影/ヴェール・オブ・シャドウ
俺たちの足音が、重たい土の上でざりざりと鳴る。片方は金属のブーツ、もう片方はただのランニングシューズだ。空気はかなり冷たく、秋のような印象を受ける。さっきの森のあの暑さを思えば、かなり妙な話だ。この世界の天候には、同じ論理が通用しないのかもしれない。妙なことに。
五分ほど歩いたところで、小さな納屋にたどり着く。大きすぎず、かといって小さすぎもしない。
今にも崩れ落ちそうだ。屋根の右中央には大きなへこみがある。木材は粗く切り出され、風雨に晒されていて、まるでその辺にあったものを適当に寄せ集めて作ったかのようだ。
最後の蝶番で辛うじて持ちこたえているような正面のドアに歩み寄り、アリヴィアがノブを回す。ひどく不安になる軋みとともにドアが開き、恐ろしい光景があらわになる。
錆びてぎざぎざになった農具が地面に散乱している。壁沿いには安っぽい馬小屋のような木の仕切りが並んでいる。隅には藁の山がへたり込んでいて、土の床のあちこちに濃い茶色の塊が落ちている。あれがただの泥の塊であってくれと、心底願う。
なあ、どうして俺は、創作物に出てくる使用人や奴隷みたいな扱いを受けられないんだ? 母屋に住み込みで、可愛い主人がいて……
「そんなに恥ずかしがってないで、さっさと入りなさいよ!」アリヴィアがそう言って、俺を中へ押し込む。
よろめき、辛うじて足を踏ん張る。糞の臭いが鼻腔を満たす。おそらくこの納屋に住んでいた生き物のものだろう。空気は重く熱く、断熱された木材に閉じ込められて、出来の悪いオーブンのようになっている。
アリヴィアも鼻をつまみながら入ってくる。
「さて、我が家へようこそ、ってやつね。臭いはかなりひどいけど、奴隷くんならきっと大丈夫よね!」
「その『皮肉たっぷりに明るい』ってキャラは理解したけど、あんたのはレベルが違う……」
突然、彼女の腕が俺の喉に叩き込まれる。
壁に背中から激突し、肺の中の息が止まる。アリヴィアが身を寄せ、前腕を首に押し当て、全体重で俺を壁に縫い止める。
「いい?」その声は冷たい。「そういう軽口ってさ、自分が身の程より上にいるって思ってるみたいに聞こえるのよ。あたし、それ嫌いなの」
その目が、俺の魂を睨みつけてくる。まるで死体に見返されているかのようだ。
「あたしたちはあんたの友達じゃない。家族でもない。あたしたちとあんたの間には、何もない。この関係は、家畜と農夫みたいなもの。あんたはあたしたちにとって人間じゃない。道具よ。使われるための生き物。それだけ。働いて生きて、働いて死ぬ。だから、次に口答えしたら……」
「あの子があんたに話しかけるからって、あたしもそうするとは限らないから」
「……誰が?」
「チッ」
彼女が手にした棒を持ち上げる。木製のボタンがついた、あれだ。それを指の間でダイヤルのように回す。
あれ……電圧を上げるためのものか?
彼女がボタンの上に指をかざす。
「言わなくてもわかるわよね?」
怒りで、視線が下に落ちていくのが自分でもわかる。
こういう人間が嫌いだ。
相手の境遇だけを理由に、そういう口の利き方をする人間が嫌いだ。自分が上の階に住んでいるというだけで、下の階の人間を格下だと思い込んでいる連中が。ちょっと下に降りてきてみろよ、どれだけ早く伸してやれるか見せてやる。
俺の表情を見て取ったのか、彼女が笑う。
「余計なこと言わないように気をつけてね!」
顔を右に背けながら、俺は呟く。「わかったよ」
彼女は体を離し、俺の正面に立つ。そして納屋全体を手で示し、足で床を叩く。
「最初の仕事。この納屋を隅から隅まで掃除しなさい。埃ひとつでも見つけたら、あんた名義の電流が飛ぶから」
俺は無言で彼女を見つめる。
それからため息をつき、頭が重すぎて持ち上がらないとでも言うように、気のない頷きを返す。
振り返りながら、彼女が笑う。
「頑張ってね、奴隷くん!」肩越しにそう声をかけてくる。
そしてドアの方へ歩いていき、それを開ける。だが、半分通り過ぎたところで足を止める。
「あ、それと一応言っておくけど。終わってなくても、用があれば呼ぶから。誰の電流が誰のものか、覚えるのはあんたの仕事よ」
ドアが閉まり、俺は暗闇に取り残される。ついさっきまで目の前にあった暗闇と、同じように。
「クソ女」
あたりを見回しながら、腰に手を当てる。手が布に触れたことに驚き、自分がシャツを着ていることに気づく。
いつの間にこれを着せられていたんだ? ぼろぼろの古着とはいえ、何もないよりはましだ。ファンタジー小説の農民が着ていそうな代物だ。
せめてそれくらいの待遇はあるらしい。
掃除には慣れている。だからこれも大して変わらないはずだ。規模がでかいだけ、だろう?
