追放
「――え?」
頭上に降り注ぐ太陽の光を浴びながら、そんな言葉が口からこぼれる。今しがた起きたことの衝撃にすら、身がすくまない。
鳥の鳴き声が耳を満たす。あちこちから聞こえてくる、穏やかな交響曲だ。
俺は闇の中にいた。痛みがあった――全身を焼き尽くすような、激しい痛みが。それから……
「何ぼさっと突っ立ってんの? 早くしなさいよ!」
頭が、その声の方へゆっくりと動いていく。青空を背景に、馬車が立っている。三人の少女が前方に座り、興味深げな表情でこちらを見ている――ナヴィだけは別で、俺を睨みつけている。
仕方なく、よろめきながら馬車に乗り込む。転びそうになりながら。
俺は……未来を見たのか? あれは、何かの悪い未来だったのか? バッドエンドか?
馬車が揺れ、俺を現実に引き戻す。一番近い座席を掴み、そこに崩れ落ちる。顔は完全に硬直したままだ。
汗が顔を伝い、輪郭に沿って流れ落ちる。
気持ち悪い、気持ち悪い
「体調が悪そうだが。大丈夫か、カイト?」
コルスの声は優しいが、最初は頭すら持ち上げられない。笑顔は貼り付けたようになっているが、手は震えている。今この瞬間でさえ、あの洞窟が体を押し潰してくる感覚を、幻のように感じる。消えかけていく松明の光。悲鳴。腐敗臭。
気持ち悪い、気持ち悪い
「カイト殿?」
背中に手を這わせる。まだ感じる――肋骨に燃える棒を突き刺されるような、焼けた金属の幻の感触を。
もう二度と、あんな経験はしたくない。
気持ち悪い、気持ち悪い
それでも……もしあれが未来だったなら、それはつまり、俺に何かの能力があるということかもしれない。先を見通す能力が。
震えながらもコルスを見上げ、笑みを浮かべる。「ああ、悪い、大丈夫だ。むしろ、絶好調だよ!」
気持ち悪い、気持ち悪い
少しふらつきながら立ち上がる。「なあコルス、俺、能力に目覚めたかもしれない!」
「能力? ぜひ教えてくれ」
芝居がかった仕草で腕を組み、脚を組む。「そうだ、他の追随を許さない、強力な能力だ。あえて言おう、神がかった能力だ、とな!」
コルスが身を乗り出す。骨ばった手が期待に震えている。
「そうさ、コルス、俺には……未来を見る能力があるんだ!」
沈黙。馬車のきしみだけが響く。
それから、忍び笑いが聞こえる。前方から、おそらくアリヴィアのものだろう。まあ、信じがたいのはわかる。でも、俺自身も同じ気持ちだから、お互い様だ。
「ねえ、カイト、未来がわかるなら」ナヴィが切り出す。
「ん?」
「これ、避けてみなさいよ」
瞬きする。反応する間もなく、水しぶきが顔面に降りかかる。びしょ濡れになり、馬車の床にしずくを垂らしながら、同じようにびしょ濡れの表情を浮かべる。
「なんて便利なジョークだ!! つーか、いつの間にバケツなんか用意したんだ?!」
忍び笑いが、爆笑へと変わっていく。
「濡れた子猫みたいっ!」
気持ち悪い
袖の水を絞りながら、ため息をつく。
「彼女たちに代わって謝罪しよう」コルスが言う。「時々、冗談が度を越すのだ」
「まあいい。猫に吠えろって言うようなものだろ?」呟く。
もちろん、誰も俺を信じない。手のひらから炎を放ち、巨大な骸骨トカゲと戦う世界でさえ。まあ、当然の反応だ。
異世界で「当然」なんて言葉を使ってる自分に、思わず苦笑いする。
もし予知能力を信じてもらいたいなら、確実に当たるものを何か言う必要がある。
そうだ。
「わかった、それなら!」相手の間違いを証明してやると、叫ぶ。「ヴァロスには、ゴブリンの洞窟があって、そこで――」
突然、言葉が止まる。息が詰まる。
体が固まる。
一瞬、俺は馬車の中にいない。
あそこに戻っている――闇の中で息が詰まる。
またあの腐敗臭を感じる。床が冷たく体の下にある。壁一面の死体から、手が俺に触れてくる感触がする。
口が開く。だが、何も出てこない。
「ゴブリンの洞窟?」アリヴィアが声をかける。
言葉が出ない。喉が締まる。とげのある、見えない塊が喉に詰まる。
もし口に出せば、それはまた現実になってしまう。
「もし彼の話が本当なら、別の問題が生じますね」アサカワが淡々と言う。
「じゃあ、報酬が倍ってことじゃん!」アリヴィアが座席で跳ねる。
「ふむ。モンスターの群れは厄介かもしれませんが、私たちの誰か一人で十分対処できるでしょう。所詮、ゴブリンですから」アサカワが付け加える。
「あんたたち、本気でこいつを信じてるの?」ナヴィが割り込む。声には苛立ちがにじんでいる。「こいつはただ反応を引き出そうとしてるだけよ」
視線を彼女に向け、前方の小窓に両手をかける。
このクソ女! あの洞窟には本当に何か危険なものがあるんだよ!
「ヴァロス周辺は管理されてるの。ゴルスロが、自分の金づるをモンスターに間引かれるなんてこと、許すはずないでしょ」
「はぁ?! いや、本当のことを言ってるんだって! 信じてくれ!」
ナヴィが振り返る。疲れきった目つきで。
「本当なんだって! 嘘ついて俺に何の得があるんだよ? 何もないだろ、それが答えだ!」
彼女が窓を閉める。
俺の指の上で、思い切り。
……マジかよ? なんだこの反応。なんでそんなに頑なに俺を否定しようとしてるんだ? それとも、単に俺の悪ふざけにうんざりしていて、本当に関わりたくないだけなのか。
それでも、これはまずい。本当にまずい。狼少年の話は置いておくとしても、あの子供たちは本当に危険な状況にいる。
「コルス、あんたは信じてくれるよな?」
彼が頷く。
コルスは最高の男だ、マジで。
「しかし……申し訳ないが、カイト殿、あなたを信じてはいるものの……何か……」
「証明する方法か?」代わりに言い切る。
「すまない」
「いや、いや、いいんだ。当然のことだ」顎に手を当て、考える。「よし、俺たちがあそこに着いたら、それは夕暮れ時で、俺たちは町の広場の真ん中に馬車を停める」
コルスが頷く。「なるほど。それが起こることを、私は心から信じよう」
「ああ、わかる。でも待てよ、そんな能力、実在するのか?」
「うむ、思い当たるものはない。しかし、剣を見つめることで使い手を未来へと導く力を持つ、『セヴェラント』と呼ばれる武器は存在する」
唇もないのに、どうやって「うむ」って言えるんだ!?
