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嘘告白で俺を笑い者にした幼馴染、翌日には学園一の美少女が俺の彼女になっていた  作者: simamu


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3/7

学園一の美少女は、ずっと俺が好きだった

「私ね……ずっと、あなたに伝えたいことがあったの」


階段の踊り場。


白瀬雪乃は、俺の目をまっすぐに見つめていた。


銀色の髪が、窓から差し込む朝の光を受けて淡く輝いている。


学校一の美少女。


成績は学年でもトップクラス。運動もできて、誰に対しても礼儀正しい。


先生からの信頼も厚く、男子からはもちろん、女子からも憧れられている。


そんな彼女が、今、俺の目の前にいる。


しかも、何か大切なことを伝えようとしている。


「……俺に、話?」


「うん」


雪乃は頷いた。


けれど、すぐには続きを話さなかった。


制服のスカートを握る指先に、わずかに力が入っている。


いつも堂々としている彼女が、こんなにも緊張している姿を見るのは初めてだった。


「もしかして……さっきのこと?」


俺が尋ねると、雪乃の表情が少し曇った。


「……動画のこと、知ってるんだね」


「うん。まあ……嫌でも目に入ったから」


できるだけ普通に答えたつもりだった。


でも、自分でも分かる。


声が、少し震えていた。


あの動画。


美月に告白されて、嬉しそうに笑っている俺。


そして、周囲から向けられる笑い声。


思い出すだけで、胸の奥が痛くなる。


「……ごめん」


雪乃が小さく呟いた。


「え?」


「私、もっと早くあなたに声をかければよかった」


「いや、白瀬さんが謝ることじゃないよ。あれは俺と美月の問題だし……」


「違うよ」


雪乃は、静かに首を横に振った。


「あなたが傷ついているのに、周りの人たちが笑っているのが……私、どうしても許せなかった」


その声には、普段の穏やかな彼女からは想像できないほど強い感情がこもっていた。


「本気で誰かを好きになることの、何が悪いの?」


雪乃は唇を噛んだ。


「十年間も好きだったんでしょう?」


俺は思わず顔を上げた。


「……なんで、それを?」


「動画で、言っていたから」


そうだった。


あの動画には、俺の声が入っていた。


十年間ずっと好きだった。


美月が好きだった。


あのときの俺は、恥ずかしいなんて思っていなかった。


ようやく気持ちが届いたと思っていたから。


「……そっか」


俺は視線を落とした。


「まあ、もう終わったことだから」


「本当に、そう思ってる?」


「……え?」


「もう何とも思っていないの?」


答えられなかった。


終わったことにしたい。


忘れてしまいたい。


そう思っているのは本当だ。


でも、十年間の想いが、たった一日で消えるわけがない。


美月のことを考えれば、今でも胸が痛む。


そんな自分が情けなくて、俺は無理に笑った。


「……大丈夫だよ。少し時間が経てば、きっと平気になるから」


雪乃は、そんな俺をじっと見つめていた。


そして。


「……朝比奈くん」


「うん?」


「昔のこと、覚えてる?」


思いがけない質問だった。


「昔?」


「中学二年生の頃。梅雨の時期だったんだけど……」


中学二年生。


梅雨。


その言葉を聞いて、俺は記憶をたどった。


けれど、雪乃との思い出なんて、ほとんどない。


同じ中学校だったことは知っている。


学年も同じだったはずだ。


ただ、当時の俺にとって、雪乃は遠い存在だった。


いつも誰かに囲まれていて、誰にでも優しくて、何でもできる女の子。


教室の中心にいるような人。


俺のような普通の男子が、気軽に話しかけられる相手ではなかった。


「……ごめん。あんまり覚えてないかも」


そう答えると、雪乃は少しだけ寂しそうに笑った。


「そっか。うん、そうだよね」


けれど、すぐに顔を上げた。