必要なのは、箒、ちり取り、雑巾が数枚、バケツとスポンジ、あとはたわしくらいか。
問題は、それをどこで手に入れればいいのか見当もつかないということだ。楽しくなりそうだ。どうやらこの場所を出て、道具を探さなければならないらしい。
だがその前に、この窓を開けておくべきだろう。
そうしてから納屋の扉を押し開け、外に出る。眩しい日差しが目に降り注ぎ、手で覆わなければならないほどだ。
待て。あいつら、俺を放置していったな。この機会を利用できる。
抜け道がないか視線を巡らせると、敷地全体を囲う巨大な金属の門が目に入る。
ああ、有刺鉄線付きか。
ため息をついて、状況を受け入れる。気の抜けた足取りで、さっきの目的をもう一度探し始める。
目の前には土の道が伸びていて、その先には――
訂正。とんでもなくでかい。プールだ。幅は軽く30メートル、いやそれ以上ある。水面が朝日を受けてきらめき、奇妙なほど穏やかに揺れている。その向こうにはまた別の高い鉄門がそびえ、空へと伸びている。あっちからも出られそうにない。
右手には、大聖堂のようにそびえる屋敷の裏側が見える。そして小道の先には、建物の基礎部分に作られた小さな扉。おそらく従業員用の入口だろう。あるいは、使用人用の。
まあ、うろついているのを見つかっても、道具を探していたと言えばいいだけだ。使える口実だ。
俺は道を歩き出す。穏やかな朝の散歩でもしているかのように、景色を眺めるふりをしながら。
空は晴れ渡った青だ。こんな場所には不釣り合いなほど、明るすぎる。
砂の道を踏むたび、足元から小さな砂埃が舞い上がる。
「ガキンッ!」
金属音があたりに響き渡る。もう一度右を振り向くと、金属同士が打ち合う音が続けて聞こえてくる。安全な場所にいるはずだから、危険なものではないと思うが。
もう屋敷に入る手前まで来ているというのに――
また、好奇心という呪いが襲ってくる。
踵を返し、鋭く右に折れ、プールの裏手へと向かう。歩くにつれて音は大きくなり、その一帯の姿が少しずつ明らかになっていく。
プールの向こう、風景が開けていく。地面が平らになり、長方形の敷地に二本の白い線が平行に走っているのが見える。中央には大きな円。訓練場のようだ。競技場を戦場に変えたような場所。
ああ、訓練場か。
そこで、その中央にただ一人立っている人影が目に入る。その体は捻れ、翻り、飛んでくる剣らしきものを受け流している。手にしている得物は巨大で、ほとんど本人の背丈ほどもある。どうやってあんなにうまく扱っているんだ?
