影/ヴェール・オブ・シャドウ
みなさん、こんにちは。
俺の名前は「カイト」。高校2年生、17歳だ。
筋トレとゲームと、時間を無駄にすることが好きだ。責任と人前で話すことが嫌いだ。
そして今、俺はライオンと馬を掛け合わせたような何かに引かれる、ガタガタと揺れる木製の荷馬車の中に座っている。暗い荒野を進みながら。
なぜかって?
「ああ、それは、俺が奴隷だからだ」
「誰に話しかけてるんだ?」
馬車は緩やかに揺れながら進んでいくが、俺はほとんど動けない――というより、動けないのだ。両脇には武装した二人が座り、膝の上に武器を無造作に置いている。馬車の内部は意外にもまともで、ベンチと、木の床に敷かれた薄い絨毯がある。
壁の各面には長方形の開口部があり、おそらく簡易的な窓のつもりなのだろうが、人を放り出すのにちょうどいいくらいの幅しかない。もしその窓のひとつにこんなに近くなければ、とっくに自分から飛び降りていたはずだ。
首には、首輪がきつく巻きついている――肌に冷たく食い込む、黒い金属製の装置だ。
苗字を覚えていない「ナヴィ」という女性が俺を奴隷だと宣言した直後、彼女はすぐさまこの首輪を俺の首に装着した。あっという間に閉じられて。
その顔に浮かんだ、ぞっとするような笑みを見る限り、彼女がその一瞬一瞬を心底楽しんでいたのだと結論づけざるを得ない。それが、俺を怖がらせる。
自分が奴隷であるという事実を、まだ処理しきれていない。
せめて、召使いにはなれなかったのか?
奴隷はもっと過酷な労働をして、召使いは家事の方をやるものじゃなかったか?
異世界に転移したら、少なくとも魔法か剣くらいは手に入ると思っていた。それなのに手に入れたのは、法的拘束力のある鉄の首輪だ。
くそったれ。
まあ、この状況を受け入れるしかないんだろう。あの森で得体の知れない何かに八つ裂きにされるよりは、はるかにましだ。
ため息をつき、左に目を向ける。
左側には、俺と同年代くらいに見える若い女性が座っていて、巻物らしきものに何かを書き込んでいる。白いフィット感のある鎧を身につけ、その上に紺色に近い黒のコートを羽織っている。長く流れるような黒髪に、紫色の瞳が印象的だ。それが、脳内に何かの警報を鳴らす。
その色、自然のものなのか?
彼女には、図書館にいそうな、落ち着いた品のある雰囲気がある。
もしかして、優しい人か?
「あんたも奴隷?」何とか会話の糸口を掴もうと声をかける。
彼女の視線は巻物に固定されたままだ。「いいえ。私はこのパーティーの一員です」
なんて端的な返事だ。端的すぎる。
「そっか、そっか」頷きながら言う。「あー、頼みがあるんだけど、あのスノーボールに俺を解放するよう説得してくれないか? あなたは理性的そうだし。それに、道徳的にもしっかりしてそうだ……たぶん」
もしかしたら、この差し迫った運命に対して何かしてくれるかもしれない。頼む、何かしてくれ。
その清らかな心の中にある善意を、少しでいいから発揮してくれ。
女性は書くのをやめ、俺を見る。その目には、俺が願う通り「困惑」が浮かんでいてほしい。馬車が揺れても頭は一切動かず、一瞬、彼女は皮膚をまとったマネキンなんじゃないかとさえ思う。
「自己紹介すらしていないのに、私に頼み事をするのですか? 基本的なマナーが欠けているのでは? ハイアーガルド中尉があなたを奴隷として連れてきた理由が、今わかりました」
彼女の言葉の前半には同意するが、後半は腹に刺さる一撃のようだった。その声の調子もまた、俺の腹を切り裂く。追い打ちだ。
言わない方がよかったであろう言葉を口にしかけたその時、両腕が俺の首に巻きつき、締め上げてくる。
「んぐ――ぐっ!?」
体が後ろに引っ張られる。
「あら! もう逃げようとしてんの? ずるいよ、奴隷くん、まだ仲間になったばっかりじゃん!」
甲高く陽気な声。ポニーテールの少女のもので、目は大きく見開かれている。前を閉じたジャケットを着ているが、その下の鎧が透けて見える。俺より明らかに小柄で、大抵の男が「美人」と評するであろう顔立ちだ。
ああ、俺の方こそ、ここを出たらお前をぶちのめしてやる、って意味でな。
彼女の一番の特徴といえば、左目の下にある奇妙な紋章だろう。
ところで、この鎧の上のジャケット、ファッションか何かなのか?
いや、それどころじゃない、このイカれた女、俺を絞め殺す気だ!!
「くふぅっ!」
「アリヴィア、絞めすぎ」
「え? なんでわかんの?」
俺のばたついてる手と、紫色になった顔からだろ、バカ!
その「アリヴィア」と呼ばれた女は、俺の首から腕を離す。俺は咳き込みながら残される。マジで、死にかけたことが多すぎる。
彼女は特に気にしていない様子で、お気に入りのおもちゃで遊び終えたばかりのような顔をしている。
首元を触り、せめて肌の感触を確かめたいと思うが、待っているのは冷たく硬い金属だけだ。
彼女は、あの奇妙な馬とトカゲを掛け合わせたような生き物を操っている人物――ナヴィの方へ顔を向ける。
「ねえ、ナヴィ、こいつどうやって見つけたの?」アリヴィアが馬車の前方に向かって声をかける。
声が返ってくる。
「まず、ナヴィ中尉、な。それから、こいつはミミックと一緒にいたところを見つけたの。群れ全体の餌にされる寸前だった。まあ、救ったって言えなくもないけど、あたしは単にそれを片付けに行っただけよ」
「ミミって、なに――」
「ミミック。より一般的にはミモスと呼ばれる。他者の姿を模倣し、獲物を巣におびき寄せてから捕食する生物です。ミミックの個体群は主にニアサレス州、特にノロヴィア東西部に生息しています」
長髪の女性の方に目をやる。
彼女は目を閉じている。まるで、それを丸暗記しているかのように。
「わー、アサカワってほんとカッコいい!」アリヴィアが両手を合わせて叫ぶ。「そんなふうに文章を丸暗記できるなんて……すごいよ!」
目の前で誰かが奴隷として送り出されている状況で、どうしてこんなに前向きでいられるんだ? いや、マジで心配になるレベルだ。目の前の陰惨な出来事にもかかわらず、興奮した女子学生のように話している。
前向きなのはわかるが、今の状況だと、正直かなり怖い。
夜風が馬車の中を静かに吹き抜け、車輪の音が絶え間なく響く太鼓のように鳴っている。時折、遠くで動物の鳴き声や木々のざわめきが聞こえる。
「そういえばアリヴィア、この奴隷の寝床、用意してある?」前方から、ナヴィと呼ばれる少女が尋ねる。
「さっき名前教えたの、何のためだったと思ってんの……」
「あん? 何だっけ、奴隷のカイト?」
アリヴィアがくすくす笑う。
アサカワさえも口元を手で覆い、肩を小さく震わせている。
お前、冷静沈着キャラじゃなかったのか!? キャラ崩壊してるぞ!!