「でも、私は今でも、はっきり覚えてるよ」


雪乃は窓の外を見つめた。


その瞳は、今ここではない、遠い過去を映しているようだった。


「私が、あなたを好きになった日のこと」


*


――三年前。


中学二年生の六月。


その日は、朝から雨が降っていた。


白瀬雪乃は、職員室前の廊下に立っていた。


手には、模試の結果が書かれた紙。


学年一位。


今回も、変わらない結果だった。


「雪乃さん、今回も一位だったんですって?」


担任の先生が、嬉しそうに声をかける。


「はい。ありがとうございます」


雪乃は、いつも通り微笑んだ。


「さすがね。先生も鼻が高いわ。次のテストも期待しているわよ」


「はい。頑張ります」


先生が去っていく。


雪乃は手元の結果を見つめた。


一位。


それは、彼女にとって当たり前のものだった。


小さい頃から、何でもできる子だと言われてきた。


勉強ができれば褒められた。


ピアノが弾ければ褒められた。


礼儀正しく振る舞えば、周囲の大人たちは満足そうに笑った。


だから、雪乃は努力した。


期待に応えるために。


誰からも失望されないために。


失敗しないように。


人前では笑顔を絶やさず、弱音を吐かず、何でも一人でこなせる人間になろうとした。


そうすれば、誰も困らない。


そうすれば、誰にも迷惑をかけない。


そうすれば、自分は必要とされる。


そう信じていた。


「雪乃ちゃん、今日の放課後、一緒に勉強しない?」


「ごめんね。今日は習い事があるの」


「そっか。じゃあ、また今度!」


「うん。また誘ってね」


友達には笑顔で返事をする。


本当は、少しだけ一緒にいたかった。


くだらない話をして、笑って、寄り道をして。


普通の中学生みたいに過ごしてみたかった。


でも、家に帰れば習い事がある。


次の試験の準備もある。


親からの期待もある。


やらなければならないことが、いくらでもあった。


だから、今日も断った。


「……また、今度」


誰もいなくなった廊下で、雪乃は小さく呟いた。


その言葉を、何度繰り返してきただろう。


*


放課後。


雨は、さらに強くなっていた。


雪乃は昇降口で立ち止まり、窓の外を見つめていた。


傘は持っている。


けれど、帰りたくなかった。


家に帰れば、今日の模試の結果を報告しなければならない。


一位だったと伝えれば、きっと喜んでくれる。


そして、次も頑張るように言われる。


悪いことではない。


両親は、自分のことを大切に思ってくれている。


そのことは、雪乃にも分かっていた。


それでも。


「……疲れたな」


誰にも聞こえない声で、呟いた。


ほんの少しでいい。


何も考えずに、ぼんやりしていたかった。


期待に応えなくてもいい。


笑顔を作らなくてもいい。


誰かに褒められなくてもいい。


ただ、普通の女の子として、そこにいることを許してほしかった。


雪乃は傘を手に取った。


そして、昇降口を出る。


校門とは反対方向へ歩き始めた。


校舎の裏手。


普段はあまり人が通らない、小さな渡り廊下の近く。


そこには、雨を避けられる場所があった。


雪乃は壁際に座り込み、膝を抱えた。


制服の裾が、少し濡れてしまった。


けれど、気にならなかった。


「……もう、嫌だ」


声に出した瞬間、胸の奥に押し込めていたものが溢れた。


頑張っているのに。


ちゃんと期待に応えているのに。


どうして、こんなに苦しいのだろう。


どうして、自分の気持ちを誰にも話せないのだろう。


涙が頬を伝った。


いつもなら、誰かに見られないようにすぐ拭っていた。


けれど、その日は止められなかった。


「……誰にも、言えないよ」


泣いているところを見られたくない。


弱いと思われたくない。


失望されたくない。


そんな考えが頭をよぎるたびに、涙はますます溢れてきた。


そのときだった。


「……あれ?」


足音が聞こえた。


雪乃は慌てて顔を上げた。