体の曲線から察するに、女性だろう。
もう一つの影が彼女に斬りかかっているが、その体は動いていない。
それは機械のように動き、四本の剣を持ったまま振り続けている。驚いたことに、彼女はそのすべてを受け流している。
ただ防いでいるのではない。
流れている。
気づけば、俺は彼女から5メートルほどの距離に立っていた。
突然、彼女の頭がこちらを向く。そして短く「止まれ」と告げると、機械は即座に静止する。刃は振り抜かれる途中のまま。
彼女は滑らかな一動作で刀を鞘に収める。鍔が鳴り、そのままこちらへ歩いてくる。見知らぬ人間に稽古を邪魔されたことに、相当腹を立てている様子だ。
俺は後ずさりを始める。そもそも来るべきではなかったと、今さら気づきながら。
近づくにつれ、その姿がはっきりしてくる。大きなコートを羽織っているが、袖は通しておらず、ただ背後で揺れているだけだ。長い青髪はポニーテールに結われ、幾筋かが顔の輪郭に落ちている。
見ないようにしているのだが……
まあ、その体つきは、肩にかなりの負担をかけているだろう、とだけ言っておく。
正直、ああいう女性には少し同情する。背骨には地獄だろうな――
チン。
首筋に冷たいものが走る。
視線を下げる。
刀の刃が、顎のすぐ下に添えられている。逆手に握られ、速く、そして致命的な角度で。
「誰だ、お前」
汗の玉が顔を伝うのを感じる。
まあ、この首輪は貫けないだろうけど。
刃の一部が、バターのように首輪に食い込む。
……早計だった。
「あ、ああ、この辺を探索していたんですが、どうやら道に迷ってしまって、出口が見つからなくて」
彼女は腕の力を緩め、俺に少しの猶予を与える。
よし。乗ってくれ。出口を教えてくれれば、あとは草原を駆け抜けて、この悪夢を笑い話にしてやる。何も知らない人間を利用するのは心苦しいが、髪に風を受けて自由を背負っていれば、罪悪感なんて大して感じないだろう。
残念ながら、彼女の視線は、さらに鋭さを増して戻ってくる。
「お前は『探索者』なんかじゃない。ホムンクルスがこの敷地に誰かを通すことはない。客人であってもだ」
しまった。
「あ、ああ! あはは、バレましたか。実は俺、作業員なんです! 屋敷の構造的な安全性を点検しに来まして。ちょっと迷ってしまって、もうすぐシフトも終わるので、それで、その、出口を探していて……」
彼女は音を立てて刀を鞘に収め、俺に時間を無駄にさせられたとでも言うように息を吐く。
「ふん。お前がナヴィの言っていた奴隷か」
そんな軽く言うな!! そしてなんでそんなに早く見抜いたんだ!!
「普通なら、私に嘘をついた舌を切り落とすところだが、お前は奴隷だからな。それだと問題が出る」
今の俺の顔は、夕飯前に菓子をつまみ食いして見つかった子供のようになっているに違いない。
言葉を失って、その場に立ち尽くす。
「まあ、暇そうにしているようだし――」
「あ、いや、俺はこれから――」
「その破片を片付けておけ」彼女は手を振りながら、そのまま歩き去ろうとする。
「はあ、腹が減ったな……」と、独り言のように呟きながら。
十分に距離が開いたところで、俺はにやりと笑う。ああ、誰が言うことを聞くかよ。こっちは忙しいんだ、この――
全身を電流が駆け抜ける。土の上に崩れ落ち、神経に痛みが流し込まれてのたうち回る。
「あ――っ!」
視界が震える。筋肉が痙攣する。息すらまともにできない。
「ほう、ちゃんと作動するのだな」
見上げると、彼女の手にあの棒状のリモコンが握られているのが目に入る。これだけの痛みを与えておきながら、その表情はただ興味深げだ。
「立ち止まって名を告げるつもりだったのだが、お前が突っ立っているものでな」
彼女はしゃがみ込む。
「カエリラ・カエン」そう言って身を起こし、それ以上何も言わずに歩き出す。
「ああ――掃除道具は屋内庭園にある」まるで思い出したついでのように、そう付け加えて。
冷たい地面に手をつき、頭を押さえて安定させようとする。どうしてこいつらは、人を死ぬほど感電させておいて、こんなに平然としていられるんだ? この痛み、あまりにも強すぎる。
この世界は、一体何なんだ?
なぜ俺が、こんな目に遭わなければならない?
ため息をついて、立ち上がる。まあ、何度目かもわからないが、俺にできることは何もない。
あたりを見回すと、金属の破片が地面に散乱している。あの「機械」に目をやると、剣の刃がほとんど欠け落ちているのがわかる。あの刀はどれだけ鋭くて、彼女はどれだけの力で振っていたんだ?