うめきながら、後ろにもたれかかる。
目の前の床がきしむ音がする。おそらく、誰かが近づいてきている。
「心配しないで、奴隷くん、快適な生活が待ってるよ!」
思わず顔を上げる。
「うん! 専用の納屋あげる! 新鮮な干し草! しかもトイレすら必要ないんだよ!」
「……それ、単にトイレがないってことだろ」
「同じことじゃない?」
顔を両手で覆う。
「……俺をからかうのが楽しいのか?」
彼女は頷きこそしないが、その表情を見る限り、一瞬一瞬を存分に楽しんでいることは明らかだ。
最後の望みをかけて、疲れた目で彼女を見つめる。
「頼むから……解放してくれ」
俺のこの窮状を理解し、共感してくれることを願う。結局のところ、この中には心優しい誰かがいるはずだ! 奴隷を受け入れることに平然としていられる人間なんて、いるわけがない、そうだろう? 基本的な共感というものが、そう物語っているはずだ。
この人たちの中にも、きっと何か良いものがあるはずだ!
アリヴィアがランタンを俺の顔に近づける。突然の明るさに少し目をすがめる。
「ねえ、アサ……」
そうだ、こう言ってくれ――『うーん、なんかちょっとかわいそうかも……』ってな!
「こいつ、猫っぽくない?」
「いや、お前ら全員、心のない怪物だよ!!」
「はい、確かに。瞳孔がかなり小さいですね、猫のように」
これが、俺の残りの人生なのか? 学校に通っていてもおかしくない年齢の少女たちのために働き、数え切れない侮辱に耐え、牛のように働かされる?
俺の人生は、こんな方向に進んでいくのか?
この世界に送られてから、何もかもがおかしくなっている。責任なんて何もないはずなのに、別の方法で拷問されている。これは何かの悪い冗談か?
笑い出しそうな、それとも泣き出しそうな、あるいはその両方のように、肩が震える。
そして、避けたいと願っていた、心の底から恐れていたことが起こる。
「ねえアサ、こいつのポケットに何か入ってるよ!」
やめてくれ、スマホだけは。頼む。
アリヴィアが俺の方に這い寄り、可哀想なスマホを掴み取る。もし彼女からそれを取り返そうとすれば、彼女はためらいなく俺の手を切り落とすだろう。だから、それは選択肢にない。
彼女はそれを顔の前に掲げ、困惑した様子を見せる。
たしか、バッテリーは70%くらいで、カメラは割れていたはずだ。おそらく、先ほどのあれやこれやのせいで。
中世ファンタジー風のガチャゲームからそのまま抜け出してきたようなこの人たちにとって、これはほとんど異星のテクノロジーみたいなものだろう。
星でランク付けするなら、アサカワは4つ星、ナヴィは5つ星、アリヴィアは……
待て、集中しろ。
アリヴィアがそれをぶら下げると、アサカワが近づいてきて、スマホを観察する。ちなみに、二人とも俺の存在を無視して、俺の頭にほとんどもたれかかっている。この二人がとんでもない怪物じゃなければ、興奮していたところだ。
「何らかの装置のようですね」
アリヴィアがこちらをちらりと見る。興奮した表情で。
「これ何? 知ってる?」
ため息をつく。
「スマートフォンだ」
「スマート……フォン?」
「ああ、要するに……」
待て、この状況を利用できるかもしれない。こいつらは、この21世紀の傑作品について、痛いほど無知だ。
「爆弾だ。俺が好きな時に起動できる爆弾だ。そうだ、爆発範囲は途方もなく広くて、俺たちの近くにあるものは全部吹き飛ぶ。だから、俺を解放しないなら――」
「奴隷くん、あたしたちを馬鹿だと思ってる?」
「え?」
「もしそれが何かしらの武器なら、とっくに何時間も前に使ってるはずでしょ。ちゃんとよく考えてみなさいよ」
「……い、いや、お前らの拠点に着いたときのために取っておいたんだよ! 全部一気に吹き飛ばすためにな!」
説得力のかけらもないのはわかっているが、俺が信じ込めば通じるかもしれない。
アリヴィアは俺を完全に無視し、アサカワの方を向いて、スマホの何かを指差している。数秒後、二人ともくすくす笑い出す。くすくすと。
俺のことを無視してる!
画面の柔らかい青い光に照らされた二人の顔は、何かを見つけた様子で目を輝かせている。一方の俺は、ただ……ここにいる。二人がもたれかかる、人間家具として。
アサカワの顔に浮かんだ笑みが、俺を不安にさせる。
待て、そもそもどうやってロック解除したんだ? いや、待て、たぶん顔認証が反応したんだろう。さっき俺の顔に向けていたから。
くそ、二人が何を見て笑っているのか確かめないと! 頭の角度を変えて、何を見て笑っているのか見ようとする。
アリヴィアが素早くスマホを反転させ、俺の顔に突きつける。
「奴隷くん、これあんた?」笑いながら言う。
それは、鏡の前で力こぶを見せつけ、唇を突き出している俺の写真だった。
顔が真っ赤になる。
トレーニングの成果が実際に出ているという実感、ドーパミンを得るために、毎日トレーニング後に自分の写真をよく撮っていた。だが、もし誰かに見つかったら、恥ずかしさのあまり死にたくなるだろう。特に、その時の表情のせいで。
そして今、まさにそれが起きている。
「で? 何か言うことは?」彼女は嬉々として俺の写真フォルダをスワイプしながらからかってくる。
待て、どうしてもうそんなに使いこなせてるんだ? どうしてもうこんなにインターフェースに慣れてるんだ?
こういうことを本当に楽しんでる人間っているのか? 奴隷呼ばわりされて、侮辱されて。まあ、俺はそういうタイプじゃないから、頼むから神様、ここから出してくれ!