廊下の向こうから、一人の男子生徒が歩いてくる。


濡れた前髪を気にしながら、片手に傘を持っていた。


朝比奈湊。


同じ学年の男子だった。


雪乃は、彼のことを知っていた。


成績は特別よくも悪くもない。


運動も、飛び抜けて得意というわけではない。


目立つタイプではなく、教室の中心で騒ぐような人でもない。


でも、困っている人を見かけると、自然に手を貸す。


落とし物を拾って届けたり、重い荷物を持っている先生を手伝ったり。


誰かが失敗しても、必要以上に責めたりしない。


そんな姿を、何度か見かけたことがあった。


ただ、話したことはほとんどなかった。


自分とは住む世界が違う。


雪乃は、どこかでそう思っていた。


その湊が、こちらへ歩いてくる。


「……白瀬?」


名前を呼ばれ、雪乃の肩が跳ねた。


「っ……!」


反射的に、顔を背ける。


見られた。


泣いているところを。


一番知られたくない相手に。


いや、相手が誰であっても、こんな姿を見られたくなかった。


「……ごめん。今、ちょっと……」


雪乃は急いで涙を拭った。


「何でもないから。気にしないで」


いつもの笑顔を作ろうとした。


けれど、うまくいかなかった。


目元は赤く、声も震えている。


どう見ても、何でもない人間の顔ではなかった。


湊は少し困ったように頭をかいた。


「いや……何でもないって感じには見えないけど」


「……っ」


「えっと、先生呼んできたほうがいい?」


「大丈夫!」


思ったより大きな声が出た。


雪乃は、はっとした。


「……ごめんなさい」


「いや、俺こそごめん。急に話しかけて」


湊はそれ以上、近づかなかった。


無理に顔を覗き込むこともしない。


理由を問い詰めることもしない。


ただ、少し離れたところに立っていた。


その距離が、ありがたかった。


誰かに心配されるのは怖い。


どうしたの、と聞かれるのも怖い。


事情を説明して、気を遣わせるのも嫌だった。


けれど、彼は違った。


無理に踏み込まず、かといって、すぐに立ち去ろうともしなかった。


「……雨、すごいな」


湊が窓の外を見て言った。


「え?」


「いや、なんかさ。こういう雨の日って、何もかも面倒になるよな」


雪乃は、思わず彼を見た。


「……何もかも?」


「うん。宿題とか、明日の授業とか。帰るのも面倒だし」


湊は苦笑した。


「まあ、俺の場合は単に面倒くさがりなだけかもしれないけど」


少しだけ、雪乃の口元が緩んだ。


ほんのわずかだった。


けれど、湊は気づいたようだった。


「あ、今、ちょっと笑った?」


「……笑ってない」


「そっか。見間違いか」


彼は、からかうように笑った。


その笑顔には、何の計算もなかった。


雪乃が学年一位だからでもない。


容姿が綺麗だからでもない。


ただ、そこにいる一人の人間として、自然に接してくれていた。


それが、妙に新鮮だった。


しばらくして、湊が口を開いた。


「……何かあった?」


雪乃は、答えられなかった。


言えるわけがない。


自分が勝手に疲れて、勝手に泣いているだけなのだから。


「……何でもないよ」


そう答えると、湊は少し考えてから頷いた。


「そっか」


それだけだった。


理由を聞き出そうとしない。


本当は何があったのか、問い詰めようとしない。


雪乃は、少しだけ拍子抜けした。


そして、次の瞬間。


「でもさ」


湊が、穏やかな声で言った。


「無理して笑わなくてもいいんじゃないか?」


雪乃は、息を止めた。


「……え?」


「いや、俺も詳しいことは分からないけどさ」


湊は、少し照れくさそうに頬をかいた。


「白瀬って、いつもちゃんとしてるだろ。勉強もできるし、誰にでも優しいし。すごいなって思うよ」


「……」


「でも、だからって、ずっと頑張り続けなきゃいけないわけじゃないと思うんだ」


湊は窓の外を見つめた。


「疲れたときは休めばいいし、泣きたいときは泣いてもいいだろ。誰だって、そういう日くらいあるんだから」


