第二十三話
すぅ、と、息を吸う。それは心にある決意を固めるためでもあったし。そしてなにより、今にも飛び出そうな自分の弱気を、奥底に沈めるためのものでもあった。
どかっ。腕を、いら立つ彼の目の前に。
すると彼も、まさに渋々、といった様子で、こちらの腕に、がっちりと自分のそれを合わせてきた。
だが、そうまでして。彼は自分を見ていない。遠くで、腕を組みながら、恐らく演技であろう薄ら笑いを口の端に浮かべた彼を、もはや憎々しい感情を込めて、ぎろり、なんて音が聞こえてきそうな目付きで睨み付けている。
ああ、なんと、なんと──不敬なのか。あのかたは、お前ごときが、いちいち相手にしていいおかたではない。そうして憎しみなどという執着を向けていい相手でもない。
あのかたは、我ら魔族の盾だ。我らをあらゆる脅威からお守りくださる、そして寄り添ってくださる、我らの新たな神だ。
それを──たかが、ありもしない名誉を傷つけられた程度で──そのように──このように──傲慢を、向けるなど。
まさしく。あっては、ならないことだ。
「では、さっさと始めようじゃないか。まあ、結局私が勝つとは思うがね?」
手を、人のような不敬が、こちらの手にぎち、と絡めてくる。
ああ、そこから感じ取れる全てからは、およそ強力というものがまったく無い。これでは、もしうっかりこちらが力を込めようものなら、あっという間に圧倒してしまいそうだ。
いえ、でも、わかっています。わかっていますとも、ライトさま。あなたの名誉と命令は、ええ、しかと、このトルマ・アブレイシブが、守ってみせますとも──
「よぉい……はじめぇ!」
向かい合う二人の手を掴んでいた、審判代わりのどっかの客が、掛け声と共にその拘束を解き放つ。
すると二人とも、まずは一息に勝負を決めるつもりなのか(いやまあ片方はこちらの仕込みだが)、どちらとも思い切り、お互い倒そうと腕に力を傾ける。
けれど、しかし、どちらの腕も、まるで拮抗しているように、動かない──いや、正確に言うなら、ぶるぶると、お互いの手を赤く染めて、細かく細かく震わせている。
ついで、ぎりぎりと、掴みあっている指が、お互いの皮膚に食い込み、……それだけで、周りの人間には、両者の実力が伯仲した、そう、とてもいい勝負なのだと、そう見えてしまうだろう。
いい。よし、いいぞ、少年。そのまま、そのままだ。そのまましばらく、押したり押されたりして、名勝負を演じてくれ。そうすればそうするほど、このあとの全てがやりやすくなる……
しかし上手いな、少年の演技。勝負の演技もそうだが、あの顔、あの表情。まるで本当に敵意を宿しているみたいだ。それでいてああして互角を演出して、……ふふ、案外少年にはそっちの才能があるかもだな、これはいい選出をした。
さて、この名勝負(爆)。その過程から決着には、少年の裁量に従うことにしている。当然、こちらの勝ち、という結果の制限付きではあるが。
しかしながら……少年には、なるたけあいつの体力を削れ、と、きっちり最低限の指示は出している。でないと色々面倒なことになるし。
んで……うん、まだ、まだだな。まだあのおぼっちゃんの体力がそう削れていない。ああして顔真っ赤にして額に汗まで掻いているが、それでもまだ息が上がっていない。
時折ふん、とか、うおぉ、とか、そういったいわゆる掛け声は聞こえるが、それだってまだ乱れているわけじゃない。これで一気に勝負を持っていこうものなら、絶対にいちゃもんつけられて、相手が勝つまで再戦を申し込まれるだろう。そうなったら今より面倒な事態になりかねない。
だから、削る。削って、もう頭が感情以外でぼやっとしてきたところで、それが元に戻らないうちに、そこでゆっくりと勝ちをかっさらう。
これが一番被害と面倒が少ない決着だ。そこまで持っていければ、相手方の無駄な絡みをほとんど排除でき、その上あちらから立ち去らせることだって可能になる。
問題は、その追い詰めかただが……まあ、この調子であれば、そう複雑に手間をかける必要はあるまい。このままじりじりと拮抗を保つだけで、十分に体力を削っていける。
あとは当初の予定通り、それこそ少年の観察眼と洞察力に期待して、なるべく最高最低の状況に持っていってくれることを期待するしかない。まあきっとうまいことやるだろう。少なくとも感情に流されることさえなければ。
さて、もう個人的に出せる口も手も無い以上、あとは当人同士の問題で、それでもまだ、介入の余地があるとすれば……ふむ、
「──おい」
こうして、決着もつけていないのに、盤外から手を絡めようとしてくる、この過保護な護衛たちに、かな。