破片のところまで歩いていき、拾い集め始める。道具も袋もないので、ほとんどをポケットに突っ込む。ありがたいことに、皮膚を切るほど鋭いものはない。とはいえ、掴むたびにびくついていなかったと言えば嘘になる。
ため息をついて訓練場を後にする。指先がじんじんと痺れている。
カエリラは、掃除道具は屋内庭園にあると言っていた。敷地の左奥にある、白くて窓だらけの巨大な建物が庭園だろう。
少し歩くことになりそうだ。
まあ、カイトに選択肢はない。
俺は歩き出す。
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五分ほど経って、ようやくその正面にたどり着く。
正面の扉は全面が透明で、内側に散らばる豊かな緑をそのまま見せている。ノブは小さく簡素で、辛うじて手で握れる程度の大きさだ。ひねると、扉は滑らかに開いていく。
中に入った瞬間、水の流れる音と、見たことも嗅いだこともない植物の匂いが体に流れ込んでくる。この場所はそれ自体がひとつの生態系になっていて、虫のような生き物が何種類も飛び回っている。
これは、いい。外の自然とはまったく別物だ。野生的で、どこか人工的で、それでいて有機的であることに変わりはない。ただ残念なことに、隅から隅まで植物で埋め尽くされているせいで視界が利かない。頼れる道標は、目の前に敷かれた白いタイルだけだ。
慎重に歩を進める。首を左右に振りながら、色のちらつきや葉擦れの音のひとつひとつに目を奪われる。
植物のひとつひとつが、それぞれの世界を持っているかのようだ。色彩が形の違いを際立たせ、どれもが互いに異なるものとして立っている。同じ植物でありながら、それぞれが別の領域にいるほどに違う。今まで見てきたどんなものとも似ていない。論理の枠など通用しないのに、だからこそ、それぞれのやり方で美しい。
「気に入ったかね?」
女の子のような悲鳴を上げ、振り返りざまに転びかける。
声の主は背の高い男――いや、何か、だ。頭蓋骨の形をした兜をかぶった何か。だが、それは兜ではない。眼窩は深く、人間のそれに近いが、顎の作りがわずかにずれている。前産業時代の遺物のような古めかしいスーツを着ていて、俺より頭ひとつ分背が高い。
そして、それが喋る。
「実に興味深いだろう? 私は昔から、生きているものが好きでね」
皮肉なことに――
その顎が、動いている。
俺は、骸骨男と話している。
俺の知るあらゆる生物学的法則を無視した顔をした、骸骨男と。筋肉もなければ皮膚もない。それなのに顎は生きているかのように動く。頭蓋の上からは黒い煙が立ち上り、渦を巻いて空へ消えていく。
しどろもどろになっている俺の表情を見て取り、彼は不思議そうに首を傾げる。
「ずいぶん驚いているようだが、君のいた土地ではワイトは珍しいのかね?」
ようやく落ち着きを取り戻し、俺はため息をつく。
「ええ、まあ、あんまり」
「そうか、なるほど。私の名はコルシャク・ヴィルヘルム・フォン・グリム。コルスで構わんよ」
「あ、よろしく……コルスさん……」
この地獄で、初めて俺を人間として挨拶してくれた相手が……骸骨。まあ、何もないよりはましだ。
俺は手を差し出す。
彼がその手を取ったとき、骨の感触を半ば覚悟していたのだが、意外にもしっかりと実体がある。彼は力強く握り、そして振る。
「私はこのパーティーの五人目の構成員で、庭園の管理を任されている。私は――ああ、失礼。それは軽々しく明かすべきことではなかったな」彼はそこで言葉を切る。
「申し訳ない、ええと……」
「あ、カイトでいいです」
「そうか、カイト君。今日はどういった用件でここへ?」
「ぐすっ……」
「……カイト君、大丈夫かね? ずいぶん感極まっているようだが」
ありがとう。俺を普通の人間として扱ってくれて、ありがとう。ようやく、名前で呼ばれた。
これは救済なのか? ようやく手札が揃い始めたのか?
「何でもないです」
視線を逸らす。「んん、ああそうだ、掃除道具を探しに来たんです。カエリラさんが、ここにあるって」
「カエン隊長の指示か。ならば手を貸そう」彼は部屋の右奥を指し示す。一瞬、どこを指しているのかすら追えなかった。喋るときの顎のありえない動き方に、気を取られすぎていたせいだ。
唇がないのに、どうやって発音しているんだ?