瞬きする。一回。二回。
待て、こいつが今言ったこと、まったく理解できない。
「セヴェラント?」
「――? セヴェラントをご存じないのか?」
顎を掻く。
「いや、特には」
いや、「特には」なんて言葉、この状況では使えないな。まったく完全に、その用語について知らなかったんだから。
「興味深い。まあ、一番わかりやすい説明としては、セヴェラントとは、使い手が『生命の糸を断つ』ことを可能にする特殊な武器だ。それぞれが潜在的な能力を持っている。解放される力の量は、数値化された『解放段階』によって制限される」
「それ、斬魄刀っぽいな」
「?」
「なんでもない、続けてくれ」
ああ、話の腰を折ったことに、少し申し訳なくなる。彼の声には、明らかに興奮がにじんでいたのに。
「ああ、続けよう。すべてのセヴェラントには最大3段階の解放が潜在的に存在するが、特に強力なものは2段階に、そして絶対的な力を持つ神話級の武器の場合は、1段階に限定されることもある」
「へえ、特殊な武器か。それを手に入れるのに何か条件があるのか、それとも誰でも行って手に入れ――」
「おい、くっちゃべってないで、着いたわよ!」
「はぁ?!」
気づけば、俺は厩舎の中に立っている。
町の広場じゃない。
太陽はない。空は暗い。世界がおかしい。
なんで……? 俺は未来を見たはずだ。確かに見たんだ。
昼間のはずだろ!
なのに、俺はここにいる。夜空。ちらつく酒場の明かり。通りには数人の酔っ払い。夜の街の喧騒が通りに響き渡り、笑い声がそれに重なる。
未来って、変わらないはずじゃないのか?
振り返る。ナヴィはすでにカルシファーの前に立ち、腕を組んでいる。あの、我慢ならないほど得意げな笑みが戻ってきている。
「未来なんて見えないみたいね」彼女は鼻歌交じりに言い、俺の横を通り過ぎながら、皮肉たっぷりに励ますように手を振る。「普通でいいのよ。特別な能力なんていらないんだから」
まさか……まさか、わざわざヴァロスへの違うルートを選んで、俺が妄想を見てるだけだって証明しようとしたのか?
「んくっ――!」
「心配しないで奴隷くん! きっといつか能力に目覚めるって!」アリヴィアが陽気に、拳を突き上げながら言う。
彼女の姿と目を合わせる気にすらなれず、うめく。もし合わせたら、絶望の叫びを上げることになりそうだから。
「もう……もういい、行けよ」
彼女たちは一人ずつ、酒場の中へと入っていく。
アサカワは何も言わない。
「大丈夫だ」コルスが言う。「あなたはまだ未来を見る力があると、私は確信している」
顔が『まったく信じちゃいないが、それでもお前が気の毒だ』と叫んでるぞ。
そもそも顔すらないだろ、お前!!
ため息をつき、酒場の方を向く。ナヴィはまだそこにいる、ちょうど外に立ったまま。暗さのせいで表情はわからないが、誰でも怒らせるような類のものだろうと確信している。
「ああ、占い師さん」彼女が言う。「あたしたちは情報収集に中に入る」
「ゴルスロについて?」
「なんでわかったの?」
「はっ。誰だってわかるだろ」
彼女が驚いたように瞬きする。ああ、そのショックを受けた顔、今度はいい気味だな。普段なら俺が優越感に浸って鼻を鳴らすところだが、正直、笑いものにされすぎて、もはやどうでもよくなっている。
「ま、待ちなさい、どこにも行こうとしないで」動揺した様子で言う。
「わかってる、わかってるって。カルがいつでも俺を食う訓練を受けてるからな。ハイハイ」彼女を手で払う仕草をする。
彼女は一瞬ためらい、それから中へと入っていく。
今は、俺だけと、石の床と、奇妙な馬に似た動物たちの物音、そしてカルシファー。背骨に沿って手を這わせると、静かなうなり声を上げる。とげのある部分に触れないよう慎重に気をつける。正直、快感を感じているのはこいつだけなんじゃないか? 俺には、まるで岩を撫でているような感覚しかないから。
「まあ、いいか」呟きながら、セメントの床に手を這わせる。床には小さな埃の跡がいくつか残っている。
厩舎はおおよそ12平方フィートくらいの広さに広がっている。まあ、これを「厩舎」と呼ぶのは、かなり寛大な表現だろう。実際は、F1のピットステーションのようなものに近い。それぞれの列に、乗り物を『駐車』して繋いでおくスペースがある。中央には、おそらく飼育係のための一人用のブースがある。
俺は、わずかに高くなった小さな石の床に座り、カルシファーの体はだいたい俺の方を向いている。
夜の音がかすかに響き渡り、黒い月が空に輝いている。
星らしきものが、その無秩序さで空を彩っている。
俺には何かしらの能力があるはずだよな? それとも、あれは熱による幻覚か何かだったのか? どちらか一方のはずだ。
待てよ……
さっき触れた丸太の、あの頭蓋骨の紋章を思い出す。
あれに触れたとき、俺の心は未来を覗き見たのか?
自分の手のひらを見つめる。
戻っても意味はないが、あれは一回限りのことだったのか? それとも、俺はこの能力を生まれつき持っていて――物に触れるたびに未来を覗き見るよう呪われているのか?
いや待て、それは考えるだけでも混乱しすぎる。
「くそ、疑問だらけだ!」うめく。
石の地面に背をもたせかけ、組んだ腕の上に寝そべる。特にすることもないし、それに、この生物を懐柔するための肉のかけらもない。だから、動くのはやめておく。
待てよ。
あのゴブリンの洞窟のことを、何とかしなきゃいけない! どうして忘れてたんだ!?
「――くっ、くそ!」
急いで立ち上がると、誰かがこちらに走ってくる音が聞こえてくる。
先ほどのビジョンで見たのと同じ女の子の姿が、目の前に現れる。長い茶色の髪が肩まで垂れている。
「すみません、お兄――!」
まっすぐに立ち上がり、彼女の姿に視線を集中させる。一瞬たりとも逸らさずに。
「お前の友達、あの洞窟にどれくらいの時間、入ってる?!」
彼女の顔に、ショックの表情がよぎる――コボルドの隣に横たわっていた奇妙な男が、自分の置かれた窮状を正確に把握していたことへの驚き。そのショックは、混乱と、ほんの少しの安堵が混ざったものへとなめらかに変わっていく。
「え? 10分くらいです……」
助かった。俺たちが到着したタイミングを考えると、もっと長く待たされていたら悲惨な結末を迎えていたんじゃないかと思っていたが、どうやら時間は少しだけ前に進んだらしい。
一体どうなってるんだ? 何ひとつ、以前見たものと同じようには進んでいない。俺は本当に未来を見る能力を持っているのか、それとも、あれは一回きりのことだったのか?
