魔王ニコ、降臨
「お前、そんなとこでなにやってんだよ!」
見上げる視線の先、お空の真ん中に穴が開くという非常識にも程がある光景を背後にしながら、吹きすさぶ風など微塵も感じていないかのように、ニコは静かに浮かんでいた。
しかし、その表情は俺達の知っている少女のものとは違っていて。何を考えているのか全く読めない冷めた瞳で俺達のことを見下ろしている。
身に纏っているのは真っ黒なマント。そして身体のラインにピッタリと張り付くような、漆黒のレオタードとロングブーツ。不思議な光沢のある生地に、ハイレグ部分はかなり際どいデザインで、胸元は大きく開いている。手には黄金の錫杖、頭には漆黒のティアラ。
俺の作品に登場する女魔王の描写そのままの、いかにもな悪のコスチューム。
ニコは俺の質問には答えないまま、抑揚の欠ける口調で呟いた。
「我は……魔王」
「……は?」
「この世界に破滅を導くものなり……」
「お、おい! なにを言ってんだよ! 物語の登場人物にでもなりきったつもりか!?」
ニコがいま口にした台詞は、魔王が登場時に発する台詞そのままだ。だとしたら、この後に起きるのは、まさか―――
「我は……魔王なり」
機械的に言葉を繰り返しながら、ニコは手にした錫杖を前方へ掲げ、
「この世界に破滅を導くもの―――」
次の瞬間、錫杖の先から閃光が迸った。
世界そのものを強烈な光で照らしながら伸びる光は、一条の熱線となって彼方の空に浮かぶ島のひとつを穿つ。そして刹那にも満たない一瞬のあと、鼓膜を突き破らんほどの轟音が全天を震わせた。
襲いくる爆発の余波に吹き飛ばされないよう踏ん張って耐え、ようやく瞳を開けると、視界に映ったのは……先程までは存在していた巨大な浮島が粉々に砕け散り、ゆっくりと崩落していく姿だった。
「な、なによあれ! ちょっとでたらめ過ぎない!?」
ヒステリックに叫ぶ由香子。
俺を含め、恐らくは皆が同じ想いを抱いているはず。
霞んで見えるほどの遠方にあった文字通り『島』と形容するしかないほどの巨大な岩石の塊を、錫杖の一振りで粉砕してしまう超長射程とその威力。控えめに言ってもでたらめ以外のなにものでもない。
「い、今のはなんすか? 魔法? 一体なにがどうなってるんすか?」
「これは物語の後半にある魔王登場のシーン、その演出そのままだ」
「じゃ、じゃあニコちゃんは、岩岡先輩の物語を再現しているってことですか?」
「多分な」
「なんのためによ?」
「知るか! 本人に直接聞いてくれ!」
揃って見上げる先でニコは先程と変わらずにただ空に浮かんでいる。
無表情のまま、まるでこちらの反応を確かめているように黙りながら。
ニコが何の目的でこんなことをしているのかは分からない。だが、もし今の再現が、自分の力を誇示するためだとしたら。
こちらの意に沿わないことがあれば、お前達もこうなるぞ―――
そういった脅しの意味合いを含んでいたら……。
蛍も同じことを考えたのか、珍しく顔色を青くしながら呆れ混じりに呟く。
「一瞬であんな大きい浮島を消し飛ばすとか、どんだけチートなんすか」
「いや、魔王が本気になればあんなもんじゃない。それこそ一瞬でこの世界の半分を焼き尽くすことだって出来る。そう設定されている」
「えええ!? そ、そんなの、主人公は勝てるんですか?」
「あたりまえだろ。勝てなきゃハッピーエンドにならない。魔王の力に苦しみながらも、最後にはちゃんと勝利するさ」
「えっと……具体的にはどうやって?」
「そりゃ愛と友情と……あとは奇跡、とか……起きて…………」
ん? なんだか……
そこまで語った時点で、なんとなく白けた空気を感じて言葉に詰まる。
そんなことをしている状況ではないとは理解しつつ、それでも由香子達から感じる『そりゃねえだろ』という無言の圧力は………うん、きっと気のせいじゃない。
まあ気持ちは分からなくも無いが。
最終決戦も佳境となった場面、それまで手も足も出なかったはずの主人公が突如として理不尽な力を発揮し、「何故だ! 何故、これほどの力が!」「これが私達の……人間の、愛の力よ!」「ぐわあああああ、そんな馬鹿なああああ!」という展開は、感動的ではありつつも、後で冷静に考えると「……えっと、なんで?」と首を傾げたくなることがある。
ご都合主義過ぎるというか、相手にしてみればまさしく「んな馬鹿な」である。
……というか、小学生がほぼノリだけで書き上げた作品なのだから大目に見て欲しいんですけど。
無言のまま此方を見下ろしているニコへ、早苗が声をあげる。
「ねえ、ニコちゃん、私達、貴方を探しに来たの! 一緒に帰ろう?」
「……残念だが、それは出来ない」
その声は間違いなくニコのものなのに、含まれる感情は全くの別物。
「私は魔王ニコ。この物語の登場人物でしかない。ゆえにここから出ることは叶わない」
「え? え? それってどういう―――」
「じゃあ、お前はあくまでこの世界のキャラクターで、ニコ本人じゃないってのか?」
相手の言わんとすることを要約してやると、魔王と名乗った少女はゆっくりと頷いた。
「そうだ。脆弱な人間達よ、お前たちの探している人物はこことは別の場所にいる。無駄なことはやめて帰るがよい」