まだくすくす笑いながら、彼女は馬車の前方へ這っていき、俺の最後の敵にスマホを見せる。
聞こえてくる。あの忍び笑いが。
「もう殺してくれ……」
戻ってきたアリヴィアは、まだ一人でくすくすと笑い続けている。
「あんな顔できるってことは、自分のこと結構いい男だと思ってるんだね、奴隷くん」
うめく。
「……スマホ、返してくれないか?」
アサカワがそれを取り上げる。
「いいえ、これは今後の調査研究に使わせてもらいます」ポケットにしまいながら言う。
誰か、頼むから助けてくれ。ヒーローか、奇跡か、隕石が必要だ。この人たちに会ってからまだ間もないのに、もう俺をいじめて全力で楽しんでいる。俺は、こういう役回りに向いていない。
これが、この世界での俺の役割であるはずがない。オチのネタになるために異世界転移したわけじゃない。
馬車のきしむ音だけが、俺に返ってくる唯一の答えだ。
月の上に、俺の窮状を見てほくそ笑む口元を想像してしまう。
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さらに1時間ほどが経ち、うとうとし始めていることに気づく。だが、顎が胸につくたびに、痛みが走って目が覚める。
俺を捕らえた残りの二人は隣に座り、何やらよくわからないボードゲームをしている。睡眠不足のせいで、目の下にクマがどんどん溜まっていくのを感じる。
「そもそもあんたら、何者なんだ?」ゲームを眺めながら尋ねる。
「あー、くそ、トラップカード……」アリヴィアが叫び、がっかりした様子でカードを見つめる。それから、自分の駒らしきものを持ち上げ、2マス後ろに戻す。
「私たちはソラヤ各地で仕事を請け負う集団です。主に魔物討伐、賞金稼ぎ、その類の業務を専門としています」アサカワが12面ダイスを転がしながら答える。
「イベント」
彼女はカードを引く。
「『大きな溝に架かる橋の上に立っている自分に気づく。渡る。4マス進む』」
「あー、ちくしょう!」アリヴィアが不満げに膨れる。
思わず顔を上げる。
「じゃあ、あんたらは傭兵みたいなもの? 金のために仕事を請け負う?」
「まあ、そんな感じって言えなくもないかな」アリヴィアがダイスを転がしながら言う。「ちなみに、あんたが知る必要は特にないんだけど。ただ、教えたい気分だから教えてあげてるだけ」
ダイスが着地する。たぶん6だ。数字の形が奇妙で――誰かが急いで刻んだかのようにギザギザだ――だが、ラテン数字と日本語の文字が混ざったような形にどこか似ている。
彼女は拳を突き上げる。
駒を進めながら、続ける。
「セイブル・ヴェイル。それが、あたしたちの名前」
「ヴェイル……それが、あんたらがそのジャケットを着てる理由?」
「おそらく」アサカワが、間近まで迫ってきたアリヴィアの駒を見ながら言う。「ですが、これらはただのジャケットではありません。ヴァヴィオール粒子によって織られたもので、軽量ながら汎用性の高い防御力を発揮します」
「じゃあ、その下の鎧は何のためだ?」
「ヴァヴィオールの鎧だけでは、十分な安全性は確保できません。誰であれ、対鎧武器を持っている可能性がありますから……そのことは、私たちも痛い目を見て学びました。ちなみに、私たち今、同じマスにいますね」
最後の一言は、アリヴィアに向けて言われたものだ。
「あ、じゃあ戦闘だね」アサカワが宣言する。
アサカワが先にダイスを振る。10。
アリヴィアの顔に汗が滲む。彼女に残された勝機は一度きり、それを掴めなければ、負けだ。
唾を飲み込み、咳払いをしてから、振る。
「くそっ! 8?! 惜しい!」
彼女は駒を4マス後ろに戻し、打ちひしがれた様子を見せる。頬を一筋の涙が伝う真似までしていたような気がする。このゲームのルールが少しずつわかってきたが、疲労のせいで完全には理解しきれていない。
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周囲の風景は、雑然とした森から平らな草原へと変わり、遠くには奇妙な牛のような生き物が眠っている。
無数の星々が空を覆い、白い点が黒の広がりと対照をなしている。
地球の感覚で言えば、だいたい深夜0時くらいだろうか。
横向きに丸くなって寝ようとするが、この狭い馬車には十分なスペースがない。座ったままでいるのも良くない――少しでも猫背になると、首輪が首に食い込む。
それでも、試みる。
もう二人が上部の甲板で眠っているのを確認し、ベンチの下の壁の方に体を向け、横向きになる。
どうせ、二人がどんな変な寝顔をしているかなんて見たくもない。
深く息を吸い、ため息をつく。
ぼんやりと壁を見つめる。緊張しているとき、あるいは考え事が多いとき、俺は自分を悩ませているものをしばらくじっと見つめてしまう癖がある。あるいはその逆で、ぼんやりと虚空を見つめてしまうこともある。過去に何度もトラブルを招いてきた、悪い癖だ。
だが、まあ。
新しい世界に転移させられて、コボルドから逃げて、ミミックに遭遇して、そして今、傭兵集団の奴隷として働かされようとしている。普通の人間なら、これらの出来事は圧倒的に最悪だと感じるところだろうが、残念ながら俺にとってはそうとも言い切れない。
もちろん、心の奥底にはずっと不安がくすぶっている。だが同時に、何か論理を無視した化け物にただ食われるまで、あてもなくさまよい続けるよりは、はるかにマシな方向性ではある。
この世界では……
仕事、金、社会的地位――そういったものが、人の価値を決定づける最終的な基準ではないらしい。この人たちは自由に動き回り、好きなように生き、モンスターと戦い、時間をかけてじわじわと人を蝕むような責任を背負うことなく、変わった仕事を請け負っている。
これは現実じゃない。ファンタジーだ。
そして俺は、生きたい。
……もちろん、奴隷としてじゃない。それは、俺の「最大限に生きる」という定義には当てはまらない。だから、逃げてやる。チャンスが来た瞬間、俺はここを出る。
あのナヴィという少女は魔法を、あるいは俺がそう思っただけの何かを使っていた。もしこの世界に本当に魔法が存在するなら、もしかしたら――もしかしたら、俺も何かしらの能力を手に入れられるかもしれない。あのテレビ番組みたいに。実は隠された力を持っていた、弱者から成り上がる主人公。物事の流れを一変させる、何か希少な特性。
自惚れているわけじゃないが、もしそうなったらかっこいいだろうな。
結局のところ、それが人間の本性ってやつだろう? 誰しも心の奥底では、他人とは違う何かを持ちたいと思っている。必ずしも力である必要はない。何か自分を特別にしてくれる資質のようなもの。もちろん、そういうファンタジーがキャラクターに与えられるメディア作品を目の当たりにすれば、誰だってその願いを叶えたいと思うものだ。だが、現実の冷酷さは、たいてい、その願いをそれ以上先に進めさせてくれない。