遠くの森の際に目をやる。
拳を握りしめる。
一人であそこに入るわけにはいかない――先ほどの出来事を繰り返すつもりはない。助けが必要だ。いや、あんな思いは二度としない。今回は違う結末になるかもしれないが、それでも、強い誰かがそばにいない状態で行くという言い訳にはならない。今回はチャンスに賭けたりしない。
女の子の手を掴む。
「ついてこい」
全力疾走に移る――ただし、女の子が足元を保てるよう気をつけながら。酒場へと駆け込む。ドアが大きなきしみ音とともに開き、琥珀色の温かい光に満ちた店内があらわになる。空気にはエールと燻製肉、それにかすかな香の匂いが漂っている。
しっかりした木の階段が上階へと続き、その一部は影に覆われている。天井はかなり高く、重厚な梁に支えられていて、垂直方向の空間を際立たせ、部屋を実際以上に壮大に感じさせている。右手には、おそらくバーテンダーだろう男がいる。白かったであろう布でグラスを磨いている、いかつい男だ。
残りの空間には丸テーブルが並び、ほとんど埋まっていて、笑い声とジョッキのぶつかる音があちこちから響いている。
うるさくて、それでいて心地よい。あらゆる形や大きさの人々がひしめいている。
角のある者、耳の長い者、そして――
いや! 集中しなきゃ。人混みを縫うように進む中、白髪の少女が大柄な男の隣に立ち、ビールジョッキを手にしている姿を見つける。目を閉じ、クジラのように豪快に笑っている。
「ナヴィ!」叫ぶ。酒場の喧騒に、声がほとんどかき消されそうになる。それでも、飲酒目的の場所に子供を連れてきたことへの視線を、背中に感じる。だが、気にしない。
ナヴィの頭がこちらに向く。
「あんた、酒場に子供連れて何やってんの?! あんたは――」
――――――
俺たちは今、酒場の外、裏手に立っている。時折、酔っ払いが一人で踊りながら歌っている。ナヴィは壁に寄りかかり、左手で体を支えている。少女は、この恐ろしい見た目の女性を怖がっているのか、俺の後ろに隠れている。
「時間がない! さっき言った洞窟のこと! この子の友達が連れ去られたんだ!」叫びながら、強調するように手を振る。
ナヴィの顔に浮かんでいた困惑と驚きが、真剣な何かへと硬くなっていく。まるで物理的な変化のように、彼女の態度が変わるのがわかる――スイッチが切り替わるように。
「どこ?」彼女が尋ねる。
疑ったことを謝る気はないのか?
いや、いや、カイト、今それを言ってる場合じゃないだろ!
女の子が近くの木立を指差す。闇に覆われた木々が、これまでにないほど威圧的に感じられる。思わず唾を飲み込む。見つめれば見つめるほど、木々がどんどん高くなっていくかのようだ。
手が震えている。
ナヴィに目をやる。その表情は真剣で、読み取れない。
認めたくないが、彼女の顔を見ると、少し落ち着く。彼女がそばにいれば、たかがゴブリン程度、乗り越えられるはずだ。結局、これまで見てきた限り、ナヴィは強い。
「じゃあ、何を待ってるんだ? 案内してくれ」
森の闇は圧倒的で、この辺りを熟知しているはずの女の子でさえ、何度か方向を見失いかけては、奇跡的に道を取り戻す瞬間がある。唯一の光源は、ナヴィの手から発せられている。何かの魔法。「魔法」と呼んでいるのは、それが彼女のやっていることを理解する唯一の方法だからだ。
枝や、虫のようなものが顔に当たるが、押し切って進む。二人に遅れず、はぐれないよう最善を尽くす。足音が森の地面を叩き、緊張が胸の中で唸っている。生い茂った草木のせいで腕がほとんど動かせないが、なんとかやり抜く。
「作戦を考える必要がある。ただ突っ込んで――」
「作戦を練ってる時間なんてない!」ナヴィが返す。
「――ちっ」
数分走った末、ついに開けた場所にたどり着く。恐怖が背筋を這い上り、喉元を掴んでくる。汗が顔と背中を伝い、いやな感触の液体で全身が覆われる。塩の匂いが舌の味蕾に広がる。
胃が、穴のように感じる。
怖い。
いや、あれはただのビジョンだった。現実じゃなかった。
俺は、本当には死んでいない。
拳を握りしめる。
「あそこです」女の子が、あの恐ろしい洞窟の入り口を指差しながら言う。まるで恐ろしい顎のように、不運な魂を招き入れるためにその口を大きく開けている。死そのものへの入り口だ。
「外で待って、できるだけ早く戻って。他の大人に伝えられるなら伝えて」ナヴィが言う。
彼女は近くの木の枝の方へ歩み寄り、それに火を灯し、女の子に手渡す。
「うん! 走るの、得意なの!」女の子が頷く。
そう言うと、彼女は振り返り、俺たちが来た道を戻っていく。かなり自信ありげな様子だ。俺が同じことを言ったときは、なんでそんなに自信を見せなかったんだ? 俺の見た目が怖すぎるからか?
俺とナヴィは洞窟と向き合う。二人の間の空気が張り詰めている。まるで、二人とも息を止めているかのように。
「待て、他の連中はどうするんだ?」
「パイラソン12――信号」
彼女は素早く手に噛みつき、それを発火させ、閃光のようなものを空へと放つ。まばゆい光の閃光となって爆発し、頭上の暗い木々の天蓋を、まるで突然の雷のように照らし出す。
「これで、あたしたちの居場所が伝わるはずよ」
「じゃあ、入ろう」呟きながら、中へと足を踏み入れる。
普通なら、彼女は反対するはずだ。だが、状況の緊急性のせいで、俺を連れて行く以外の選択肢がないんだろう。それがはっきりとわかるのは、単純に彼女がそのまま洞窟に踏み込んでいくからだ。
「わかった」彼女が言う。指先はまだ炎に包まれたままだ。
「パイラソン2――拡張」彼女が唱えると、炎がさらに強く燃え上がる。
俺が持っていたひ弱な松明と比べると、これはまるで灯台だ。俺たちがいる洞窟の一帯全体を照らし出す。だが、こうしてよく見てみると……
この入り口は、信じられないほど狭い――自分がどうやってここを通り抜けられたのか、ほとんど信じられないくらいだ。小さな子供でさえ、ここを通るのに苦労するだろう。
洞窟ダイバーが経験することに、かなり似ている気がする。もっとも、同じレベルじゃないけれど。正直、俺が一番尊敬していて、同時に一番頭がおかしいと思っている人種といえば、洞窟ダイバーだ。あの洞窟は頭蓋骨がぎりぎり入るかどうかというほどの狭さなのに、洞窟ダイバーは平然と手をこすり合わせて、そのまま飛び込んでいく。
こんなに狭い場所で死ぬなんて、想像もつかない……
まあ、想像はつくか。あれは本当の死じゃなかったけど。
しゃがみ込み、光を持っているナヴィに先を歩いてもらう。それに、彼女は俺より少し背が低いから。あまりにも狭くて、体を収めるためにさらに深くしゃがみ込まなければならない。
体勢を保とうとして、壁に手をついて支えようとするが、あまり言いたくない何かに手が触れてしまう。
「な――何やってんのよ?!」
「お、俺のせいじゃない! ここ、狭いんだって!」
「はいはい、その汚らわしい手をどこに置くか気をつけなさいよ。清らかでいたいの」
思わずニヤリと笑う。
「犬っていつから――」
「ぐはっ――?!」
肩への蹴り。それが返ってきた反応だった。
何分か狭い通路を進んだ後、ようやく天井が広がり、まっすぐ立てるようになる。洞窟に入ってからおよそ10分、今のところ何も起きていない。
ナヴィが5メートルほど先に立ち、何か見えないものに視線を固定している。表情は鋭く、集中している。まるで何か重要なものを見つけたかのように。
「どうした?」尋ねながら、先ほどまでの深いしゃがみ込みから背筋を伸ばす。
周囲一帯はかなり広く、俺たちの声と、どこか暗闇の中で水滴が落ちる音だけがこだましている。時折、かすかな風が吹き抜けるが、それ以外はまったくの静寂だ。正直、ここはかなり寒い。
天井はまったく見えない。かなり高い位置にあるんだろうと推測する。床からは鋭い歯のような鍾乳石が突き出し、柱のような太い構造物が周囲に立ち上がっている。まるで洞窟全体を支える奇妙な有機的建築のようだ。
「あそこ」彼女が囁く。
彼女の視線を追い、指差す先を見る。
小さな生物、子供ほどの大きさしかない。
ゴブリンだ。何かを食べているように見える。まあ、それであの奇妙な咀嚼音の説明がつくというものだ。
ナヴィが手を上げて俺を制止し、ゆっくりとゴブリンに近づいていく。
近づくにつれて、その咀嚼音が変化し始める……あれはすすり泣き声か?