「別の場所ってどこなのよ?」
由香子の問いに魔王ニコは答えない。教える義理などない、ということなのだろう。
「……ちょっと、いいかげんにしなさいよ」
由香子が色々と我慢の限界とばかりに、声に熱を込める。
「急に居なくなったと思ったら、こんなおかしな世界に引きこもって。わざわざ迎えに来てあげたら今度は帰れですって? はいそうですか、なんて帰れるわけないでしょう!」
眉尻を吊り上げ、遥か上空にいるはずの相手を見下すかのような視線で射抜く。
たった今でたらめな力を見せつけて来た相手に対してこの態度。我が幼馴染の胆力に感心させられるが……同時になんとなく理解も出来た。
眼前に浮かぶ少女は、容姿自体がニコと瓜二つなせいか、魔王といってもどこか威厳に乏しい。自然と普段ニコ本人に接しているようなトーンで相対してしまう自分達がいる。
「貴方はいつもそう! 回りの迷惑を考えないで自分勝手なことばっかり!」
「それは私ではない」
「貴方も天津さんが作り上げたんでしょ? だったら同罪よ! だいたいねえ―――」
ビシッと指先を突き付け、
「その衣装、ぜんっぜん似合ってないのよ!」
初めてピクリ、と魔王の表情が揺らいだ。
「それっていわゆる悪の女幹部コスチュームでしょう? スタイル抜群の美女が着てこその衣装でしょう!? ツルペタな貴方が着たって、小学生が市販のアニメヒロインキャラ変身セットとかを着て、はしゃいでいるようにしか見えないわよ!」
一瞬の静寂―――
すっと錫杖を掲げる魔王ニコ。
「……我は世界を滅ぼす」
「ちょ、待てえ!」
魔王ニコの周囲に展開された巨大な紫色の魔法陣を見て、俺は慌てて止めに入る。
「今繰り出そうとしてたの『魔炎必滅陣』だよな? それって魔王の奥義じゃん! さっき言った世界を半分焼き尽くす程の技じゃん! ちょっとディスられたぐらいで放っていいもんじゃねえだろ!」
「我は魔王。脆弱な人間の言葉など意に介さぬ」
「嘘つけえ! 思いっきりムカっとしてたじゃねえか!」
すぐ横で由香子がぼそりと呟く。
「それに、なによその口調。脆弱な人間とか、言ってて恥ずかしくないのかしら」
「……滅ぼす」
「だから止めろってえ!」
魔王の身体が漆黒の炎に包まれたのを見て、顔面蒼白になりながらそれを止める。
「それ『聖魔断界晄』だろ!? 魔王の最終奥義じゃん! 自分もろとも世界を破壊する自爆技じゃん! 勝手に物語を終わらせようとするな!」
割と本気で戦慄を覚えながら、なんとか宥めようとする俺。
背後から聞こえてくるのは蛍と早苗の声。
「いやあ、『魔炎必滅陣』に『聖魔断界晄』っすか……」
「世界の半分を焼き尽くすとか、自分もろとも世界を破壊とか、ちょっと……」
「いやもうほんとごめんなさい! 中二どころか小学4年生だったんだから、許してくれませんかねえ!」
早苗と蛍から向けられる生暖かい視線に耐えられない!
さっき、自分の作品世界を体験するのは作家の夢とか言っちゃったけど、前言撤回するわ! これ自分の黒歴史的なものを突き付けられてるだけだ! ただの羞恥プレイでしかねえ! ほんと勘弁してください。
「さらに言わせてもらうなら、そのティアラも――」
「お前も少し黙れえ! お前の発言はそのまま俺へのダメージにもなるんだよ!」
涙目になりながら由香子の口を塞ぐ。
恐る恐る魔王を見上げると、俺達のやり取りを見て呆れたのか、それとも馬鹿にでもしているのか、口元に初めて微笑めいたものを浮かべ錫杖をゆっくりと掲げた。
「帰らぬと言うならば、力づくで帰ってもらうまでだ」
そして、大した力を込めた様子もなく無造作に腕をぶんと振った。
たったそれだけの動作で凄まじい風が巻き起こり、俺達の身体を包み込む。
直後、感じる浮遊感。
「ぐお!?」
「きゃああああ!」
ふわりと浮き上がった身体はそのまま風に押し戻されるかのように、歩いてきた方角へ向けて高速で飛ばされていく。
瞬く間に小さくなっていく魔王ニコの姿と、流れ去っていく異世界の風景。
―――気が付くと、俺達4人は廊下で折り重なるように倒れていた。目の前には、しっかりと戸締りのされた文芸部の部室。
どうやら強制的にあの世界から追い出されてしまったらしい。
さすがに昼休みはとうに終わってしまっているらしく、周囲に他の生徒達の気配は無い。
「今のって……」
「……夢じゃないっすよね」
ゆっくりと起き上がりながら自分の制服についた汚れを払う。先程の突風で舞い上がった土や草花、払い落したそれらが先程の全てが現実であったことを物語っている。
人間の身体を吹き飛ばす程の突風だったのに、不思議と誰にも怪我などはないようだ。
俺はズボンの汚れまでを払い終わると、文芸部の扉へと手をかけた。
「ちょ、ちょっと、祐介?」
由香子の制止を振り切り、俺は勢いよく扉を開ける。
そこには、先程までと同じ、俺の物語の世界がどこまでも広がっていた。
――まだ大丈夫。繋がりが途切れたわけじゃない。
空が赤く染まってなお美しくも感じられるファンタジーの世界。俺は自らが作り上げたその世界を見据えながら。
口端を吊り上げ、言った。
「おもしれえ。絶対に連れ戻してやるからな!」