だが、たとえ現実が滅多にその願いを叶えてくれないとしても――
たとえ俺たちの大半が、誰かの物語の中で単なる背景キャラとして終わったとしても――
「特別でありたい」「誰かでありたい」という欲求――それは、本物だ。
そして、それを望んでもいいはずだ。他とは違う、特別な誰かになりたいと思うことは。物語の主人公になりたいと思うことは。
うめきながら、左を向く。首が痛くなり始めていたので、壁から顔を背けようとする。
もしかしたら……もしかしたら、この世界で新しい章を始められるかもしれない。
もちろん、傭兵集団のために一生を働き尽くすつもりはないから、最初のチャンスが来たら逃げるつもりだ。
目がゆっくりと閉じていき、視界の中ですべてが暗くなっていく。世界が止まる。
目を閉じる。
待て、痛っ、痛っ、腕が。
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それは歩く、目的地もなく。
それは何の役にも立たない、ただの災いだ。
力がその血管を駆け巡る、それは自らの強さの証。
だが、その強さには、決して長さがない。
それは、死んでいて、しかも生きている生物だ。
だが、意志というものを持たない。
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「くそ、こいつ、マジで重いな」耳元に、緊張した声が滑り込んでくる。続いて、首の周りに押しつぶすような圧力がかかる。
目がぱっと開く。
俺は、まるでゴミ袋のように、首輪で吊るされて地面を引きずられている。
「あ、起きた!」
その声は、目を輝かせたアリヴィアのものだ。
「……な、なん――」
考えを言い終える前に、彼女は手を離す。
ドサッ。
地面に叩きつけられ、周囲に土煙が舞い上がる。
うめきながら頭を上げ、周囲の状況を確認する。太陽が出ていて、空を淡い青に染めている。雲がのんびりと漂い、まばらで不揃いに散らばっていて、空にどこか混沌とした質感を与えている。
前方には、遠くの何かに向かってアサカワが立っている。
太陽がかなり眩しく、思わず目を細める。遠くの何かの姿はぼんやりと見えるが、それが何なのかはっきりとはわからない。
顔を覆うように手を上げ、思わず顔をしかめる。
顎が、土に落ちそうになるほど開く。
巨大な屋敷――いや、城が、遠くにそびえ立ち、背後の太陽をほとんど覆い隠している。屋根の上には高い尖塔が冠のように並び、それぞれが完璧に左右対称だ。色は特に珍しいものではなく、ただの落ち着いた大地色だが、それがかえって、この世のものとは思えない存在感を醸し出している。長さはおそらく800メートル近くにも及ぶだろう。
そしてその中心には、まるで冠のように結晶構造が突き出し、空を貫くようにそびえている。
ここ――80メートル先――からでも、それは巨大に見える。
俺は、あそこに住むことになるのか?
ふむ、奴隷というのも、そんなに悪くないかもしれない。
「アリヴィア! 来るの?!」前方の小道からナヴィが呼びかける。アサカワの隣まで歩み寄っている。二人は屋敷へと続く道を歩き始める。
「ううん、あたしは残ってこいつに仕事教えるから!」
ああ、そうだ、俺は奴隷だった。そのことを考えるたびに、この言葉のあまりの馬鹿げた響きに、笑いたくなる。
彼女の仲間二人は頷き、歩き続ける。
待て、俺を彼女と二人きりにするな。
アリヴィアが俺の目の前にしゃがみ込み、膝に手を当て、いたずらっぽい笑みを浮かべる。「じゃ、ついてきて奴隷くん。よく寝たみたいだし、そろそろ働く時間だよ!」
彼女はまっすぐに立ち上がり、腰に手を当てて俺を見下ろす。
選択肢がないので、埃っぽい地面に手をつき、体を持ち上げて立ち上がる。
その時、肩と腕の痛みが消えていることに気づく。
腕を曲げてみて、もう傷んでいないことに驚く。
それに気づいたアリヴィアが得意げに言う。「壊れた腕くらい、ナイマリルの呪文で直せないわけないでしょ!」
何を言っているのか、さっぱりわからない。
腹が鳴る。
思えば、昨日からあの「果実」ひとつしか食べていない。働くことを期待されているなら、せめて半分くらいは満たされていないと、倒れて彼女たちに潜在的な働き手を失わせるリスクがある。
「何か食べるもの、ないか……?」
奴隷であることは理解しているが、最低限の生活の権利くらい求めてもいいだろう? 「人権は適用されない」という要素はあるだろうが、きっと何か手配してくれるはずだ。
これ以上考える間もなく――
「んぐぅっ!!」
電流の衝撃が全身を駆け巡り、体を襲う。
まるで炎に包まれた金属のような、燃えるような痛みの波が体を貫くのを感じる。歯を食いしばる。
地面に崩れ落ち、ぜいぜいと息を切らす。呼吸のひとつひとつが、腹を刺されるような痛みだ。
視界が揺れながら、彼女を見上げる。
「お前……」
アリヴィアは首をかしげ、まだ笑みを浮かべたまま、指の間で小さな棒をぶら下げている。上部に木製のボタンがついている。
「これが、あんたが最初に覚えなきゃいけないことだよ」彼女は甘い声で言う。「その首についてる首輪? あれは『アーク・カラー』っていうの。あんたが分を越えるたびに、体に衝撃波を送るんだよ」
「あんたはさっき、何も差し出さずに何かを要求した。それはダメ」
彼女がもう一度ボタンを押す。
同じ痛みを予想して身構えるが、今度は冬に金属に触れたときのような、単純な一瞬の衝撃だけだった。
「これは、あたしたちの誰かがあんたに手伝いや掃除をしてほしいときの合図。どの衝撃が誰の合図かは教えないけど、ヒントはあげる。数字でコード化されてるの。もし一定時間内に間に合わなかったら、あんたがどこにいようと……」
彼女がボタンの近くに指を寄せ、俺は思わずまた身構える。
彼女が微笑む。
「心配しないで、そこまで意地悪じゃないから。さ、ついてきて」
アリヴィアは踵を返し、パレードでもしているかのような、大げさに誇張された足取りで道を歩き始める。
しばらくその背中を見つめる。
それからため息をつき、再び立ち上がり、彼女についていく。
他に、選択肢がないから。
俺は本当に、危険な立場にいる。生きるに値する人生を本当に望むなら、これ以上ここに留まるリスクは冒せない。チャンスが来た瞬間、この呪われた場所を出て行く。
アリヴィアが再びくるりと振り返る。
「……何、そんな険しい顔して? もともと怖い顔してるんだから、それ以上強調しないようにしようよ、ね?」アリヴィアが、俺の方を向いて呼びかける。
「ああ、悪い」
「別にいいけどね!」
俺たちの足音が重い土の上で音を立てる。片方は重い金属のブーツを、もう片方は普通のランニングシューズを履いている。空気はかなり冷たく、まるで秋のような印象を受ける。先ほどの森の暑さを考えると、少し混乱する。もしかしたら、この世界では天候に関して、地球とは違う論理が働いているのかもしれない。不思議なことに。