その言葉を聞いた瞬間。


雪乃の中で、何かが崩れた。


ずっと、誰かに言ってほしかった。


頑張らなくてもいい。


完璧じゃなくてもいい。


笑顔でいられない日があってもいい。


そんな当たり前の言葉を。


でも、誰も言ってくれなかった。


みんな、雪乃が何でもできることを褒めてくれた。


期待してくれた。


その期待に応えられることが、自分の価値なのだと思っていた。


だから、弱音を吐くことができなかった。


失敗することが怖かった。


誰かに失望されることが怖かった。


それなのに。


目の前の男子は、何も知らないはずなのに。


たった一言で、ずっと張り詰めていた心をほどいてしまった。


「……っ」


涙が、また溢れた。


「えっ、ちょ、ちょっと!?」


湊が慌てた。


「ご、ごめん! 俺、変なこと言った!?」


雪乃は首を横に振った。


違う。


違うの。


そうじゃない。


嬉しかった。


自分の弱さを否定されなかったことが。


泣いている自分を、笑われなかったことが。


無理に笑わなくてもいいと言ってもらえたことが。


ただ、嬉しかった。


「……ありがとう」


ようやく、それだけを口にした。


湊は、ほっとしたように笑った。


「うん。どういたしまして」


そして、少し迷ったあと、自分の傘を差し出した。


「これ、使っていいよ」


「……え?」


「俺、走って帰るから。家、そんなに遠くないし」


「でも……」


「いいって。風邪引いたら大変だろ」


雪乃は傘を見つめた。


「……朝比奈くんは?」


「俺は大丈夫。まあ、帰ったら怒られるかもしれないけど」


湊は困ったように笑った。


「そのときは、ちゃんと謝るよ」


雪乃は、傘を受け取った。


指先が、ほんの少し触れた。


たったそれだけなのに、なぜか胸が苦しくなった。


「……ありがとう。絶対、返すから」


「うん。いつでもいいよ」


湊は手を振り、雨の中へ走っていった。


何度か水たまりを踏み、靴を濡らしながら。


それでも、彼は振り返って笑った。


「じゃあな、白瀬!」


その背中が見えなくなるまで、雪乃はずっと彼を見つめていた。


手の中には、彼の傘。


胸の中には、今まで感じたことのない温かさ。


その日、雪乃は初めて思った。


――もっと、この人と話してみたい。


――もっと、この人のことを知りたい。


そして、できることなら。


――この人の隣で、私も自然に笑えるようになりたい。


それが、始まりだった。


*


翌日。


雪乃は、借りた傘を持って学校へ向かった。


昨日の涙は、もう乾いていた。


けれど、湊の言葉は、今も胸の中に残っていた。


『無理して笑わなくてもいいんじゃないか?』


何度も思い出した。


そのたびに、胸が温かくなった。


そして、少しだけ怖くなった。


もう一度、話しかけてみたい。


お礼を言いたい。


昨日のことを、もっと話したい。


そう思うのに、いざ本人を前にすると、足が止まってしまう。


湊は教室で、幼馴染の小鳥遊美月と話していた。


美月が笑うと、湊も嬉しそうに笑った。


その表情を見た瞬間、雪乃の胸が小さく痛んだ。


――ああ。


――朝比奈くんには、好きな人がいるんだ。


そう思った。


それが、少しだけ寂しかった。


けれど、同時に納得もした。


あんなふうに誰かを大切にできる人なのだから。


きっと、好きな人にも優しいのだろう。


雪乃は、二人の邪魔をしないように、そっと教室を離れた。


結局、その日は傘を返すことしかできなかった。


「昨日は、ありがとう」


「おう。ちゃんと帰れた?」


「うん。おかげさまで」


「ならよかった」


たったそれだけの会話。


それなのに、雪乃はその日の帰り道、何度も思い出してしまった。


そして、気づいた。


自分は、もう彼のことを特別に思い始めている。


*


それからの日々は、少しずつ変わっていった。