その生物が泣いているように聞こえる。
そして、素早い動きで、ナヴィが黒いサーベルを鞘から抜き、ゴブリンの頭上に振り上げる。黄色い瞳が、悪意を帯びた輝きを放つ。
「お……お願いします……終わらせてください」
「――?!」
「――?!」
そのゴブリンが……
しゃべっている。
明らかなショックから、ナヴィが武器を下げる。そんな生物が意思疎通できる能力を持っていたことへの驚きだ。二人とも一分ほど、呆然としながらそれを見つめる。
「し、しゃべれるのか?!」思わず口をついて出る。
そのゴブリンは、まったく打ちひしがれた様子で頷く。まるで糸で操られたぬいぐるみのように、頭をだらりと上下させながら。こうしてよく見ると、その姿は先ほど観察した他のゴブリンよりもいくらか清潔感がある。目はやはりないが、他のモンスターほど怪物じみた見た目ではない。うまく言えないが。
「はい。しかし、それはどうでもいいことです。どうか、私の命を終わらせてください」
「お、おい、ちょっと落ち着け。なんでしゃべれるんだ?」ナヴィが、まだ武器を構えたまま尋ねる。この意気消沈したモンスターが襲いかかってくるかどうか、まだ判断がつかない様子だ。
「私は生まれつき、この才能を授かっています。もっとも、才能というより呪いに近いものですが」
自分の手を見つめる。
「私は話すことができる。しかし、意思を通わせることはできない」
うわ、それは深いな。
行方不明の子供たちに関する質問をするチャンスだと察知し、ゴブリンに詰め寄る。もし彼が話せるなら、重要な情報を伝えられるはずだ。
「お前が誘拐した人間たちは、どこにいる?」問い詰める。
ゴブリンは打ちひしがれた様子で答える。「第八層にいます。恐ろしいオークに囚われています」
ゴブリンが「オーク」という単語を口にする瞬間、その口調に確かな悪意を感じる。まるで蛇のような、かすかなシューという音とともに。それに、第八層だと?!
「第八層?」ナヴィが尋ねる。
「はい。この洞窟は、巨大な『幽谷』の上に位置しています」
「幽谷?」尋ねながら、身を乗り出す。
ナヴィが説明する。「それ自体がひとつの生態系みたいなものよ。地面に開いた巨大な穴――時には底なしの深淵――層ごとに異なる独自の生態系がある」
「はあ……」首の後ろを掻く。「思ってたより、だいぶ規模がでかいな」
ナヴィがゴブリンの方を向く。「なんで仲間と一緒じゃないの?」
ゴブリンは地面に崩れ落ち、先ほどよりもさらに打ちひしがれた様子を見せる。あれだけの状態から、どうやってさらに悲しそうに見えるのか、俺には理解できない。噛んでいた骨がまた口に戻り、その重く沈んだ咀嚼が、ゆっくりと動いている。
やめてくれ、こっちまで悲しくなってくる。
「彼らのやり方に、私は同意できませんでした。だから、私は自分の層から追放されたのです」
なるほど、ゴブリンって完全に無思考な存在ってわけじゃないんだな。ちゃんと自分で考える能力があるらしい。まあ、今しゃべってるゴブリンがいる時点で、それはすでに予想できたことか。
「それも、すべてはあのオークのせいです」ゴブリンが拳を握りしめながら言う。「あいつがすべてを壊し、私たちの生き方を奪ったのです」
「それに――」
ゴブリンが突然座り直し、ナヴィと俺は思わず緊張する。
「あの愚か者たちは、あいつに従うことを選んだのです! 抵抗すらしなかった! 彼らの精神は、あいつに支配されているに違いありません!」
「さっきからそのオークの話ばっかりしてるけど、一体何なの?」ナヴィが尋ねる。
ゴブリンが独白を止め、再び沈み込む。まるで悪夢を追体験しているかのように、深いため息をつきながら。
「私の名前は……ああ、ラテン語では発音しにくいのですが……キュロスと申します。そして、何が起きたのかをお話ししましょう――私が故郷から痛ましい追放を受けるに至った経緯を」
おお、クエストの始まりみたいな展開だな。
―――――――――――――――――――――――
一般的に、ゴブリンが生まれるとき、「ゴブロスの木」と呼ばれる大きな植物から生まれ出る。ゴブリンは多くの点で、動物というより植物に近い存在だ。彼らは主に無性生殖によって、その奇妙な木から芽吹くようにして増える。だが、まれな状況下では、他の種族と交配して繁殖することもある。そうした結合から生まれた者たちは「ハーフ」と呼ばれ、無性生殖で生まれた者たちは「ピュア」と呼ばれる。
これが、後に「キュロス」と名付けられることになる若きゴブリンの起源だった。
その生物は緑の葉の寝床の中で身じろぎし、ゆっくりと世界の中へと自らを押し出していった――呼吸と音の海の中へ。
ゴブロスの胎から生まれ出て、初めての空気を吸い込み、生へと足を踏み入れた。
周囲には、自分と同じ姿をした者たちが立っていた。生まれたばかりのゴブリンたちが、不揃いな小さな列を作って緩やかに集まっていた。
純粋なゴブリンが生まれるとき、その精神発達はすでに人間の五歳児に相当する。基本的な自己認識と自我の感覚を持っているが、それ以外のほとんどのことについては、まだ無知だった。
キュロスは、おぼつかない動きで集団に近づき始めた。集団は、うなり声とシューという音でできた原始的な言語で互いに囁き合っていたが、その奇妙な言葉は、話し手たちにとっては明確な意味を持っていた。
「皆の者!」集団の先頭に立つ、より大柄なゴブリンから鋭い号令が飛んだ。杖を手にしたその姿は、年齢と威厳を漂わせていた。
囁き声は即座に止み、すべての視線が長老へと向けられた。
彼から乾いた笑いが漏れた。突然の静寂を面白がっているのか、それとも自分自身の声に対してのものなのかは、判然としなかった。
「世界へようこそ、我が子らよ」彼は宣言した。「恐怖や混乱を感じるかもしれぬ。だが安心せよ。私が、我らの種族としての生き方へと導いてやろう。何も恐れる必要はない」
幼子たちの間に、濃密な沈黙が広がった。だが、その好奇心は明らかだった。
「まずは自己紹介から始めよう。お前たちは23人いる。手早く進めていくとしよう」
長老は列を進み、一人一人に名前を尋ねていった。それぞれのゴブリンが、まるでその名前が自らの存在に刻み込まれているかのように、本能的に答えた。名前を告げるたびに、長老は役割を割り当てていった。
多くの生物が名前を与えられるのとは異なり、ゴブリンは生まれながらにして自らの呼び名を知っている。彼らにとって、名前とは単に与えられるものではなく、目覚めるものなのだ。
「お前の名は何だ、幼子よ」キュロスの番になったとき、長老は尋ねた。
「キ……キュロス」おずおずとした返事が返ってきた。