5分ほど歩いたところで、小さな納屋を見つける。大きくもなく小さくもない大きさだ。
今にも崩れそうで、屋根の右中央部分には大きなへこみがある。木材は粗雑に切られ、風化していて、ほとんど手に入るものを寄せ集めて組み立てたかのようだ。
正面のドアへ歩み寄る。今にも蝶番が外れそうなドアだ。アリヴィアがノブをひねる。ひどく不安になるようなきしみ音とともにドアが開き、恐ろしい光景があらわになる。
散らばった農具が地面を覆い、錆びついてギザギザになっている。木製の仕切りが、安っぽい馬小屋のように壁に沿って並んでいる。片隅には干し草の山が崩れ落ち、土の床のあちこちに、どうか泥の塊であってくれと願うほかない、茶色い塊が点在している。
マジで、なんで俺は、メディアに出てくる召使いや奴隷が受けるような扱いを受けられないんだ? 母屋で暮らし、可愛い主人がいて……
「そんなに恥ずかしがってないで入りな!」アリヴィアが俺を中に押し込む。
よろめきながら、辛うじて足を踏ん張る。糞尿の匂いが鼻を突く。おそらくこの納屋に住んでいた生き物のものだろう。空気は重く熱く、断熱された木材によって、まるで設計の悪いオーブンのように閉じ込められている。
アリヴィアも鼻をつまみながら中に入ってくる。
「まあ、我が家って言葉があるでしょ。臭いはかなりひどいけど、奴隷くんならなんとかなるでしょ!」
「その『皮肉たっぷりの陽気さ』ってやつは理解してるつもりだけど、お前のはレベルが違うぞ……」
突然、彼女の腕が俺の喉に叩き込まれる。
壁に叩きつけられ、息が詰まる。アリヴィアが顔を近づけ、前腕を俺の首に押し当てて、その体重で俺を押さえつける。
「聞きなさい」彼女の声が、冷たくなる。「そういう軽口は、自分の立場をわきまえてないみたいに聞こえるの。あたしはそういうの、好きじゃない、奴隷」
その目は、まるで死体がこちらを見つめ返しているかのように、俺の魂を睨みつけてくる。
「あたしたちは、あんたの友達じゃない。家族でもない。あたしたちとあんたの間には、何もない。あたしたちとあんたの関係は、家畜と農家の関係と同じ。あんたはあたしたちにとって人間じゃない。道具。使い捨てられる生き物。それだけ。あんたは働くために生き、働きながら死ぬの。だから、次にあんたが口を開いたら……」
彼女は手にした棒――例のボタンがついた棒――を持ち上げ、ダイヤルのように指の間で回す。
それって……電圧を上げるためのものか?
彼女は指をボタンの上に浮かせる。
「言わなくてもわかるよね?」
怒りで、視線が自然と下に向くのを感じる。
こういう人間が嫌いだ。
境遇だけを理由に、他人にこういう態度を取る人間が嫌いだ。上の階に住んでいるというだけで、下の階の人間を自分より劣っていると思い込む人間が。ちょっとくらい下に降りてきて、俺がどれだけ早くお前をぶちのめすか見てみたらどうだ?
俺の表情に気づき、彼女は微笑む。
「余計なこと言わないよう気をつけなね!」
顔を右に背けながら、呟く。「わかったよ」
彼女は俺から体を離し、目の前に立つ。それから、足を軽く鳴らしながら、納屋全体を身振りで示す。
「あんたの最初の仕事、この納屋を隅から隅まで掃除すること。もしゴミの粒ひとつでも見つけたら、あんたの名前入りの衝撃が待ってるからね」
彼女を無言で見つめる。
それから、ため息をつき、気のない頷きを返す。頭が重くて、まるで持ち上げられないかのように。
振り返りながら、彼女は微笑む。
「頑張ってね奴隷くん!」肩越しに声をかける。
そしてドアの方へ歩き、開ける。だが、半分ほど進んだところで、彼女は立ち止まる。
「あ――それと、念のため言っとくけど。まだ終わってなくても、あたしたちが必要なときはあんたを呼ぶから。どの衝撃が誰のか覚えるのは、あんたの仕事ね」
そしてドアが閉まり、俺は暗闇の中に取り残される。ちょうど、さっきまで目の前にあったのと同じ暗闇に。
「くそったれ」
周囲を見回しながら、腰に手を当てる。手が布に触れたことに驚き、自分がシャツを着ていることに気づく。
いつの間に? ボロボロで古びたものだが、それでも何かはある。ファンタジー物語に出てくる農民が着ていそうな服だ。
せめて、それくらいの恩恵はあるらしい。
掃除自体には慣れているから、規模が大きいだけで、そう変わらないはずだ、だろ?
必要なのは:
ほうき
ちりとり
数枚の雑巾
バケツ、スポンジ
たぶん、たわしも。
問題は、それらをどこで手に入れればいいのか、まったく見当がつかないことだ。楽しみだな。どうやら、道具を探すためにここを出なければならないらしい。
とはいえ、出発前に、この窓を開けておこう。
そうしてから、納屋のドアを押し開け、外に出る。眩しい日差しに迎えられる。目を覆う必要があるほどだ。
待て、二人とも俺を放って行った。このチャンスを利用できるかもしれない。
隙間がないか周囲を見渡すと、敷地全体を囲む大きな金属製の門が目に入る。
ああ、有刺鉄線か。
ため息をつき、状況を受け入れる。仕方なく、先ほどの目的――道具探し――を再開する。
目の前に土の道が伸びていて、その先には……
いや待て――巨大だ。幅は軽く30メートル、それ以上かもしれない。朝日の下で水面がきらめき、不思議な静けさとともに揺らめいている。その奥にはもうひとつの高い鉄門がそびえ立っている。そこからの脱出もない。
右手には、大聖堂のようにそびえ立つ屋敷の裏側が見える。そして道沿いには、建物の基部に組み込まれた小さなドアがある――おそらく従業員用の入り口だろう。あるいは、召使い用か。
まあ、もし見回っているのを見つかっても、道具を探していたと言えばいいだろう? それを口実に利用できる。
小道を歩き始め、まるで平和な朝の散歩でも楽しんでいるかのような素振りをする。
空は明るい青。この場所には、いささか陽気すぎるほどに。
足が砂の道を踏みしめるたびに、小さな砂埃が舞い上がる。
「ガシャン!」
金属の音が風景に響き渡る。再び右を向くと、金属同士がぶつかり合う音が続いている。安全な環境にいるはずだから、危険なものではないだろうと判断する。
屋敷にもう少しで入ろうとしたところで……
好奇心の呪いが、再び襲いかかる。
踵を返し、急に右に曲がって、プールの裏手へと向かう。歩くにつれて音がどんどん大きくなり、周囲の様子もはっきりと見えてくる。
プールの裏手には、風景が広がっている。地面が平らになり、長方形の敷地に沿って平行に走る二本の白い線があらわになる。中央には大きな円。まるでスポーツ用の敷地が戦場と化したような、訓練場のように見える。
ああ、訓練場か。
その時、中央に一人だけ立っている人物が見える。何本もの剣らしきものを受け流しながら、体を捻り、旋回させている。手にしている物体は巨大で、ほとんど自分の体と同じくらいの大きさだ。どうやってあんなにうまく扱っているんだ?