雪乃は、以前よりも湊の姿を目で追うようになった。


授業中、先生の質問に答える湊。


休み時間、友達とくだらない話をして笑う湊。


廊下で落とし物を拾い、持ち主に渡す湊。


誰かが失敗したとき、さりげなくフォローする湊。


どれも、特別なことではない。


本人にとっては、ごく普通の行動なのだろう。


でも、雪乃には、その一つひとつが眩しかった。


ある日の昼休み。


クラスメイトたちが、雪乃の席に集まっていた。


「雪乃ちゃんって、好きな人とかいるの?」


突然の質問に、雪乃は飲みかけていたお茶を止めた。


「……え?」


「だって、雪乃ちゃんって可愛いし、頭もいいし。絶対、告白されたことあるでしょ?」


「そういう話、気になるじゃん!」


周りの女子たちが笑う。


雪乃は、いつものように微笑んだ。


「……今は、そういう人はいないかな」


嘘だった。


もう、いる。


誰よりも気になってしまう人が。


けれど、その気持ちを口にすることはできなかった。


彼には好きな人がいる。


そう思っていたから。


それに、自分が誰かを好きになること自体、初めてだった。


どんな顔をして話しかければいいのか。


どうすれば、自分のことを意識してもらえるのか。


何も分からなかった。


だから、雪乃は決めた。


せめて、彼のことをもっと知ろう。


いつか、自然に話せるようになろう。


そのときが来るまで、この気持ちは大切にしておこう。


そう思っていた。


――まさか、その恋心を三年近くも抱え続けることになるとは、当時の雪乃は知らなかった。


*


そして、現在。


「……そんなことが、あったんだ」


俺は、目の前の雪乃を見つめていた。


中学二年生の梅雨。


校舎の裏手。


泣いている女の子に傘を渡したこと。


確かに、そんなことがあった気がする。


けれど、俺は覚えていなかった。


あのときの俺にとっては、困っている人がいたから、声をかけただけだった。


特別なことをしたつもりはなかった。


「……ごめん。俺、正直、そんなに覚えてなくて」


「ううん。いいの」


雪乃は、優しく微笑んだ。


「湊くんにとっては、何でもない一日だったんだと思う」


彼女の口から、初めて名前を呼ばれた。


朝比奈くんではなく。


湊くん。


その呼び方が、妙に胸に残った。


「でも、私にとっては違ったんだよ」


雪乃は、自分の胸元にそっと手を当てた。


「ずっと苦しかったときに、初めて、無理をしなくてもいいって言ってくれた人だったから」


「……」


「それから、私は湊くんのことを目で追うようになったの」


彼女は、少し恥ずかしそうに笑った。


「最初は、ただお礼を言いたいだけだと思ってた。でも、話すたびに嬉しくなって、姿を見るだけで安心して……いつの間にか、もっと一緒にいたいって思うようになってた」


「白瀬さん……」


「雪乃、でいいよ」


「え?」


「できれば……私のこと、雪乃って呼んでほしい」


その頬が、ほんのり赤く染まっていた。


学校では誰もが憧れる美少女。


何でもできて、いつも完璧な女の子。


そんな彼女が、俺の前では、まるで初恋を打ち明ける普通の女の子みたいに照れていた。


「……雪乃」


試しに名前を呼ぶ。


すると、雪乃は目を見開いた。


「……っ」


「え、何?」


「ううん……」


彼女は両手で頬を押さえた。


「……嬉しい」


小さな声だった。


でも、その笑顔は、今まで見たどの笑顔よりも柔らかかった。


「……私、ずっとその呼び方をしてほしかったの」


胸の奥が、また少しだけ温かくなった。


けれど、同時に疑問も浮かんだ。


「でも、どうして今まで……俺に話しかけてくれなかったの?」


雪乃は、ゆっくりと視線を落とした。


「……怖かったから」


「怖い?」


「うん。湊くんには、美月ちゃんがいたから」


俺は言葉を失った。


「二人は昔から仲がよかったでしょう? いつも一緒にいて、楽しそうに話していて……私は、そこに入っていけなかった」


雪乃は、少しだけ苦笑した。


