第二話 逃亡 中編
「嬢ちゃん、坊主、こっちだ!」
八十郎が駆けつけて来て、三人に非常用マスクを渡してから十三に伝える。
「北側の港からランチを使え。ここは駄目だが、三つ隣の三十二号島からなら転送ポートが使える筈だ」
「八十郎さんは?」
橘媛が訊ねる。八十郎は、何でもないといった風に笑って言った。
「嬢ちゃん達が脱出する時間を稼ぐ。なに、適当な所で切り上げて、直ぐに追いかけるさ」
近付いてくるドロイドは、前に緋色が相手をした暴徒鎮圧用では無く、降下兵と呼ばれるタイプの、戦争をする為のロボットだった。
その大きさは十間(十八メートル)程もあって、例え一体であっても、生半可に相手が務まる相手で無い事は明らかだった。
姫が察したのを感じて八十郎が笑った。
「良いんだ。ファウストに宜しく伝えてくれ。さぁ行ってくれ、十三!」
八十郎達は、此処で果てる覚悟だったのだ。
『駄目です。そんな事は許しません!』
けれど橘媛は、嫌々をするように首を振って叫んでいた。
眼に涙を浮かべている。そして、それを見て緋色が頷いた。
彼の役目は姉の心を護る事だった。
緋色が荷物入れを解いて、中から大弓と特製の矢を取り出す。
「マルティエ、アドバイスを頼む。あれを行動不能にするには、何処を狙ったら良い?」
姫の首の後ろから、黒猫が現れる。
「首の下にあるサービス・ハッチから、トランスポンダーを狙って下さい。制御用のマイクロ波中継器にダメージを与える事が出来れば、後はこちらから、制御系に乗っ取りを掛ける事が出来ます」
ライブラリの司書がホログラムの立体映像を生じさせる。
ドロイドの首の部分を拡大して、緋色の質問に答えた。
けれどホログラムの解説映像は、サービス・ハッチが地上から狙える位置に無い事を教えていた。
それに、例えハッチに当たったとしても、角度が急過ぎて、そこから中継器に当たるとは思えなかった。
「おい。これは、坊主が弓が得意だからって、幾ら何でもこいつは不可能だぜ」
八十郎がそう断言する。
それでも緋色がドロイドに向かって大弓を構える。そして矢をつがえた。
「何なんだ、その弓は」
八十郎が驚くのも無理もない。
それは、長さが七尺五寸(227センチメートル)もある大弓だった。
その弓は、軟鉄と鋼、固さの異なる三種の鉄を打ち合わせた、魔神特製の鋼の剛弓だったのだ。
大人三人掛かりでも容易に引く事が出来ない大弓が、緋色の膂力によって徐々に引き絞られて行く。
そこへ橘媛が、弟の背に右手の平を当てて言った。
「撃て!」
それはまるで、橘媛が弓を射た様に見えていた。
ソニックブームを残して地を這うように放たれた矢は、見当違いの方向を目指しているように見えていたが、衛星内のコリオリの力によって徐々にその向きを変えて行く。
更には真空中に放出されて行く大気の流れによって複雑に乱舞し、そして、まるで冗談のようにドロイドの首元に吸い込まれていった。
カンと小気味よい音がして五寸程の蓋が弾け飛ぶ。
そして、ドロイドがゆっくりと膝を着き、擱座してしまっていた。
「嘘だろ・・・」
戦時中の降下兵の凶悪さを、身を持って思い知る八十郎にとって、それは悪夢にも似た出来事だった。
一体で一つの都市を灰燼に帰すドロイドが、次々と擱座して行く。
緋色は一本の矢も外さなかった。
数分程で、全てのドロイドを機能停止に追い込んでから、姫は弟に訊いた。
「緋色、大丈夫? まだ行けそう?」
「勿論だよ。任せてよ、姉さん」
「ファウストの矢をお使い下さい。それなら未だ、可能性が御座います」
黒猫がアドバイスをする。
お前等何を言っている。
そう言おうとして、八十郎は言葉を飲み込んだ。
全てのドロイドはやっつけた。だが、敵は未だ一隻残っている。
だけどそれは、宇宙戦艦だぞ!
緋色は手の平で両頬を叩き、気合いを入れ直していた。
そして、菜々香が持たせてくれた三本の矢の内の一本、父の造った鏑矢を大弓につがえる。
思わず目をしばたかせていた。
弓を構える緋色の腕が、上半身が、膨れ上がって行く様に見えていたからだ。
気合いの込め方が、それ迄とは桁が違っている。
十四歳の緋色の身体が途方もなく大きく見える。
八十郎はそこに、自分の憧れである英雄の姿を見つけていた。
彼は、そいつの息子だったのだ。
そして緋色が、眼で姉に合図を送る。
橘媛が、手の平を弟の背中に押し当て、そして八十郎は漸く気が付いていた。
弓を射ているのは、弟では無く、姉の方なのだと。
「ブリッジを狙うのが、一番可能性が高いかと思われます」
黒猫が宇宙船のホログラム映像を浮かび上がらせて、的を示す。
けれど、姫は首を振った。
「駄目よそんなの。人に当たったらどうするのよ?」
何とかなるでしょう。
そう言って、姫が弟の背中をポンと押すと、魔神の鏑矢はソニックブームを残して戦艦に吸い込まれて行った。
八十郎は、ネットムービーで姫の言っていた事を思い出していた。
彼女は確かに、自分に魔神の力が有る事を認めていた。
可能性を操る力。
人よりも少しだけ運が良い?
けれどそれは、そんな生易しい物では無かった。
可能性さえ有れば、現実がひっくり返るのである。
それは正に、無敵の魔神の力だったのだ。




