俺の彼女は、学園一の美少女でし
翌朝。
目を覚ました俺は、しばらく天井を見つめていた。
昨日の出来事が、頭の中から離れない。
小鳥遊美月。
十年間、ずっと好きだった幼馴染。
その彼女から告白されて、嬉しくて、夢みたいで。
けれど、あれは罰ゲームだった。
俺の気持ちも、十年間の想いも、全部笑いものにされた。
「……はは」
乾いた笑いが漏れた。
思い出すだけで、胸が苦しくなる。
それでも、昨日のことを考えるたびに、もう一つの記憶が浮かんできた。
白瀬雪乃。
学園一の美少女で、誰もが憧れる女の子。
そんな彼女が、俺に言ってくれた。
『私は、あなたが好きです』
『今度は私が、湊くんを幸せにしたい』
昨日、俺が一番つらかったとき、雪乃は隣にいてくれた。
無理に励ますことも、忘れろと言うこともなく、ただ俺の話を聞いてくれた。
「……俺、どうしたいんだろう」
美月を好きだった気持ちが、一日で消えるわけじゃない。
だけど、だからといって、これから先もずっと過去に縛られていたいわけでもない。
俺はゆっくりと起き上がった。
雪乃の告白に、ちゃんと答えたい。
逃げずに、自分の気持ちと向き合いたかった。
⸻
学校に着くと、教室の空気はどこか重かった。
俺が教室に入った瞬間、何人かの視線がこちらに向く。
昨日の動画のことが、まだ話題になっているのだろう。
聞こえてくる小声に、思わず足が止まりそうになる。
けれど、俺は何も言わず、自分の席へ向かった。
「……湊」
声をかけてきたのは、佐藤健太だった。
いつもは明るい健太が、今日は真剣な顔をしている。
「昨日は、ごめん」
「……え?」
「お前が傷ついてるのに、俺、何もできなかった。周りの空気に流されて、ちゃんと声をかけられなかったんだ」
健太は申し訳なさそうに頭を下げた。
「本当に悪かった」
俺は少し驚いた。
昨日のことを、健太も気にしてくれていたらしい。
「……謝ってくれて、ありがとう」
「許してくれるのか?」
「すぐに全部忘れられるわけじゃないけど……謝ってくれたことは嬉しいよ」
健太は、少しだけほっとしたように息を吐いた。
その後、水野葵も俺のところへやってきた。
「湊くん、私もごめんね」
「葵?」
「昨日、あんなことになっていたのに、何も言えなかった。動画が広まっていることも知っていたのに……」
葵は、ぎゅっと手を握りしめた。
「本当は、止めるべきだったと思う」
「……うん」
「ごめんなさい」
「ありがとう。もう大丈夫、とはまだ言えないけど……」
俺は少しだけ笑った。
「そうやって言ってくれるだけでも、救われるよ」
「……うん」
葵は安心したように頷いた。
そのときだった。
「ねえ、いつまでその空気続けるつもり?」
教室に響いた声。
顔を上げると、小鳥遊美月と橘莉子が立っていた。
美月は、少し面倒くさそうな顔をしている。
莉子に至っては、最初から不機嫌そうだった。
「……何の話?」
俺が尋ねると、莉子は呆れたように肩をすくめた。
「何の話って、昨日のことに決まってるじゃん。いつまで引きずってるの?」
「たかが罰ゲームでしょ?」
美月も、軽い調子で言った。
「そんなに大ごとにすることじゃないじゃん。私、昨日も悪かったって思ってるし」
「……悪かったって?」
思わず聞き返した。
美月は少しだけ視線を逸らした。
「だから、冗談だったの。あんなことになると思わなかっただけ」
「……動画のことは?」
俺が尋ねると、美月は答えに詰まった。
代わりに莉子が口を開く。
「動画を撮ったのは大輝でしょ? 美月に言われても困るんだけど」
その言葉に、俺は莉子を見た。
「……お前が罰ゲームを考えたんじゃないのか?」
一瞬、莉子の表情が変わった。
けれど、すぐに鼻で笑う。
「だから何? 別に、湊を本気で傷つけようと思ったわけじゃないし」
「……っ」
「そもそも、告白が罰ゲームだったくらいで、いつまでも落ち込んでる方もどうかと思うけど」
教室が静まり返った。
莉子は、さらに言葉を続けた。
「もう湊には関わらない方がいいよ。面倒くさいし。こっちだって、いつまでも気を遣うの嫌なんだけど」
……本気で言っているのか。
俺がどれだけ傷ついたのか、分かっていないのか。
いや、違う。
分かっていて、どうでもいいと思っているのかもしれない。
そのとき、健太が立ち上がった。
「……おい、いい加減にしろよ」
莉子が振り向く。
「は? 何?」
「自分たちが何をしたか、分かってんのか?」
健太の声は、いつになく厳しかった。
「罰ゲームの告白を仕組んで、相手が本気になったら笑って、動画まで広めて。それで傷ついた湊が悪いっていうのか?」
「動画を広めたのは大輝でしょ!」
莉子が声を荒らげる。
「俺は、罰ゲームを考えたのがお前だって話をしてるんだよ」
「……っ」
今度は葵も口を開いた。
「冗談なら、人を傷つけてもいいの?」
「……」
「湊くんが本気だったこと、知ってたんじゃないの?」
美月は、何も答えなかった。
その沈黙が、何よりも答えのように思えた。
周囲のクラスメイトたちも、二人を見る目を変え始めていた。
昨日まで笑っていた人たちの中にも、今になって自分たちが何を笑っていたのか、考え始めた人がいる。
「……もういいよ」
俺は静かに口を開いた。
「湊……?」
美月がこちらを見る。