「それに、私が好きだって伝えて、困らせたくなかった。湊くんが美月ちゃんを好きなことは、見ていれば分かったから」


「……」


「だから、見ているだけでいいと思ってた」


本当に、そう思っていたのだろう。


彼女は自分の恋心を押し殺して、俺と美月の関係を遠くから見守っていた。


俺が美月に笑いかけるたびに。


俺が美月を心配するたびに。


きっと、胸が痛かったはずなのに。


「……でも」


雪乃は、俺を見つめた。


その青い瞳には、強い決意が宿っていた。


「今日、湊くんが傷ついているのを見て、思ったの」


「……何を?」


「もう、後悔したくないって」


彼女は、ゆっくりと一歩近づいた。


「ずっと好きだった人が、あんなふうに傷ついているのに、何も言えないまま見ているなんて……私には、もうできない」


雪乃の声が震える。


「本当は、もっと早く伝えたかった。湊くんが好きだって。ずっと、あなたのことを見ていたって」


彼女は、ぎゅっと拳を握った。


「でも、今まで言えなかった」


「……」


「だから、せめて今だけは、ちゃんと伝えたいの」


雪乃は一度、深く息を吸った。


そして。


俺の目をまっすぐに見つめた。


「朝比奈湊くん」


初めて、フルネームで呼ばれた。


「私は、あなたが好きです」


その言葉に、心臓が大きく跳ねた。


「中学二年生のあの日から、ずっと。あなたの優しさに救われて、あなたの笑顔を見ているうちに、どんどん好きになっていきました」


雪乃の目に、うっすらと涙が浮かぶ。


「あなたが美月ちゃんを好きなことも、知ってた。だから、諦めようとしたこともあったよ」


彼女は、少しだけ笑った。


「でも、無理だった。何度諦めようとしても、やっぱり湊くんが好きだったの」


十年間の片想いを、ついさっき失ったばかりの俺に。


今度は、別の女の子が、自分の長い片想いを伝えてくれている。


しかも、その相手は。


誰もが憧れる、学校一の美少女だった。


「……私、あなたが思っているより、ずっと面倒くさい女の子かもしれないよ?」


雪乃は、涙を浮かべながら笑った。


「好きな人ができたら、その人のことばかり考えちゃうし……他の女の子と楽しそうに話していたら、ちょっと嫉妬すると思う」


「……」


「二人きりになれたら、もっと一緒にいたくなるし。帰り際には、まだ帰りたくないって思うかもしれない」


少しずつ、彼女の顔が赤くなっていく。


「それでも……」


雪乃は、震える声で続けた。


「私と、付き合ってください」


そして、最後に。


「今度は私が、湊くんを幸せにしたい」


その言葉を聞いた瞬間、俺の胸が締めつけられた。


嬉しい。


そう思った。


でも、すぐに返事をすることはできなかった。


ついさっきまで、俺は十年間好きだった女の子に笑われていた。


本気だったことを、恥ずかしいことのように扱われた。


自分の気持ちさえ、信じるのが怖くなっていた。


そんな俺に、雪乃は答えを急かさなかった。


「……すぐに返事をしなくてもいいよ」


彼女は、優しく微笑んだ。


「今日、いろいろなことがあったばかりだもんね」


「……ごめん」


「謝らないで」


雪乃は首を横に振った。


「私は、湊くんが好きだから、気持ちを伝えたかっただけ。困らせたいわけじゃないの」


それから、ほんの少しだけ、いたずらっぽく笑った。


「……でも、できれば、前向きに考えてくれたら嬉しいな」


その笑顔を見て、俺も少しだけ笑うことができた。


今日、初めて。


無理をしなくても、笑えた気がした。


「……ありがとう、雪乃」


俺がそう言うと、彼女は驚いたように目を見開いた。


「……うん!」


その顔が、今までで一番嬉しそうに見えた。


*


その日の昼休み。


俺と雪乃が階段の踊り場から教室へ戻ると、何人かのクラスメイトがこちらを見た。


「……あれ?」


「白瀬さんと朝比奈?」


「二人って、接点あったっけ?」


ひそひそとした声が聞こえる。


俺は少し気まずくなった。


