第二話 謀略 中編
「演技指導ですか?」
咲姫役の女優が思い詰めた顔で、橘媛に頼んでいた。
「お願いします。お姫様の平舞いは、所作が難しくて、中々思い通りに行かないんです」
女優は良く遣っていた。
それはヴェロスだけでは無く、この場に居る者なら誰しもそう思っていた筈だった。
でもその一方では、このムービーはもっと良くなる筈と誰もが感じていて、皆のその想いがこの作品を、とんでも無いレベルまで引き上げていたのだ。
橘媛より依頼の動画撮影は佳境に入っていた。
ムービーの監修であり、この星の公主でもあるメナンドロスは、歌劇の脚本・演出家としても知られていて、彼女が加わる事によってこのムービーは、歌劇のスタイルを取る事に決まっていた。
そこ迄は良かったのだ。
オペラスタイルのムービーは珍しく無いし、橘媛の原作にも良くマッチする。
ただ、公主はそこに、橘媛の神楽舞いを加える事を提案して来たのだ。
姫の神楽舞いは祭りで何度か見ていたし、オリエンタルでエキゾチックなダンス要素を加える事で、物語が盛り上がり、何より他の歌劇との差別化出来る良いアイディアだと思えた。
しかし、この神楽舞いと言うダンスは見た目に簡単そうでいて、演じる俳優にとっては中々の難物だったのだ。
それでも女優は良く遣っていた。
メナンドロスが目指す所の、歌劇と能舞いとの融合は高いレベルで達成できていた。
けれど、演じる女優自身が納得出来なかったのだ。
橘媛は神楽舞いの名手であり、姫のレベルの舞いが有れば、作品がもっと良くなると皆が理解していた。
女優の強い要望によって、指導と言う形で有ればと、姫が一差し舞ってくれる事に決まっていた。
◇ ◇ ◇
スタジオのセットの中で、橘媛はガチガチに緊張しまくっていた。
祭りでは、大勢の観衆の中で優雅に舞っていたのに、スタジオの緊張感は姫にとって別物であるらしかった。
女優がファンからの贈り物である花を、花瓶から一枝抜いて姫に差し出していた。
プラント衛星の一件以来、橘媛には大勢のファンが居て、その花は姫の名と同じ橘というらしかった。
女優から、花の付いた枝を受け取った橘媛が、花のように笑う。
そして、姫の雰囲気が変わっていた。
演技指導が目的だったが、ヴェロスは撮影スタッフにカメラを回すよう指示していた。
本番と同じにしなければ意味が無かったからだ。
橘媛が花の付いた枝を振るだけで、スタジオの空気がピンと張り詰めて行くのが分かる。
その立ち姿だけで、気持ちが伝わってくる。
流石だった。
けれどヴェロスは眉根をしかめた。
素晴らしい舞いが有るのに、このまま撮影したのでは、観る者に伝わらないと気付いたからだ。
撮像機器にも限界はある。けれど、そう言って諦めてしまうには、目の前の舞いは素晴らしすぎた。
カメラマンに目を遣ると彼も同じ意見だったらしく、固定カメラをオートに設定すると、シネマ用のカムコーダーを担ぎ上げていた。
どんなに進んだ技術で造られていても、それが光学系の撮像機器である限り、焦点深度と言う概念から逃れる事は出来ない。
誤解を恐れずに言えば、被写体には出来るだけ近付いた方が良い画が取れる。
同じ画を撮影するのでも、望遠で撮るのと、近付いて撮るのでは、近付いた方がよりビビッドな画像が撮影出来るである。
勿論趣味の違いはあったが、ヴェロスとカメラマンの見解はこの点で一致していた。
橘媛は役に入り込んでいるのか、カメラが近付いても何の動揺も見せなかった。
カメラをワイドモードに切り替えて、姫の吐息が映る位にぎりぎりまで近付いて行く。
これがそこらの女優なら、肌荒れや化粧の厚さまで映ってセクハラで訴えられる所だが、カメラが幾ら近付いても、姫からは何の欠点も浮かび上がらなかった。
ヴェロスは溜息を吐きながらも、目の前の画像にのめり込んで行った。
ただただ、美しかった。
幼い頃に、本当に大切な物を無くしたような、そんな切ない思いに胸を捕まれる。
不意にヴェロスは、目の前の少女に恋をしている事に気が付いていた。
いやそれは、恋などと言う男女間の性差が介在する感情では無く、憧れや、尊敬と言った感情に近かった。
画像を観ながらヴェロスは、自分が姫を崇拝しているのだという事に気が付いていた。
自分だけでは無く、きっとこのスタジオに居る全ての者が、姫にそうした感情を抱いていると確信していた。
女優には悪いが、このシーンはこのテイクをそのまま使おうと決断する。
これ以上の映像は撮れる筈が無かったし、指導用として公開せずに済ますのは、何かを冒涜するような気がしてならなかったからだ。
姫の舞いが終わって、スタッフの拍手がわき起こる。
女優が涙を流しながら橘媛を抱きしめていたが、ヴェロスは気持ちが乗っている内にと、直ぐに編集に掛かっていた。
既に出来上がっていたムービーの神楽舞いの部分を、今撮った姫の映像と差し替える。
少し考えたが、連日矢の催促だったプロモーターの何人かに、パイロット版としてそれを送信していた。
気が付くと拍手が治まっていて、スタジオの機材搬入口で、アシスタントディレクターが誰かと揉めているようだった。
何人かのスタッフが止めに入って突き飛ばされ、表から沢山の人がなだれ込んで来る。
ヴェロスは、自らも止めに入ろうとして、固まっていた。
彼らは橘姫のファン等では無かった。
何故なら侵入者達は、自動小銃を構えていたからだ。
※器材の問題を論じている為、被写界深度では無く、焦点深度で合っている筈。
趣味の問題では有りますが、ヴェロスは話の中で、望遠で撮影すると焦点深度が深くなってのっぺりした像になる事を嫌いました。