体の曲線から見て、女性だと推測する。
もう一つの人影が彼女に斬りかかっているが、その体はまったく動かない。
まるで機械のように動き、手にした4本の剣を絶えず彼女に振るい続けている。驚いたことに、彼女はそのすべてを受け流している。
彼女はただ防御しているだけじゃない。
流れるように動いている。
気づけば、彼女から5メートルほどの距離に立っていた。
突然、彼女の頭がこちらを向く。そして鋭く「止まれ」と一言発すると、機械は即座に停止する。刃はまだ振り下ろされる途中の形で。
彼女は一連の滑らかな動作で刀を鞘に収め、柄がカチリと音を立てる。見知らぬ人間に稽古を邪魔されて、明らかに苛立っている様子で、こちらへと歩み寄ってくる。
後ずさりし始める。そもそもここに来るべきじゃなかったと今更ながら気づく。
視界に入ってくるにつれ、彼女の全体的な特徴がわかってくる。大きなコートを身につけているが、体にフィットしているわけではなく、ただ後ろでなびいている。長い青髪はポニーテールにまとめられ、数本の後れ毛が顔の輪郭を縁取っている。
俺は、自分に得のない事実をわざわざ指摘するタイプの人間ではないが、ここでは単純に、彼女が肩に痛みを抱えているであろう、二つの大きな理由について述べておこう。
正直、大きな――を持っている女性には、少し同情してしまう。
見ないようにしようとするが……
まあ、要するに、彼女の体つきは、肩にかなりの負担をかけているであろうことは間違いない。
正直、ああいう女性にはちょっと同情する――背骨にかなりきついだろうな――
カチン。
首筋に、ぞくりとした冷たさが這い上がる。
視線を下げる。
刀の刃先が、俺の顎のすぐ下に、逆手で構えられている――速く、制御されていて、致命的だ。
「あんた、誰?」
汗の玉が顔を伝うのを感じる。
まあ、まさか首輪を貫通させたりはしないだろう。
刃の一部が、バターのように首輪に食い込んでいく。
……油断していた。
「あ、あー、俺はただこの辺りを探索してただけなんだけど、どうやら迷子になっちゃって、出口が見つからなくて」
彼女は腕の緊張を緩め、俺は一瞬だけ息をつくことができる。
そうだ。この嘘に乗ってくれ。出口を教えてくれれば、俺は草原を駆け抜けて、このおぞましい記憶を笑い飛ばしてやるさ。何も知らない相手を利用するのは少し気が引けるが、髪をなびかせて自由を手にした後は、そこまで罪悪感を感じないだろう。
残念ながら、彼女は再び睨みつけてくる。
不運にも、彼女の睨みは、さらに鋭さを増して戻ってくる。
「あんた、『探索者』なんかじゃないでしょ。ホムンクルスは、敷地内に誰も立ち入らせない。客人でさえもね」
くそ。
「お、おお! ああ、そう、バレたか。実は俺、作業員なんだ! 屋敷の構造的な健全性をチェックしに送られてきたんだよ。ちょっと迷っちゃって、そろそろシフトが終わる時間だから、それで――えっと――出口を探してたんだ……」
彼女は突然、カチリと音を立てて刀を鞘に収め、俺がどうしようもなく時間を無駄にさせたとでも言わんばかりに、息を吐く。
「ふん、あんたが、ナヴィが話してた奴隷ね」
そんなに軽く言うな!! それに、なんでそんなにあっさりバレたんだ!!
「普通なら、私に嘘をついたその舌を切り落とすところだけど、奴隷だとなると、それも問題になるわね」
俺の表情は、たぶん、夕飯前にお菓子をこっそり食べようとして見つかった子供みたいな顔をしているに違いない。
言葉も出せず、その場に立ち尽くす。
「まあ、明らかに暇そうだし――」
「ああ、実は俺、これから――」
「その破片、掃除しておいて」彼女はそう言いながら、手を振って立ち去り始める。
「はぁ、お腹すいた……」独り言のように呟く。
彼女が十分な距離を取ったところで、俺はにやりと笑う。ああ、そうだな、聞いてやるもんかよ。忙しいんだよ、この――
全身に衝撃が走る。地面に崩れ落ち、神経に痛みが押し寄せる中、身をよじる。
「うああっ!」
視界が揺れる。筋肉が痙攣する。呼吸すらまともにできない。
「あら、ちゃんと効くのね」
顔を上げると、彼女の手にある小さな棒状のリモコンが目に入る。これほどの痛みを俺に与えておきながら、彼女は不思議そうな表情を浮かべている。
「立ち止まって名乗ろうと思ってたのに、あんたがぼーっと突っ立ってるから」
彼女は屈み込む。
「ケイリラ・カエン」そして体を起こし、それ以上何も言わずに立ち去る。
「あ――掃除道具は室内庭園にあるから」思い出したように付け加える。
冷たい地面に手をつき、頭を抱えて、なんとか体勢を立て直そうとする。この人たちは、俺を殺しかけるほどの衝撃を与えておいて、どうしてこんなに平然としていられるんだ? この痛み、あまりにも強すぎる。
これは、一体どういう世界なんだ?
なんで俺が、こんな目に遭わなきゃいけないんだ?
ため息をつき、立ち上がる。まあ、また――もう100回目くらいだが――俺にはどうすることもできない。
周囲を見回すと、地面のあちこちに破片が散らばっている。その「機械」に目をやると、剣の刃がほとんど欠けているのがわかる。あの刀は一体どれほど鋭かったんだ、そしてどれほどの力で振っていたんだ?