囁きが再び止んだ。何十もの視線が、その話し手へと向けられた。目を持たない長老でさえ、驚いた様子だった。
一拍置いて、彼はゆっくりと頷いた。
「なるほど。お前は、『理知的種族』と意思疎通できるという才能を持って生まれてきたのだな」
集団の方へ向き直り、長老は笑い声を上げた。
「これは驚くべき時ではない、祝うべき時だ! この者は、理知的種族と言葉を交わすことができる!」
歓声と囁きが、集まった子供たちの間に広がった。興奮がようやく収まると、長老はキュロスの頭に手を置き、厳かな口調で語った。
「お前の役割は……キュロスよ」彼は言った。「守ることだ。お前は兄弟たちを守り、彼らの幸福を、自分自身の幸福よりも優先する。お前は心優しい。その優しさこそが、お前の力となるだろう」
キュロスは振り返り、他の者たちを見つめた。
ある者は互いの上によじ登り、ある者は奇妙な音の爆発とともに笑い、また別の者は無秩序に円を描いて走り回っていた。彼らの体は、若々しいエネルギーで満ちていた。
その瞬間、彼は理解した。
自分は、生きている。
―――――――――――――――――――――――
第八層での生活は、なかなかに波乱に満ちていた。毎日、ゴブリンたちが夢中になれる何かがあった。この層は鬱蒼とした深い森に覆われ、あらゆる角に、見たこともない生物たちが潜んでいた。
「見て! フローラン・ベアだ!」声が響いた。
このとき、キュロスと、彼の兄弟である他の三人は、地上から15メートル以上もある、辺り一帯で最も高い木のひとつの上に止まっていた。周囲を覆う樹冠は緑の密な海で、普通の人間なら数フィート先すら見通せないほど濃密だった。
他の面々について言えば、額にひし形の模様を持つ、少しふくよかな一体がフライロスという名だった。ゴブリンは通常、身長や体格といった身体的な違いだけでなく、主に額にある紋章によって識別された。その紋章は、一人一人に固有のものだった。
「はいはい、お前が食いたがってんのはわかったよ!」額に星のような模様を持つ一体が声を上げた。キュロスのすぐ隣にしゃがみ込んでいて、粗野で血気盛んな雰囲気を漂わせていた。その名はフロロス――集団の中で最も血の気の多い、熱血漢だった。
「お前ら静かにしろ、うるさすぎてあいつに気づかれるだろ!」一番小柄な、女性的な声の持ち主が声を上げた。頭に六角形の模様を持つこの一体――他の誰よりも複雑な形をしていた――がタイロスだった。この狩猟隊の隊長だ。
ゴブリンの間では、リーダーの役割は通常、最も複雑な紋章を持つ者に与えられた。紋章の複雑さは、生来の能力の証とされていたからだ。こうしたリーダーたちが狩猟隊を編成し、他の者たちを層内の危険から導いていく。ゴブリンは経験を積むほど、より深い層へと足を踏み入れていった。
キュロスはまだ比較的若く、人間で言えばおよそ15歳に相当した。彼の紋章は単純な円ひとつだけ。彼にとって、リーダーの役目は論外だった。
話題になっている熊は大きく、成人男性より大きいほどで、後ろ足で立って歩いていた。筋肉で引き締まった体つきで、大きな黄色い目が絶えず四方に動いている。爪は樹皮を難なく引き裂けるほどの力を持っていた。
その獣は空気を嗅ぎ、縄張りに入り込んできた異質な匂い――ゴブリンたち――に苛立ちを見せた。
静かに、四人はそれを追跡した。木から木へと、熟練の優雅さで飛び移りながら、音を立てないよう慎重に。二人が先行し、熊の退路を断つように回り込む一方、キュロスとタイロスは後方から追いながら、逃走の可能性を封じる位置についた。
およそ12分間の静かな追跡の末、熊は下草の間を小川がちょろちょろと流れる開けた場所に入り込んだ。疲れきった様子で、水辺で立ち止まり、頭を下げて水を飲み始めた。
今こそ、ゴブリンたちが攻撃を仕掛ける絶好の機会だった。風の突風による葉のざわめきが、あらゆる物音を完璧に覆い隠していた。開けた場所は、その生物をはっきりと見渡せた。
だが……
何かが、おかしかった。
仲間たちが飛びかかる準備をしているのに気づき、キュロスは自分の不安を口にした。
「あの、なんかおかしい気がする」タイロスに向かって、熊を指し示しながら言った。
彼女は少し困惑した様子で彼を見た。なぜこんな絶好の機会を見送ろうとするのか、理解できない様子で。
「何がおかしいの? 完璧な位置にいるじゃない」
「フローラン・ベアは、開けた場所に晒されるのを嫌う。いつだって隠れることを好むんだ」彼は熊を見つめた。「もし……もし、あいつが俺たちに気づいてたら?」
集団の中から、小さな忍び笑いが漏れた。彼の心配性な性格は、みんなにとって彼の一部として認識されていた。何しろ、彼の唯一の役割は、みんなを守ることだったから。
「なあキュロス、お前は考えすぎだ。ただの動物だぞ、そんなに賢いはずがない」フロロスが、活気に満ちた口調で言った。
「それに、何かあっても俺たち4人がいる」フライロスが、事もなげに言った。
タイロスは、狂った獣のように唸り声を上げるだけで、その状況について何の意見も述べなかった。ただ、まるで野蛮な獣のように熊を見つめ、その内臓を引き裂いて肉を貪り食う準備をしているようだった。
「で、でも待って、もし俺たちが――」
彼がそれ以上何か言う前に、三人は下へと飛び降り、爪を毛むくじゃらの相手の体に突き刺す準備をしていた。
その次に起きたことは、あらゆる論理を超えていた。
熟練の殺し屋のような速さと精密さで、熊は水を飲みながら体をひねった。一瞬の動きで大きく顎を開き、空中のフライロスを咥え込み、それから爪を振るってフロロスとタイロスの両方に、骨を砕くほどの一撃を叩き込んだ。
開けた場所が、混沌の渦と化した。血が、タールの雨のように大地を覆った。
フロロスの体は真っ二つに引き裂かれ、内臓が森の地面に散らばっていた。濡れて光る臓物が光を反射し、血がゆっくりと彼の下に溜まっていった。
体の上半分は、厚い茂みの中に埋もれ、視界から消えていた。
タイロスは斜めに切り裂かれ、頭頂部から腕にかけて、体がほぼ二つに分断されていた。彼女は草の上に崩れ落ち、自らの脳漿が、その命なき体を覆っていた。
そして、フライロスがいた。
フローラン・ベアは彼の首に顎を食い込ませ、獣のような力で左右に激しく振り回し、開けた場所全体に噴水のように血を撒き散らしていた。本来なら、それは苦悶の瞬間であるはずだった――悲鳴を上げ、懇願し、のたうち回るような。
だが、フライロスはそのどれもしなかった。
代わりに、彼は唸った。
