第四話 粥 前編
精一杯の笑みを浮かべる姉を、緋色は悲しく思った。
この人を守ると言う事は、この様な事からも守る事ではないのか。
緋色は、自分たちの居る豪華な客室が、まるで監獄のように思えてならなかった。
自分の無力さを痛感する。菜々香なら、きっと何とかしてくれた筈なのに。
「けど、今は何より、菜々香の作った茶碗蒸しが食べたいわね」
そう言って、橘媛が苦笑する。
彼女が、自分たち姉弟をどんなに守ってくれていたか思い知る。
そして緋色は、待てよ。と、思い返した。
「菜々香なら・・・」
彼女なら、この位の事を想定していたのではないかと思えたのだ。
「そうだ、荷物だ!」
緋色は慌てて、部屋に運び込まれていた、彼らの荷物に駆け寄った。
「緋色?」
橘媛が自分の弟を、不思議そうに眺めている。
渋紙の包装を剥がす、自らの手付きももどかしく、何度も舌打ちをする。
そして、旅行用の柳行李を開くと、そこには今二人が最も必要とする物が納められていた。
「は、はははは・・・」
笑い。と言うよりも、腹筋が痙攣していた。
「銀河文明の最先端に行くんだぜ。もっと、他に入れる物が有るだろうに・・・」
橘媛が弟の背中越しに荷物を覗き込む。
そこには一升徳利が二つと、米が入っていた。
菜々香は二人の荷に、食料を優先して入れていたのだ。
白米、玄米、そして干し飯。プラスチック製の袋には、味噌や醤油や塩昆布等が入れられていて、おまけに飯盒や茶碗の類まで入っている。
徳利には、濾過フィルターとイオン交換装置が組み込まれていて、幾らでも純水が作れる仕組みになっていた。
二人の荷物の半分以上が、実にそうした食料関係で占められていたのだ。
「何だか、ジャングルでサバイバルが出来そうね」
橘媛がそう感想を述べる。
「食事にしよう。飯盒で米を炊く・・・。いや、干し飯が入ってるから、これで粥を作ろう」
正に至れり尽くせりだった。
五徳の付いた陶製の皿に、炭化水素の固形燃料キューブを置いて火を着ける。紙皿に、干し飯と水を注いで乗せると、直ぐに米の煮える良い匂いが漂い始めた。
橘媛が、荷の中に氏神の札を見つけ、部屋の中に祭壇を設える。
米と水と塩とを供えて、一門の祖先を祭ると、先程まで牢獄だった客間は、穂積の住居へと変わっていた。
「緋色、先に足を洗って来なさい」
「姉さんが先で良いよ」
二人で交代でシャワーを使う。
けれど、緋色が浴衣に着替えてシャワー室から戻ると、彼が座るはずの膳の前には、既に一人の女性が座っていた。
それは、メナンドロス公主だった。
「お邪魔してるわよ」
◇ ◇ ◇
先程とは打って変わり、公主は機嫌を損ねている様子だった。
「二人そろったから言うけど、食べられない物が有るなら、はっきりそう言いなさい。子供が余計な気を使わ無いの。分かった?」
何故それが知れてしまったのだろう。
緋色は不審に思い、そして、姉の肩に一匹の黒猫が居るのに気が付いた。
それは、父の使い魔の猫だった。
「マルティエ、何故お前が此処に?」
猫が首だけ向き直り、人の言葉で答えた。
「ファウストは、この地に置ける全ての権限をお嬢様に委譲なされました。その中にはライブラリに関する権限も含まれ、私のお仕えするマスターも、正式にお嬢様に変更されたのです」
使い魔の猫が、そう報告する。
その姿は父の趣味であり、勿論彼は、猫などでは無い。
彼の正体は、銀河ネットワークを管理する機械知性体だった。彼を従える事は、この世界で大きな力を持つ事の証である。
彼は二人の父の、魔神の力の象徴でもあったのだ。
「クライアントサーバーの移行により、データ更新とAIの再構築に手間取り、ご報告が遅れてしまいました。ご不便をお掛けしたようで申し訳有りません」
人間の供は付けられなくとも、AIであればその限りではない。
父は姉弟に、彼を供にと付けてくれたのだ。
公主は不機嫌そうに言った。
「AIからあなた達のレポートを貰ったわ。油物はお腹を壊すとか、魚介は新鮮でないと食べられないとか、パンは柔らかくないといけないとか、事細かに記載されてる」
公主はそのレポートによって、晩餐の時の、姉弟の怪しい反応の理由を知ったのだろう。
「ファウストの引退が本気なのは納得したわ。けど、彼が私の大切な友人で有る事に何の変わりも無いの。いい? あなた達は、私にとって最重要の客人なのよ。それを飢えさせるなんて事したら、この私がどんな気持ちになるか、少しは想像なさい!」
公主の不機嫌は、どうやらその事が理由の様だった。
基本的に善良な人なのであろう。
「でも、このレポート。他にも三日に一度、玉子にスープを混ぜて蒸した物(茶碗蒸し)を食べさせなさいとか、料理のレシピまで記載されてるのよ。どうでも良いけど、あなた達の執事って、子供を甘やかさせ過ぎじゃないの?」
緋色には、誰がそのレポートを書いたのか想像が出来た。
間違いなく菜々香だ。
何と二万五千光年以上離れていても、彼女の守り手は確かに姉弟に届いている。
笑うしかなかった。
「本当に、私もそう思います」
柳行李、行李は、旅行用のつづら籠、要はトランクの様な物です。
※5/31に章立てを変更。内容の変更は有りません。