「俺は、もうお前たちと今まで通りには接することができない」
「そんな、大げさな……」
「大げさかどうかを決めるのは、お前じゃない」
自分でも驚くくらい、落ち着いた声だった。
「俺がどう感じたかは、俺が決める」
美月は言葉を失った。
莉子は不満そうに顔をしかめたが、周囲の視線に気づいたのか、それ以上何も言わなかった。
二人は結局、自分たちの席へ戻っていった。
けれど、さっきまでのように周囲と笑い合うことはなかった。
そして――。
教室の後ろでは、相沢大輝がスマートフォンを見つめていた。
「……何だよ、これ」
大輝が小さく呟く。
昨日、自分が拡散した動画。
そのことについて、クラスメイトから批判のメッセージが届き始めていたのだ。
ただ一つ変わったことがある。
昨日まで笑っていたクラスメイトたちが、今日からは大輝や莉子を避けるようになり始めたことだった。
⸻
その日の授業は、あまり頭に入ってこなかった。
けれど、朝の出来事を思い出すたびに、俺は一つのことを考えていた。
もう、美月のことで立ち止まり続けるのはやめよう。
十年間の想いは、確かに本物だった。
だからこそ、あんな終わり方をしたことはつらい。
それでも、俺の人生はここで終わるわけじゃない。
俺には、これから先の時間がある。
そして、その時間を一緒に過ごしたいと思える人がいる。
放課後。
俺はスマートフォンを取り出し、雪乃にメッセージを送った。
『今日、少しだけ話せる?』
すぐに既読がついた。
『もちろんです。どうしたの?』
俺は少し迷ってから、返事を打った。
『昨日の返事を、ちゃんと伝えたい』
数秒後。
『……分かりました。待っていますね、湊くん』
そのメッセージを見て、俺は深く息を吐いた。
よし。
ちゃんと伝えよう。
⸻
放課後の校舎裏。
夕日が差し込む静かな場所に、雪乃は立っていた。
銀色の髪が、夕日に照らされて淡く輝いている。
俺に気づくと、雪乃は少し緊張したように微笑んだ。
「……湊くん」
「待たせてごめん」
「ううん。私が早く来ただけだから」
雪乃はそう言ったものの、握りしめた手には力が入っていた。
きっと、不安なのだろう。
昨日、勇気を出して告白してくれた。
その返事を、今から聞こうとしているのだから。
俺は雪乃の前に立った。
「……昨日の返事なんだけど」
「……うん」
「俺、まだ美月のことを完全には忘れられてない」
雪乃の瞳が、わずかに揺れた。
それでも、彼女は黙って聞いてくれた。
「十年間、ずっと好きだったから。簡単に気持ちを切り替えられるわけじゃないんだ」
「……うん」
「でも、昨日、雪乃がそばにいてくれて……すごく救われたんだ」
俺は、雪乃の目を見つめた。
「俺が傷ついていることを否定しないで、無理に忘れろとも言わないで、ただ隣にいてくれた」
「……湊くん」
「だから、俺も雪乃と一緒にいたいって思ったんだ」
雪乃は、息を呑んだ。
俺は一度だけ深呼吸をして、はっきりと伝えた。
「……俺と、付き合ってください」
一瞬、雪乃の表情が止まった。
「……え?」
「俺と、恋人になってほしい」
雪乃の瞳が、大きく見開かれた。
やがて、その目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「……本当に?」
「うん。本当だよ」
「私で……いいの?」
「雪乃がいいんだ」
その瞬間、雪乃は顔をくしゃっとさせて笑った。
「……っ、よかった……!」
彼女は涙を拭いながら、俺の手をぎゅっと握った。
「私……ずっと、湊くんにそう言ってもらいたかったの……」
「雪乃……」
「ありがとう……本当に、ありがとう……!」
その姿を見ていると、俺の胸まで温かくなった。
昨日まで、俺は自分が誰かに大切にされるなんて思えなかった。
けれど、目の前の彼女は、こんなにも嬉しそうに笑ってくれている。
俺の返事を、心から喜んでくれている。
「……これから、よろしくな。雪乃」
「はい……! こちらこそ、よろしくお願いします、湊くん」
雪乃は、俺の手を離さなかった。
それどころか、少しだけ近づいて、そっと腕に触れた。
「……ねえ、湊くん」
「ん?」
「これからは、もっと一緒にいてもいいですか?」
「もちろん」
「一緒に帰ったり、休日にデートしたり……手を繋いだり」
「……うん」
「あと……私のこと、ちゃんと名前で呼んでほしいです」
雪乃は恥ずかしそうに笑った。
俺も少し照れながら答える。
「……雪乃」
「……えへへ」
彼女は、嬉しそうに頬を緩めた。
「もう一回」
「雪乃」
「……もう一回、お願いします」
「何回でも呼ぶよ。雪乃」
「……大好きです、湊くん」
その言葉に、俺の顔まで熱くなった。
「……俺も、これから雪乃のことを大切にするよ」
雪乃は、俺の手を両手で包み込んだ。
「……約束ですよ?」
「約束」
俺たちは小指を絡めた。
夕日が、二人の影を長く伸ばしていく。
この先、何が起こるのかは分からない。
美月たちのことも、拡散された動画のことも、まだ解決していない。
だけど、今だけは。
雪乃と一緒にいられることを、素直に嬉しいと思えた。
「……帰ろうか、雪乃」
「はい。湊くん」
俺たちは手を繋いで、校舎を後にした。
こうして俺は、学園一の美少女と恋人になった。
――ただし、そのことをまだ学校の誰も知らない。