獰猛な、獣じみた怒りとともに、彼は熊の顔に爪を振るい、その目をえぐろうとした。彼はその獣と鏡のような怒りをもって戦った。両者とも、ただひとつの命令しか理解できないかのようだった。
殺せ。
上から、キュロスはその惨劇を見つめていた。あまりの衝撃に圧倒されていた――だが、血よりも彼をその場に釘付けにしたのは、フライロスの闘争に宿る、消えることのない炎だった。あの状態にあってもなお、彼はまだ戦い、まだ抵抗していた……
「お前は守るのだ」
その声が頭の中に響いた。
我に返り、キュロスは木から飛び降りた。熊の顔に飛びかかり、指をその目に突き立てた。生物は痛みに咆哮し、一瞬の混乱の中でフライロスを解放した。
それはよろめきながら、痛みにのたうち回った。
キュロスは手を引き抜き、負傷した兄弟のそばに崩れ落ちた。
フライロスは血まみれで力なくぐったりしていたが、それでもなお狂犬のように唸り、自我を失った様子で空中に爪を振るっていた。
一刻も早く、この状況から抜け出さなければならなかった。
キュロスはフライロスに腕を回し、痛みでよろめく熊の後ろから、彼を安全な場所へと引きずろうとした。だが、何かがおかしかった。
フライロスは、逃げようとしていなかった。
彼はキュロスの腕の中で暴れ、振りほどこうとしていた。その焦点は熊に固定されたまま、まるで何かに取り憑かれているかのようだった。腕は何の方向性もなく振り回され、ただ攻撃するためだけに動いていた。
「フライ! やめろ! 頼む! ここから出なきゃいけないんだ!!」
「キィキィキィキッ!!」
フライロスは応答代わりに唸った。もはや、獣以外の何ものでもなかった。それでも、キュロスは離さなかった。
「フライロス、頼む! 俺の話を聞いてくれ!」
何度も何度も懇願したが、フライロスには届かなかった。そして、22回目の懇願で、フライロスの爪のある手が上向きに振るわれ、キュロスの顎に突き刺さった。血が、攻撃者の爪を伝って、草の上へと滴り落ちた。
痛みが体を貫いたが、彼は手を離すことを拒んだ。
彼を離すということは、彼を見捨てるということだった。彼が大切にしてきた唯一の使命を果たせないということだった。兄弟として失敗するということだった。
「離さない。ここでお前を死なせない」
これは単に誰かを助けるという話を超えていた。これは家族だった。血のつながった仲間、共に育った者のひとりだった。
これは、他のみんなが食事を終えた後、いつも自分の分を分けてくれていた、あのフライロスだった。
他の誰よりもわずかに大きい体格を、ずっとからかわれ続けていた、あのフライロスだった。
どれだけ侮辱されても、周りの者たちに優しく接し続けていた、あのフライロスだった。
今、彼はただの狂犬じみた抜け殻でしかなかった。目の前の相手を殺そうと必死になる、夜の獣だった。
胸が痛んだ。
彼をこんな姿で見ることが、痛かった。
キュロスは歯を食いしばり、兄弟を引きずる力を振り絞りながら、なおもうめいていた。
突然、杖が彼の肩に触れた。痛みを与えるほど強くはなく、しかしこの混沌の中で無視できるほど柔らかくもない、絶妙な力加減だった。
キュロスは顔を上げた。
長老が上に立っていた。表情は読み取れなかった。
「長老様、お願いです! フライロスが――彼は――!」
「放っておけ」
「……何ですって?」
「放っておけと言った」
キュロスは凍りついた。長老は部族の理性の声だった。逆らうなど考えられない、それくらいはわかっていた……
それでも……
「なぜですか?! 彼を見捨てるなんてできません! お願いです、ただ――」
後頭部への鋭い一撃。キュロスは崩れ落ちた。
拘束から解放されたフライロスは四つん這いになり、あらゆる傷を無視して熊へと突進した。怒りに全身を支配されながら。熊は今や完全に回復し、彼を攻撃者と認識し、その怒りをすべて彼へと向けた。
咆哮が響いた。開けた場所全体を揺るがす、怪物じみた音だった。
フライロスも咆哮を返し、原始的な怒りとともにその生物へと飛びかかった。彼の跳躍は約3メートルにも及んだ――正気の彼なら決して可能とは思わなかったであろう、驚異的な跳躍だった。
「タイロス!!」キュロスは、しゃがれた声で叫んだ。
長老は動かなかった。表情は空虚なままだった。動じることなく。
キュロスは走ろうとした。必死に兄弟を救おうとして。だが、長老の杖が、まるで壁のように彼を止めた。ただの棒だった。それなのに、キュロスはそれを越えて進むことができなかった。どれだけ回り込もうとしても、何かもっと深く、もっと古いものが、彼をその場に縛りつけていた。
「――タイロス!!」
血が草の上に飛び散った。
「――――タイロス!!」
「――――――タイロス!!!」
彼には届かなかった。その距離を越えられなかった。彼自身の本能が、彼をその場に縛りつけていた。
三分間、苦悶に満ちた時間が過ぎ、静寂が戻ってきた。熊の荒い息遣いと、立ち去る際の草擦れの音だけが、その静けさを破っていた。
そして、ようやく、長老が口を開いた。
「これが、我らの真の姿だ」
キュロスは、血に染まった開けた場所を見つめた。
「……何……?」
「どれほど文明的に振る舞っているつもりでも、我らの本質は、獣以外の何ものでもない。わかるか、キュロスよ? この暴力……この狂気……これは不自然なものではない。これが、我らという存在だ。我らは、ゴブリンなのだ」
キュロスは答えられなかった。喉が、叫びすぎてひりついていた。
長老は杖で開けた場所を指し示した。
「これが、我らの種族が繰り返すよう定められた輪廻だ。私がこれまで見てきた中で最も優れた者たち――学者、思想家、夢想家――彼らでさえ、これに落ちる。恐怖や憎しみ、あるいは殺意を感じた瞬間、彼らはこれになる。
「殺し、犯し、奪う。それが、この生において我らに課せられた使命だ」
キュロスは、熊がフライロスの体を引きずって下草の中へと姿を消していくのを見つめた。
消えた。
「私はこの部族を、幽谷の中に作り上げた。地上のゴブリンたちと、その野蛮さから逃れるために。だが、私は失敗した。今、私にはわかる――理想だけでは、我らの本性を覆すことはできない」
彼はキュロスの方を向いた。
「お前の助けが必要だ。我らの民を、何か新しいものへと作り変える手助けをしてくれ。何か、より良いものへと」
キュロスは呆然と見つめ、すべてを処理しきれずにいた。
「なぜ……」
「お前が私を憎んでいることはわかっている。私はお前の兄弟を死なせた。だが、私は以前にも、彼のような者を救おうとしたことがある」