瓦礫の方へ歩み寄り、破片を集め始める。道具も袋もないので、ほとんどをポケットに押し込む。ありがたいことに、どれも肌を切るほど鋭くはないが――正直に言えば、拾うたびに一瞬びくついたのは否定できない。
ため息をつきながら訓練場を出る。指先がひりひりする。
ケイリラは、掃除道具が室内庭園の周辺にあると言っていた。おそらく、屋敷の左端に見える、白いガラス張りの巨大な建物が、その庭園なのだろう。
少し歩くことになりそうだ。
まあ、カイトに選択肢はない。
歩き出す。
―――――――――――――――――――――――
5分ほど歩いて、正面にたどり着く。
正面のドアは完全に透明で、内部に生い茂る豊かな緑が見て取れる。ノブは小さくコンパクトで、俺の手がぎりぎり握れるくらいの大きさだ。ひねると、ドアは滑らかに開く。
中に入ると、水の流れる音と、これまで嗅いだことも見たこともない植物の香りが体の中に流れ込んでくる。この環境は、それ自体がひとつの生態系で、様々な虫のような生き物が飛び回っている。
これは好きだ。外にある自然とは完全に違う種類の――より野生的で、あまり人工的ではない、それでいて劣らず有機的な自然だ。だが残念ながら、植物があらゆる隙間や角を埋め尽くしているせいで視界が利かず、方向を示してくれるのは、目の前の白いタイルだけだ。
慎重に歩を進め、頭を左右に振りながら、色のきらめきや葉のざわめきひとつひとつに引き寄せられる。
まるで、それぞれの植物がひとつの独立した世界を持っているかのようだ。色彩がそれぞれの植物の形を際立たせ、互いをまったく異なる存在にしている。すべて植物であるはずなのに、それぞれが独自の領域にいるほど違っている。今まで見たことのないものばかりだ。論理の枠組みが通用しない――だが、それこそが、この植物たちを独自の美しさで輝かせているのだろう。
「気に入った?」
思わず、少女みたいな悲鳴を上げ、振り返りながらほとんど転びかける。
その声の主は、背の高い男――いや、何かだった。頭蓋骨のような形のヘルメットをかぶっている。だが、それは正確にはヘルメットではない。眼窩は深く人間らしいが、顎の形が少しおかしい。前時代的なスーツ――産業革命以前のような服装――を身にまとい、俺より頭ひとつ分背が高い。
そして、それは話す。
「興味深いだろう? 私は昔から、生き物というものが好きでね」
皮肉なのは……
その顎が動いていることだ。
俺は今、骸骨男と話している。
俺の知るあらゆる生物学的法則を無視した顔を持つ、骸骨男。筋肉もなく、皮膚もないのに、その顎はまるで生きているかのように動く。頭蓋骨の頂上から黒い煙が立ち上り、空中で渦を巻く――冷たく、熱はなく、あっという間に消えていく。
俺は言葉に詰まったまま立ち尽くす。それに気づいた彼は、興味深そうに頭を傾ける。
「ずいぶん驚いているようだね。君のいた場所では、ワイトはそう珍しくもないのかね?」
ようやく落ち着きを取り戻し、ため息をつく。
「いや、そんなことはない」
「ああ、そうか。私の名前はコルシャク・ヴィルヘルム・フォン・グリム。だが、コルスで構わない」
「ああ、よろしく……コルス……」
この地獄のような場所で初めて、人間らしく俺に挨拶してきたのが……骸骨。まあ、いないよりはマシだ。
彼に手を差し出す。
彼が俺の手を取ると、骨ばった感触を半ば予想していたが、意外にもその手はしっかりとしていた。彼はしっかりと握り、握手を交わす。
「私はこのパーティーの五人目のメンバーで、庭園の手入れを担当している。私のタウマ属性は――ああ、失礼。それは軽々しく明かすべきことではなかった……」彼は自らを止める。
「失礼した、……」
「あー、カイトでいい」
「なるほど、カイト。この良き日に、何用でここへ?」
「ぐすっ……」
「……カイト殿、大丈夫かね? ずいぶん感情的になっているようだが」
ありがとう。ありがとう、俺を普通の人間として扱ってくれて。ようやく、名前で呼んでもらえた。
これは、贖罪なのか? ついに俺のカードが、うまく回り出すのか?
「何でもない」
目をそらす。「うーん、そうだ、掃除道具を探しに来たんだ。ケイリラが、ここにあるって教えてくれて」
「ケイリラ隊長が指示したのなら、手伝おう」彼は部屋の右奥の隅を指し示す。一瞬、彼が指す方向を見失う――彼が話すたびに顎が動く、その不可能なほどの動き方に気を取られていたせいだ。
唇もないのに、どうやって発音しているんだ?
首を振り、その方向へ目を向ける。
「ああ、ありがとう」
道具を手に取り、コルスの方を向いて出口へ向かう。今のところ、スポンジ、水の入ったバケツ、モップ、たわしを手に入れた。決してハイエンドな装備とは言えないが、埃取りにもモップを使うしかなさそうだ。
彼が頷き、俺もそれに応える――無言の感謝だ。名前で呼んでくれたことへのものなのか、正しい方向を教えてくれたことへのものなのか、はっきりとはわからない。だが、いずれにせよ、感謝している。
―――――――――――――――――――――――
ため息をつきながら、納屋の外で息を切らしていることに気づく。手を壁に添え、体重を支える。庭園からずっと全力で走ってきた。恐怖に駆られながら、ずっと。日が沈みかけていて、遅れたらアリヴィアにまた撃たれるんじゃないかと確信していた。
ほとんど丸一日が過ぎていたことに驚くが、まあ、時間というのはそうやって過ぎていくものなんだろう。ゆっくりと、気づかぬうちに。
新しい「仕事」がまだ終わっていないことを思い出し、うめきながら、無理やり納屋のドアを開ける。先ほどいくつかの窓を開けておいたおかげで、中の空気は少し新鮮になっている。
廊下にかすかなカタカタという音が響く。
体が固まる。
ゆっくりと、慎重に振り返る――そして、ショックのあまり崩れ落ちそうになる。
廊下の奥に、横たわったコボルドがいる。休んでいるライオンのような姿だ。
その隣に、アサカワが立っている。彼女とわかる姿だ。彼女はそれを見つめている。まるで、我が子の眠る姿を見守る母親のように。
「あ、あれ――!」
「静かに」彼女は淡々と言う。「カルシファーは何日も眠れていません。邪魔しないで」
まだ茫然としながら、その生物から目を離さないまま、彼女のそばへとにじり寄る。突然飛びかかってきて俺たちをミンチにしないよう、心の中で祈りながら。
「あ、あの……なんで納屋の中にコボルドが?」
「なぜいてはいけないと?」彼女が答える。「これは特に、この屋敷に属している個体です。主に輸送に使われています」
「……え?」
「コボルドについて、あまり詳しくないのですか?」
「いや、詳しいと思ってたんだけど。でも――どうぞ、説明してくれ」
彼女はわずかに姿勢を変える。表情は相変わらず平坦で、生気がなく、周囲の壁のようだ。
「コボルドとは、通常、地中深くに生息する生物です。ほとんどが成人二人分ほどの大きさに成長します。他の生物と違い、コボルドの骨格系は体の外側にあります」彼女はカルシファーの体の中心で渦巻く黒い塊を指し示す。それはリズミカルに上下している。まるで呼吸しているかのように。
「あの塊は、あらゆる臓器――心臓、肺、すべて――をひとつに圧縮したものです。彼らは暗闇の中で生きているため、目を持ちません。ですが、およそ一週間前から、コボルドは地上に姿を現し始めています――カルシファーを除いて。その理由は、今のところ不明です」
カルシファーに近づき、しゃがみ込んでよく観察する。先ほど俺を襲ったものとは、頭蓋骨の形が明らかに違う。
無意識に腕を握りしめる。牙が肉に食い込んだ、あの鋭く湿った痛みを思い出しながら。
「……で、どうやって手懐けたんだ?」
「人間の死体を与えています」
「な、なんだって!?」
「いいえ、冗談です」
そんな冗談言うな! 冷静で陰のあるキャラを貫け!
