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壷の魔神  作者: 坂月つかさ
第七章
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第五話 決断 前編

「怪我が無くて良かった」

ブランディッシュの皇帝は、橘媛の顔を見てそう言った。

姫が戦争を引き起こしてしまった事を詫びると、皇帝は、貴女の所為では無いと言って首を振った。

「でも・・・」

「ラジャスタンとは、どのみちぶつかる事は避けられなかった。早いか遅いかの違いでしか無かったのです」

「ですが、あたしなんかの為に・・・」

「自分をそんな風に言ってはいけない。私は貴女という宝物を、ファウストにお返しする事が出来てほっとしている」

「返す?」

「貴女は自分の役目を充分に果たし終えた。だから、ゲートが開いたら自分の世界に、ファウストの元にお帰りなさい」


『美帆!』

『ミリンダ!』

そこへ、メナンドロスが駆けつけて来て、橘媛を抱きしめた。

「無事で良かった。本当に良かった」

彼女は目に涙を浮かべてそう言った。

「本当に何て娘なのかしら。あなたのお陰で、ワールドの外殻に暮らす人が声を上げ始めたわ」

「外殻?」

メナンドロスが頷いて言った。

「ワールドの人工惑星では無く、もっと外側の、沢山の人達が暮らす居住区画の事よ。この世界の物言わぬ主権者達が、橘媛をファウストの元に返しなさいと主張し始めたの。これで、ワールドは変わるわ」

皇帝が頷いた。

「今は小さな流れだが、この流れはきっと大きくなる。人々は、本当の主権が誰の物なのかを漸く思い出したようだ」

メナンドロスは言った。

「だから今は返りなさい。美帆は充分に役目を果たしたわ。次は私たちの番なの」

皇帝は、公主に頷いていた。

「独裁者は変革を好まない。この手の政変に、ちょっとした争いは付き物なのです」

「ファウストはこの時のために、私達と言うバランス機構をワールドの中に組み込んだの。私達は、ワールドに暮らす人達を自ら抑圧しないように監視する、保険機構なのよ」

いきなり話が飛んで、橘媛が混乱する。

「待って下さい。あたし、意味が・・・」

メナンドロス自身も、自分を落ち着かせるようにして深く息をした。どうやって説明するか心の中の言葉を探し、そして、語り始めた。


「百万年以上も昔、私やここにいる皇帝でさえ産まれる以前、この宇宙では不幸な出会いがあったの。転送システムが実用化されて間もない頃で、私達は相容れない存在と出会ってしまったわ」

橘媛もその事は自分の父から聞いていた。宇宙を分ける大きな戦いがあったのだと。

「それは、避けられない戦いであったとされているわ。その為に、沢山の星々が犠牲になった。それでも、その命だけは何とか助けられないかと考えた男が居たの」

えっ?

「命の住まう惑星を犠牲にしてしまっても、その生態系を移植して、存続させる事は出来ないかって、莫迦な事を考えた男が居たのよ」

「それって・・・」

「あなたの父親の事ですよ」

皇帝が優しい眼で言った。


「ファウストはワールドを造って、消えてしまう筈の命の種をこの世界に蒔き始めたの。ワールドって世界は、そうやって造られた命のパッチワークなのよ」

「私達五つの世界の代表は、それを見守るための管理機構なのです」

途方もない話だった。

そのスケールの大きさに、橘媛は開いた口が塞がらない位だった。

「ワールドの人々が、自らの主権に目覚めるって事は、ファウストの蒔いた種が、芽を出し始めたって事なのよ。私も流石に美帆がそこまで遣ってくれるとは思わなかった」

「だって、あたし、何もしていない・・・」

メナンドロスが首を振った。

「いいえ、やったのよ。私達ワールドの人間は、あなたの行動から誰かに頼るのではなく、自分から始めなくてはいけない事を学んだの。英雄を待つのではなくて、自分自身が英雄にならなくてはいけないことに気づかされたのよ。だから美帆は、立派に自分の務めを果たし終えたのよ」

「だって、あたし、そんな立派な人じゃない!」


戦争が始まる。

けれど、これは産みの苦しみなのだと、ブランディッシュの皇帝はそう言った。

だから稀人である橘媛の役目はこれで終わったと、そう言ったのだ。

だから、もう故郷へ帰りなさいと。


   ◇   ◇   ◇


納得など出来る筈が無かった。

戦争の引き金を引いておいて、それでさっさと逃げ帰るなど、許されて良い道理がなかった。

けれど、十五歳の少女に一体これ以上何が出来るだろう?


メナンドロスは、これから始まる戦の準備の為に、自分の星へと帰ってしまっていた。

八十やその人達も皆、ワールドに残って戦うと言っている。

けれど、橘媛には戦う事など出来ないし、弟に人殺しをさせるのも嫌だった。

もはや橘媛に出来るのは、枕に顔を埋めて泣く事だけだったのだ。

帰還する迄と与えられた居室の中で姫が泣いていると、居たたまれない雰囲気に弟が退室してしまっていた。

皇族が住まうような広い居室の中に、橘媛一人だけが取り残されていた。

自分が遣って来た事は一体何だったのだろう?

もっと巧く遣る事は出来なかったろうか?

頭に浮かぶのは後悔ばかりで、いつもの前向きな考えが全く浮かんで来なかった。


ドアを叩く音がして、メイド装束を着けた女中が部屋の中に入ってくる。

女中は、持ってきたトレイを手近のテーブルに置くと、会釈だけをして無言で退出してしまっていた。

どうやら食事のようだった。

ブランディッシュの皇族達は、戦争の用意で忙しく、最早橘媛に構っている時間は無いのだろう。

そう言えば、最後に食事をしたのは何時だっただろう?

食事をする気分では無かったが、身体が食事を求めていた。


テーブルに近付いてトレイの蓋を取ると、中には玉子のプディングが置かれている。

有り難かった。これなら、今の最悪の気分でも食べられる。

椅子に座って、プディングの容器を持つと、何故か暖かだった。

「これって・・・」

何故かプディングの甘い匂いがしない。

それ所か、何故か故郷の懐かしい鮎の焼き干しの香りがする。

匙ですくって、息を吹きかけて食べると、橘媛の眼から涙がこぼれ落ちた。

懐かしい故郷の味だった。

匙で改めると色々な具材が入っている。

栗、銀杏、百合根、甘辛く煮た椎茸、鳥。全部橘媛の大好きな味だった。

それは玉子のプディングでは無く、茶碗蒸しだったのだ。


慌てて転がるように部屋を飛び出す。

けれど、茶碗蒸しを持って来た、女中の姿は見当たらなかった。


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