彼は袖をまくり上げた。その下の肉は黒く焦げ、原形をとどめないほど引き裂かれていた。「狂ったゴブリンを救う方法はない。もしお前があの後を追っていたら、お前も死んでいただろう」
キュロスは草を見下ろした。震えていた。
それから、両手を握りしめた。
「わかりました」彼は囁いた。「手伝います。あなたを、手伝います」
結局、彼の使命は守ることだった。たとえそれが、彼ら自身から守ることであっても。
血が流れたその日々の後、キュロスは立派な若きゴブリンへと成長した――仲間から尊敬され、仕事に励み、自分自身のための時間をほとんど取らなかった。新しい世代のゴブリンの子供たちが生まれるたびに、彼は自ら進んで彼らに落ち着きと自制心を植え付けた。
彼の方法のひとつは、単純ながら効果的だった。手作りの籠に安全に閉じ込めた小さな鳥を、幼子たちの前に差し出すのだ。予想通り、子供たちは本能的な野蛮さで反応し、その生き物に飛びかかろうとする。だが、キュロスはそのたびに割って入り、毅然と、指示を与えながら、それでいてどこか優しく、彼らを落ち着かせた。
それは決して即効性のあるものではなかった。何年もの反復、何年もの経験を通して、ゴブリンたちが成長するにつれ、徐々により大きく、より挑発的な生物を提示していった。
目標は常に同じだった――彼らに、自制を教えること。
そして、おおむね、それは功を奏した。
結果が、それを物語っていた。キュロスはほぼ独力で、部族の本性を変えつつあった。暴力は依然として存在していた、そう、確かに。だが今や、それは制御されたものだった。
思慮深く。意図的に。無分別ではなく。それは、狩猟のためだけに用いられるようになった。
まだやるべきことは山ほどあり、キュロスもそれをよく理解していた。だが今は、めったに抱かない思いを、自分に許した。
前進。
ノックの音が、彼の思考を遮った。
ドアを開けると、そこには今や背が曲がり、明らかに老いた長老が立っていた。時の流れが、その体に深く刻み込まれていた。
「おお、長老様。ようこそ」
「キュロス……ついてきてくれ」老いたゴブリンの声には、珍しい温かみが宿っていた。
それ以上の説明もなく、長老は踵を返して歩き始めた。キュロスはドアを閉め、彼の後についていった。階段を降りながら周囲を見回すと、静かな誇りが胸の中に湧き上がった。
村は、変わっていた。
家々は今や高く聳え立ち、森の巨大な木々の中に、そしてそこから作られて建っていた。磨かれた樹皮と光石でできたドームを冠する大広間が、中心に堂々と立っていた。ゴブリンたちが小道を行き交い、笑い、話し、果物や肉、加工された道具を交換し合っていた。
「お前の努力の成果が、実り始めているようだな」長老は、両手を背中で組んだまま言った。その体は弱っていたが、杖が彼を、しっかりと支えていた。
太陽が頭上の木々の間から穏やかに差し込み、村を柔らかな金色の色調で染めていた。生命が、彼らの周りで脈打っていた。木陰の小道からは笑い声がこだまし、台所や火からは、のんびりとした煙が立ち上っていた。
二人は角を曲がった。
右手には、空腹なゴブリンたちに料理を提供する小さな屋台があった。何人かが切り株や石に腰掛け、噂話を交わし、次の狩りの計画を話し合っていた。キュロスは謙虚に頷きを返した。
「ありがとうございます、長老様。ですが、まだやるべきことは多く残っていると思います。私もいつか歳を取るでしょう。次の世代に、その炎を受け継いでもらう準備をしなければ。彼らがまた次の世代へと……そうして続いていくように」
長老は立ち止まった。彼は、そびえ立つゴブロスの木を見上げた。太陽がその背後で明るく輝き、その葉を照らしていた。
「この場所が、闇の中の蔓に覆われた小屋数軒に過ぎなかった頃を、まだ覚えている」彼は呟いた。「我らが、うなり声と叫び声だけで話していた頃を」
彼は顔を拭った。感情に押し流されて。
「今は……ここは、家だ。本当の意味での」
彼の声が、わずかに震えた。
「これほどの年月を経て……」
これは、幾世紀もの暴力を目撃してきたゴブリンだった。同胞が同胞を殺し合うのを見てきた、自らの種族の最も暗い本能の影の下に立ち続けてきた者だった。
そして今、彼は光の中に立っていた。
そして、彼は笑った。
キュロスの方を向き、彼はその若いゴブリンの肩に手を置いた。
「お前は、人生の終わりにいる一人の男に、まるでそれが今始まったばかりのように感じさせてくれた」
一拍の間。
「ありがとう」
キュロスは頷き、背筋を伸ばして立った。「それが私の使命ですから。守るということには、様々な形があるのですよ」
町の集会所のざわめきが、高い天井にこだましていた。長老がいつも座る中央の席の周りで、部族の重鎮たちが互いに囁き合い、重大な議題について話し合っていた。
キュロスが次期族長に任命されることになっていた。
彼は部屋の中央、長老の椅子のそばに立っていた。周囲には、評議会の彫刻が施された座席が並んでいた。部族の運命を形作る者たちのために用意された席だった。普段なら口論や長々とした議論で満ちているはずの雰囲気は、不思議なほど静かだった。
長老は両手で杖を握りしめながら、ゆっくりと立ち上がった。
「私は人生の終わりに近づいている」彼は、澄んだ声で語り始めた。「残りの日々を、静かな平穏の中で過ごしたいと願っている。それゆえ、後継者を指名しなければならない。そして、これは言うまでもないことだと思うが――」
彼はキュロスの方を向いた。
「――若きキュロスこそ、この役目にふさわしい唯一の者だ」
再び沈黙が訪れた。だが今度は、ためらいからではなく、同意からだった。
普段なら、この評議会は些細なことで何時間も議論するはずだった。だが今日は、異議は一切なかった。決断は明白だった。キュロスが部族を変貌させた。彼は混沌を秩序へと形作った。
世代を重ねて、彼らに衝動を制御することを教えた。血しかなかった場所に、平和を築いた。
彼が次の指導者となるのは、当然のことだった。
「では、決定とする」長老が宣言した。
ゆっくりと敬意を込めて、彼は指導の象徴である杖を持ち上げ、キュロスへと差し出した。
キュロスの心臓が高鳴った。恐れ、疑い、誇り――すべてが彼の中で渦巻いた。杖の上で、手が震えた。この地位には大きな責任が伴うことをわかっていたが、同時に、さらに大きな変化を起こせる力でもあった。それが、唯一の前進の道だった。
いつか、理知的種族と対等に肩を並べて歩くこと――それが、彼の夢だった。
彼は手を伸ばし――
「族長!!」
声が広間に響き渡った。荒々しく、しゃがれ、必死な声だった。
全員が振り返った。