長いため息をつく。
「はぁ……今のは、正直ちょっと面白かった」
「はい、わかっています」
アサカワの方を横目で見る。
彼女は自分がどれほど不気味かをまったく自覚していないのか、それとも単に気にしていないのか、どちらかだろう。
それから彼女は振り返り、歩き去り始める。
「あなたは今後、カルシファーと一緒に暮らします。次の仕事は、彼の世話をきちんとすること。彼は私たちの唯一機能する移動手段です――ライオネルたちが再び動けるようになるまでは」
「……了解です」呟く。
それ以上何も言わず、彼女は納屋を出ていく。
まだ穏やかに眠っているカルシファーを見つめる。
まあ……そろそろ掃除に取りかからないと。
―――――――――――――――――――――――
もし俺の掃除の様子をモンタージュにするなら、まずカルシファーが目を覚まして俺を真っ二つにするんじゃないかと怯えながら後ずさる場面から始まるだろう。次のカットは、俺自身も恐怖するほど、何度も何度も激しくくしゃみをする場面だ。
だが、それでも何とか勝利を収めた。
掃除自体はそこまで大変ではなかった。というのも、そこまでひどく汚れているものはなかったからだ。糞尿はあったが、汚いとはいえ簡単に片付けられた。床板からどうしても取れない部分がいくつかあって、それを削ぎ落とすのに、ほとんど全力を注ぐ必要があった。
本当に厄介だったのは、床板にこびりついて取れないヌメリの塊だった。それを剥がすのに、全力を振り絞る必要があった。
緑色の、ぶよぶよとした膨らみだった。それが何なのか見当もつかなかったし、正直、知りたくもなかった。ただ、ひたすら掃除した。
今は床にモップをかけていて、ぴちゃぴちゃという水音が納屋の中に響いている。
唯一の光源は、納屋の天井から吊るされた小さなランタンで、視界を照らすには心もとないが、それでも役には立っている。
カルシファーは相変わらず同じ場所で、深く眠っている。
働かされている。
こんなこと以外にも、やれることは山ほどあるはずだ。この世界を探索したり、ドラゴンと戦ったり、鍛錬したり、ファンタジー世界でよくやるようなことなら何でも。
それなのに、俺はここにいる。床板からヌメリを削ぎ落とし、モンスターが眠りながら呼吸する音のたびにびくつきながら。
木製のモップの柄を握る手に、力がこもる。
この呪われた場所から、離れなければ。
その考えを終える前に、ドアが開く。ナヴィが戸口に立っている。
「ついてきて。質問はなし」
自分の仕事はほとんど終わっているので、モップを置いて彼女の後についていく。
屋敷からの光が、夜空に照らされて輝いている。黒い月が頭上に浮かび、色を持たないままに輝いている。
ナヴィが両開きの扉を通り抜ける。
俺もついていく。中に足を踏み入れた瞬間、目玉が飛び出しそうになる。
内部は温かみのある茶色で、金色の装飾が家具のあちこちを彩っている。天井からは巨大なシャンデリアが吊るされ、部屋全体を眩いばかりの輝きで照らしている。おそらく大広間と思われる部屋の両端には、王宮にでもありそうな、螺旋を描く大階段が二つ聳えている。
足元の絨毯は、鮮やかで、ほとんど気品すら感じさせる赤だ。
廊下を通り過ぎる途中、何やら奇妙なものを見つける。
金属の部品でできた、細長い背の高い生き物が、大きな布で壁を拭いている。ゆっくりとだが正確に、まるで時計仕掛けのように動いている。だが、細い。細すぎる。背中には目に見えるほどの金属の棒が、まるで背骨のように弧を描いているのが見える。
「クラット! 夕食の準備は?」ナヴィが俺の前で立ち止まりながら呼びかける。
「はい……ミィィス……ハイアーガルド様……」ぞっとするような、金属質な声でそれが答える。
待て。あれが、召使いなのか?
そして俺が、奴隷?
外で納屋の床を削ぎ落としているのが人間で、壁を磨いているのがあの悪夢のような怪物? この世界、逆さますぎて、もう笑えてくる。
それでも、口を閉じたまま、階段を上るナヴィの後についていくことにする。
足音が階段に反響する中、当然の疑問を投げかける。
「あー……どこに向かってるんだ?」
「パーティー会議」
「待て、それって、俺もそのパーティーの一員――」
ナヴィが頭をこちらに向ける。その表情は無表情だが、なぜかどこか気分を害しているようにも見える。
「はぁ? 違うわよ。あんたはトイレの掃除。配管の扱い方くらいわかるでしょ? 水回りが手に負えなくなってるの」
ため息をつく。
やっぱりな。
いくつか角を曲がり、別の廊下を歩いた後、彼女は赤く塗られ、金色の縁取りが施された大きなドアの前で立ち止まる。
中に入る前に、彼女は廊下の奥を気だるげに指し示す。そこには、シンプルなドアが見える。おそらくあれがトイレだろう。
小声でうめきながらそちらへ向かい始めるが、途中で立ち止まる。
会議室の両開きドアが、完全には閉まっていない。
わずかに開いている。
肩越しに振り返り、それから、そっと近づく。聞くくらい、害はないだろう?
中を覗くと、長いテーブルを囲んでパーティーのメンバーが座っているのが見える。全員――ケイリラ・カエンを除いて。
彼女は部屋の中を歩き回りながら話している。はっきりとは聞き取れないが、慎重に近づく。あの部屋には、明らかな緊張感が漂っている。
彼女の声が鋭くなる。
「――あいつは、奴らと組んでいる可能性がある。それこそ、私たちが金をもらって防ぐべきことだ」
コルスが落ち着いた声で言う。「では、どうすればよろしいですか、ケイン殿?」
ケイリラの目が細まる。その存在感が、部屋全体を支配する。
「明日の朝、あの町を制圧する。夜明け前に……」
彼女の声が、まるで彼女の刃のように、空気を切り裂く。
「そして、あの野郎を殺す」




