第五話 粥 後編
「それで、この白いのが、ファウストがいつも食べている料理なのね?」
公主が緋色の粥を前にしてそう訊ねた。
「はい。あ、いいえ。これは、干し飯を戻した物。つまり、インスタント食品の様なもので、高貴な方が召し上がるような物では・・・」
「でも、ファウストも食べたのよね?」
公主にとっては、どうやら、その部分が重要なようだった。
緋色が仕方なく頷くと、公主がその粥を食べたいと言う。
シャワーの前に食べて置くのだったと後悔したが、後の祭りだった。
「何これ? 全然味がしないじゃない」
「ですから、高貴な御方の口に合うものでは・・・」
緋色が弁明する。
橘媛は、一人黙々と粥を食べていたが、緋色を一瞥してから公主に言った。
「柔らかな物ですが、それでも、しっかりと噛みしめてみて下さい。唾液中のアミラーゼが澱粉を分解するので、味が変わって来る筈です」
「本当だ、何だか甘くなって来たわ」
緋色は、自分の粥が無くなる事に気落ちしたが、姉がそうした卑しい考え方を嫌うのを思い出した。泣く泣く諦める。
変わりに、行李の中からプラスチックパックを取り出して、香の物の袋を開けた。小皿に移して公主に勧める。
それは、菜々香の作った、すぐきと京柴の漬け物だった。姉弟の好物でもある。
「一緒にお召し上がり下さい。少し、塩辛いのでお気を付けて」
「ピクルスの様なものね? あら、ちょっと変わった酸味があって、美味しいわ」
公主は香の物が気に入った様子だった。そして、一緒に食べると尚更美味しい事に気が付いて、あっという間に粥を平らげてしまっていた。
「あの・・・、お代わりある?」
緋色が苦笑する。
二万五千光年の宇宙で、姉弟が食べられる唯一の食材だったが、他人に振る舞いを惜しむのは魔神の遣り方ではない。
公主は結局、粥を三杯お代わりして漸く満足した様子だった。
「贅沢とは言えないけれど、心が満足する味だわ。とても美味しかった」
「それで、我が家の食事を判断して貰っては困ります」
公主の批評に姉弟が異を唱える。
そして、二人の父が姉弟に食べさせる為に、大きな鯛を釣ったり、パン焼き窯を造ってくれた事を話すと、公主は大いに喜んだ。
「あいつ、食事は燃料だとか、身体を造る材料にしか過ぎないとか言ってたくせに、自分の子供達にはちゃんと食べさせてるんだ」
そして、納得した様に言った。
「そうか、あいつ、今は幸せなんだ・・・」
公主は、はらはらと涙をこぼしていた。
「どうされたのですか?」
橘媛が公主に訊ねる。
「私はファウストの友人で、彼の一番の理解者だと思っていた。でも、今はそうでは無い。それどころか、私は彼が漸く手に入れた小さな幸せを、取り上げようとしているのよ」
緋色は自らの予感に震えていた。
この話の続きを聞いてはいけない。
それは、彼の魔神の息子としての、ささやかな予感だった。
穂積の者に頼られて、魔神は自分の居場所を見つけていた。
壷の魔神の物語は、めでたしめでたしで結末したのだ。
そして、誰よりも我が母が、世界で一番父を必要としている。
それなのに、メナンドロス公主は、粥の紙皿を眺めながら涙を流していた。
聞きたくなどは無い。
それなのに、無情にも公主は、その言葉を口にしていた。
「『ワールド』は滅びに向かっている。私たちにはファウストが必要なのよ」
◇ ◇ ◇
「一体どう言う事なのですか?」
橘媛が訊ねる。
公主は答えて言った。
二十万年前、ワールドに住まう者達は活気に溢れ、その心は希望に輝いていた。だが、今はそうでは無いのだと。
現在人々は惰性で生き、その心は虚無に蝕まれている。通りから子供達の笑い声が消え、人々の顔からは笑顔が消えてしまっていた。
公主が、沢山の知恵有る者達が、荒廃を止めようと足掻いたものの、誰もこれを矯める事が出来なかったのだ。
だから、魔神の力を必要としているのだと。
「公主様は、ワールドを救って欲しいのですね?」
頷く公主に、橘媛は微笑んでいた。
その表情は、誇らしげに輝いてさえいる。
そして、弟の心配そうな顔を余所に、橘媛は力強く言い放った。
『その願い、あたくしが叶えましょう』
◇ ◇ ◇
橘媛の前で、公主があっけに取られている。
緋色は姉が、ここの所大人しくしていた事を思い返していた。
裳着の儀式(女性の元服)を済ませ、橘媛の名を戴いてからは、姉は本物のお姫様のように淑やかに振る舞っていて、そろそろ爆発する頃合いだったのだろう。
でも、緋色は姉を止めようとして思い直した。
姉を守ると言う事は、その心をお守りする事だと、気付いたばかりだったからだ。
菜々香なら間違いなく姉を止めていただろう。
だが父は姉の供に、菜々香では無くこの自分を選んだのだ。
それに、緋色は自分の姉を、我が事のように良く知っていた。
父の力と、戦いの技は、全て自分が受け継いだ。
けれど、それ以外は、全て姉が継いでいたのだ。
緋色は知っていた。姉は、魔神なのだと。
今は姉が、人々の願いを叶える「壷の魔神」なのだ。
公主は、本気に受け止めている様子は全く無かった。
それはそうだろう。十五の少女が世界を救える等とは誰も思わない。
だが、本気を出した姉は、魔神である父でさえ止める事が叶わない。
案外姉にとっては、地球など小さすぎ、「ワールド」位がちょうど良いのかも知れなかった。
そう考えると、緋色の塞いでいた気分は晴天の様に晴れ渡り、大声を出して笑いたい、無闇に愉快な心持ちとなっていた。
姉を守ろう。
緋色は、再びそう決意していた。
物語のストックが無くなったので以降の更新はペースダウンします。
ご意見ご感想など戴けると、とても励みになります。
どうか、今後ともお付き合いの程をよろしくお願いします。
※5/31に章立てを変更。内容の変更は有りません。




