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壷の魔神  作者: 坂月つかさ
第三章
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第三話 買い物 後編

橘媛が訊ねても、男はただ惚けた様に姫を見返すばかりだった。

「お腹が、空いているのかしら?」

「姉さん。もういい加減にしなよ」

弟の緋色が橘媛を制止する。


橘媛の一行は、星の都のマーケットを歩いていた。

他の星々から集められた豊富な自然食品の中には、値段も安くは無いが、それなりに食べられそうな物が色々と有る。

故郷と同じ米は無かったものの、長粒米や蕎の実があったし、魚売場では、鯵に似た干し魚を見つけていた。それらを試食し、まとめて公主の屋敷に送り届けて貰う事にする。

次は衣料品と、食料品店を出た所で、橘媛が行き倒れの男を見つけていたのだ。


「緋色」

姫が緋色に合図をすると、弟は最初渋い顔をしていたが、それでも懐から竹皮に包んだ握り飯を取り出し、包みを開いて男に差し出していた。それは今朝、飯盒で炊いたご飯の残りだった。

男は訳が分からないと言った顔付きだったが、それが食べ物であると気付くと、最初は恐る恐る、次には夢中になって食べ始めた。


「マルティエ」

橘媛が呼ぶと、彼女の肩に黒猫が現れる。

「彼のプロフィールを」

「ヴェロス・ストリェラー。年齢は三十四歳。職業は、ムービーメイカーです」

黒猫が淀みなく男のプロフィールを読み上げる。それを見て、男が仰天していた。

「そいつは、司書なのか?」

「なんだ、ちゃんとしゃべれるじゃない。そうよ。マルティエはライブラリの司書よ」

橘姫がそう答える。

銀河ネットワークは、軍事システムであるライブラリのインフラを、借り受けする形で運営されている。

ネット上では機密の個人情報も、ライブラリからは丸裸にされると言われていた。

ヴェロス自身、そうした事を常識としては知っていたが、実際に上位システムであるライブラリを使う者をこうして見るのは初めてだったのだ。

「ライブラリの司書っていうのは、個人レベルで使える物なのか?」

「ノーコメントです」

姫が何かを言い掛けたが、それを制して黒猫が言う。


これは金になる。

ヴェロスは先ずそう思った。

ライブラリのシステムは、軍事機密の厚いベールに覆われている。

ジャーナリスト紛いの仕事をしていた関係で、この手のネタを持ち込めば、喰付きそうな奴を何人か知っていた。

・・・莫迦だ、俺は。

手に持った握り飯を見て、そう思い直す。

見ず知らずの浮浪者にも慈悲を施す、天使のような女性を、自分は、幾らかの小銭と引き替えに売り渡す事を考えていたのだ。

自分はいつの間にか、心まで浮浪者になってしまっていた。

こんなクソ野郎が、天使の眼を汚していて良い筈が無かった。

「有り難う。これ、何て言う食べ物か知らないけど、とても旨かったよ。礼は出来ないが、恩に着る・・・」

礼を言って立ち去ろうとする。

でも、目の前の天使は、真っ直ぐにヴェロスを見据えて言っていた。

「ムービーメイカーって事は、あたしの望む映像も創れるの?」

えっ?

ヴェロスは眼を丸くしていた。

仕事の依頼? こんな、俺に?

けれど、黒猫の言葉が、ヴェロスを現実に引き戻す。

「この男、会社の金を使い込んで、首になっております。信頼に足るとは思えません」

『待ってくれ! それは違うんだ。会社の上司に填められて・・・』

そこまで言って、ヴェロスは自分が、絶望の黒穴の上に立っている事を思い出した。

そんな事、証明のしようが無いし、今更信じてくれる者など居る筈も無い。

でも、目の前の女性は言っていた。

「どう言う事なの?」

「どうやら彼は、会社の同僚に罪に陥れられたと言っている様です。なるほど、当時の資料に寄れば、経理に不自然な操作が有った事が分かります。それに、退職後にも執拗な介入が見られる事から、怨恨による嫌がらせと言うのは、有りそうな話です」

「ライブラリってのは、そんな事まで分かるのか!」

「当然です」

驚くヴェロスに、黒猫が事も無げに言った。

「ねぇ、マルティエ。彼の不名誉を、晴らしてあげられないかしら?」

「民事事件ですので、介入は困難ですが、時間を掛ければ不可能では無いでしょう」

「待ってくれ!」

自分でも気が付かない内に、ヴェロスは声を上げていた。

「それよりも、あなたが望む映像の話を聞かせては貰えないだろうか。こう見えても俺、腕の良いムービーメイカーなんだ」

「彼は、小作品で何度か賞を受賞をしています。その点に付いては間違いは無いようです」

有り難い事に黒猫が太鼓判を押してくれる。ライブラリと言うのは、想像以上に便利なシステムの様だった。

「今は訴訟よりも、一品でも多くの作品を創りたい。君が動画を創りたいと思っているなら、是非、俺に協力させて欲しい」

「つまりあなたは、復讐を望んではいないと言う事なのね」

ヴェロスが頷く。

冷静に考えれば、訴訟で名誉を回復した方が得なのは明らかだった。でも、その時のヴェロスには、目の前の女性にさえ信じて貰えれば、それ以外はどうでも良い事のように思えたのだ。


花の香りがした。

それは、ヴェロスが知らない異国の花の、胸をすくような清々しい香りだった。

気が付くと、天使がまるで、花のように微笑んでいる。

ヴェロスの言葉は、橘媛の心の琴線に触れていた。

その微笑みは、姫にその笑顔を作らせた事を、誇りに思わずには居られないような、そんな微笑みだったのだ。

「分かったわ。あたしが、あなたを買うわ」

天使がそう言っていた。

『姉さん!』

供の者が血相を変える。


星の都のマーケットの片隅で、ヴェロスが橘媛に買い上げられていた。

それは、彼の人生の分岐点だった。

ヴェロスは自分の人生が、軋みを上げて変わって行くのを感じていた。


※5/31に章立てを変更。内容の変更は有りません。

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