中肉中背のゴブリンが戸口に立っていた。脇腹から血が流れている。腕を押さえながら、湿った荒い息を吐いていた。
「トロス?」長老が、杖を強く握りしめながら尋ねた。
「正門が……突破されました……何かに――!」
彼は最後まで言い終えることができなかった。
一瞬の残像。
砕ける音。
トロスの上半身が、部屋を横切って宙を舞った。おぞましいほど回転しながら。壁に激突し、まるで肉塊のように床に落ちた。
息を呑む音。沈黙。恐怖。
そして、そこ――戸口には、侵入者が立っていた。
そびえ立つ。巨躯。黒い体躯は、ドアの上部にほとんど触れそうなほどだった。筋肉が黒曜石のような肌の下で波打っていた。ギザギザの鎧のような骨が肩と首を覆い、まるで石から削り出された獣のような輪郭を作り上げていた。
頭蓋骨からは二本の湾曲した角が突き出ていた。仮面のような顔には感情がなかった。二本の細いスリットだけが目の位置を示し、そのうちの片方が、かすかに赤く光っていた。
巨大な棍棒が、まるで子供のおもちゃのように、彼の手からぶら下がっていた。
オークだった。
部屋全体が凍りついた。
そして――
「お前らゴブリンは、どの種族とでも交配できるのか?」
その声は、まるで雷鳴のように空気を震わせる低い唸り声だった。キュロスの胸に絡みつき、重みのように押しつけてきた。
誰も答えなかった。
前触れもなく、オークは棍棒を振った。何気なく、いとも簡単に。
左側に立っていたゴブリンの一団が、瞬時に押し潰された。骨が砕け、四肢が飛び散った。血と肉の黒い霧が、壁を彩った。
そして、混沌が訪れた。
悲鳴。
逃げ惑う足音。
「お前らゴブリンは、どの種族とでも交配できるのか?」オークが再び尋ねた。動じることなく。
「は、はい……」長老がどもりながら答えた。
キュロスの頭は混乱していた。オークが……ここに? 第八層は危険な場所だったが、これほど深くまでオークが降りてきたことは一度もなかった。一体どうやって村を見つけたんだ? 幽谷の上層だけでも、十分に危険なはずだった。こんなことが起きるはずはなかった。
オークは前へと進み、キュロスと長老の前で立ち止まった。その目が、二人を貫いた。
「私に軍を作れ」
「……何ですって?」キュロスが囁いた。
「ゴブリンは他の理知的種族と交配し、新たな怪物を生み出す。より賢く。より強く。私は、ゴブリンとデーモンの間に生まれた。私の名は、ライロクスだ」
キュロスは、地上でそうした実験が行われていることを聞いたことがあった。国家が兵器として使うハイブリッドモンスター。おぞましい戦術だった。ゴブリンはしばしば生贄にされ、家畜のように使われた。生まれた子供は、たいてい即座に、生んだゴブリンの親を殺す。
彼らに、選択肢はなかった。
長老はゆっくりと立ち上がり、勝ち目がないにもかかわらず抵抗を示した。「いいえ――」
その瞬間。
その瞬間。
その瞬間。
長老の首のない体が、地面に崩れ落ちた。血が、こぼれたインクのように床に広がった。
そして、部屋は真の狂気へと堕ちた。
キュロスは、それを処理しきれずに見つめていた。どれだけ説明を探しても、たどり着く結論はひとつだけだった。
長老は、死んだ。
オークは老いたゴブリンの死体を掴み、ドサリという音とともに壁に投げつけた。それから、長老が座っていたまさにその場所に腰を下ろし、まるで王のように寛いだ。
「お前」彼はキュロスに向かって言った。
キュロスは身をすくませた。
「私の街から出ていけ。お前に、私の民の頭の中に妙な考えを植え付けられたくない」
キュロスは周囲を見回した。
他の評議会のメンバーたちは……頷いていた。
抵抗の叫びはなかった。憤りもなかった。ただ、従順だけがあった。
彼が自制と優しさを教えてきた者たちが、そうした前向きなことを教えてきた張本人が追放される瞬間、犬のように無心で頷いていた。
こうして、キュロスは追放された――彼が生まれた家から、彼が未来を築こうとしていた場所から、彼が同胞を光へと導こうとしていた場所から。
再び覆われた……影の中に。
「くそ……」拳を握りしめながら呟く。
キュロスは背を丸めて座り、目は虚ろだ。しばらくの間、二人の間に響くのは焚き火のぱちぱちという音だけだ。
「今、タイロクスは地上から人間や他の理知的種族を誘拐し始めているのだと思います」彼はようやく口を開く。「彼らを使って、ハイブリッドモンスターを繁殖させている……」
ナヴィに目をやる。彼女は俺と同じ表情を浮かべている。張り詰め、苛立ち、静かな怒り。
「聞いて」彼女はキュロスの近くにしゃがみ込みながら言う。「部族を失ったからって、諦める必要はない。あんたはいつだって、また始められる」
座っていた岩から体を起こし、ズボンの埃を払う。
ゴブリンが俺たちを見上げる。ささやかだが、彼から感じ取れる絶望は深い。ただの痛みではない。
完全なる敗北だ。
「築き上げてきたものを全部、あんな一匹のオークに乗っ取られるままにするつもりか?」尋ねる。「なあ、オークなんて中堅クラスの敵じゃないか」
「あなたには理解できません」キュロスが静かに答える。「タイロクスは、桁外れに強力です。挑めるものなら、挑みたい。本当に。しかし、私一人では、何もできないのです」彼の視線が地面へと沈む。
「誰が、あんた一人だなんて言った?」ナヴィが俺の隣に立ち、腕を組む。「案内して」
キュロスは俺たち二人を交互に見つめ、困惑する。
「てっきり……あなた方は、自分たちの種族の仲間を救出するためだけに来たのだと思っていました」
「まあ」肩をすくめる。「ついでにちょっと寄り道するくらい、別に問題ないだろ?」
もしそのゴブリンに唇があれば、微笑んでいるように感じただろう。彼は、何時間もそうしていなかったように、まっすぐに立ち上がる。
「感謝します」彼が言う。「しかし、急がねばなりません。幽谷の上四層は、極めて危険です」
「大丈夫よ」ナヴィが背中を反らし、腕を伸ばしながら言う。
「案内してくれ」付け加える。
キュロスが頷き、数メートル先の地面に開いた大きな穴の方へと向き直る。ためらうことなく、彼はそこに飛び込み、闇の中へと消えていく。
俺は縁に歩み寄り、下を覗き込む。目を見開く。
そこは……真っ暗だ。奥行きの片鱗すら見えない、ただの虚無。下から吹き上げてくる風が、背筋をぞわつかせる。
「なあ、知ってるか」ゆっくりとナヴィの方を振り返りながら言う。「お前が先に行ってもいいんだぜ、清らかなお嬢さん。レディファー――」
彼女の足が、背中に叩き込まれる。
「え?」
コインのように穴の中へと落ちていく。
「うわあああああああああああああああ!!!」