頭を振って、示された方へ目を向ける。
「あ、どうも」
道具を掴み、コルスの方へ向き直ってから出口へ歩き出す。今のところ、スポンジ、水を張ったバケツ、モップ、たわしが揃った。上等な装備とは言えないが、妥協してモップを埃取りにも使うしかないだろう。
彼が頷き、俺も頷き返す。無言の礼だ。名前で呼んでくれたことへの礼なのか、道具の場所を教えてくれたことへの礼なのか、自分でもよくわからない。だが、どちらにせよ感謝している。
―――――――――
納屋の外で、俺は息を切らしている。壁に手をついて、全体重を支えている。庭園からずっと全力で走ってきた。恐怖に追い立てられながら。日が沈みかけていて、遅れたらアリヴィアにまた電流を流されると確信していたからだ。
一日がほとんど過ぎてしまったことに驚くが、まあ、時間とはそういうものなのだろう。ゆっくりと、忍び寄るように過ぎていく。
新しい「仕事」がまだ終わっていないことを思い出して呻きながら、無理やり納屋の扉を開ける。さっき窓をいくつか開けておいたおかげで、中の空気は少しだけましになっている。
かすかな物音が、通路に響く。
俺は凍りつく。
ゆっくりと、慎重に振り返る。そして、衝撃で崩れ落ちそうになる。
通路の奥に、コボルドが伏せている。その姿は、休んでいるライオンによく似ている。
その隣に立っているのは、アサカワだ。見間違えようがない。彼女はそれを観察している。まるで、眠る我が子を見守る母親のように。
「あ、あ、あれ――!」
「静かに」彼女は平坦な声で言う。「カルシファーは数日眠っていない。起こさないで」
まだ呆然としたまま、俺は彼女の横へと足を引きずっていく。片目はあの生き物に釘付けにしたまま、突然飛びかかってきて俺たちを挽き肉に変えたりしないよう、静かに祈りながら。
「な、なあ……なんで納屋の中にコボルドがいるんだ?」
「なぜいてはいけないの?」彼女が返す。「この個体はこの屋敷に属している。主に移動手段として使われているわ」
「……は?」
「コボルドについて詳しくないの?」
「詳しいつもりだったんだけど。まあ、どうぞ、情報を流し込んでくれ」
彼女はわずかに体をずらす。その表情は、周りの壁と同じように、平坦で生気がないままだ。
「コボルドは通常、地中深くに生息する生物よ。多くは成人二人分の大きさまで成長する。他の生物と異なり、コボルドの骨格系は体外にある」彼女はカルシファーの体の中心で渦を巻く黒い塊を指し示す。それは呼吸のように、規則正しく上下している。
「あの塊は、心臓も肺もすべての臓器を、ひとつの単位に圧縮したもの。暗闇の中で生きているから、目を持たない。けれど一週間ほど前から、コボルドが地上に出てくるようになった。カルシファーを除いてね。理由は未だにわかっていない」
カルシファーに近づき、しゃがみ込んでよく見てみる。頭蓋の形が、さっき俺を襲ってきた個体とは明らかに違う。
手が無意識に自分の腕を掴む。牙が肉に沈み込んだときの、鋭く濡れた痛みを思い出しながら。
「……で、どうやって手懐けたんだ?」
「人間の死体を与えているの」
「な――なんだって!?」
「冗談よ」
そんな冗談言うな! 冷たくて陰気なキャラを貫けよ!
