好きで。
きっとあの時の経験があるからこそ、私と祐介は作家を目指そうと思ったのだと思う。
……と、ちょっと話が逸れてしまったわね。
とにかく、祐介の試みは成功したように思えたし、祐介の書く小説も段々と凝った内容へとなっていき、もっと面白い話を書くために色々なジャンルの本を読むようにもなった。
そして、ある時、祐介はライトノベルというものにとても惹かれたようだった。
当然の帰結として、その影響を受けながら小説を書き、麗奈さんにも読ませた。
それがあの作品―――『眠れる聖剣カリバーン物語』。
麗奈さんはとても楽しんでいたようで。面白いと笑っていて。他のクラスメイト達も、皆がそれを読みたがって。あの時の祐介の誇らしげな表情は今でもハッキリと覚えている。
しかし、その翌日。状況は一変した。
朝、教室に入ると、黒板にデカデカと書かれていたのは―――
『麗奈は、エロエロ小説を読んでよろこんでいるヘンタイだ』
エロエロ小説――それが祐介の書いた小説を指しているのは明白だった。
決してエッチな内容があったわけではない。ライトノベルではありがちな過剰なサービスシーン、その程度。それでも小学四年という年齢には刺激が強すぎたようで。
怒った祐介はすぐにそれを消したけれど、既に麗奈さんはそれを目にしていたらしく、クラス中から冷ややかな視線とクスクスと笑う声が向けられる中、彼女は自分の席でじっと下を向いていた
そして。
その日の昼休み、一緒に声をかけた私達に、麗奈さんは泣きながらこう言ったのだ。
「なんであんなお話を書いたの!? 普通のお話でよかったのに!」
その時に祐介が浮かべた表情。あれをなんと形容すればよいのだろう。
後悔、哀しみ、怒り、困惑―――
ううん、違う。
仮に近しい言葉があるとするなら―――あれは失望だ。
良かれと思ってしたことなのに逆恨みのように祐介をなじる相手への。
そしてなにより、こうなる可能性を僅かたりとも思い描けなかった自分への―――失望。
それから麗奈さんは以前よりもさらに周囲と距離を置くようになってしまい、やがて卒業をまたずして転校してしまった。
転校の理由は、親の仕事の都合、ということだったけれど本当のところは分からない。少なくとも私と祐介はそれを信じてなどいない。
それから祐介は、変わってしまった。
以前のように正義感を振りかざすこともなくなり、どこか冷めたような態度をとることが多くなった。
そして、ライトノベルというジャンルを毛嫌いするようになったのだ。
きっとあの出来事を思い出してしまうから。
あの時ライトノベルとは違う別の話を書いていれば、とずっと後悔しているから。
それが祐介にあった過去の出来事。
身体も精神も未成熟な年代にありがちな、ただのすれ違いなのかもしれない。
それでも教室という狭いコミュニティの中で生きていた当時の私達にしてみれば、人生観を変えてしまうほどに充分過ぎる出来事でもあって。
あれ以来、祐介は、一人の女の子を不幸にしてしまったのだと、ずっと自分を責め続けている―――
少なくとも私にはそう見えるのだ。
「――ということがあったの」
魔王は無表情のまま、じっと私の話を聞いていた。
「だからね、祐介は本心からライトノベルを嫌っているわけじゃないの。そう思わないとやっていられなかっただけで―――」
「それを伝えてどうしたいのだ?」
私の言葉を遮って投げかけられた至極当然とも言える問い。どう答えるべきなのか数秒だけ逡巡したあと、結局私は、ありのままの想いを口にした。
「……さあね。ただ、このことだけは知っていて欲しかったのよ。想いが上手く伝わらず、誤解されたままが辛いってのは……良く分かっているつもりだから」
そのせいで苦しんできた人を、ずっと隣で見て来たのだから。
「あとは……そうね、天津さんが私だけに過去の話を聞かせてくれたことへの、お返しってとこかしら」
「……なるほど、伝えておこう。無駄だとは思うがな」
「なんでよ?」
「経緯はどうであれ。……彼女が拒絶されたという事実は変わらん」
「分かったわよ。じゃあこうも伝えて」
私は言う。魔王の顔を、天津さんとそっくりの顔を、真正面から見据えながら。
「首を洗って待ってなさい」
その時、魔王が初めて口元に笑みを浮かべた。
「……面白い。では我が城で待つことにしよう。……時間はあまり無いがな」
そう言い残すと、魔王は空の彼方へと飛び去っていった。




