第三話 英雄の名 後編
「そうです。使い慣れた名を捨てさせるのですから、それなりの儀式が必要です」
そう言って、部屋の隅に立て掛けられた、細長い包みを手にしていた。
八〇一三が、包みの縛られていた端側の紐を解くと、中から一振りの剣が現れる。
老人達が、はっと息を飲んでいた。
「そいつは儀礼用の長剣。一三、貴様、始めからその積もりで居やがったな!」
八十郎がそう言ったが、橘媛には意味が分からない。
「柄をお持ち下さい」
鞘を持って、八〇一三が橘媛に剣を捧げる。
姫が柄を握ると、八〇一三が鞘払いをして、白く輝く刀身が現れた。
そのまま八〇一三が、姫の前に跪く。
「剣を私の肩に置いて下さい」
「これって・・・」
幾ら文化の異なる橘媛でも、そこ迄されれば見当が付いた。
それは、騎士が忠誠を捧げる儀式だった。
「さぁ、名をお授け下さい」
「でも・・・」
橘媛としては、流石にこの状況で名を授ける訳には行かなかった。
例え自分が魔神の子供だったとしても、目の前の者達とは無関係なのだ。
この状況で彼らの好意を受け入れる事は、余りにも無責任過ぎる。
けれど、立ち竦む橘媛に、八〇一三は言った。
「微々たる物では有りますが、それでも我々の力は、ファウストがこの地に残した彼の遺産なのです。それを受け継ぐのだとは考えられないでしょうか?」
「だけど・・・」
八十郎が進み出る。
「俺からも頼む。どうか、こいつの願いを叶えて遣って欲しい。精神が擦り切れた俺達に、残された時間は僅かしか無い。最後に、夢を見させてやって欲しいんだ」
「姉さん。別に良いんじゃないかな? 」
緋色がそう言って、橘媛は決断していた。
「穂積の姫、真人一郎の娘、弟橘が、汝に名を授けます」
打ち捨てられたも同然のプラント衛星の一室に、その時何故か花の香が薫った。
何処からか入り込んだ小さな花びらが、蝶のように舞っている。
「八十十三」
八〇一三の心の中を、一陣の風が吹き抜けて行く。
そして、幾重にも痛め付けられ、後は崩れ去るだけとなった彼の心に、失われてしまった筈の記憶の一遍が蘇っていた。
彼は、弑される為に生まれた命だった。
大戦の末期に粗製濫造された英雄の複製の一人で、気の遠くなるような長きに行われた大きな戦いの、撤退戦の殿を任された百人の内の一人だった。
何の感慨も有ろう筈がない。
有るだけの弾薬をばら撒いた後、陣地と共に自決するようプログラムされていた。
それなのに、何故か彼の人が現れて、彼らに檄を飛ばしたのだ。
死ぬ事は罷り成らぬと。
その場にいた者は、彼を残して皆惚けていた。
天と地が置き換わろうとも不可能な話だった。
それ程迄に、彼我の戦力差は圧倒的だったのだから。それなのに、彼は言ったのだ。
「出来るとも。お前達はこの、無敵の魔神の血を引く者達なのだから」
あの時から、彼の人の心が、十三と共に在った事を思い出す。
そして、姫の心の光が、朽ち果てた十三の心を禊ぎ払っていた。
古ぼけたプラント衛星の一室を、何故か一陣の風が吹き抜けて行った。
そして、幾重にも痛め付けられ、後は崩れ去るだけとなった彼の心が、ほんの僅か蘇っていた。
死んだ心により止められていた、新陳代謝が活動を始める。
この世界に置いて、外見は心の反映だった。
八十十三の魔神の肉体が、若返りを始める。
何の不思議も無い。彼は、無敵の魔神の血を引く者なのだから。
そしてその日、橘媛は、父の遺産である三十余本の剣を手にしていた。
◇ ◇ ◇
「どうか、ハインドを誅せよとご命じ下さい」
三十余名の魔神の力が在れば、およそ出来ぬ事は何もない。
力を取り戻した八十の氏名を戴く戦士達は、橘媛に敵を討つ事を願い出ていた。
「ハインドを討てば、どうなると言うのですか?」
戸惑いながらも、姫が十三達に訊ねる。
「ワールドが救われます。圧政は解かれ、世の人々は幸せを取り戻すでしょう」
けれど橘媛は、首を振った。
「ハインドを討っても何も変わりはしません。良い所、あなた達の気が晴れる位の所でしょう」
そして、姫の真意を理解出来ない者達を前にして、大きな溜息を吐いた。
「ハインドに罪があるとしたら、それは、彼の政策によってワールドの経済を凍てつかせてしまった事よ。それも、彼の取ってきた経済政策は、基本的に間違ってはいない。他の誰かが遣るよりは、ずっとましだった筈よ」
それは、十三達が望む答えではなかった。
何故なら、この世界の仇を誅すれば、苦しむ人々は救われる筈だからだ。
「何故、その様な事が分かるのですか?」
訊ねる十三に姫は言った。
「何故って、調べたのよ。お父様が居なくなってから、この世界で行われて来た彼の施策を。彼のやって来た事を調べれば、その考え位は理解出来る。ハインドはこの世界に対して、自分の出来得る事をきちんと遣っているわ。決して、悪意なんて持っていないの。そんな人を罰するなんて出来ないわ」
では、ファウストに仇なすハインドを粛正すれば、世界は救われるの訳ではないのか?
十三は、自分の進むべき道を見失ってしまっていた。
もう少し、だらだら続きます。