長いため息が漏れる。
「はあ……いや、今のは普通に面白かった」
「ええ。知っている」
俺は横目でアサカワを見る。
自分がどれだけ不気味なのか自覚がないのか、それとも気にしていないだけなのか。
そして彼女は振り返り、歩き出す。
「あなたはこれからカルシファーと暮らすことになる。次の仕事は、この子の世話をきちんとすること。ライオネルが再び稼働するまでは、この子が唯一使える移動手段だから」
「……了解です」俺は呟く。
それ以上何も言わず、彼女は納屋を出ていく。
俺は、いまだ安らかに眠っているカルシファーを見つめる。
さて……掃除を始めるとするか。
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もし俺の掃除風景をモンタージュにするなら、まずカルシファーから後ずさりする場面から始まるだろう。目を覚まして俺を真っ二つにするんじゃないかと怯えながら。次のカットは、自分でも引くほど激しく、何度もくしゃみをしている場面だ。
だがそれでも、俺は勝利を収めた。
掃除自体はさほど問題ではなかった。そもそも、ひどく汚れているものが大してなかったからだ。糞はあったが、あれは不快ではあっても簡単に落ちる。
本当の問題は、床板にこびりついて取れない汚れの塊だった。全力を込めて削ぎ落とすしかなかった。
緑色をした、膨れ上がった何かの塊。何なのか見当もつかなかったし、正直、知りたくもなかった。ただ黙って掃除した。
今はモップをかけている。濡れた音が、納屋の中に響いている。
光源は納屋の天井から吊るされた小さなランタンひとつきり。見える範囲を辛うじて照らす程度だが、それでも役には立っている。
カルシファーは同じ場所に伏せたまま、深く眠り込んでいる。
こき使われている。
これ以外にできることなんて、いくらでもあるはずだ。この世界を探索するとか、ドラゴンと戦うとか、修行するとか、ファンタジー世界で普通やるようなことを。
なのに俺はここにいる。床板からへドロを削ぎ落としながら。化け物が寝息を立てるたびに、びくついている。
木製のモップを握る手に、力がこもる。
こんな場所、出ていかなければ。
そう考え終える前に、扉が開く。ナヴィが戸口に立っている。
「ついてきて。質問は無しで」
作業はほぼ終わっているので、モップを放り出して彼女の後を追う。
屋敷の明かりが夜空に照り映えている。黒い月が頭上に浮かんでいる。色などないのに、輝いている。
ナヴィが両開きの扉を抜ける。
後に続き、足を踏み入れた瞬間、目玉が落ちそうになる。
内装は温かみのある茶色を基調に、家具には金の装飾が編み込まれている。天井からは巨大なシャンデリアが吊るされ、部屋全体に見事な光を投げかけている。おそらくメインホールなのだろう、その両端には王族の邸宅にでもありそうな大階段が二つ、螺旋を描いて上へと伸びている。
足元の絨毯は、鮮やかで、ほとんど王家めいた赤だ。
廊下を通り過ぎるとき、何か……妙なものが目に入る。
全身が金属部品でできた、背の高い、細長い生き物。大きな布で壁を拭いている。動きは遅いが正確で、ほとんど機械的――時計仕掛けのようだ。それでいて、細い。細すぎる。背中には金属の棒が背骨のように浮き出て弧を描いているのが見える。
「クラット! 夕食はできてる?」ナヴィが、俺の前で立ち止まりながら呼びかける。
「はい……ハイアーガルド……さま……」ぞっとするような金属質の声が返ってくる。
待て。あれが使用人?
それで、俺が奴隷?
人間が外で納屋の床を削っている間に、この悪夢みたいな化け物は壁を磨いている? この世界、逆さすぎて笑えてくる。
それでも俺は口を閉じておくことにして、階段を上がっていくナヴィの後に続く。
足音が段を上がって反響する中、当然の疑問を口にする。
「あの……どこ行くんだ?」
「パーティーの会議」
「待って、それってつまり俺も一員に――」
ナヴィが顔だけこちらに向ける。その表情は無だが、それでいてどこか気分を害しているように見える。
「はあ? 違うけど。あんたは風呂場の掃除。配管のいじり方くらいわかるでしょ? 水回りが手に負えないことになってるの」
ため息が出る。
そりゃそうだ。
いくつか角を曲がり、別の廊下を歩いた先で、彼女は大きな扉の前で立ち止まる。赤く塗られ、金で縁取られた扉だ。
中に入る前に、彼女は廊下の突き当たりを気だるげに指し示す。そこには簡素な扉が見える。あれが風呂場だろう。
小さく呻きながらそちらへ歩き出す。だが、足が止まる。
会議室の両開き扉が、完全には閉まっていない。
ほんの少しだけ、開いている。
肩越しに振り返り、それから身を寄せる。聞くだけなら、別にいいだろう?
中では、長机を囲んでパーティーの面々が座っている。カエリラ・カエンを除いた全員が。
彼女は部屋の中を歩き回りながら話している。はっきりとは聞き取れないので、慎重に、少しずつ近づく。あの部屋には、明らかな緊張が張り詰めている。
その声が、鋭さを帯びる。
「――あの男は連中と通じている可能性がある。それこそ、我々が金をもらって防いでいるはずのことだ」
コルスが落ち着いた声で応じる。「では、どうなさるおつもりですか、カエン殿」
カエリラの目が細くなる。その存在感が、部屋を支配する。
「明朝、夜明け前に町へ踏み込む」
その声は、彼女の刃と同じように空気を切り裂く。
「そして、あの野郎を殺す」