雪乃と並んで歩いているだけで、こんなに注目されるとは思わなかった。


教室の入り口では、水野葵が心配そうに俺を見ていた。


「朝比奈くん……もう、大丈夫?」


「……うん。ありがとう」


「そっか。無理しないでね」


葵は、それ以上何も聞かなかった。


その優しさが、今はありがたかった。


一方、教室の奥では、美月が俺たちを見つめていた。


俺と雪乃が一緒に戻ってきたこと。


雪乃が、俺にだけ柔らかい笑顔を向けていること。


その光景が、気になって仕方がない様子だった。


「……湊」


美月が声をかけてくる。


俺は一瞬だけ彼女を見た。


けれど、何も言わずに自分の席へ向かった。


今は、話したくなかった。


美月は何かを言いかけたものの、結局、口を閉じた。


その様子を、早川奈々が少し離れた席から見ていた。


「……自分がしたこと、ちゃんと分かってるのかな」


小さな呟きだった。


誰にも聞こえなかったかもしれない。


けれど、美月はその言葉に気づいたように、俯いた。


*


放課後。


俺は一人で帰ろうとしていた。


雪乃の告白に、どう返事をすればいいのか。


まだ、答えは出ていない。


それでも、彼女の言葉を聞けたことは嬉しかった。


あんなふうに、誰かが自分の気持ちを真剣に伝えてくれるなんて。


少し前の俺なら、夢にも思わなかっただろう。


昇降口で靴を履き替えていると、後ろから声がした。


「……湊くん!」


振り返る。


雪乃が、小走りでこちらへやってきた。


「……雪乃?」


「一緒に帰ってもいい?」


「え?」


「……だめ、かな?」


彼女は、少し不安そうに俺を見上げていた。


学校一の美少女が、そんな顔をするなんて。


本当に、信じられなかった。


「いや、だめじゃないけど……俺と一緒でいいの?」


「湊くんがいいの」


即答だった。


あまりにも迷いのない返事に、俺は思わず言葉を失った。


雪乃は、少しだけ恥ずかしそうに頬を染めた。


「……今日くらいは、好きな人の隣を歩きたいなって思って」


「……っ」


心臓が跳ねた。


好きな人。


その言葉が、まだ耳に残っている。


「……分かった。一緒に帰ろう」


そう答えると、雪乃は花が咲いたように笑った。


「うん!」


俺たちは、並んで歩き始めた。


校門を出ると、夕方の風が頬を撫でた。


まだ、俺たちは恋人ではない。


雪乃の告白に、返事もしていない。


それでも。


彼女と一緒に歩く時間は、不思議と心地よかった。


「……ねえ、湊くん」


「ん?」


「明日も、一緒に帰っていい?」


「……明日も?」


「うん。できれば、明後日も。その次の日も」


雪乃は、俺の顔を覗き込んだ。


「……私、これからはもっと湊くんと一緒にいたいの」


その声は、少しだけ甘えているように聞こえた。


俺は、思わず笑った。


「……まだ、返事もしてないのに?」


「……うっ」


雪乃の頬が、一気に赤くなる。


「そ、それは……そうだけど……」


「冗談だよ」


俺が笑うと、雪乃も少しだけ笑った。


そして、ためらいがちに言った。


「……待ってるからね。返事」


「ああ」


「……ずっと、待ってるから」


その言葉は、優しかった。


けれど、俺にはまだ分からなかった。


三年間、想い続けてきた彼女が、どれほど本気なのか。


そして、これから俺に向けられる愛情が、どれほど深く、まっすぐなものなのか。


ただ一つ、確かなことがあった。


今日、俺は初めて。


美月のことを考えずに、誰かと笑うことができた。


それが、少しだけ嬉しかった。


――十年間の初恋が終わった日。


俺はまだ知らない。


この出会いが、俺の人生を大きく変えていくことを。


そして。


学校一の美少女が、これからどれほど俺を甘やかし、独占しようとするのかを。


第4話『俺の彼女は、学園一の美少女でした』へ続く。

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